第022話:熱々の天ぷらの魔力と、湯けむり絶対障壁(絶壁)
第5階層での合同ダンジョン実習中、「白石殿が揚げたての天ぷらを作って待っているから帰る」と、轟教官の制止を無視して定時退社をキメた佐藤通。
彼はそのまま転送陣を抜け、渋谷のダンジョン・エントランスを出て己の居城である最高級タワーマンションへと向かっていた。
――が。その後ろには、なぜかゾロゾロと三人の影が張り付いていた。
「ああっ! 待ってくださいませ佐藤さん! わたくしも、サクサクで熱々の天ぷらが食べたいですわーッ!」
「待ってー! 私もお腹ペコペコです! ドローンで魔石を回収するだけの実習なんて、お腹が空くだけですよぉ!」
「ボスゥ! 約束のイチゴオレ買ってきましたから、俺もついて行きますぅぅっ!」
神宮寺氷華(氷の女王)と戌井盾花(タンク娘)、そしてパシリの鯖江録郎である。
彼らは轟教官の説教など完全に耳に入らず、トールが放った『熱々の天ぷら』という暴力的なまでの美食の魔力に魂を引かれ、学園を飛び出してきてしまったのだ。
「……五月蠅いな。なぜお前たちまでついてくる」
トールが鬱陶しそうに振り返るが、氷華はエリートのプライドをかなぐり捨てて、目を潤ませていた。
「だって、佐藤さんの家政婦さんが作るお弁当、あんなに美味しいんですもの……! 揚げたての天ぷらなんて言われたら、もう神宮寺の高級フレンチなんて喉を通りませんわ!」
「ボスの後ろをついていけば、絶対に美味しい思いができるって俺のゴーストが囁いてるんですぅっ!」
『キタ――(゜∀゜)――!! トール様のペントハウスに初めてのお呼ばれイベント! これは波乱の予感しかありませんわーッ!』
胸ポケットのイシュラーナが激しく振動する中、トールは小さく息を吐いた。
「……まあいい。白石殿なら、三〜四人分増えたところで難なく対応してくれるだろう。ただし、俺の昼寝の邪魔はするなよ」
「「「…………ええええええええええっ!?」」」
トールに連れられてペントハウスの扉をくぐった三人は、百平米を超える広大なガラス張りのリビングと、敷き詰められた最高級絨毯、そして渋谷の街を一望できる絶景を前に、完全に腰を抜かしていた。
「な、なんですのこの大豪邸は!? わたくしの実家(神宮寺の本邸)のVIPルームより豪華ですわよ!?」
「ボ、ボス……一体どんな裏稼業をすれば、こんな超高級タワマンの最上階に住めるんスか……っ!?」
ガクガクと震える鯖江を尻目に、キッチンから甘く香ばしいごま油の匂いを漂わせながら、エプロン姿の白石さんが小走りで出迎えてくれた。
「お帰りなさいませ、佐藤様。……あら? 今日はお友達も一緒なんですね」
ふわりと漂う石鹸の香りと、エプロン越しでもはっきりと分かる大人の女性の豊満なライン。そして、すべてを包み込むような圧倒的な母性のオーラ。
「「「…………!!」」」
氷華と盾花は、信じられないものを見る目で白石さんを見つめた。
(こ、こんな綺麗でスタイルの良い大人の女の人と同棲……っ!?)
(もしかして佐藤さんって、年上キラーのヒモ体質だったんですか!?)
二人の少女の脳内で、とんでもない誤解がハイスピードで構築されていく。
「急に押し掛けてすまない、白石殿。こいつらがどうしても天ぷらを食いたいと喚くものでな。四人分、追加できるか?」
「ええ、もちろんですよ! 海老もお野菜も、たくさん買っておきましたから。……でも皆さん、ダンジョン実習の泥や汗で随分と汚れてしまっていますね」
白石さんは氷華たちの服を見て、クスッと優しく微笑んだ。
「天ぷらが揚がるまで少し時間がかかりますから、女の子たちは先にお風呂に入って汗を流してきてくださいな。着替えの服は、私の少し古いものでよければお貸ししますから」
「お、お風呂……!? い、いいんですの!?」
「さあさあ、遠慮しないで。浴室は廊下の突き当りですよ」
有無を言わさぬオカンのペースに乗せられ、氷華と盾花はタオルを手渡され、フワフワとした足取りで浴室へと消えていった。
――そして。
トールがリビングの特大ソファーに腰を下ろし、鯖江が持ってきたイチゴオレをすすっていた、その時だった。
『ト、トール様! 大変ですわ!』
テーブルの上のスマホ(イシュラーナ)が、真っ赤な警告画面を点滅させ始めた。
『浴室の最新型『魔道換気扇』のシステムにエラーが発生しましたの! このままでは排気がうまくいかず、氷華様たちが一酸化炭素中毒……いえ、湯あたりで倒れてしまいますわ! トール様の『気』で、至急換気扇を物理的に叩いて直してきてくださいませ!』
「む。それは厄介だな。せっかくの白石殿の城で死人が出ては、俺の飯が不味くなる」
トールは立ち上がり、木刀を手に取ってまっすぐに浴室へと向かった。
ガラッ。
一切の躊躇もなく、トールは脱衣所の扉を開け、さらに曇りガラスの浴室のドアをスパーンッと勢いよく開け放った。
「換気扇の修理に来たぞ。どこだ」
「「――ッ!!??」」
湯気が立ち込める超高級ジャグジー風呂の中。
そこには、たっぷりの泡に包まれながら、互いの背中を流し合っていた氷華と盾花の、生まれたままの無防備な姿があった。
濡れて肌に張り付く銀髪。蒸気でほんのりと桜色に染まった肌。
「きゃあああああああああああっ!!?」
「さ、佐藤さん!? なぜ開けますの!? ばか、えっち、変態ですわーーッ!!」
氷華が悲鳴を上げてしゃがみ込み、盾花も慌てて泡で身体を隠そうとする。
しかし、異世界の死線を潜り抜けた歴戦の武士であるトールは、全裸の美少女二人を前にしても、顔色一つ変えることはなかった。
彼はただ、湯船の中で必死に胸元を隠そうとしている氷華の『ある部分』に視線を落とし、真顔で、そして心底感心したように頷いた。
「……見事な平野だな。まるで、盾花が背負っている大盾のように、一切の起伏がない絶対障壁だ」
ピシッ。
氷華の中で、何かが音を立ててへし折れた。
「だっ、誰が絶壁ですのォォォォォォォォォォォッ!!? 殺しますわ! 絶対零度で貴方のそのふざけた脳髄ごと凍らせてやりますわーーッ!!」
「ひぃぃっ! 氷華ちゃん落ち着いて! ジャグジーのお湯が急速冷凍されてカキ氷になっちゃうぅぅっ!」
『(カシャカシャカシャカシャッ!!)ギャアアアアッ! ラッキースケベからの無慈悲なAスタイルいじり! トール様、デリカシーがマイナスにカンストしてますわ! 最高にエモい神展開ごちそうさまですのよーーッ!!』
換気扇の故障など最初からイシュラーナの嘘である。限界オタクAIの仕組んだ罠により、浴室は怒号と吹雪が吹き荒れる地獄の絵図と化した。
「……直ったようだな。では、俺はリビングで待っている」
トールは何事もなかったかのように換気扇(本当は何も壊れていない)を木刀の柄で小突き、スパーンと扉を閉めて戻っていった。
数十分後。
お風呂から上がり、白石さんの服(部屋着のカットソー)を借りた氷華と盾花がリビングに戻ってきた。
しかし、氷華の顔は深い絶望に沈んでいた。大人の女性である白石さんの服は、彼女の豊満な胸に合わせて作られているため、Aスタイルの氷華が着ると、胸元が悲しいほどに『スカスカ』で余ってしまっていたのだ。
(わたくし……完全に、女として敗北していますわ……っ)
トールの前で布地を余らせてうつむく氷華。そんな彼女の悲哀を吹き飛ばすように、白石さんがキッチンから大皿を運んできた。
「お待たせしました! 揚げたての天ぷらですよ!」
「「「おおおおおっ!!」」」
テーブルの中央に置かれたのは、黄金色に輝く天ぷらの山だった。
大ぶりの海老天、肉厚なイカ、サツマイモにカボチャ、そして大葉とタマネギのサクサクのかき揚げ。ごま油の香ばしい匂いが、先ほどまでのドタバタをすべて忘れさせるほどの暴力的な食欲を刺激する。
「いただきます」
トールが一番に海老天を箸でつまみ、天つゆにサッとくぐらせて口に運ぶ。
サクッ……!!
軽やかな衣の音の直後、プリップリの海老の甘みと、出汁の効いた天つゆの旨味が口の中で爆発した。
「……美味い。衣の中で海老が蒸し焼きにされ、旨味が完璧に閉じ込められている。これを炊きたての白米でかき込むなど、まさに魔の所業……!」
トールはすぐさま白米をかき込み、無限ループへと突入した。
「わ、わたくしもいただきますわ!」
氷華がサツマイモの天ぷらを口にした瞬間、そのあまりの甘さとホクホク感に目を丸くした。
「な、なんですのこれ! 外はサクサクなのに、中はまるで極上のスイーツのように甘くて柔らかいですわ! 神宮寺のお抱えシェフが作る天ぷらより、ずっと、ずっと美味しいですの!」
「かき揚げヤバいっス! 玉ねぎがトロトロで、ご飯が何杯でもいけますぅぅっ!」
「白石さん、おかわりありますか!? 私、大盾の修理代よりこっちに全財産払いたいです!」
ポンコツお嬢様も、泣き虫パシリも、食いしん坊のタンク娘も、全員が白石さんの天ぷらの前で完全に語彙力を失い、涙を流しながら無心で箸を動かし続けていた。
「ふふっ。皆さん、本当に美味しそうに食べてくれて嬉しいです。たくさん揚げたので、いっぱい食べてくださいね」
白石さんが慈愛に満ちたオカンの笑顔で温かいお茶を注ぐ。
ペントハウスの窓の外では、日が完全に落ちて渋谷の夜景が煌めき始めていた。
学園での理不尽な競争も、ダンジョンの過酷な実習も、ここでは一切関係ない。
(……少し騒がしくなったが、まあ、こういう飯も悪くはないな)
トールは、満面の笑みで天ぷらを頬張る仲間たち(と、それを嬉しそうに見守る白石さん)を眺めながら、自分用に確保しておいた特大の海老天に手を伸ばした。
マイペースな武士の孤高だったスローライフは、彼が放つ無自覚なオーパーツと「食への執念」によって、いつの間にか最高に賑やかで、そして極上に温かい『日常』へと変わり始めていたのである。




