第6話 1日の始まり
「……………………ぅぁ」
小鳥の囀りと共に目を覚ましたのは、アオイの方だった。彼女の上ですぅ、すぅ、と規則正しい寝息を立てる、黒髪の少女を見て、なんでこの子うちの上で寝てんのやろ? と疑問を浮かべる。自分が抱きしめている事に未だ気付かない彼女は、まぁええか、ともう一度目を瞑り────
(──という訳にもいかんわ! なんやこれ、どういう状況や!? え、うちが抱き締めとる!? 昨日何があったっけ……)
アオイは目をぐるぐるさせながら昨晩の事を思い出す。
(確か、やなぎが眠れないってリビングに来たんは憶えとる。報告書纏めとったから……やのにその後の記憶が全くあらへん。なんやこれどうなっとんねん。うちが記憶失ってどうすんねんマジで)
ふぅ、と小さく息を吐く。起こしてしまうのも可哀想だと思って、この状況を受け入れつつ、今後についてちゃんと考えなあかんなぁ、と物思いに耽る。
アオイにとってやなぎは突然の来客だ。そもそも彼女がどこから来たのか、何者なのかとか全く分からない。本人が記憶喪失というのもあるが、何より妖気を貯め込んでいたのが一番の謎を呼んでいる。
(何があればあんな事になんねん。人間と妖魔の区別が付かんって相当や。うち以外の祓妖師やったら殺されてたやろな)
何せ、妖気のみを斬る刀というのはアオイしか持たない一級品だ。祓え戸から支給された、一振りの刀に祓妖師が扱う力を籠める事で、妖気のみを斬る事が出来る。即ち妖魔特攻。鈍器としては使えるかもしれないが、対人だと全く役に立たないのがあの刀。
(起こすの可哀想やけど……今何時や?)
枕の周辺を手探りでスマホを探す。
(あかん、リビングか)
諦めて、時計に目を向けようと首を持ち上げる。
「……」
(ギリギリ見えんなぁ……。陽の傾き具合は、8時くらいやろか。困ったな、もうすぐミナトちゃん来るで)
喫茶の開店は10時からだが、ミナトは8時にアオイをいつも起こしに来る。任務の後だと猶更だ。昼まで起きて来ないなんてざらにある。なのでミナトが起こしに来るのだ。健康に悪いからって。アオイは、妖魔が健康とか気にするんやなぁと心の中でずっと思っている。
「しゃあない、やなぎ起きて。もう朝や」
とゆさゆさ揺らしてやなぎの覚醒を促す。
「……んぅ……だれぇ……私の、……眠り……さまたげる……」
「あんさんはラスボスかい。ええから起き。寝坊助さんなんか?」
「…………ぅぁ……ぁ~……むりぃ……」
「朝弱いんか。しゃあないな」
と彼女は、やなぎの身体を軽々と持ち上げる。
「んぇ、なに、え、何地震!?」
「ちゃうちゃう。うちが持ち上げたんよ。あまりに起きなそうやったからな。おはよ、やなぎ、うちの事憶えとるか?」
「……っ! はい! 覚えてます! おはようございます、アオイさん!」
「良かったなぁ、記憶残っとるやん」
アオイは昨晩の事を殆ど覚えていないが、それでもそんな言葉が口から零れた。ただただやなぎが心配なのだ。何せアオイの所為で記憶を失ったかもしれない。違ったとしても妖魔絡みが確定している。妖魔によって記憶を失ったとなると余計に厄介な話になる。
だから、やなぎの事は沢山気にかけてやらないといけない。
「今日は、お出掛けしよか」
やなぎを抱き上げベッドに座らせて、アオイは伸びをする。
「はい。えと、アオイさんって凄い力持ちなんですか?」
「ちゃうちゃう。霊力で持ち上げとるだけや」
「れーりょく……? なんか祓妖師の力ですか?」
「そーそー。ほら、起きたんやったら、顔洗ってき、ミナトちゃんが来るで」
「もふもふですか?」
「多分変身しとる」
「そうですか……」
露骨に残念そうな顔をするやなぎに、思わず笑みを零すアオイは、昨日着てたやつ洗濯してあるから、とりあえず今日はそれ着てくれるか? と一緒に部屋を出ながら問う。
やなぎははい、と頷いてでも、良いんですか? と続ける。
「今日はって、何か用意してくれるって……事ですか?」
「そのつもりやで。だから出掛けるんよ」
「流石に申し訳ないというか……!」
「自分で何とか出来ん間はうちに頼り。連絡手段も欲しいからスマホも買うで」
「えぇ!? 要りません! 勿体ないです! 私ずっとアオイさんと居ますから!」
「そうもいかんって言ったやん。うちも仕事あるねんて」
「着いて行きます!」
「あほ言うな」
おでこをぴんと弾きながら、アオイが怒る。
「今後一生危険な目に遭わせん。約束し、絶対危ない事をせんって。ほら指切りげんまん。今すぐ出しな」
「うぇ~……私幼児じゃないんですけど」
「似たようなもんやろ」
「えぇ! 私そんな……幼いですか?」
「嘘や嘘。じょーだんよ~」
そう言いながら、指切りげんまんはする。やなぎもまんざらでもないのである。やなぎはちょっといい気分。
返せるかどうかも分からない恩が積み重なっていく。どうすれば返せるのだろう、と考えた時、やはり喫茶で一生懸命働くしかない……のか?
(でも、喫茶の運営自体にアオイさんって関わってるのかな。私が働いた所で恩返しには……)
そもそも今は妖魔だけで運営している様だし、やなぎが手伝った所で……というのはある。働いて返すって言っても、それが成り立つのかが分からない。やなぎはお金の事は分からないのである。働いたらもらえるーとしか。
「やなぎ?」
「あ、いえすみませんなんでも」
「大丈夫か? 熱とかあるか? ……無いか」
「だ、大丈夫です! ちょっと考え事してました」
「考え事?」
「どうやって恩を返せば良いんだろ~って……貰ってばっかで、働く場所も、貰って……私は一体何を返せるんだろうって」
「何も無いよ」
「え」
「返さんでええ。何も求めとらん。うちはこれが仕事や。報酬は祓え戸から貰えるんやから、返そうとされても困るわ~」
アオイは、ふっと笑う。それは励ましのつもり……なのだろうか。やなぎは、でもと食い下がる。
「それになぁ、やなぎ。本来なら、やなぎの事は祓え戸に送らなあかんのよ。稀有な例やからな。祓え戸の方が色々と解る事も多い。やけど、やなぎを連れて行くと、やなぎが疲弊する。妖気を貯め込む性質なんて、可能性が認められているだけの机上の空論や。うちも初めて見た。そんな子を連れて行くと色々実験の対象になってまう。それはうちが嫌や。これはうちの我儘なんや。それに……記憶に関してはうちの原因の可能性も捨てきれへん。責任から逃れる事はしたくない。だからここに居てや。うちが守るし、うちが面倒見るさかい、ほら、今日は従業員紹介するし、もふもふ堪能してや」
アオイは、嘘を交えながらやなぎを引き留める様なことを口にする。すらすらとそれっぽい嘘を吐けるのは才能だ。実験の対象になる? 祓え戸はそこまで残酷な機関じゃない。妖魔を捕らえる事はあれど、妖気を貯め込むからと言って人間を捕まえる事は無い。基本的には倫理に準じている。
「……わかり、ました。ありがとうございます、アオイさん」
「うし、ならはいこれ。着替え。ちゃんと乾いとるわ。苦手な匂いやないとええんやけど」
昨日は湿気が多く、部屋干ししていたが、アオイから受け取った着替えからは柔軟剤のとても良い香りがする。なんだかフレッシュな感じ。最近の洗剤って良く出来てるよなー。
「良い匂い……。好きな匂いですこれ。アオイさんからしてた匂いだ……!」
「なんやそれ。うちが寝てる間に嗅いだんか?」
「不可抗力です。抱き寄せたのはアオイさんなんですから」
「え゛、やっぱうちやったんか……。えらいすまんなぁ……寝惚けてて」
「良いですよ。なんだかちょっといい気分でした」
ふふ、と笑うやなぎに、うぎぎ、と悔しがるアオイ。からかわれるのは苦手なのである。
やなぎはベランダからリビングに戻り、服を脱いで昨日着ていた服に着替える。ブラウスとスカートのとてもラフな格好。春爛漫に似合う服装ではある。
「うちも着替えてくるわ。もうすぐアオイちゃん来ると思うから来たら着替え中って言っといてくれる?」
「はーい」
アオイはそう言って、再び自分の部屋に戻る。
「さて、お出掛けか。何着てこか」
ミナトは喫茶の運営がある為、今日はアオイとやなぎ二人で出掛ける事になる。ここは田舎の為、都市部に出て京駅の辺りまで出ないといけない。
電車で移動するのも良いが、昨日ミナトが言っていた様に、2時間に1本の電車では不安だ、今日は車で移動する事になる。荷物も多いからそっちのが楽だろう。
クローゼットを開けて、アオイの持ち得るお洒落の知識をフル活用して服を選ぶ。
デニムジャケット、シャツブラウス、ボレロ、テーラードジャケット、ベスト……
カットソー、ワンピース、Tシャツ、オールインワンサロペット、キャミソール……
「なんでうちこんな悩んでるんや……?」
買い物する時はラフな格好が一番。荷物を下げる事になるし、擦れると嫌。という訳で選んだ服が、
「グレーのオールインワンサロペット!」
まぁ……良いんじゃないでしょうか。トイレに困るやつである。あれマジでどうやってトイレ済ますんだろう。オールインワン系の服っていつもそう。
下に白シャツ着て、今日のコーデは完成である。わーい簡単!
ちなみにトイレは肩紐を外して、何とかする。何とかするのだ。
にしても、昨日とかなり印象が違う。まぁいくら京に住んでいるからと言って、四六時中和装は無い。彼女の場合、和装は祓妖師としての仕事中にしか着ない。日常生活だと不便だし、祭りとかなら話は別だが……。
着替えを済ませたアオイはリビングに戻る。やなぎは着替えを終えて、顔を洗っている様で洗面所からぱしゃぱしゃと音が聞こえる。
うちも顔洗わんとなぁ、と思いながらも、先にキッチンへと向かって、朝ご飯二人分あったかなぁ、と冷蔵庫を開ける。無ければ喫茶からちょろまかす事になる。あんまり良くないよそういうの。
「あー……出先で食べるのもありやな」
冷蔵庫の中身を見て、小さく溜息を吐く。なぁんにも無い。正しくは1人分は用意出来るが、2人分は不安だ。卵が一個しかないし、定番のソーセージも2本しか残っていない。
「出掛ける前にあの子ら紹介したいし……ミナトちゃん待つか」
冷蔵庫を閉じて、やなぎの元へと向かう。
洗面所に入ると、顔をびしょびしょに濡らしたやなぎがアオイを見つける。彼女は、ぱっと明るい表情を浮かべたと思うと、慌てて顔を拭く。
「その服! すっごく可愛いですね!」
「せやろか。あんま自信無いねんけどな? ラフな格好やし」
「昨日とは印象が正反対でとても良いです! オールインワンサロペットですか?」
「うん。まぁせやねんけど……マジで自信無いからあんまじろじろ見んといて」
「えぇ~? めちゃくちゃ可愛いですよ?」
「そういうのええから。あ、化粧水使ってええよ。合うか知らんけど」
「え、でも」
「肌の手入れはしっかりせなあかん。女の子なんやから、特にな」
言いながら、アオイは化粧水を取って、やなぎに突き出す様に渡す。
「ありがとうございます」
「外出るんやったらすっぴんという訳にも行かんよな……」
「大丈夫ですよ。たぶん私、化粧しなくても良い歳ですし」
「いくつなんやろな? 見た目的には17とかそこらやけど……て事は高校生ってことなるな?」
「どうでしょう。わかんないです」
「お化粧については要相談やな。喫茶で働くなら必要なるやろし」
やなぎは首をぶんぶんと振るが、アオイは構わず、やっぱ合うのが一番ええし、今日見て帰ろか、と続ける。やなぎの首を振る速度は上がる。
「そんな首振ったら馬鹿なるで。落ち着きや」
「だ、だってアオイさんが甘やかす事ばっか言うから……」
「お金の事なら心配せんでええよ。祓妖師、結構貰えるんやで」
とお金のハンドサインをしながら彼女は言う。ちょっと下品。けど実際、祓妖師は、かなりのお金を得ている。昨日の2体の妖魔の討伐で、200は貰えるだろう。最後に万が着く。命を賭けた仕事であり、限られた人数というのもあるが、何より口止め料というのも含まれているのが大きい。妖魔の存在を外界に漏らしてはならない。そういう契約料に似た様なモノ。
妖魔の被害にあった子達は、社会復帰が可能になった際、妖魔に関しての記憶は祓え戸によって消されてしまう。例えそれが辛い記憶でも、嬉しい記憶だろうと、容赦なく消してしまう。でなければ、混乱を招いてしまう為だ。代わりに、事故や怪我の記憶を植え付けたりする。
「お待たせしました。すみません占領しちゃって」
「ええよ~。あ、ちょっと待って」
洗面所を出ようとしたやなぎを止めて、櫛とヘアウォーターを手に取る。
「ちょっと跳ねとるわ。じっとしとき」
と彼女の髪に櫛を通す。すぅっと通る髪質ではあるが、後ろ髪が少し跳ねてしまっている。しゅっしゅっと霧吹き状のヘアウォーターを吹きかけ、櫛を何度か通し、寝癖を直す。
「よし、はい。これで綺麗になったわ。ちょっとリビングで待っといて。朝ご飯は出先でちょっと早めのお昼って感じになりそうやけど、大丈夫そう?」
「はい。大丈夫です! ありがとうございます」
やなぎは、お礼を言って、洗面所を出る。
「………………うち、もしかして甘やかしすぎなんか?」
アオイは今更少し前に言われたことが効いてきたようだった。
甘やかしすぎです。普通出逢って1日の子にここまでしてあげる事はありませんよ。
「それになんか今日めちゃくちゃ調子ええし……なんでなんやろ」
全体的に絶好調といった感じだ。霊力がみなぎるような感覚がある。いつもより少し遅めに寝たというのに不思議なものだ。
「まぁ……調子がええ事はええ事やな。あんま気にせんとこ」
結構重要だと思いますよ、アオイさん。




