第017話:絶望のモンスタートレインと、散歩する武士
新興メジャーの特別教官、轟によるEクラスへの『地獄の特別指導』が始まって数日。
今日は学園主催の第一学年ダンジョン実習。
渋谷代々木学園の地下に広がるダンジョン・第4階層の薄暗い洞窟エリアには、悲壮な息遣いが響き渡っていた。
「はぁっ……ぜぇっ……! シールド、バッシュ……ッ!」
戌井盾花(タンク娘)が、自身の背丈ほどもある大盾を振りかぶり、迫り来る大蝙蝠の群れを弾き飛ばす。しかし、その足取りはふらついており、大盾を構える腕は鉛のように重くなっていた。
連日のグラウンド百周や夜までの素振り、そしてポーションの使用すら禁じられた過酷な実習により、彼女たちの体力はすでに限界をとうに超えていた。
「大気中の……っ、水分よ……! 『フリーズ・ブリーズ』……ッ!」
後方から神宮寺氷華(氷の女王)が杖を突き出し、冷気を放つ。数匹のゴブリンが凍りついて砕け散るが、彼女の顔面もまた蒼白だった。魔力枯渇による激しい頭痛が、彼女の思考を鈍らせている。
ただでさえ過酷な状況下であったが、彼女たちを本当の絶望に突き落としたのは、同じ学園の「エリート」たちによる陰湿な嫌がらせだった。
「おいおい、旧世代の落ちこぼれ共! 随分と苦戦してるみたいだな!」
安全な高台から見下ろすようにして嘲笑うのは、新興メジャーの最新装備で身を固めた特進Aクラスの男子生徒たちだった。彼らは教官に取り入るため、そして目障りな旧メジャーの令嬢である氷華を徹底的にいたぶるために、この第4階層で意図的に『モンスタートレイン』を引き起こしたのだ。
周辺に生息する数十匹ものゴブリンや大蝙蝠を挑発して集め、逃げ回るふりをして、疲労困憊の氷華と盾花にすべて押し付けて高みの見物を決め込んでいるのである。
「卑劣ですわ……! わたくしたちの魔力が消耗しきっているのを狙って、こんな……!」
氷華が血の滲むような声で叫ぶが、Aクラスの生徒たちはニヤニヤと笑うだけだ。
「特別指導の一環だろ? ほら、早くしないと囲まれるぜぇ!」
「キシャァァァァッ!!」
怒り狂ったゴブリンの群れと大蝙蝠が一斉に襲いかかってくる。
「氷華ちゃん、下がって……っ!!」
盾花が前へ進み出て、大盾を地面に突き立てて壁を作る。
ドゴォォォォンッ!!
数十匹のモンスターによる波状攻撃が、盾花の細い腕に容赦なく叩き込まれる。
「ぐぅぅぅぅっ……!!」
耐える盾花の口から苦悶の呻きが漏れる。通常の状態であれば捌き切れたかもしれない。だが、疲労の極致にある今の彼女には、その衝撃を完全に吸収することはできなかった。
ピキッ……。
絶望的な音が、洞窟内に響いた。
盾花が愛用していた、初心者用としてはかなり頑丈なはずの鉄の大盾の表面に、亀裂が走ったのだ。
「うそ……っ。盾が、割れ……」
次の一撃を受ければ、大盾は粉々に砕け散り、背後の氷華もろともモンスターの群れに蹂躙されてしまう。
「た、盾花……っ!」
「駄目です、氷華ちゃん……逃げて……っ! 私が、ここで食い止めるから……!」
大粒の涙をボロボロとこぼしながら、それでも親友を守るために盾花は一歩も引こうとしない。
「そんなこと、できるわけがありませんわ……っ!!」
氷華の目に、悲壮な決意が宿った。
わたくしは、神宮寺の人間。親友を見捨てて逃げるなど、絶対にあり得ない。
(詠唱を……詠唱のプロセスを強制的に省略して、我が身の魔力回路を直接冷却魔力に変換すれば……!)
それは、出力調整が絶望的にポンコツな彼女が最もやってはいけない禁じ手、『魔力暴走』への意図的な引き金だった。
「大気中の水分など不要ッ! わたくしの命を代償に、絶対零度の――」
氷華の全身から、禍々しいまでの蒼白い冷気が噴き出し始める。周囲の岩壁が一瞬で凍りつき、Aクラスの生徒たちでさえ「おい、なんだあの魔力……ヤバいぞ!?」と顔色を変えた。
盾花の盾が限界を迎えようとし、氷華の魔力回路が自壊寸前まで悲鳴を上げた、まさに絶体絶命のその時。
『ブィィィィィィィン……』
洞窟の奥から、なんとも間抜けな、羽虫の羽音のような機械音が響いてきた。
「……おい、そこをどけ。通れないだろう」
極度の緊張と絶望が支配する空間に、信じられないほど呑気で、マイペースな声が落ちてきた。
「え……?」
氷華と盾花が目を丸くして声の方向を見ると、そこには。
ブレザーの制服を適当に着崩し、片手に木刀をぶら下げた佐藤通が、まるで近所のコンビニにでも行くかのような足取りで歩いてきていた。
そして何より異様なのは、彼の頭上2メートルほどの位置を、小型のステルス・ドローンが『500円の安物のリュックサック』をぶら下げながらフワフワと追従していることだった。
「さ、佐藤様ァ! もっとゆっくり歩いてください! ドローンの追尾操作が間に合いません!」
さらに後方の安全地帯から、ドローンのコントローラーを握りしめた小太りの男子生徒(オタク内部生改め、新米パシリ)が、涙目になりながら半狂乱で叫んでいる。
「文句を言うな、パシリ。俺は腹が減っているのだ。白石殿の弁当を食う時間が減るだろうが」
「さ、佐藤さん!? なぜ、どうしてここに……!?」
盾花が叫ぶと、トールは鬱陶しそうにゴブリンの群れを一瞥した。
「なぜも何もない。今日は白石殿が弁当に『特製から揚げ』を入れてくれたと言っていたからな。早く安全な場所(部室)に戻って食いたいのだが、こいつらが邪魔で進めん」
その言葉の直後。
トールはスッと木刀を構え、足元の岩を軽く蹴った。
――ヒュンッ。
風すらも置き去りにする神速の歩法。
数十匹のゴブリンや大蝙蝠が何事かと振り向く前に、トールの木刀が流れるような連撃を描いた。
「コンッ」「ドスッ」「バキッ」
殺意も魔力も乗っていない、純粋にして完璧な『峰打ち』の乱れ撃ち。
ヒビ割れた盾花の大盾を破ろうとしていたモンスターたちは、白目を剥いて次々と光の粒子に変わり、一瞬にして全滅した。
チャリン、コロン。
モンスターたちが消滅した後に、大量の魔石がドロップする。
すると、トールの頭上を飛んでいたドローンがスィーッと下降し、ぶら下げたリュックサックの口がガバッと開いた。
シュポポポポポポッ!!
まるで目に見えない巨大な掃除機が起動したかのように、地面に散らばった数十個の魔石が、空中に浮かび上がって一瞬でリュックの中へと吸い込まれていく。大企業が数千億円かけても実現できない『自動収集型マジックバッグ』の恐るべき吸引力である。
「うむ。手が汚れなくて誠に快適だ」
トールは木刀を肩に担ぎ、満足げに頷いた。
「な、なんだあれ……っ!? 何が起きたんだ!?」
高台にいたAクラスの生徒たちは、数十匹のモンスタートレインが木刀の一振りで全滅し、さらには見たこともないオーパーツ技術で魔石が自動回収されていく光景に、完全に腰を抜かしてへたり込んでしまった。
「あ……ぁ……」
一方、魔力暴走の引き金を引こうとしていた氷華は、事態の急転直下に思考が追いつかず、まだ蒼白い冷気を全身から垂れ流したまま固まっていた。
「おい」
トールがスタスタと氷華に近づき、その額に木刀の柄尻を『トンッ』と軽く当てた。
「痛っ!?」
打撃と共に流し込まれたトールの圧倒的な『気』が、氷華の暴走しかけていた魔力回路を強制的に鎮静化させる。
「熱くなるな。頭を冷やせ……と言いたいところだが、お前は冷えすぎだな。風邪を引くぞ」
「さ、佐藤さん……っ! わたくし、わたくしたちは……」
緊張の糸がぷつりと切れ、氷華はその場にペタンとへたり込んだ。盾花もヒビ割れた大盾を手放し、氷華に抱きついて安堵の涙を流している。
『キタ――(゜∀゜)――!! トール様の無自覚なヒロイン救出劇! しかし動機は相変わらずメシ! 最高にエモいですわーッ!』
トールの胸ポケットから、スマホ(イシュラーナ)の実況テキストが音声で漏れ聞こえてくる。
「……おい、パシリ。お前、そこの高台で腰を抜かしている連中の顔、ドローンのカメラで録画したか?」
トールが背後を振り返って問うと、コントローラーを握ったオタク内部生が「は、はいっ! ばっちり4K画質で録画してますっ!」と敬礼した。
「よし。イシュラーナ、その映像の顔をネットに晒してやれ」
『承知いたしましたわ! Aクラスのエリート共がEクラスにモンスタートレインをなすりつける悪質行為! 学園の裏掲示板に投下して、社会的に抹殺(炎上)させてやりますのよ!( ¯﹀¯ )ドヤッ』
「ひぃぃぃっ!? や、やめてくれぇぇぇっ!!」
Aクラスの生徒たちが悲鳴を上げながら逃げ出していくのを尻目に、トールは「やれやれ」と欠伸を噛み殺した。
「さて、腹も減った。お前たち、立てるか? 立てないなら置いて帰るが」
「ま、待ちなさい! 立ちますわ! 立ちますから、唐揚げを一つ恵んでくださいませーッ!!」
絶体絶命の死地から一転、ただの「昼飯前のお散歩」へと強制的に空気を塗り替えられた洞窟の中で。
マイペースな武士は、ポンコツなお嬢様と不器用な盾持ち少女、そして泣き虫なパシリを引き連れて、今日も平和な定時退社へと向かっていくのであった。




