第058話:地底湖の絶対凍結と、極上白身魚の食べ放題祭り
新学期が始まり文化祭が終わった後、渋谷代々木学園では『第二回・合同ダンジョン実習』が行われていた。
舞台は、一般生徒にとって初心者卒業の絶望の壁となる第20階層【湿った土塊と地下水脈】。広大な地底湖が広がるこのエリアのボスは、水中に潜って奇襲を仕掛けてくる凶悪な水棲魔獣『ウォーター・サーペント』である。
「はっはっは! 見ろ、Eクラスの底辺ども!
そして旧メジャーの落ちこぼれ令嬢よ!」
地底湖の安全な岸辺から、新興メジャーの息がかかった特進Aクラスのエリート生徒が、これ見よがしに銀色に輝く筒状の兵器を掲げてみせた。
「この新興メジャーが独占特許を持つ『使い捨て雷撃兵器』があれば、こんな厄介なボスも一撃だ!
これこそが資本力と最新技術の差!
時代遅れの神宮寺家の魔法など、この地底湖では無用の長物だぜ!」
エリートの取り巻きたちが下劣な笑い声を上げる。
彼らの言う通り、一般の生徒たちはこの雷撃兵器で地底湖全体を感電させ、麻痺したサーペントをタコ殴りにするという「札束で殴る戦法」に頼り切っていたのだ。
「……」
しかし、神宮寺氷華(氷の女王)は、エリートたちの安い挑発を、文字通り氷のように冷ややかな、見下すような瞳で一瞥した。
「雷属性の兵器で、強引に感電死させる……?
随分と野蛮で、教養のない戦法ですわね」
「なんだと!? 負け惜しみを言うな!
お前のその欠陥魔法で、この広大な地底湖に潜るボスをどうやって倒すって言うんだ!」
エリートが顔を真っ赤にして叫ぶ。
その時、Eクラスの最後列で欠伸をしていた佐藤通が、鬱陶しそうに前に出てきた。
「氷華の言う通りだ。魚を雷で黒焦げにするなど、素人のやること。強すぎる電流を通せば、身がパサパサに縮んで極上の旨味が台無しになるだろうが」
「はあ!? なに言ってんだお前!」
「あのな、俺たちは今日の夕飯のおかず(海鮮)を仕入れに来たのだ。白石殿の作る『極上のお刺身』と『白身の天ぷら』の味を落とすような真似は、俺が絶対に許さん」
トールが真顔で、極めて理不尽な(食欲に塗れた)殺気を放つ。
「氷華、やれ。鮮度を保つには急速冷凍が一番だ」
「ええ、任せてくださいませ!」
「一学期に食ったあの極上の味が忘れられん。今日は部室の冷蔵庫に限界までストックを仕入れるぞ」
氷華はスッと前に出ると、トールが錬成した『ハイブリッド指輪』がはめられた左手を、静かに地底湖へと向けた。
まだ衣替えも済んでいなかった初夏――第一学期の実技テスト直後に、学園の強制転送で送り込まれた第91階層でのドラゴン討伐。そして、夏休みに遭遇した変異種討伐。時期の異なる二つの経験値バグが積み重なって弾け、いつの間にか【レベル55】という国家転覆級の領域に達していた彼女の魔力は、もはや学生の枠を完全に逸脱していた。
『ちなみに、あの第91階層は、十階層ごとに守護者が現れるはずの本来のダンジョン構造から外れた、極めて特異な“亀裂(不安定層)”だったみたいですわ。ノーライフキング様(第90階層)とエンシェント・ドラゴン様(第100階層)の縄張りの境界が、なぜか一時的に歪んで繋がっていた模様ですの。……まあ、トール様には全く関係のない話ですけれど!』
イシュラーナのそんな解説に耳を傾けていたのは氷華だけで、当のトールは既に次の獲物――地底湖に潜むサーペントにしか、興味を示していなかったが。
「大気中の水分よ。絶対零度の檻となりて、すべてを鎮めなさい――『コールド・スリープ』」
ピキィィィィィンッ……!!
「なっ……!?」
エリート生徒たちが、信じられないものを見る目で絶叫した。
直径数百メートルにも及ぶ広大な地底湖が、氷華の指先から放たれた極低温の魔力波によって、たった一瞬で『カチンコチンに完全凍結』してしまったのである。
「ギギャァァァッ!?」
水中に潜って奇襲をかけようとしていたウォーター・サーペントは、水面から顔を出した瞬間に周囲の水ごと氷漬けにされ、身動き一つとれない見事な「氷のオブジェ(陸の蛇)」と化してしまった。
「う、嘘だろ……!? 第20階層の地底湖を丸ごと凍らせただと!?
そんな魔法、特級探索者でも不可能だぞ!?」
「それに、あの魔力制御……! 神宮寺の魔法は欠陥品じゃなかったのか!?」
新興メジャーの資本力(雷撃兵器)が、氷華のたった一振りの魔法の前に、完全なる無用の長物へと成り下がった瞬間だった。
「うむ。完璧な急速冷凍だ」
トールは凍りついた湖面の上をスタスタと歩き、身動きが取れずに目だけをギョロギョロと動かしているサーペントの前に立った。
「安心しろ。美味しく食ってやる」
――ヒュンッ。
トールが腰の木刀を抜き、神速の居合いを放つ。殺気すら乗っていない純粋な『峰打ち』の衝撃波が、分厚い鱗の隙間をすり抜け、サーペントの神経(延髄)だけを的確に断ち切った。
究極の活け締め。
サーペントは苦痛すら感じる間もなく光の粒子となり、後には巨大な『極上白身肉のブロック』がドロップした。
「シュポポポポポッ!!」
すかさず鯖江の自走ドローンが飛来し、500円のリュックがその極上食材を全自動で吸い込んでいく。
「よし、本日の仕入れは完了だ。帰るぞ」
トールは、腰を抜かしてガタガタと震えているエリートたちに一瞥もくれることなく、颯爽と出口の転送陣へと踵を返した。
「ふふん!
新興メジャーのオモチャに頼っているようでは、本当の『極上の天ぷら』の味は分かりませんわよ!」
氷華が、エリートたちに向けてこれ以上ないほどの見下したドヤ顔を決め、トールの背中をウキウキと追いかけていく。
* * *
その日の夜。魔道具研究会の部室。
「お待たせしました! 獲れたて急速冷凍の、白身魚フルコースです!」
結衣ちゃんをおばあちゃんに預け、部室の給湯室で腕を振るってくれた白石さんが、次々と大皿をテーブルに並べていく。
「おおおおおっ……!!」
トールたちの目が、歓喜に輝いた。
皿の上に盛られているのは、ウォーター・サーペントの透き通るような白身を薄く引いた『極上の薄造り(お刺身)』。そして、山盛りに積み上げられた、衣が黄金色に輝く『サクサクの白身天ぷら』であった。
氷華の急速冷凍とトールの活け締めによって、鮮度はダンジョンで生きていた時以上の状態に保たれている。
「いただきます」
トールが薄造りを箸で掴み、ポン酢と紅葉おろしにサッとくぐらせて口へ運ぶ。
「……ッ!! 美味い!!」
トールの脳髄に、美味の落雷が直撃した。
「プリプリとした圧倒的な弾力!
噛めば噛むほど、白身特有の淡白でありながらも濃厚な甘みが口いっぱいに広がる!
臭みなど一ミリもない、まさに神域の刺身だ!」
すかさず、揚げたての天ぷらを天つゆに浸して白米と共にかき込む。
「んんんんんまァァァァァイッ!!」
サクサクの衣の中でふっくらと蒸し焼きにされた白身肉が、雪のように口の中で解れていく。
「本当ですわ! お刺身の歯ごたえも、天ぷらのフワフワ感も最高ですの!」
「ご飯が! ご飯が無限に消えていきますぅぅっ!」
「ボスゥ! 俺、生きててよかったッス!」
レベル50オーバーという人類最強クラスのバケモノたち(と偽装レベル3)が、大企業のエリートたちを絶望のドン底に突き落としたその裏で、ただひたすらに白身魚を奪い合い、歓喜の涙を流している。
「ふふっ、お腹いっぱい食べてくださいね」
エプロン姿の白石さんが、そんな彼らを慈愛の笑顔で見守りながら、温かいお茶を淹れてくれる。
新興メジャーの野望も、最新の軍事兵器も、ポンコツお嬢様の覚醒した魔法とマイペースな武士の『食への執念』の前では、ただの笑い話に過ぎない。
魔道具研究会の部室には、今日も極上の天ぷらの香りと、最高に平和でカオスなスローライフの時間が流れていくのであった。




