第036話:夏服の極楽ハプニングと、事無かれ主義の新担任
六月。季節は初夏を迎え、日本中の学校で「衣替え」が行われる時期である。
ペントハウスの広大なリビングにも、眩しい初夏の日差しが差し込んでいた。
「……うむ。よく寝た」
休日の朝。ゆったりとした薄手の着流し姿で寝室から出てきた佐藤通は、キッチンから漂ってくるトーストとベーコンの香りに目を細めた。
「あ、おはようございます佐藤様」
朝食の準備をしていた白石さんが、振り返って微笑む。
――その瞬間、トールの足がピタリと止まった。
季節の変わり目に合わせ、白石さんの部屋着もすっかり「夏仕様」になっていたのだ。
下着のラインが透けないようにと着ているであろう『黒のブラトップ』の上に、薄手で少し透け感のある白いサマートップスを重ね着している。
しかし、それが逆効果だった。ブラトップ特有のタイトな締め付けが、彼女の豊満な胸の谷間とアンダーバストの起伏を余すところなく浮き彫りにし、薄手のトップス越しに大人の女性の暴力的なまでの色気を放っていたのである。
(……なんという破壊力だ。現代の夏服とは、これほどまでに防御力(布地)が薄いのか)
トールが内心で感嘆していると、白石さんが高い棚の上にあるお皿を取ろうと、背伸びをして手を伸ばした。
「んっ……と、届きませんね……」
ぐっ、と背伸びをした拍子に、サマートップスの裾がめくれ上がり、白く滑らかなお腹がチラリと覗く。
その時。白石さんがつま先立ちで踏ん張っていたフローリングの床(昨日、戦乙女がピカピカにワックスがけをしたばかりだ)で、ツルリと足が滑った。
「きゃあっ!?」
バランスを崩し、後ろへ倒れ込んでくる白石さん。
「むっ!」
トールが瞬時に踏み込み、倒れる彼女の背中に腕を回して抱き留めようとした――が。
トール自身もワックスの効きすぎた床に足を取られ、二人はもつれるようにして、リビングのふかふかの絨毯の上へと倒れ込んでしまった。
ボフッ!
「…………っ!!」
トールの顔は、白石さんの首筋に埋もれていた。
そして――彼が咄嗟に伸ばした両手は、白石さんの背中ではなく、正面から彼女の『ブラトップと薄手のトップス越しに盛り上がる双丘』を、がっつりと鷲掴みにしてしまっていた。
「さ、佐藤様ぁぁっ!?」
「ほう……」
白石さんが茹でダコのように顔を真っ赤にして悲鳴を上げるが、トールは両手から伝わってくる未知の感触に、真顔で思考を宇宙へと飛ばしていた。
(なんだこの感触は……。ワイヤーの硬さがなく、ただひたすらに柔らかく、それでいて重力に逆らう圧倒的な弾力。布地が薄いせいで、彼女の体温と鼓動がダイレクトに掌に伝わってくる……。誠に、極楽である)
『ギャアアアアアアアッ!
夏服衣替えイベントからの、ブラトップ越しの双丘わしづかみィィィッ!!
破壊力カンスト通り越してバグってますわーッ!!///』
テーブルに置かれたイシュラーナ(スマホ)が、狂ったように無音シャッターを連写し、バイブレーションでテーブルの上をのたうち回っている。
「ご、ごめんなさい佐藤様! 私がドジなばかりに……っ///」
白石さんが涙目で胸を隠すようにして起き上がると、トールもコホンと一つ咳払いをして立ち上がった。
「いや、俺も足元が疎かになっていた。武士として一生の不覚だ。……だが、誠に良いクッションであった」
「も、もう! 佐藤様ったら!///」
(……ドキドキするのは、恥ずかしいから。それだけのはず、なんですけれど……)
まだ火照りの残る頬に手を当てながら、白石さんはその鼓動の理由を、自分自身にそっと誤魔化した。
顔から火が出そうなほど照れる白石さんを前に、トールは(夏服とは、誠に素晴らしい文化だな)と、朝からすっかり上機嫌でトーストにかじりつくのであった。
* * *
そして週明け。衣替えを終え、夏服の半袖シャツ姿になった生徒たちが集う渋谷代々木学園。
一年E組の教室では、神宮寺氷華(氷の女王)が、自分の夏用ブラウスの胸元を恨めしそうに見下ろしていた。
「……おかしいですわ。ハイブリッド指輪の微量な発育効果で、少しは膨らむはずでしたのに。夏服になっても、布地が完全に余っていますの……!」
「ドンマイです氷華ちゃん! 成長期はこれからですよ!」
盾花が慰める中、氷華から漏れ出した悲哀の冷気で、初夏だというのに教室の温度がスッと下がった。
そこへ、ガラガラと教室の前扉が開き、一人の大人が入ってきた。
奈落のドラゴン事件で完全に失脚し、社会から退場した轟教官に代わる、新しい担任である。
「えー、今日からE組の担任になった、凪だ。よろしく」
教壇に立ったのは、ヨレヨレの白衣を羽織り、目の下に濃いクマを作った、やる気ゼロのオーラを全身から漂わせる若い男だった。
「前の教官がなんかヤバいことになって飛んだらしいが、俺はそういうの興味ないから。俺のモットーは『事無かれ主義』だ。お前らがダンジョンで何をしようが勝手だが、絶対に俺の睡眠時間と定時退社を邪魔するなよ。触らぬ神に祟りなし、だ」
凪教官はそう言って大きく欠伸をした。
実は彼は、新興メジャーの上層部から「Eクラスには本社を壊滅させたヤバいバケモノ(トール)が潜んでいる」という極秘の噂を聞かされており、自らの命を守るために「Eクラスには絶対に関わらない」という強固な意志を持って赴任してきたのだ。
(ほう。定時退社と睡眠を愛する男か。気が合いそうだな)
最後列で昼寝の準備をしていたトールは、新担任の挨拶を聞いて満足げに頷いた。
「それじゃ、さっさとホームルームを終わらせるぞ。六月の学園の一大イベント、『ダンジョン体育祭』のお知らせだ」
凪教官が黒板にプリントを貼り付ける。
「クラス対抗で総合得点を競うんだが……今年のメイン競技は、なんと『大ダンス大会』だ」
「「「はぁ!?」」」
Eクラスの生徒たちがポカンとする。
「ダンジョン内の魔力波長とシンクロして踊ることで、魔石の純度やエネルギー抽出効率をどれだけ高められるかを競うらしい。要するに、派手に踊ってダンジョンを活性化させろってことだ」
「なんだそのふざけた競技は」
トールが心底面倒くさそうに机に突っ伏した。
「俺は踊るなどという芸事は知らん。当日は部室のソファーで昼寝をしているゆえ、お前たちで適当にやっておけ」
「まあ、そう言うな。ちなみに、総合優勝クラスには学園から特別賞品が出るそうだ」
凪教官が、あえてトールの方をチラリと見て(ご機嫌を取るように)付け加えた。
「優勝賞品は……人類未踏破クラスの深層でしか採れない、『超特級・幻のダンジョンフルーツ盛り合わせ(時価数千万円)』と、最高級海鮮の目録だそうだ。普通に生きてたら一生食えないレベルの代物らしいぞ」
「…………ッ!!」
ガタッ!! と、トールが弾かれたように立ち上がった。
その瞳には、かつてドラゴンステーキを前にした時と同じ、狂気的なまでの『極上の食欲』が発火していた。
(幻のダンジョンフルーツ……!
それを白石殿のところに持ち帰れば、究極のフルーツタルトや、最高級海鮮パスタが食えるということか……!!)
「さあ、お前たち。完璧なフォーメーション(ダンス)を組むぞ」
トールは木刀を手に取り、先ほどまでの面倒くさそうな態度を完全に裏返して、総大将モードへと突入した。
「「「モチベーションの切り替わりが異常ですわ(ですよ)!!」」」
氷華、盾花、鯖江の三人のツッコミが美しくハモる。
極上のフルーツタルトを食うためならば、武士はプライドを捨ててダンスすらも踊る。
事無かれ主義の昼行灯教官のもとで、トールの食欲を原動力とした、絶対に負けられない(そして大企業が再び発狂する)ダンジョン体育祭の幕が、今ここに上がろうとしていた。




