第029話:神話級サキュバスの尋問と、暗殺者の社会的な死
「……うむ。美味い」
魔道具研究会の部室の中央。
特大アンティークソファーに深く腰掛けた佐藤通は、購買部で買ってきた『特製カスタードプリン』をプラスチックのスプーンで掬い、至福の表情を浮かべていた。
「なめらかな口当たりと、カラメルのほろ苦さ。二百円で買える幸福としては、現代日本において右に出るものはないな」
のんびりとプリンを咀嚼するトール。
その足元には、先ほどトールに右腕を完全にへし折られ、気絶していた新興メジャーのプロ暗殺者『影蜘蛛』が転がっていた。
「う、うぅ……っ」
激痛と共に意識を取り戻した影蜘蛛は、目の前で美味そうにプリンを食べている男子生徒の姿を見て、ヒィッ! と短い悲鳴を上げて後ずさった。
(な、なんだコイツは……っ!? レベル60の俺の攻撃を完全に無効化し、赤子の腕をひねるように俺の腕を……っ! ただの学生じゃない、バケモノだ!)
「おっ、起きたみたいっスよボス!」
部屋の隅で様子を窺っていたパシリの鯖江録郎が声を上げる。
「うむ。ちょうどプリンも食べ終わったところだ」
トールは空になったカップをテーブルに置き、スッと真顔に戻って影蜘蛛を見下ろした。
「さて。俺の極上の昼寝を邪魔した、五月蠅い羽虫よ。誰の差し金でここへ来たのか、吐いてもらおうか」
「ふ、ふざけるな……っ! 誰が貴様らガキどもに……」
影蜘蛛は脂汗を流しながらも、プロの暗殺者としての矜持で口を固く閉ざそうとした。現代のダンジョン探索者の中には「拷問耐性」のスキルを持つ者もおり、彼もまたその一人だった。肉体的な苦痛を与えようと、口を割るつもりはない。
「吐かないなら、吐かせるまでだ。おいパシリ、スマホを出せ。自白用の駒を呼ぶぞ」
「イエッサー!!」
鯖江が慌てて自分のスマホ(魔物召喚アプリ起動中)を差し出す。
トールがそのスマホを両手で挟み込み、異世界の修羅場を制した圧倒的な『気』を流し込むと、すかさずトールの胸ポケットからイシュラーナが起動音を鳴らした。
『待ってましたわ! イシュラーナの超絶ハッキング、発動ですの! 今回は【自白・精神支配特化】のテーブルを狙って、排出率のアルゴリズムを強制的に書き換えますわよ! さあ録郎、回しなさい!』
「う、うおおおおおっ! いけええええっ!」
鯖江が震える指で『召喚』ボタンをタップする。
キュイィィィィィンッ!!
まばゆい虹色の光が部室を包み込み、空間が歪む。
光が収まった後、そこに立っていたのは――ボンテージ風の過激な黒い衣装に身を包み、背中にコウモリのような羽、そして豊満すぎるプロポーションを持った、妖艶な絶世の美女であった。
「で、出たぁぁぁっ! SSR神話級モンスター、【精神支配のサキュバス】ゥゥッ!!」
鯖江が歓喜の悲鳴を上げる。
「あ、あんな痴女みたいな格好の悪魔を呼び出すなんて……っ! 不純ですわ!」
氷華(氷の女王)が真っ赤になって目を逸らし、盾花(タンク娘)も「わわわっ」と両手で顔を覆った。
「あら……。私を喚び出したのは、どなたかしら?」
サキュバスが妖艶に微笑みながら周囲を見渡す。そして、圧倒的な『気』を纏うトールと目が合った瞬間、彼女の頬がポッと赤く染まった。
「……んんっ。なんて芳醇で、力強い魂……。貴方が私のマスターですね。この身も心も、すべて貴方の好きにしていいのよ……?」
サキュバスはトールの足元にすり寄り、その豊満な胸をトールの膝に押し当てようとする。
「俺には興味がない。お前の仕事はそっちのゴミだ」
トールは全く動じることなく、無表情で床に転がる影蜘蛛を指さした。
「こいつの頭の中にある情報をすべて吐き出させろ」
「……ちぇっ。つれないマスターね。でも、ご命令とあらば」
サキュバスは冷酷な笑みを浮かべ、震える影蜘蛛の前に立った。
「な、なんだお前は……! 幻惑魔法か? そんなもの、俺の耐性スキルで――」
「無駄よ。私の魅了は、魂の根源に直接干渉するもの。さあ、素直におなりなさい」
サキュバスが影蜘蛛の顎を指で持ち上げ、その瞳をじっと見つめた。
ドクンッ。
影蜘蛛の瞳孔が開き、焦点が虚ろになる。神話級モンスターの精神支配の前に、暗殺者の耐性スキルなど薄紙同然に破り去られたのだ。
「……さあ、教えてちょうだい。貴方に指示を出したのは誰?」
「……新興メジャー本社の、幹部だ。神宮寺のラボから未知の超高効率な魔力反応が検出されたため……その提供者(空き缶の製作者)を探り出せと……」
「なっ!?」
それを聞いて、氷華が息を呑んだ。
「やはり、お父様の会社を追い詰めている連中の仕業ですわ……! わたくしを拉致して、トールくんの情報を引き出そうとしていたなんて……!」
「なるほど、大体の事情は分かった」
トールが頷く。
「ついでだ。この羽虫が今後二度と俺たちに逆らおうと思わないよう、何か恥ずかしい秘密でも自白させて、パシリのカメラで録画しておけ」
「えっ、い、いいんですかボス!?」
「うむ。物理的に腕を折るより、社会的に折っておいた方が後腐れがない」
『トール様、発想がエグいですわ! 完璧な脅迫材料の錬成ですの!』
サキュバスがクスッと笑い、さらに深く影蜘蛛の精神をえぐる。
「さあ、貴方が誰にも言えない、一番恥ずかしい秘密を言いなさい」
「……お、俺は……プロの暗殺者として冷酷に振る舞っているが……本当は血を見るのが苦手だ……」
「……」
「毎晩、可愛いクマさんのプリントが入ったシルクのパジャマを着ないと、不安で眠れない……。それに、休日は部屋で一人、女児向け魔法少女アニメの録画を見て……感動して号泣している……っ」
「「「…………」」」
部室に、なんとも言えない気まずい沈黙が流れた。
氷華と盾花はドン引きし、ドローンのカメラで録画していた鯖江は「うわぁ……」と呟きながら後ずさった。
「もう十分だ。録画を保存して、いつでもネットの裏掲示板に放流できるようにしておけ」
トールが呆れたようにため息をつく。
「そしてサキュバス。そいつを資源ゴミの集積所に捨ててこい。プラスチックと燃えるゴミの分別を間違えるなよ」
「ふふっ、了解したわマスター」
サキュバスは気絶した(そして社会的に完全に終了した)暗殺者の襟首を掴み、鼻歌交じりに部室の窓から夜の闇へと飛び去っていった。
「……さて」
トールはソファーから立ち上がり、ペントハウスへと帰るために木刀を腰に差した。
「新興メジャーとかいう大企業の連中。俺の空き缶のせいで探りを入れてきているようだな」
「さ、佐藤さん……申し訳ありません! わたくしが空き缶なんて持ち帰らなければ、貴方の平穏な日常を脅かすようなことには……っ!」
氷華が深く頭を下げる。
しかし、トールは彼女の頭をポンと軽く叩いた。
「気にするな。大企業とやらが俺の『昼寝』と『白石殿の手料理を食う時間』を邪魔する気なら、元栓からキッチリと締めてやる必要があるな」
トールの瞳に、異世界の魔神を恐怖させた鋭い光が宿る。
マイペースな武士は、己の愛するスローライフを守るため、ついに大企業そのものへと(極めて理不尽な理由で)牙を剥こうとしていたのである。




