第005話:名刀『カタなんとか』と、日曜午後のこっそりダンジョン
日曜日、午後二時。
渋谷デパートの最上階レストランで特製オムライスを堪能した佐藤通と白石は、デパ地下の食品売り場へと足を運んでいた。
「佐藤様、申し訳ありません。今日は娘の結衣を実家に預けているので、夕方前にはお迎えに行かないといけなくて……」
申し訳なさそうに眉を下げる白石に、トールは鷹揚に頷いた。
「気にするな、白石殿。十分すぎるほど見事な案内であった。俺の武装(制服)も無事に揃ったのだから、あとはゆっくり娘を迎えに行ってやるといい」
「ありがとうございます。あっ、そうだわ」
白石はふと思いついたように、デパ地下の有名洋菓子店の列に並び、小さな可愛らしい紙袋を二つ購入した。一つを自分のバッグにしまい、もう一つをトールへと手渡す。
「これ、ここのお店で一番人気の『苺の特製マカロン』です。夕飯は朝のうちにカレーを作って冷蔵庫に入れてありますが、もし小腹が空いたら、おやつに召し上がってくださいね」
「おお……! かたじけない。誠に気が利く女だ」
トールが真顔で感嘆すると、白石は先ほどの試着室での密着ハプニングを思い出したのか、「そ、それでは私はこれで!」と顔を赤くして足早に去っていった。
白石を見送った後、トールは一人、ペントハウスへと戻ってきた。
買ってきた制服やジャージの入った大量の紙袋をリビングの片隅に置き、ふぅと息を吐く。静まり返った広大な部屋は快適だが、世話を焼いてくれる家政婦がいないと、途端に時間が余ってしまったように感じる。
「……少し、体がなまってきたな」
ここ数日、美味い飯を食って昼寝をするだけの自堕落な生活を満喫していたトールは、傍らに立てかけてあった愛刀に目を留めた。
「入学式までまだ少し日がある。こいつ――名刀・カタなんとかの素振りでもして、腹ごなしをしておくか」
トールが刀を手に取った瞬間。
『名前!! 雑すぎますわトール様!!』
ズボンのポケットの中で、スマホ(イシュラーナ)がけたたましくバイブレーションを鳴らした。
『それは異世界の偏屈鍛冶爺が、トール様が討伐した【最凶魔神の背骨と邪竜の血】から狂気のままに鍛え上げた、世界を滅ぼす呪いの魔剣『魔骸神刃・カタストロフ』ですわよ!?
本来なら鞘から抜いた瞬間に持ち主の魂を喰らい尽くすヤバすぎる代物ですのに!』
「そうだったか?
よく分からんが、俺の『気』を流し込めば大人しくなるし、刺身を切るのにも重宝する誠に良い業物だぞ」
『魔剣が怯えきってますわ!
トール様の圧倒的な覇気で呪いごと物理的に黙らされて、ただの「めちゃくちゃよく切れる便利な包丁」になり下がってますわーーっ!』
イシュラーナの画面に『(
゜Д゜)』というアスキーアートが点滅する。実際、刀の内に封じられた魔神の怨念は、トールが握るたびに「ヒィッ……今日もよろしくお願いします」とばかりに完全服従状態となっていた。
「ところでイシュラーナ。素振りに行くにしても、この時代の『ダンジョン』とやらに俺のような若造が一人で入れるのか?」
『本来なら、高校生以下の未成年のダンジョン入場は法律で厳しく制限されていますわ!』
イシュラーナが解説のテキストを高速で流す。
『ですが、トール様はすでに新興メジャーが運営する【渋谷代々木学園】の生徒。先ほどのお買い物で申請した「仮学生証」のデータには、学園の特区ライセンスが付与されていますの。エントランスのゲートにピッとタッチするだけで、初心者エリアなら顔パスですわ!』
「なるほど。便利なからくりだ」
トールは白石からもらったマカロンの紙袋を大事に懐へしまうと、着流しに羽織を引っ掛け、軽い足取りでペントハウスを後にした。
* * *
渋谷ダンジョン・エントランス棟(冒険者ギルド支部)。
巨大なビルの1階に設けられた入場ゲート前は、日曜日ということもあり多くの探索者たちでごった返していた。トールは列に並び、自動改札機のようなゲートにイシュラーナの入ったスマホをかざす。
『ピロン。渋谷代々木学園・新入生アカウントを確認。第1層・初心者エリアまでの入場を許可します』
無機質な音声と共にゲートが開き、トールはあっさりと内部へ足を踏み入れた。
「ひぃぃっ! ス、スライムが出たぞーっ!」
「おい、盾前に出せ! 魔法詠唱急げ!」
ダンジョン第1層の入り口付近は、まるで遠足のようだった。
トールと同じように入学前の春休みを利用して「試しに潜りに来た」同級生らしき新入生たちが、プルプルと跳ねるだけの最弱モンスター・スライム1匹を相手に、真新しい装備をガチャガチャ鳴らして大騒ぎしている。
「……五月蠅いな。これでは落ち着いてマカロンが食えん」
目立つことを極端に嫌うトールは、大騒ぎする新入生たちには一切関わらず、あえて魔素が薄く、誰も寄り付かない不人気の裏道(行き止まりルート)へと静かに歩を進めた。
『トール様、そちらは採掘できる魔石が少なすぎて、誰も行かない外れルートですわよ?』
「好都合だ」
薄暗い裏道を15分ほど進むと、少し開けた岩場の行き止まりに出た。
静寂。ここなら誰にも邪魔されず、白石のくれた至高のスイーツを堪能できる。トールが岩場に腰を下ろし、紙袋を開けようとした、その時。
ゴゴゴォォ……ッ!
岩壁の一部が突如として剥がれ落ち、『ゴブリン』が姿を現した。本来なら5階層を越えたあたりから現れ始めるモンスターだ。
『ひゃあっ! 一階層にイレギュラーですわ! トール様、逃げ――』
「――うるさいな。茶会を始めようとしたところだぞ」
トールは短く溜息をつき、漆黒の太刀をスッと鞘から少しだけ抜いた。
抜刀の瞬間、刀に封じられた魔神の怨念が『我が呪いの炎で、この空間ごと全てを――』とイキって瘴気を放とうとしたが、トールが太刀の峰を指でコンッと弾き、「静かにしろ。スイーツに埃や血飛沫がかかるだろう」と『気』を流し込む。
『ヒィッ……すいませんでした……!』と魔剣は一瞬で浄化され、ただの従順な刃と化した。
シャッ――。
風の音すらしない、無音の居合い。
トールはゴブリンを斬り裂き、周囲のダンジョンの壁には一切の傷をつけない「完璧な寸止め」の太刀筋を披露した。
ゴブリンは音もなく崩れ落ち、チリとなって消滅した。
塵となって消えていく魔物の残滓を一瞬だけ見つめ、トールの瞳の奥で、ほんの刹那――遠い異世界の戦場にこびりついたまま離れない、何か硬いものが揺れた気がした。血の匂いだったのか、失った誰かの声だったのか。当の本人にすら、判然としない。
だが、その陰りは瞬きの間に消え去り、いつもの真顔がすぐに戻ってくる。
「よし。これで静かになった」
誰一人いない空間で、トールはシャクッと刀を納めると、何事もなかったかのように岩の上に座り直し、可愛らしい苺のマカロンを一つ口に放り込んだ。
サクッとした歯触りの直後、上品な苺の香りと濃厚な甘さが口いっぱいに広がる。
「……誠に美味である。やはり適度に体を動かした後の甘味は格別だな」
『ト、トール様……今の超高等技術な神速の一撃、誰にも見られていませんわよ!?
配信映えゼロですわ! しかもまたドロップした魔石拾ってませんし!』
「誰も見ていないから良いのだ。それに、俺はただ腹ごなしの素振りに来ただけだと言っただろう。そうだイシュラーナ、拾っておいてくれ」
『ブヴヴヴヴヴヴッ!!!』
「ちょっ、トール様!?
わたくし、旧メジャー最高峰のスーパーAIですけれど、今はただの『スマホ』ですのよ!?
手足なんて生えておりませんし、念動力アプリなんてインストールされてませんわーーッ!
物理法則の壁!!」
画面には『(ヾノ・∀・`)ムリムリ』というアスキーアートが高速で明滅しています。
「……そうだったのか。万能なからくりだと思っていたが、意外と不便なのだな」
「AIに対する要求スペックが高すぎますわ!
トール様ご自身で拾ってくださいませ!
そのゴブリンの魔石、換金すれば、白石殿の今夜のカレーに『唐揚げ』をトッピングできますわ!」
「唐揚げ……か!」
トールの目の色が、異世界の魔神と対峙した時よりも鋭く光りました。
「それは誠に聞き捨てならないな。唐揚げは大事だからな」
トールはマカロンの紙袋を大事そうに片手で持ちながら、もう片方の手でゴブリンが残した極小魔石をひょいっと拾い上げ、懐に突っ込みました。
「よし。これで今夜は極楽だ。帰るぞ、イシュラーナ」
『動機が常に「メシ」と「白石殿」!
でもそんなブレない推しが尊いですわーッ!』
巨大企業の覇権争いや、新入生たちの騒がしいダンジョンデビュー。
そんな喧騒から完全に隔離された行き止まりで、マイペースな武士は一人静かに優雅なティータイムを満喫する。
「さて、日も傾いてきた。夕飯のカレーライスを楽しみに帰るとするか」
世界の常識を易々と置き去りにしたまま、トールはただ己の平穏な日常のためだけに、定時で家路につくのであった。




