第020話:盾花、決意す
盾花の大盾が『絶対障壁』へと生まれ変わった、その週末のことだった。
「盾花ちゃーん、電話よー!」
実家の一階、小さな鍛冶工房を営む戌井家の居間に、母のかすれた声が響く。二階の自室で筋トレをしていた戌井盾花は、汗を拭う間もなく階段を駆け下りた。
「はいっ、盾花です!」
「ああ、盾花ちゃん。突然すまないね、新興メジャー特進科・技術提携課の者だが」
スマホの向こうから聞こえてきたのは、やけに丁寧で、しかしどこか粘っこい声だった。
「新興、メジャー……?」
盾花の背筋に、冷たいものが走る。
「単刀直入に言おう。君のお父上が営む『戌井鍛冶工房』、最近、大手の量産型防具メーカーに押されて苦しいそうだね。仕入れの目処が立たず、来月の支払いも危ういとか」
「な……なんで、そんなことを……」
「なに、少し調べればわかることさ。そこで提案なんだが――我々の『特別技術提携プログラム』に、工房ごと加わってみないか? 借入金の肩代わりはもちろん、破格の発注も約束しよう」
「え……」
「条件は一つだけだ。娘さんである君が通う、あの風変わりな部活動――『魔道具研究会』の、日々の活動記録を、定期的に我々に共有してくれればいい。何、大したことじゃない。ただの情報交換だ」
電話はそれだけ言うと、返事も待たずに切れた。
盾花はスマホを握りしめたまま、しばらく立ち尽くしていた。
* * *
翌日の放課後、魔道具研究会の部室。
「……盾花? どうしましたの、さっきから心ここに在らずですけれど」
紅茶を淹れていた氷華が、いつになく静かな親友の横顔に気づいて眉をひそめる。
「あ……えへへ、なんでもないです! ちょっと寝不足で!」
誤魔化すように笑う盾花だったが、その手は、テーブルの下でぎゅっと拳を握りしめていた。
(お父さんの工房……このままじゃ本当に、潰れちゃう)
脳裏に浮かぶのは、幼い頃から見てきた、父の油と鉄の匂いのする作業場。不器用ながらも、一振り一振りに魂を込めて武具を打つ、あの背中だった。
(新興メジャーに情報を渡すだけで、工房が助かる……。本当に、ただの活動記録を送るだけ、なんだよね……?)
もとより、盾花が新興メジャーの内部進学者としてこの部室に潜り込んだのは、氷華を守るためという名目の裏に「実家の窮状を救うため、何か情報を持ち帰れないか」という淡い期待があったからだ。だが、いざその機会が本物の重みを持って目の前に転がり込んでくると、盾花の胸は今までにない重さで軋んだ。
その日の活動は、いつも通りだった。
トールが部室のソファーで木刀の手入れをしながら「今日はこの積層魔石で、氷菓子製造機を試作する」と言い出し、氷華が「またそんな非常識なものを」と呆れながらも氷属性の魔力を提供し、鯖江がその一部始終をスマホで撮影していく。
盾花にとっては、何百回と見てきたはずの、平和でおかしな光景。
だが今日ばかりは、その一つ一つの光景が――トールの魔石の使い方、家電への魔改造の手順、部室に出入りする魔道具の在庫――すべてが「価値のある情報」に見えてしまって、盾花は何度も目を伏せた。
(今なら、いくらでも記録できる。誰も、私を疑ってなんかいない)
スマホを構えれば、それだけで済む。
だが、指は震えるばかりで、シャッターボタンには届かなかった。
* * *
その夜。氷華から「今日、本当に大丈夫でしたの?」と個別にメッセージが届いた。
盾花は布団の中で、しばらくスマホの画面を見つめていた。
そして、意を決したように、返信ではなく電話をかけた。
「氷華ちゃん……あの、聞いてほしいことがあります」
盾花は、洗いざらい話した。
自分がもともと新興メジャーの内部進学者であること。氷華の護衛という名目の裏に、実家の窮状があったこと。そして今日、正式な取引まで持ちかけられたこと。
電話の向こうで、氷華はしばらく黙っていた。
「……盾花。一つ聞きますわ」
「は、はい」
「貴方は、わたくしの護衛のフリをして、新興メジャーのスパイをするために、この二年間わたくしの傍にいましたの?」
「ち、違います! 違いますっ! 私、氷華ちゃんのことは、ずっと本当に大事な親友だと思ってて……! でも、それとは別に、実家のことも心配で……頭の中がぐちゃぐちゃで……っ」
声を震わせる盾花に、電話越しに小さな笑い声が届いた。
「ふふ。分かっていますわ、そんなこと」
「え……」
「貴方が本気で情報を盗もうとしていたら、二年間、あの見え見えの独り言と、五分で追い返される間抜けなスパイ活動を続けられるはずがありませんもの」
「そ、それはそうですけど! ってひどいですよ氷華ちゃん!」
「――でも、今日は少し違ったのでしょう? 本当に、価値のある情報を差し出せる状況だった。それでも、貴方は差し出さなかった」
「……はい」
「なら、答えは決まっていますわよ。貴方は、もうとっくに決めていたんですの。ただ、それを自分の言葉で確認したかっただけ」
盾花の目に、じわりと涙が滲んだ。
* * *
週明け。
盾花は放課後、誰もいない旧校舎の廊下で、あの粘っこい声の主に電話をかけた。
「――お断りします」
「ほう? 工房のことはいいのかな。来月の支払いは」
「はい。それでも、お断りします。私は氷華ちゃんの親友であって、あなた達の駒じゃありません」
言い切って、通話を切る。
スマホを握る手は、まだ少し震えていた。だが、それは恐怖からではなく、何かがようやく胸のつかえから外れたような、不思議な震えだった。
「……終わったか」
振り返ると、廊下の曲がり角から、トールが木刀を肩に担いだまま欠伸をしていた。
「ト、トールさん!? い、いつから……」
「さっきからだ。声が廊下中に響いていたぞ」
「うぅぅ……恥ずかしいです……」
「別に恥じることではないだろう。お前は、自分の欲しいものをきちんと選び取っただけだ」
トールは大したことでもないように言うと、踵を返して歩き出した。
「ところで盾花。お前の実家は、鍛冶工房だったな」
「え、あ、はい。小さい町工場みたいなところですけど……」
「そうか」
それだけ言うと、トールはさっさと部室の方へ戻っていった。
* * *
その週末。戌井鍛冶工房に、見慣れない宅配便が届いた。
「な、なにこれ……。お父さん、頼んだ覚えある?」
「いや、俺は何も……」
箱の中身は、質感からして明らかに只者ではない、鈍く輝く金属の塊――ダンジョンの深層でしか採れないはずの、高純度の鉱石だった。差出人の欄には、聞き覚えのない配送業者の名前が書かれているだけ。
「……もしかして」
盾花は、ふと部室でのトールの一言を思い出した。
(そうか、って言ってたの……もしかして、これのこと……?)
確信は持てない。だが、なんとなく、そんな気がした。
その素材で打たれた新作の小型防具は、後日、大手の量産品を凌駕する性能で業界をざわつかせることになるのだが――それはまた、別の話である。
「……えへへ。ありがとうございます、トールさん」
誰もいない自室で、盾花は小さく呟いた。
もう、後ろめたい気持ちで部室のドアを開ける必要はない。ただの親友として、あの平和でおかしな日常の中に帰っていけばいい。
月曜日、盾花はいつも通りの元気な声で、部室の扉を開けた。
「おはようございます! 今日も一日、頑張りましょうね!」
「うむ。まずは購買のパンだ」
「はいっ!」
変わらない、いつもの朝だった。ただ一つ、盾花の足取りだけが、これまでよりずっと軽くなっていた。




