第018話:炎上したAクラスと、武士の無関心な昼食
その日、現代日本のダンジョン探索者たちが集う巨大なネットの裏掲示板(通称:探索ちゃんねる)のサーバーは、かつてないほどの過負荷によって悲鳴を上げていた。
事の発端は、数十分前に『名無しのお優雅なハッカー』と名乗るアカウントから投下された、一本の高画質動画だった。
タイトルは――【胸糞注意】エリート(笑)のAクラス様、底辺クラスにモンスタートレインをなすりつけるの巻【からの神速峰打ち&謎のオーパーツ鞄】。
動画は、新興メジャーが運営するエリート校『渋谷代々木学園』の地下ダンジョン第4階層で撮影されたものだった。
映像の序盤には、最新装備で身を固めた特進Aクラスの男子生徒たちが、意図的に数十匹のゴブリンと大蝙蝠を集め、疲労困憊のEクラスの女子生徒二人に押し付けて高台から嘲笑う、極めて悪質で卑劣な様子が克明に記録されていた。
探索者法でも重罪とされる『意図的なモンスタートレイン(MPK)』の決定的な証拠映像である。
『うわぁ、胸糞わりぃ……』
『新興メジャーのエリート様が聞いて呆れるぜ。ただの殺人未遂じゃねーか』
『この女の子たち、旧メジャーの神宮寺の令嬢じゃん! 完全に私怨でハメに行ってるだろ!』
掲示板の住人たちがAクラスの非道な行いに怒りの書き込みを連投し、炎上の火種が急速に拡大していく。
――しかし、動画の本当の『バズ(衝撃)』は、その直後に訪れた。
絶体絶命のピンチに陥った少女たちの前に、制服を着崩し、木刀をぶら下げた気怠げな男子生徒が現れたのだ。
『……おい、そこをどけ。通れないだろう』
動画の音声が、その呑気なセリフを拾う。直後。
男子生徒の姿がブレたかと思うと、ヒュンッ! という風切り音と共に、数十匹のモンスターが『木刀の峰打ち』だけで一瞬にして全滅したのである。
『は?????』
『え、今何が起きた? コマ送り再生したのに木刀の軌道が見えなかったんだが!?』
『Aクラスが逃げ回ってたトレインを、峰打ちワンパン……? こいつ何者だよ!?』
『待て! それよりあいつの頭上を飛んでるドローンを見ろ! 下にぶら下がってるリュックサック、魔石を自動で吸い込んでるぞ!?』
『シュポポポってダイソンばりの吸引力で草』
『草生やしてる場合じゃねえ! あんな自動収集型の四次元マジックバッグなんて、現代のどの企業も実用化できてねえ超絶オーパーツだぞ!!』
『おい、この部室っぽい背景、前にも見たことあるぞ……! あの極小魔石を圧縮して積層バッテリーを作った謎の研究チームだ!!』
怒り、驚愕、そしてテクノロジーへの狂乱。
全く異なる三つのベクトルからの感情が入り混じり、動画の再生数は瞬く間に数百万回を突破。大手ニュースサイトやSNSのトレンドを完全にジャックし、ネットの世界は文字通りの『大炎上(億バズり)』状態へと突入した。
* * *
「なっ……なんだ、これはァァァァァッ!!」
同じ頃。渋谷代々木学園の職員室では、新興メジャーから派遣された特別教官の轟が、手元のタブレットを叩き割らんばかりの勢いで絶叫していた。
彼のもとには、学園の理事長や、背後の新興メジャー本社の役員たちから、数秒おきに怒りの着信が入り続けている。
『おい轟! ネットに流出しているあの動画は何だ! 我が社のエリート候補生たちが、あのような下劣なMPKを行っていたのか!』
『株価がすでにストップ安だぞ! どう落とし前をつける気だ!』
『それよりも、あの木刀の生徒だ! 魔法も使わずに数十匹を瞬殺し、さらにはあの自動収集鞄……! あんなバケモノとオーパーツがなぜEクラスの底辺にいる! お前はあの生徒のステータスをどう測定したのだ! 節穴か!!』
「ち、違います! あいつは、佐藤通のステータスは間違いなく『レベル3の凡人』だったはず……ッ! なぜ、こんなことに……っ!」
轟は脂汗をダラダラと流しながら、動画の中で腰を抜かして無様に命乞いをしているAクラスの生徒たちを睨みつけた。
「このバカ共め……! 余計な真似をして新興メジャーの顔に泥を塗りおって! 貴様らは全員退学、いや、探索者ライセンス永久剥奪だァァァッ!!」
理不尽にEクラスに特訓を命じていた鬼教官は、今度は自分が社会的な死と解雇の危機に直面し、完全にパニックに陥って頭を抱えていた。
イシュラーナの放った致死性の情報爆弾は、エリートたちの傲慢なプライドを、見事なまでに粉砕したのである。
* * *
――そして、その大炎上の中心人物である佐藤通は。
「……うむ。良い照りだ」
魔道具研究会の部室の特大ソファーに深く腰掛け、白石さんが持たせてくれたウサギ柄のお弁当箱を開き、真顔でうっとりと呟いていた。
外の世界で億単位の人間が自分の動画を見て騒いでいようが、エリートたちが社会的抹殺の憂き目に遭っていようが、トールにとっては本当に「どうでもいい」ことであった。
今の彼にとって、宇宙で一番重要なミッションは、目の前にある『特製から揚げ』を最高の状態で胃袋に収めることだけなのだ。
「いただきます」
トールは両手を合わせ、割り箸で大ぶりのから揚げを一つ摘み上げた。
サクッ……!
噛み付いた瞬間、完璧に揚がった衣が心地よい音を立てる。そして次の瞬間、中から閉じ込められていた熱々の肉汁が、滝のようにジュワァァッと口の中に溢れ出した。
「……ッ!!」
トールの目が、カッと見開かれた。
醤油と生姜、そして微かなニンニクの風味が効いた秘伝のタレが、鶏肉の弾力ある旨味と絡み合い、絶妙なハーモニーを奏でている。冷めても美味しいように計算し尽くされた、まさにオカンの愛情と技術の結晶である。
「美味い……! 噛むほどに溢れるこの脂の甘味! なんだこの完成された食べ物は。異世界のオーク肉の丸焼きなど、このから揚げ一個の足元にも及ばんぞ……!」
トールはすぐさま、傍らにある『だし巻き卵』にも箸を伸ばした。
ふんわりとした甘めの卵焼きが、から揚げの濃厚な脂を優しく包み込み、口の中をリセットしてくれる。そして、すかさず白米をかき込む。
から揚げ、白米、卵焼き、白米。
歴戦の武士による、誰にも止められない神速の無限ループ(モグモグタイム)が開始された。
「……さ、佐藤さん」
そんな至福の食事風景を、少し離れたパイプ椅子から、氷華と盾花が引きつった顔で見つめていた。
二人の手元にあるスマホの画面には、今まさにネットを大炎上させているあの動画と、学園側がパニックに陥っているというニュース速報が次々と表示されている。
「あの……佐藤さん。ネットが、とんでもないことになってますのよ? Aクラスの連中が社会的に終わったのは自業自得として……貴方のあの木刀の神業と、あの魔法の鞄が、世界中のニュースでトップ扱いになっていますわ……」
「そうですよ! どうするんですか、明日からマスコミとか大企業のスパイがこの部室に殺到しちゃいますよ!?」
青ざめる二人の少女に対し、トールはから揚げを咀嚼しながら、無表情で首を傾げた。
「俺の神業? なんだそれは。俺はただ、邪魔な羽虫を峰打ちで払っただけだ。魔法の鞄も、いちいちしゃがんで拾うのが面倒だったから作った、ただの安物のリュックサックだろう」
「「その『ただの』の基準がバグってますのよ(ですよ)!!」」
二人のツッコミが綺麗にハモる。
『( ¯﹀¯ )ドヤッ! ご安心なさいませ、氷華様、盾花様!』
トールの胸ポケットから、イシュラーナの合成音声が響き渡った。
『動画の顔には完璧なモザイク処理を施してありますし、アカウントのIPアドレスも何重にも偽装済み! ネットの特定班がどれだけ血眼になろうと、この部室とトール様の素性にたどり着くことは100万年不可能ですわ! トール様の平穏と定時退社は、わたくしが死守いたしますの!』
「うむ。よくやった、イシュラーナ」
トールは全く悪びれることなく、三つ目のから揚げに手を伸ばす。
「俺は美味い飯を食い、静かに昼寝がしたいだけなのだ。外の騒ぎなど、俺の知ったことではないからな」
「…………」
そのあまりにも堂々とした(そして狂気的なまでにマイペースな)姿に、氷華と盾花は完全に毒気を抜かれ、ため息をつくしかなかった。
「も、申し訳ありませんでしたぁっ……! お弁当中に騒がしくして、本当に申し訳ありませんでしたぁぁっ!」
部室の隅では、動画の撮影係にさせられていたパシリのオタク内部生が、トールの圧倒的な大物感に恐怖し、床に額を擦り付けて土下座を繰り返している。
「うるさいぞ、パシリ。埃が舞うだろう」
「ひぃぃぃっ! す、すぐに床を水拭きしますぅぅっ!」
外の世界では、大企業とエリートたちが動画の炎上によって阿鼻叫喚の地獄絵図を繰り広げている。
しかし、この学園の片隅にある『魔道具研究会』の部室だけは。
至高のから揚げ弁当の匂いと、ポンコツな少女たちのため息、そして土下座するパシリの拭き掃除の音に包まれながら――今日も変わらず、平和でマイペースなスローライフの時間がゆったりと流れていくのであった。




