第053話:新しいパパの初仕事と、安全すぎる迷宮ピクニック
八月の最終日曜日。
夏休みも残すところあと数日となった佐藤通のペントハウスでは、テレビの液晶画面に映し出される『ダンジョン攻略生中継』の映像が流れていた。
「わぁっ! キラキラしてて綺麗!
パパはいつも、こんなところでお仕事してるの?」
絨毯の上にペタンと座り込んだ結衣ちゃんが、画面のダンジョンを見つめて目を輝かせている。
「……ん? まあ、そうだな。たまに散歩しに行く」
特大アンティークソファーで寝転がっていたトールが、適当に相槌を打った。
「結衣も行ってみたい! パパが働いてるダンジョンに行きたい!」
結衣ちゃんがトールの足元に抱きついておねだりをする。
「こら、結衣。ダンジョンはモンスターが出る危険な場所なのよ?
小さな子供は絶対に入っちゃいけないの」
キッチンからエプロン姿の白石さんが慌ててやってきて、結衣ちゃんをたしなめた。
「えぇーっ……」
結衣ちゃんの丸い瞳に、ぷつっと涙の粒が浮かぶ。
「……別に構わんぞ」
「えっ?」
トールがソファーから身体を起こした。
「俺の結界の中なら、自室のベッドよりも安全だ。それに、たまには外の空気を吸いながら飯を食うのも悪くないだろう」
「さ、佐藤様!? いくらなんでも危険すぎ――」
「……もう、佐藤様ったら結衣に甘いんですから」
白石さんは短くため息をつき、困ったように、けれどどこか嬉しそうに微笑んだ。
「分かりました。じゃあ今日は、夏休み最後の大サービスで、結衣の大好きな『特大エビフライ入りの豪勢なピクニック弁当』を作りますね!」
「……特大エビフライ、だと?」
その一言で、トールの極上の食欲がカンストした。
「おい、行くぞ。結衣」
「わぁーい! パパとお出かけー!」
* * *
数時間後。渋谷ダンジョン・エントランス棟。
休日の探索者たちで賑わうゲートの前には、私服姿のトール、白石さん、結衣ちゃん、そして呼び出された鯖江録郎(荷物持ち兼カメラマン)の姿があった。
「あ、あの……ボス。高校生以下の未成年の入場は、法律で厳しく制限されてるんですけど……結衣ちゃん、どうやってゲートを通るんですか?」
大量の荷物を抱えた鯖江が震える声で尋ねる。
「案ずるな。イシュラーナ」
『お任せくださいませ!
限界オタクAIの超絶ハッキングで、結界ちゃんのデータを【特別視察のVIP】に書き換えましたわ!
ついでに、第1階層(初心者エリア)の広大な花畑エリアを『システムエラーによる立ち入り禁止区域』に偽装して、一般探索者を完全にシャットアウトしておきましたのよ!(
¯﹀¯ )ドヤッ』
ピロン♪ という軽快な音と共に、ゲートがあっさりと開く。
「法律の壁を数秒で突破しちゃったぁぁっ!?」
国家の管理システムを「家族のピクニック」のためだけに使い潰すという暴挙に、鯖江は白目を剥きそうになった。
第1階層の立ち入り禁止(偽装)エリアを抜けると、そこには美しく発光する植物が咲き乱れる広大な『花畑』が広がっていた。
「わぁぁっ! 綺麗!」
結衣ちゃんが歓声を上げて駆け出す。
「ピギャッ!」
しかし、ダンジョンである以上、モンスターは存在する。草陰から、最弱モンスターであるスライムや角ウサギが数匹飛び出してきた。
「きゃっ!?」
「……コンッ」
トールが、結衣ちゃんが怖がらないよう殺気を一ミリも出さず、散歩のついでに落ちている小石を蹴るような気軽さで木刀を振るった。
ポンッ、ポンッ。
スライムと角ウサギは、破裂音すら立てずに一瞬で光の粒子(無害な魔石)へと変わった。まるで手品のような鮮やかさである。
「ほら、結衣。綺麗なおはじきだぞ」
トールはドロップした淡く光る低級魔石を拾い上げ、結衣ちゃんの小さな手のひらに乗せた。
「パパすごい! 魔法使いみたい!」
尊敬の眼差しを向けられ、トールも満更ではない様子で小さく頷く。
「ボ、ボス……」
後ろを歩いていた鯖江は、ガクガクと震えていた。
(殺気を完全に消して、音も立てずにモンスターを一撃で魔石に変えるなんて……力のコントロールがおかしすぎますぅぅっ!)
安全を確保した花畑の中心にレジャーシートを広げ、トールが『空間断絶・絶対防音物理結界』を展開する。
いよいよ、待ちに待ったピクニックの開始である。
「さあ、お弁当にしましょうか」
白石さんが広げた重箱には、サクサクに揚げられた黄金色の特大エビフライ、甘い卵焼き、タコさんウインナー、そして鮭のおにぎりがぎっしりと詰まっていた。
「いただきます」
トールがエビフライに齧り付く。
「……美味い!!
サクサクの衣の中に、プリップリの極太の海老がこれでもかと詰まっている!
太陽の光とダンジョンの澄んだ空気の中で食う白石殿の弁当は、三ツ星レストランすら凌駕するな!」
「えへへ、パパ、美味しいね!」
結衣ちゃんも口の周りにケチャップをつけながら、満面の笑みでおにぎりを頬張っている。
「ふふっ、二人とも、いっぱい食べてくださいね」
白石さんが、そんな二人を慈愛に満ちた眼差しで見守る。
食後。
花畑を駆け回って遊び疲れた結衣ちゃんは、シートの上であぐらをかいていたトールの膝の上に潜り込み、スヤスヤと幸せそうな寝息を立て始めていた。
「……すいません、佐藤様をクッション代わりにさせてしまって」
白石さんが申し訳なさそうに苦笑いする。
「気にするな。軽いものだ」
トールはいつになく優しい顔で、結衣ちゃんの小さな頭をポンポンと撫でた。
温かな日差しと、心地よい風。そこには、大企業を震え上がらせるバケモノも、最強の暗殺者も存在しない。
疑似的ではあるものの、完全に「幸せな家族の休日」の形が完成していた。
『(カシャカシャカシャカシャッ!!)』
『尊い……ッ!
新米パパとママの休日ピクニック、エモすぎますわーーッ!!///』
シートの隅に置かれたイシュラーナの無音シャッターが、狂ったように連写され続ける。
「あ、あの……俺、めちゃくちゃ邪魔じゃないですか……?」
一人ぽつんとカメラを構えさせられている鯖江が、いたたまれなさに涙を流していることなど誰も気に留めない。
波乱に満ちた夏休み。
マイペースな武士の記憶に、また一つ、優しくて美味しい「家族の思い出」が、しっかりと刻み込まれるのであった。
だが、この穏やかな夏休みも、あと少しで終わりを告げる。
新学期が始まれば、渋谷代々木学園はもう一つの一大イベント――文化祭の準備で浮き足立つことになる。そして遠く神宮寺本邸では、当主が静かに、そして本気で、ある「計画」を練り始めていることを、この時のトールたちはまだ知る由もなかった。




