第013話:冷酷なるステータス測定と、完璧なる定時退社
春のうららかな陽気が嘘のように、渋谷代々木学園の巨大な体育館には、凍てつくような冷たい緊張感が張り詰めていた。
数百人の新入生たちが、クラスごとに整列させられ、息を呑んで壇上を見上げている。彼らの視線の先には、最新鋭の魔導クリスタルで構築された、三基の巨大なカプセル型『ステータス総合測定器』が禍々しい光を放ちながら稼働していた。
「――静粛にしろ、新入生ども」
マイクを通した低く重圧のある声が、体育館の空気をビリビリと震わせた。
壇上の中央に立つのは、新興ダンジョンメジャーから直々に学園へ出向してきている特別教官、轟である。筋骨隆々とした体躯を高級なスーツに包み、鋭い鷹のような目で生徒たちをねめつけながら、彼は手元のタブレット端末を無造作に操作した。
「四月六日に入学式を終え、貴様らは順次、学園地下のダンジョン第一層へとダイブし、実習訓練を重ねてきたはずだ。本日は、その成果を測る『第一回・新入生ステータス定期測定』の場である」
轟の言葉に、最前列に陣取る特進のAクラスやBクラスの生徒たちは、自信に満ちた笑みを浮かべて胸を張った。彼らは新興メジャーの最新装備を与えられ、専属のサポーターをつけて効率的にダンジョンを周回しているエリートたちだ。
一方で、後方に押しやられているEクラスの生徒たちは、皆一様に顔を青ざめさせ、お互いの顔を不安げに見合わせていた。
「探索者にとって、『レベル』と『ステータス』こそが絶対的な価値であり、社会的な身分そのものだ。現在、Aクラスの優秀な生徒たちは、すでに【レベル3】から【レベル4】へと到達している者が多数を占めている。たった数週間でこの成果。これぞ我が新興メジャーの育成メソッドの賜物である」
轟がそう宣言すると、Aクラスの生徒たちからどよめきと優越感に満ちた歓声が上がった。
だが、次の瞬間、轟の目が鋭く細められ、最後列のEクラスの集団へと向けられた。
「しかし……嘆かわしいことに、この学園には未だにダンジョンの空気にすら馴染めず、【レベル1】や【レベル2】で燻っている無能な寄生虫どもが存在しているという報告を受けている」
ビクッ、とEクラスの生徒たちの肩が跳ねた。
「毎日血反吐を吐く思いでスライムやゴブリンを狩り続けて、ようやくレベルが一つ上がるかどうかというこの時期に、レベル3以上に到達していないということは……つまり、貴様らの『探索者としての覚悟と努力が圧倒的に足りていない』という何よりの証拠だッ!!」
轟の怒号が、体育館のドーム屋根に木霊した。
「我が学園に、怠慢な落ちこぼれは不要。よって、本日の測定において【レベル2以下】の判定を受けた底辺どもは、探索者としての性根を叩き直すため、本日の放課後より『地獄の特別指導』を受けてもらう!!」
「「「なっ……!?」」」
Eクラスの集団から、悲鳴にも似たどよめきが巻き起こった。
「嘘だろ!? 入学してまだ三週間だぞ!? レベル2でも十分早い方じゃないのか!?」
「Aクラスの連中が異常なだけだ! 最初から高価な魔石装備でパワーレベリングしてる奴らと基準を一緒にされるなんて、理不尽すぎる!」
「特別指導って……噂じゃ、魔力ポーションもなしでグラウンドを百周させられたり、夜まで素振りをさせられたりするって……!」
そんな絶望の渦の中で、誰よりも青ざめ、ワナワナと肩を震わせている二人の少女がいた。
魔道具研究会の部員である、“氷の女王”こと神宮寺氷華と、“タンク娘”こと戌井盾花である。
「う、嘘ですわよね……?」
氷華は、血の気の引いた顔で隣の盾花を見た。
「わたくしたち、数日前の部室でスマホスキャンをした時、地道な努力が実って『レベル1から2に上がった!』と、あんなに手を取り合って喜んだばかりですのに……っ! 世間の基準では順調な成長のはずなのに、この学園では……エリートたちの基準では、『レベル2は無能の底辺』扱いですのォォォッ!?」
「ひ、氷華ちゃん落ち着いて! あ、汗が凍ってます! 体育館の温度が急激に下がってますよ!」
盾花が慌てて氷華の肩を抱くが、彼女自身もガチガチと歯の根を鳴らしていた。
「でも、どうしよう……! 補習になったら、放課後の部室でゆっくりお茶会もできなくなっちゃいます! なにより、あの鬼教官の特別指導なんて受けたら、明日には筋肉痛で大盾が持てなくなっちゃいますぅぅっ!」
二人の少女が、迫りくる理不尽なエリート社会の圧力の前に、完全な絶望に打ちひしがれている中。
「……ふわぁあ」
彼女たちのすぐ後ろに立っていた佐藤通は、誰にも聞こえないほどの大きな欠伸を噛み殺していた。
ブレザーのポケットに両手を突っ込み、ひたすら前方の列が消化されていくのを退屈そうに眺めている。
「佐藤さん! なぜ貴方はそんなに落ち着いていられますの!」
氷華が涙目でトールにすがりつく。
「貴方だって他人事じゃありませんのよ! わたくしたちが浅層で一生懸命ゴブリンを倒している間、貴方は後ろで適当に木刀を振るって魔石を拾っていただけ! まともに戦闘をしていないのだから、絶対に【レベル1】のままに決まってますわ! 一緒に地獄の補習ですのよ!?」
「……五月蠅いな。ただカプセルに入って数値を測るだけだろう。それに、俺は放課後に居残りなどするつもりは毛頭ない。定時退社は絶対の掟だからな」
「そんな呑気なこと言ってる場合じゃありませんわーーっ!」
やがて、無情にもEクラスの測定の順番が回ってきた。
「次、戌井盾花! 前へ出ろ!」
「は、はいぃぃっ!」
名前を呼ばれ、盾花がビクビクしながら巨大なカプセル型測定器の中へと足を踏み入れた。扉が閉まり、青白いスキャンの光が彼女の全身を包み込む。
数秒後、轟教官の手元のタブレットに判定が表示された。
「……戌井盾花。総合レベル【2】。筋力や耐久力はレベル2にしては少し高いようだが、ボーダーには届かん。不合格だッ!」
「ひゃあああっ!」
「貴様は放課後、大盾を背負ったままグラウンドを百周する特別指導だ! 次、神宮寺氷華!」
泣きべそをかきながらカプセルから這い出てきた盾花と入れ替わるように、氷華が悲壮な覚悟を顔に貼り付けて前に出た。
「わ、わたくしは旧メジャーを背負う神宮寺の人間ですわ……! 決して、無能などでは……!」
震える足でカプセルに入り、光を浴びる氷華。しかし、残酷なシステムは彼女のプライドを容赦なく打ち砕いた。
「……神宮寺氷華。総合レベル【2】。魔力量だけは無駄に特進クラス並に高いようだが、魔力制御の精度が絶望的にポンコツだ。ただの歩く迷惑兵器だな。不合格だッ!」
「うぅぅ……っ!! そんな、魔力制御まで数値化されてしまうなんて……!」
「貴様も放課後、魔力枯渇寸前まで基礎詠唱を繰り返す特別指導だ! いいか、Aクラスのエリートどもはすでにレベル4だというのに、貴様ら旧世代の落ちこぼれは――」
轟教官がねちねちと嫌味を続ける中、氷華は両手で顔を覆い、その場にへたり込んでしまった。
「終わりましたわ……。わたくしの優雅な放課後スローライフが……地獄のスパルタ実習に……っ」
「次、佐藤通! さっさと入れ!」
轟の苛立った声に、トールは「やれやれ」と首を鳴らしながら、ゆっくりとカプセルの中へと歩を進めた。
「ダメですわ、盾花……。彼まで補習になれば、私たちの部室は完全に崩壊してしまいます……っ。せめて、せめてレベル2にでも上がっていれば、少しは教官の心証もマシに……」
氷華が祈るように見つめる中、スキャンの青白い光がトールの全身を舐めるように走った。
――しかし、その光がトールの肉体に触れた瞬間。
トールの胸ポケットに忍ばされたスマホ(イシュラーナ)の内部では、人類の想像を絶する『電子の死闘』が繰り広げられていた。
『警告! 警告! トール様の実際のステータスをこのままスキャンさせれば、学園のメインサーバーが計測不能のオーバーフローを起こし、物理的に大爆発してしまいますわ!!』
イシュラーナのAIコアが、限界突破の演算速度で悲鳴を上げていた。
トール本人は「浅層で適当に魔石を拾っていただけ」のつもりだが、異世界の修羅場を越え、魔神を斬り伏せてきた彼に蓄積された「素のステータス(経験値)」は、現代のレベルシステムに換算すれば【測定不能】を叩き出すほどの次元に達しているのだ。
『それに、もし万が一、特級クラスのバケモノ数値なんて出たら、学園中からマークされてトール様の平穏なスローライフが崩壊してしまいます! さらに特別指導(残業)など以ての外! トール様の『定時退社』を死守することこそ、わたくしイシュラーナの至上命題にして絶対の使命ですわーーッ!!』
ドゴォォォォォォォォンッ!!
電脳空間において、イシュラーナの放った極大のハッキング・プログラムが、新興メジャーが数百億円をかけて構築した学園のファイアウォールを、まるで薄紙を破るかのように粉砕した。
『セキュリティ突破、完了! スキャンデータをリアルタイムで傍受、及び改竄プログラムを実行しますわ! 目立たず、騒がれず、それでいて補習のボーダーラインを完璧にクリアする、最高の【偽装ステータス】を錬成しますのよ!』
カチャカチャカチャッ! と、目にも留まらぬ速度で偽のパラメータが入力されていく。
『総合レベルは、高すぎず低すぎない【レベル3】! 筋力判定は【D】! 魔力判定は【E】! 特技・スキル欄は【特になし】! これぞ、どこにでもいる可もなく不可もない、モブ中のモブ生徒の完璧な偽装データですわーーッ!!』
ピローン♪
現実世界の体育館。
間抜けた電子音と共に、カプセルのスキャンが終了し、轟教官の手元のタブレットに結果が表示された。
「……ん? なんだ、コイツのデータは」
轟は怪訝そうに眉をひそめ、タブレットの画面を指で弾いた。
「……佐藤通。総合レベル【3】。筋力判定D、魔力判定E。特筆すべきスキルもなし」
その凡庸すぎる結果に、轟はつまらなそうに鼻を鳴らした。
「……チッ。まあ、ギリギリでレベル3のボーダーは越えているようだな。合格だ。だが、筋力も魔力も底辺レベルの凡人だ。Aクラスの足元にも及ばん。せいぜい調子に乗るなよ」
カプセルの扉が開き、トールが無傷のまま(当然だが)、ひょうひょうとした足取りで外へ出てきた。
「うむ。ありがたい助言だ」
トールは真顔で教官に一礼すると、泣き崩れている氷華と盾花を見下ろした。
「さ、佐藤さんが……レベル3……!?」
「なんで!? いつそんなにレベルを上げてたんですか!?」
二人の少女は、裏切られたような、信じられないものを見る目でトールを指さした。
「いや、不思議なからくりだった。青い光を浴びたら、少し肩の凝りがほぐれた気がするな」
トールは全く悪びれる様子もなく、適当なことを言って肩を回した。
『( ¯﹀¯ )ドヤッ! わたくしの完璧な偽装工作により、トール様の平穏と定時退社は完全に守られましたわ! さあ、補習組は放っておいて、早く我が城へ帰りましょう!』
胸ポケットでスマホが勝利のバイブレーションを鳴らす中、無情にも放課後のチャイムが学園に鳴り響いた。
* * *
夕暮れ時。
茜色に染まるグラウンドでは、重さ数十キロの大盾を背負わされた盾花が、「ひぃぃぃっ、もう足が動きませんぅぅっ!」と半泣きになりながらトラックを走り、その後方では氷華が「大気中の……っ、水分よ……っ! ぜぇ、はぁ……っ!」と、魔力枯渇による頭痛に苦しみながら延々と杖を振らされていた。
新興メジャーの特別教官による、容赦のない地獄のブートキャンプである。
そんな過酷な試練に身を投じる少女たちを、グラウンドの金網の向こう側から、鞄を肩に掛けた一人の男子生徒が静かに見つめていた。
「ああっ! 佐藤さん! どこへ行くんですのーっ!?」
地べたに這いつくばりながら、氷華が金網越しに叫ぶ。
トールは足を止め、振り返って彼女たちに向けて片手を軽く上げた。
「俺は帰る。今日は白石殿が、特製の『豚の角煮』を三時間以上煮込んで待っていると言っていたからな。肉が箸で切れるほどトロトロらしい」
「ぶ、豚の角煮ぃぃぃっ!?」
「それに、定時退社は我が絶対の掟だ。お前たちも、せいぜいその補習とやらを頑張れ。明日の昼休みには、また購買のパンを分けてやろう」
「待ちなさいっ! ずるいですわ! わたくしもトロトロのお肉が食べたいですわーッ!!」
夕日に向かって絶叫し、金網にすがりついて泣き崩れる氷華の声を背に受けながら。
マイペースな武士は、己の平穏なスローライフと、家政婦の最高に美味しい夕飯のためだけに、颯爽と歩を進めていくのだった。
残酷なエリート社会のシステムすらも、たった一台の限界オタクAIのハッキングと、一人の男の「食への執念」の前には、完全に無力だったのである。




