第043話:オークの強襲と、魔剣カタストロフの抜刀
七月。夏の日差しが照りつける、渋谷代々木学園主催の『臨海ダンジョン合宿』。
海エリアのダンジョンに設けられた安全圏の美しい白いビーチでは、生徒たちが水着に着替えて短い休息を楽しんでいた。
「……なんで、なんでわたくしのお肉は、全部お腹にばかりいって、胸には来てくれませんの……っ」
パラソルの下。神宮寺氷華(氷の女王)は、自身の悲しいAスタイル(絶壁)を隠すように旧式のスクール水着に身を包み、膝を抱えてブルブルと震えていた。彼女から無意識に漏れ出す冷気で、周囲の砂浜がうっすらと凍りついている。
その視線の先には、パレオ付きの大人のビキニを着こなし、暴力的なまでの豊満な谷間を見せつける白石さんの姿があった。
「佐藤様、お肉の前に、まずはこの特大ハマグリから焼いていきますね!」
「うむ。頼む、白石殿。イカの丸焼きも所望する」
佐藤通は、水着姿の白石さんの大人の魅力に釘付け(本人は海鮮に釘付けだと思っている)になりながら、これから始まる『幻の海鮮極上BBQ』に胸を躍らせていた。
――しかし。その平和な時間は、唐突かつ暴力的に引き裂かれた。
「……む?」
トールが眉をひそめた瞬間。
青空が広がるダンジョンの空間が、ガラスが割れるようにバリンッ!と砕け散り、不気味な黒い亀裂がぽっかりと口を開けた。
「グギャァァァァァァッ!!」
「な、なんだあれ!? 海エリアに、なんであんなバケモノが!?」
エリート生徒たちがパニックに陥る。ゲートからなだれ込んできたのは、海棲のモンスターではない。異界の深層から空間の歪みを抜けてやってきた、筋骨隆々で醜悪な姿をした【オークの先遣隊】だった。
彼らは一斉にビーチを蹂躙し、網の上で焼かれようとしていた特大ハマグリやイカを、無残にもその太い足で踏み躙った。
「あ……俺の、イカ焼きが……」
トールの瞳から、スッと感情が消え失せた。
だが、オークたちの狙いは海鮮ではなかった。魔力の高い『純潔の処女』の匂いを嗅ぎ取った彼らの濁った視線が、一斉にスクール水着姿の氷華へと向けられた。
「グヘヘヘヘッ!」
「きゃあっ!?」
不意を突かれた氷華に、オークの放った魔力を帯びた投網が絡みつく。
「氷華ちゃんッ!!」
盾花が叫んで手を伸ばすが、オークの先遣隊は強引に氷華を引きずりながら、出現した黒いゲートの向こう側へと、一瞬にして姿を消してしまった。
「……イシュラーナ」
静寂が落ちたビーチで、トールは極めて低く、地を這うような声で呟いた。
『トール様……っ』
「お前は、白石殿と盾花たちを守ってここで待機していろ。……俺は少し、ゴミ掃除に行ってくる」
トールは、普段持ち歩いている木刀ではなく――白石さんが荷物と一緒に運んできていた、純白の布で厳重に包まれた『細長い得物』を手に取り、オークたちが消えたゲートへと足を踏み入れた。
* * *
むせ返るような血と腐臭が漂う、オークのアジト。
「いや……やめてっ! 触らないでぇぇっ!!」
洞窟の最深部で、氷華は絶望の涙を流していた。
彼女のスクール水着はオークの粗暴な手によってすでに無残に引き裂かれ、雪のように白い肌が完全に露出した全裸の状態で、冷たい岩壁に太い鎖で磔にされていた。
氷華の美しく無防備な裸身を舐め回すように見つめ、数十匹のオークたちが下卑た笑い声を上げながら、ネチャリと汚らわしい手を伸ばしてくる。
魔力を封じられ、抵抗すらできない。
(いや……来ないで……トールくん……っ!)
ドンッッッ!!!!
氷華が心の中で悲鳴を上げた、その刹那。
アジトの分厚い岩扉が、まるで数百キロの爆薬を仕掛けられたかのように、内側から木っ端微塵に吹き飛んだ。
「グガッ!?」
吹き荒れる土煙と粉砕された岩の破片を顔面に受け、オークたちが驚愕に動きを止める。
もうもうと立ち込める粉塵の奥から、ゆっくりと、だが地鳴りのような重い足音を響かせて現れたのは――いつもの気怠げな高校生ではなかった。
その手には、白石さんが厳重に巻いていた純白の布が解かれ、異世界から持ち帰られた最凶の魔剣『魔骸神刃カタストロフ』が握られていた。
トールが柄に手をかけ、親指で鯉口を切る。
――チャキッ。
その、ほんの数ミリ刃が覗いた瞬間。洞窟内の空気が、文字通り『凍結』した。
異世界の偏屈鍛冶爺が【最凶魔神の背骨と邪竜の血】を用いて狂気のままに鍛え上げた、世界を滅ぼす呪いの魔剣。普段のトールは己の『気』でその呪いを完全にねじ伏せ、ただの「よく切れる刺身包丁」として扱っていた。
だが、今は違う。
トールから無意識に漏れ出す、異世界の修羅場を越えた本物の『殺意』。それを数年ぶりに感じ取った魔剣は、主の真の怒りに共鳴し、抑圧されていた破壊衝動を爆発させたのだ。
『ギイィィィィィィィン……ッ!!』
鞘から引き抜かれた漆黒の刀身が、歓喜の産声を上げる。
刀身に刻まれた邪竜の血脈がドクドクと赤黒く脈打ち、魔神の怨念がドス黒い瘴気となって刀身から立ち上る。トールの背後に、首のない巨大な魔神の幻影が一瞬浮かび上がったかのように錯覚させるほどの、圧倒的で暴力的なプレッシャー。
それが物理的な重圧となって洞窟内を満たし、レベルの高いオーク先遣隊の動きを、本能的な『死の恐怖』によって完全に縫い留めた。
トールは、全裸で磔にされ、涙と恐怖で顔を濡らす氷華を静かに一瞥した。
そして、獲物を奪われて激昂し、己の恐怖を誤魔化すように武器を構えようとするオークの軍勢へ向け、冷酷な死神の如き瞳を向けた。
「さあ、おれの大事を返してもらおう。死にたい奴からかかって来い!」
静かな、だが絶対的な死の宣告。
「グギャアアアアアアッ!!」
恐怖を怒りで塗り潰した数十匹のオークたちが、巨大な戦斧や錆びた大剣を振りかぶり、一斉にトールへと襲いかかってきた。
――次の瞬間、始まるのは戦闘ではない。一方的で、凄惨極まりない『究極のバイオレンス』だった。
トールの姿が、陽炎のようにブレて消える。
「ガ、ガァッ……!?」
先頭を走っていたオークの巨体が、唐突に斜め半分にズレて崩れ落ちた。
トールがすれ違いざまにカタストロフを一閃したのだ。あまりにも鋭利な斬撃は、分厚い筋肉も、強固な骨も、そして苦痛すらも一切感じさせることなく、対象を両断する。遅れて、切断面から間欠泉のようにドス黒い血が天井に向かって噴き出した。
ズバァァァッ! メチャッ! ゴギャッ!
「ギャアアアアアッ!?」
「グギィィィッ! 腕が、俺の腕がァァッ!!」
トールは一切の容赦をしない。峰打ちなどという手加減はとうに捨て去っている。
振り下ろされる戦斧ごとオークの丸太のような両腕を切り飛ばし、絶叫して後ずさる別のオークの太い首を、無慈悲にゴトリと刈り取る。
カタストロフの刃が肉を断つたびに、刀身から吹き上がる漆黒の呪炎が傷口から侵入し、オークたちの内臓を内側から焼き尽くしていく。
臓物が床にぶちまけられ、切断された四肢が宙を舞う。
「ヒィッ……! バ、バケモノ……ッ!」
先遣隊のリーダー格である巨大なオークが、恐怖に顔を引きつらせて逃げ出そうと背を向けた。
「逃がすか」
トールがカタストロフを上段に構え、無造作に振り下ろす。
――ドゴォォォォォォンッ!!
刀身から放たれた漆黒の斬撃波が、逃げるリーダー格のオークを縦に真っ二つに叩き斬り、さらにその後方の洞窟の岩壁ごと、数百メートルにわたって深くえぐり取った。
降り注ぐ岩盤の破片と、血の雨。
周囲一帯に、むせ返るような鉄錆の匂いと腐臭が立ち込める、まさに血肉の狂宴。
ものの数十秒。先遣隊として現れた数百匹のオークたちは、文字通り「ただの肉塊の山」へと変わり果てていた。
血の雨が止み、むせ返るような血の匂いが立ち込める洞窟。
トールはカタストロフについた血をスッと振り払い、無音で鞘に納めた。先ほどまで狂喜乱舞していた魔剣も、主の静かな怒りが収まったのを感じ取り、再び静かな「ただの刀」へと戻る。
磔にされている氷華の元へ歩み寄り、彼女の戒めとなっている鎖を斬り解いた。
「あ……ぁ……っ」
崩れ落ちそうになる氷華の裸身を、トールが優しく抱き止める。
トールは自身が着ていた上着を脱ぎ、震える氷華の肩にふわりと掛けた。
「遅れてすまない、氷華。怪我はないか」
「ト、トール、くん……っ! うわぁぁぁぁぁぁっ!」
張り詰めていた糸が切れ、氷華はトールの胸に顔を埋め、上着をきつく握りしめながら子供のように泣きじゃくった。
トールは氷華の銀髪を無言で優しく撫でながら、そっと抱き上げる。
オークの群れを微塵切りにした狂戦士の顔はすでに消え失せ、いつものマイペースな武士の顔に戻っていた。
「帰ろう。白石殿の極上BBQが待っている。……踏み潰されたイカの代わりになるような海鮮を、道中で拾いながらな」
「……ふふっ、貴方は本当に、ご飯のことばかりですのね……っ」
氷華は泣き笑いのような表情を浮かべ、トールの温かく逞しい腕の中で、そっと目を閉じた。
圧倒的な暴力と、絶対的な安心感。
世界の理不尽な悪意すらも、トールの『仲間への想い』と『海鮮BBQへの執念』の前では、文字通り肉片と化す運命にあったのである。




