第059話:胃痛教官の絶対防衛線と、極上天むすの賄賂
第20階層のエリアボス『ウォーター・サーペント』が、雷属性兵器の出番すらなく氷華の絶対凍結とトールの神速峰打ちで狩り尽くされた翌日。
渋谷代々木学園の厳かな第一会議室は、かつてないほどの怒号と熱気に包まれていた。
「凪先生! 君のクラスの生徒が、またあり得ない不正で我が校のビジネスモデルを破壊したぞ!」
「そうだ! 新興メジャー本社から『雷属性兵器の売上が激減した』と大クレームが入っている! Eクラスの特権(部室)を即刻剥奪し、あの佐藤通という生徒を処分しろ!」
長机を囲む上層部や特進Aクラスの教官たちから、Eクラスの新担任である凪教官へと一斉に非難の矢が突き刺さる。
新興メジャーの息がかかったこの学園において、彼らの利益に反する行動は絶対に許されない。四面楚歌の状況の中、事無かれ主義の凪教官は、死んだ魚のような目に濃いクマを作り、胃の辺りを押さえて冷や汗を流していた。
(あぁ……もう嫌だ。なんで俺がこんな目に……。Eクラスなんて、適当に放置しておけばいい底辺クラスのはずだったのに……っ!)
心が折れかけ、上層部の要求を呑んでしまおうかと思ったその時。
凪教官の手元にあった小さな包みから、フワリと香ばしいごま油と出汁の香りが漂ってきた。
それは今朝、部室でトールから「今日の門番代だ」と渡された、白石さん特製の『極上・白身魚の天むす』であった。
「……っ」
凪教官は、震える手で包みを開き、その天むすを一口かじった。
――サクッ。
その瞬間、凪教官の脳髄に、美味の落雷が直撃した。
完璧に揚げられたサクサクの衣の中から、ウォーター・サーペントの淡白でありながらも濃厚な脂の旨味が溢れ出し、特製の甘辛い天つゆが染み込んだ神域の白米と絶妙なハーモニーを奏でている。
(……美味すぎる。コンビニのパサパサのおにぎりしか食べてこなかった俺の荒んだ人生に、こんな美味いものがまだあったなんて……っ!)
咀嚼するごとに、疲弊しきった脳細胞に極上の糖分と活力が供給されていく。
そして凪教官の脳裏に、この天むすを作ってくれた、エプロン姿の美しすぎる家政婦(白石さん)の慈愛に満ちた笑顔が浮かび上がった。
(新興メジャーのビジネスモデルだと? 知るか! 俺はこの天むすを……あの極上のスイーツと白石さんの笑顔を守るためなら、悪魔にでも魂を売ってやる!!)
カッ! と凪教官の瞳に、決して折れない『社畜の狂気』が宿った。
「……Eクラスの不正だと? 笑わせないでいただきたい」
凪教官がスッと立ち上がり、会議室のモニターに自らのタブレットを接続した。
その端末には、トールの胸ポケットに潜む限界オタクAI『イシュラーナ』から、リアルタイムでハッキングされたデータ(弾薬)が次々と転送されてきている。
「これは、Aクラスのエリートたちが雷属性兵器の購入予算を横領し、夜の街で豪遊している証拠映像と不正帳簿のデータです」
バーン! とモニターに映し出された生々しい証拠映像に、特進クラスの教官たちが「なっ……!?」と血の気を引かせる。
「Eクラスの不正を問う前に、Aクラスの横領を世間に公表しましょうか!? 新興メジャーの株価はさらにストップ安になるでしょうねぇ!」
「き、貴様……どこでそのデータを……ッ!」
さらに、理事長室の直通電話がけたたましく鳴り響いた。
受話器を取った理事長の顔が、みるみるうちに蒼白になっていく。
「な、なに!? 旧エネルギーメジャーの神宮寺社長から!? 『もしEクラスの部室に手を出せば、学園への魔力インフラ供給を即刻停止し、全面戦争も辞さない』だと……!?」
文化祭で結成された『親バカ当主&胃痛教官』の最強もみ消しタッグが、ここに来て完璧に機能したのである。
「ご理解いただけましたか? Eクラスへの干渉は、我が学園に致命的な損害をもたらします。すべては『機材のバグ』であった。……これでよろしいですね?」
イシュラーナの電脳ハッキングと、神宮寺家の経済的圧力。
その絶対的な後ろ盾(物理)を得た凪教官のレスバトルの前に、学園の上層部と新興メジャーの圧力は完膚なきまでに沈黙するしかなかった。
* * *
「……ふぅ。今日も定時退社、完了だ」
会議を見事に論破し、定時のチャイムと共に会議室を後にした凪教官は、ボロボロになった胃を抱えながら旧校舎へと向かった。
魔道具研究会の部室の扉を開けると、そこにはいつもと変わらない、極上のスローライフ空間が広がっていた。
部屋の最奥では、トールが『空間断絶・絶対防音お昼寝結界』の中で、平和な寝息を立てている。
そしてテーブルでは、氷華(氷の女王)、盾花(タンク娘)、鯖江の三人が、揚げたてのサーペントの白身肉を使った『特製フィッシュ・アンド・チップス』を囲み、楽しそうにお茶会を開いていた。
「あ、凪先生! お仕事お疲れ様です!」
給湯室から出てきた白石さんが、優しく微笑みながら凪教官に声をかける。
「ちょうど揚げたてのおかわりがありますよ。自家製のタルタルソースをたっぷりつけて、召し上がってくださいね」
「あ……あぁっ……」
サクサクのフィッシュフライと、酸味とコクが絶妙なタルタルソースの香りに包まれ、凪教官の目からボロリと熱い涙がこぼれ落ちた。
(大人たちが外でどれだけ血反吐を吐いていようが、この部室(聖域)だけは、絶対に俺が守り抜いてみせる……!)
新興メジャーの反撃を、圧倒的な「もみ消し力」で粉砕した事無かれ主義の教官。
彼は白石さんの手料理(賄賂)を口いっぱいに頬張りながら、明日もまた、胃痛と引き換えにトールたちの平和な日常を守るための『最強の門番』として立ち塞がることを、固く心に誓うのであった。




