第107話:崩れゆくゲート、静かな帰路
ゲートの暴走が収まった遺跡は、静かに崩落を始めていた。
「――撤退するぞ! 常盤の身柄は確保した! 急げ!」
トールの号令のもと、一行は崩れゆく最深部を、次々と脱出していく。
「氷華、盾花、鯖江、イシュラーナ、無事か!」
「わたくしは平気ですわ!」
「私も、大丈夫です!」
「イシュラーナさんと俺も、無傷っス!」
全員が無事に脱出したことを確認し、トールは深く息を吐いた。
「――白石殿の飯と、皆の平穏。今回も、無事に守り抜いたな」
その一言に、全員が疲れた顔ながらも、確かな笑みを浮かべた。
* * *
地上へと続く階段を上りながら、蓮司がふと、トールに声をかけた。
「――なあ、トール」
「なんだ」
「五年前、俺たちは、何もかもを失う覚悟で、あの魔神と戦った。……だが、今日は、何もかもを守り抜くことができた」
蓮司の声には、確かな感慨が滲んでいた。
「悪くない結末だろう」
「――ああ。悪くない。むしろ、最高だ」
トールが短く答えると、蓮司は、これまで見せたことのないほど、晴れやかな笑みを浮かべた。
「――なあ、トール。あの世界に残してきた戦友たちも、きっと、この結末を喜んでくれているだろうな」
「ああ、間違いなくな」
二人は、地上へと続く光を見上げながら、静かに、しかし確かな想いを分かち合っていた。かつての戦場で流した血と涙が、この平穏な結末へと、確かに繋がっていたのだと、二人はこの時、改めて実感していた。
* * *
翌日、国家機関の一室にて。
「――常盤修造の身柄は、正式にこちらで確保いたしました」
東城が、上層部への報告書を静かに提出した。
「彼の暴走を止めたのは、渋谷代々木学園の生徒たちだと?」
「はい。ですが」
東城は、まっすぐに上司を見据えた。
「この件を公にすれば、彼らの平穏な日常は、間違いなく失われます。……ここは、内々に処理することを、強く進言いたします」
上司は、しばしの沈黙の後、静かに頷いた。
「――分かった。この件は、対策室内部での不祥事として、内々に処理する。あの学生たちの存在については、一切、公にはしない」
「ありがとうございます」
東城は、深く頭を下げた。
* * *
その夜、部室に戻った一同を、いつも通りの平穏が迎えていた。
「――皆さん、お疲れ様でした。今夜は、腕によりをかけた特製ビーフシチューをご用意しましたよ」
白石さんの優しい声に、緊張の糸が、ようやくほどけていく。
「――うむ。良い響きだ」
トールが、いつも通りの真顔でそう答えると、部室に、これまでで一番温かい笑いが広がった。
「トールさん、今日ばかりは、心置きなく、たくさん食べてくださいね」
盾花がそう言うと、トールは珍しく、素直に頷いた。
「ああ。今日という日は、大いに祝うべき日だ。白石殿、遠慮なくいただくとしよう」
「ふふ、承知いたしました」
白石さんが嬉しそうに微笑むと、部室にはまた、いつも通りの賑やかな笑い声が満ちていった。
崩れゆくゲートの向こうに垣間見えた、遠い異世界の気配を胸に、一同は、ようやく取り戻した日常の温もりを、静かに噛み締めていたのであった。
* * *
食後、片付けを終えた部室に、皆が思い思いにくつろぐ、いつも通りの時間が流れていた。
「――それにしても」
氷華が、紅茶のカップを傾けながら、しみじみと呟いた。
「今回の一件、本当に、色々なことがありましたわね。盾花の工房のことから、わたくしの実家のことまで」
「はい。……でも、皆さんがいてくれたから、乗り越えられました」
盾花がそう言うと、鯖江も大きく頷いた。
「俺も、微力ながら役に立てて良かったっス。イシュラーナさんのおかげでもありますけど」
『ふふ、鯖江くんの頑張りがあってこそですわ』
イシュラーナの声に、鯖江は照れくさそうに頭を掻いた。
「――そういえば、蓮」
トールが、ふと思い出したように、蓮司へと視線を向けた。
「決着がついたら、パン争奪戦の続きをしようと言っていたな」
「――ああ、言ったな」
蓮司が不敵に笑うと、トールもまた、僅かに口の端を緩めた。
「明日からは、また、いつも通りの日常だ。……悪くないだろう」
「ああ。最高だ」
窓の外には、決戦の緊張から解き放たれた、穏やかな夜が、静かに広がっていた。この部室に集う者たちの日常は、こうしてまた、確かに、そして賑やかに続いていくのであった。誰かの犠牲の上に成り立つのではなく、それぞれが支え合い、笑い合いながら紡いでいく、かけがえのない日々として。その夜、部室の灯りは、いつもよりずっと遅くまで、温かく灯り続けていた。誰かが特別に望んだわけでもなく、ただ自然と、皆がその場に長く留まりたいと感じるような、そんな穏やかで幸福な夜だった。異世界帰りの最強武士と、その仲間たちが守り抜いたこの何気ない、かけがえのない日常は、こうして、また新しい明日へと、静かに、そして確かに、着実に、紡がれ続けていくのだった。




