第2話 秋庭アオイ
「……っ、──?」
陽の光が目に飛び込んで、レインコートは目を覚ました。後頭部に何か少し柔らかい感覚を覚えながら、瞼を持ち上げる。
「おはようさん、お姫様」
逆光で顔が見えなくて、眼を細めたレインコートは、ピントが合わないまま、ぼやっとした視界で、ここは……? と問う。
「公園のベンチや。気絶してしもたから運んで来たんよ」
和装の彼女に膝枕されているという事に気が付いて驚いて身体を起こそうとすると、まだじっとしとき、と押さえつけられた。
「えらいすまんなぁ……怖い思いさせてもて。あんさん、妖気をようけ孕んでたから、見えんかったんよ。どっちか分からんから一旦妖気だけを斬らせてもらお思てな?」
「よーき……? はら……あかちゃん?」
「ちゃうちゃう。まぁあれや、貯め込んでた疲れ切り落としたみたいな感じや。ちょっとちゃうけど……。って、そうやない。どこも痛まへん?」
押さえつけられ頭を撫でられ、なんだか気持ち良くなりながらも、全身に何か違和感が無いかもぞもぞと動いてみる。
「大丈夫そう」
「はぁ~良かった……ほんますまんなぁ~」
頭をよしよしされている。レインコートはなんだか、良い気分。彼女はアオイに撫でられてまんざらでもない様子。
「うちは、秋庭アオイ。さっき見た通り、ちょっと特殊な力があるんやけど……まずは、名前とどうしてあんな所に居ったか説明してくれん?」
「……わかんない」
「名前も?」
「……わかんない……」
「困ったなぁ……記憶の混乱か~?」
名前さえも、分からない。レインコートは首を捻って、何か思い出せる事はあるだろうか、と考えている。膝の上で。
「まあええわ。細かい事を考える前に移動やな。和装じゃ目立つんよ。雨も上がって人通りも増えて来たし」
「……いどー? どこに……」
「うちの根城。もうちょいで車来るから良い子で待っててな~? ほーれ、よしよし」
何故撫でる。と思いながらもそのまま受け入れている。何故だろう、アオイの手には抗えない。撫でられるだけで心地良いと思うのはおかしいのでは。猫か何かか?
「あの、さっきのって」
「妖魔の事やんね。あれは災害の様なモノやって思うと解りやすいかもなぁ。人が生きている限り湧き出る悪性腫瘍……、鏡の世界から漏れ出た影を、眩しい雷鳴が焼きつけ顕現する災害」
「……?」
「影は基本的に現世に干渉は出来へん。幽霊のようなものやね。やけど今日みたいな嵐が吹いて、雷が連続して鳴ると、その影が現世に焼き付いて形を得てまうんよ。それが妖魔。妖怪だとも呼ぶ事があるわ」
「……わかんない……」
「わかんないよなぁ」
妖魔についてはおいおい知れば良い。それよりも大問題が起きている。記憶障害は流石に笑えない。名前さえも分からないとなるとかなり厄介。
アオイ曰く、妖気を大量に孕んでいた事による後遺症……それとも斬った事による後遺症か。どちらにせよ、妖気を孕んでいたならばアオイからすれば斬るしかない。妖気さえ斬れば安心出来たはずだ。
そもそも妖気とは、妖魔が持つ力の源の様なモノ。それを人が孕んでいる状態というのは通常あり得ない事。それ故、アオイはレインコートを人間であると認識出来なかった。
人の形をした妖魔である可能性があったため、斬るというのは最善の選択だ。妖気だけを斬る事が出来るのであれば、猶更。
アオイは、レインコートの頭を撫でるのをやめ、迎えが来た、と言って彼女の身体を支えながら起こさせる。
迎え? と疑問符を浮かべながら、レインコートは彼女に従って身体を起こし立ち上がる。
いつの間にか、背後の道路に車が止まっている。普通の白い乗用車で、四人乗りのようだ。どこに連れてかれるんだろう、と不安になりながらも、記憶も無ければ、これからどうすれば良いかも分からない彼女は、どうする事も出来ず、アオイの言葉に従って車に乗り込んだ。
「お疲れ~、アオイ」
「お迎えありがとな~、ミナトちゃん。安全運転で頼むわ。状況も整理しときたいから、注釈も頼むわ」
「その子がさっき電話で言ってた子ね。何一つ妖気を感じないけれど」
「うちが斬ったからな。それはええねんけど、記憶が無いみたいなんよ。どうしたらええやろ?」
運転席に座る女性は、茶色の髪を長く伸ばした大人の女性と言った様相で、大きな丸眼鏡を付けている。洋装を着こなしているけれど、正直アオイより和装が似合いそう。
「勢いで連れて帰ろう思うたけど、ええんかな……まず病院行かなあかんやつ?」
「妖魔関連なら病院に連れて行っても無駄ね」
と答えながら、アクセルを踏んで車を発進させる。ミナトと呼ばれた彼女は、ちらちらとミラーでレインコートを見る。
先からレインコートと呼んでいるが、既にレインコートは脱いでおり、中に着ていたブラウス姿になっている。
「持ち物は確認した?」
「してへんわ。早速しよか。あんさん、ポケットに何か入っとる?」
言われて、身体中をぺたぺたと触って、何か持ってないか調べると、スカートの小さなポケットから財布だけ出て来た。
「中、見てええ?」
こくりと頷くと、アオイは財布を受け取って、丁寧に開いていく。
「……あかん。身分証の類は入っとらん。学生証とかも無し……クレジットカードも無いなぁ……お金も1000円くらいしか入っとらん……。こりゃちょっと本格的にマズいかもしれんよ、ミナトちゃん。どうしよ、うちの所為!?」
アオイは、わたわたと慌てふためきながら運転手に助けを求める。
「妖気を孕んでたのなら、私達の管轄だろうから、とりあえず喫茶に連れて帰る。人間がアオイが斬らないといけないくらいに妖気を貯め込むなんておかしな話だし。一旦様子見る為にご招待って事で」
「……それでええ?」
レインコートは、彼女達の言葉にまだ着いて行けないが、とにかく頷いて見せた。
「悪いなぁ、こんな事になってしもて。うちが斬った所為やもしれんし、一旦様子見させてや。安心しぃ、あんさんが元の場所に帰れるようなるまでうちが命に代えても守ったるさかい、大船に乗った気持ちで居り」
アオイは、レインコートの手をぎゅっと握り、にこやかに笑って見せる。
「……っ! は、はい……」
なんだか、そんな屈託のない笑顔を見せられると照れてしまうレインコートであった。なんでだ。なんかそういう妖術でも使ってるのだろうか。こう、人を誑かすみたいな。狐かな?
「とにかく暫くうちから離れんといて。そやな、まずは名前やな。どう呼べばええか解らんのは不便やし、仮の名前考えとくのはアリやと思うけど」
「お、お願いします」
「うちが決めてええ?」
「是非」
よっしゃ、と嬉しそうに笑う彼女の顔から、視線を外す事が出来ない。レインコートにはどうしてか彼女の一挙手一投足が輝いて見える。顔が良いからだろうか。
「せやな……じゃあ、やなぎはどう?」
「やなぎ?」
「丁度そこの通りが柳葉場通りって名前でな?」
「ちょっと、アオイ、流石に適当すぎない?」
「仮の名前やし、ほんまの名前解った時に愛着湧かん方がええやろ。それにちょっとかわええやん? やなぎ」
「やなぎ……、何となく気に入りました」
「……はぁ、まぁ本人がそれで良いなら良いけどさ」
ミナトは大きく息を吐いて、アオイは嬉しそうにガッツポーズした。レインコート改めやなぎ当人は、自分の事の癖に現実感がなくて、首をまた捻っている。
「さて、ほんじゃ、これからの話しよか」
アオイは、ぱんっと色白の手を叩き、場の空気を整える。
「妖魔については、あんま詳しく知らんでええ。やなぎはこれからはうちの庇護の元暫く暮らしてもらう事になるんやけど、さっき見た通りうちは妖魔を退治する仕事があるさかい、あんま一緒に居られんことがある。それに加えて、妖気を孕んでいたのが一時的なモノなのか、そういう体質なのかも知らないとあかん。やから、うちが居らん間はミナトちゃんにも面倒を見て貰うことなる」
やなぎはアオイの話を真剣に聞きながら、自分に起きた事を少しずつ整理し始めた。
アオイの話を纏めると、
1、基本はアオイと行動することになる事。
2、アオイが妖魔退治に出掛ける際はミナトと一緒に居る事。
3、申し訳ないが根城にしている喫茶でアルバイトとして働くことになる事。
4、もし妖気を貯め込む体質の場合、例え記憶が戻ったとしてもその体質の改善が認められない限り、一時的な帰宅はあっても、喫茶に通ってもらう事になる事。
5、妖魔の存在は口外してはならない事。
6、家はアオイが住んでいる所にルームシェアという形になる事。
そして最後に、妖気を貯め込んでしまう事によって起きる症例を述べた。風邪に似た症状から、意識の混濁、最悪、妖魔として羽化する可能性さえもある。アオイは妖魔の事をあまり理解していないが、化け物になってしまうという曖昧な理解のまま受け入れた。それで良い。とにかく、妖気を貯め込んでしまうと、自身が化け物になってしまうという事だ。それは困る。
実際に症例があるわけではない。だが、今ここでやなぎを脅しておけば下手な行動には出なくなるはず、とアオイは考えた。述べた症例は全てデタラメだ。アオイにもどうなるかはわからない。前例が無いのだから確定は出来ない。けれど、敢えて大袈裟に伝えておいたのだ。自分から離れないように。
本来、人間が妖気を貯め込むなんて事はあり得ない。それこそ、アオイの様な祓妖師ならば確率的にあり得るくらいの話で、ただアオイの場合は妖気を斬って散らす為、影響がない。それ以外にあるとすれば、日常的に、空気と同じように妖気に触れている人が、妖気に適合してしまう……とか。酸素ボンベの様なもので妖気を直接口から吸わせれば起こり得るか? くらいの話だ。
「怖がらせるような事言うてるんは解るんやけど、事実を伝えておいた方が、あんさん、うちから離れんなるやろ? うちとしては自由にしてもらいたいんやけど、観察期間は設けさせて~な。これも生きる為や思て」
「は、はぁ……。その、ごめんなさい。まだ上手く受け止めきれてなく……。取り合えず私は喫茶で働けば良いんですね?」
「そーそー。偉いなぁちゃんと解っとるやん。そうやって居ってくれたらうちが守ったる」
にへ、と笑う彼女に、やなぎは強く頷く。アオイの表情は凄く柔らかいようで、ころころと変わって面白い。さっきからずっと申し訳無さそうな顔したり、どやっと決め顔したり、凄く可愛らしい。
「それで、えと喫茶はどこに?」
「宇瓦五条やで」
「宇瓦五条……?」
「記憶ないもんなぁ、そりゃ知らんで当然や」
「いえ、その、地名とかは覚えてるんです。何となく……ですけど。自分に関する記憶だけがすっぽり抜けたというか。でも宇瓦五条なんて地名、聞いた事が無くて。ここ、京ですよね?」
「そうやで~。京で間違いないけど、変やな、京の代表的な街やと思うてたんやけど」
それ、宇瓦に住んでる奴しか言わないわよ、と運転席のミナト。その言葉に、なんやて!? とアオイが声を荒げる。
「あり得ん! 嘘やそんなん! 宇治に並ぶ京の都やろ!?」
「全然並べてない。田舎も田舎よ。あんた自分が何の仕事してるか忘れた訳?」
「せやけど、いや発展してる方やろ!?」
「あのね、発展してたら、電車は1時間に何本も来るのよ。宇瓦は、2時間に1本! 田舎も田舎、ド田舎よ」
「嘘や。うち、色んな人に京の都や言われたで!?」
「京の国民性を忘れたの?」
「…………………まさか、皮肉か……!?」
まるで雷が落ちたかの様な衝撃である。しかし事実、宇瓦五条はド田舎である。ディスコもねぇ、映画もねぇ、たまに牛が通るド田舎である。残念でした。
やなぎはそんな二人の様子に思わず笑みを浮かべる。
「…………、まぁええわ。細かい事やそんなん。ええねん。うちが都や言うたら都! うちがルールや「傲慢なお姫様ね」だまらっしゃい。ええか、やなぎ。まぁその不便かもしれんけど我慢しいな……いやほんま、すまんなぁ……田舎なんやて、引っ越そうかな、うち」
あはは、と笑って返す。彼女は、田舎だからわざわざ車なのかな? と邪推しながら、改めてアオイの和装に目を向ける。
(いや、京でも舞妓さんくらいしか和装着ないし、目立つからかな)と少しだけ改める。
「なんや、うち変?」
「いえ、綺麗だなって思って」
「くふ、せやろ! こだわりの一張羅や。妖魔の汚い血で汚れたらショックやでほんま」
二尺袖と行灯袴……だろうか。卒業式で女性が稀に着ているアレに近い。細かい所は違うが、昔からあるフォーマルな恰好と言えば良いのか。まぁともかく、とても綺麗な和装だ。
二尺袖は桃色を基調とした生地に花柄が描かれており、行燈袴は綺麗な深紅に、裾の所にこれまた花飾り。確かに和服と言えば花のイメージが強い。栗毛の彼女に良く似合う。というか多分何着ても似合う系の人だ。
「まぁこれで出歩くのはちょっと目立つからな……うちにも恥じらいはあるんやで?」
「とても綺麗なので、恥じる事なんて無いと思いますが。ただ、隣に立てる自信は無いかもですね……」
「こんなかっこしてる奴の隣はそりゃ無理やんな……」
とてもしょぼくれた顔になった。
「あ、いえそうではなく、あまりに綺麗なので、隣に立つのが申し訳ないというか……。現代の小野小町の様なので、その……」
「なんやそれ! 上手い事言いよるわ! 小野小町はこんなけったいな髪色してへんやろ。うちの事気持ちええしても何も出んでぇ?」
そう言いながら、彼女の周りに花が咲いた。なんか出たぞ。ぱっと咲いた。小さな花火みたいに、本物の花に見えるけれど、なにこれ。こわ……。てか髪色? そこ? もっと言うべき事あるんじゃないか?
「まぁええわ。いやぁ、聞いたミナトちゃん。うち現代の小野小町やって!」
「御世辞にいちいち喜ばない」
「なんやと!? あんさん最近うちに当たり強ない? なんで? なんか変な事したうち?」
身を乗り出して抗議する彼女に、危ないからちゃんと座りなさい、とミナトが注意する。
「あの、どれくらい移動するんですか?」
「あー、ごめん。あと1時間くらいは車かも。宇瓦、田舎だから」
「田舎ちゃうわ!」「田舎よ」「ちゃうもん!」「ド田舎よ」「ドを付けろって意味ちゃう!」
また始まってしまった。
「えと、アオイさん……? は宇瓦出身なんですか?」
「え? ちゃうで? 1年前に引っ越して来てん」
(………………なんでこの人はそんな宇瓦が田舎じゃないって認めたくないんだろ?)やなぎは、首を傾げながら、まぁ、郷土愛に住んでる時間関係無いか、と一人で勝手に納得する。
「はぁ、すまん、ちょっと寝る。力使うたばっかやさかい、眠たいわ……」
「いつも移動中は寝てるものね。大丈夫よ。ゆっくり休みなさい。その方が静かで良いし」
「酷い……言いぐさ……やな。うちの事……嫌い………………なん…………? …………すぅ……すぅ……」
「え、はや」
あまりに早い就寝。ぐったりとシートに寄り掛かって、完全に眠りに落ちたようだ。小さな寝息を立てている。
「ごめんね、やなぎ、騒がしくて」
「いえ、なんだか楽しいです」
「そう言ってくれるなら、嬉しいわ。けどあんまり無理しないでね。あなたも、記憶無くして混乱してるだろうし。状況、飲み込めてないんでしょ?」
「…………はい。自分が何で、どこの誰だったか。そういうのって解らなくなると慌てふためくんじゃなくて、どうすればいいか分からないから、逆に冷静になるんですね……初めて知りました」
そりゃ大体の人が初めて知るでしょうよ。とミナト。彼女は車窓を開けて、赤信号を良い事にたばこを口にする。ジッポライターのしゅぽっという音が鳴って、ジュっと紙と葉を焼く匂いが広がる。
「たばこ……」
「あ、ごめん苦手だった?」
「いえ、大丈夫です。ただ、こっちも窓開けて良いですか?」
「好きにしていいわよ」
許可を貰って、窓を開ける。うぃーん、とボタンを押すとするするする、と窓が下がっていく。
車は、古風な街中を抜け、鉄筋コンクリートで出来た家群を横目に大き目な道を進む。窓から望む風景は、奥ゆかしささえ感じる古風なイメージである京とは大きくかけ離れた、発展した都市を思わせる。
「いつも、こうしてお迎えを?」
「えぇ。アオイは力を使うと睡魔に襲われるのよ。1時間も寝れば覚醒するから、あまり気にしなくて良いわ」
「力……ですか。その、妖魔って……っ」
そう聞こうとした瞬間、顔を出していたはずの太陽が隠れて、一気に暗くなる。
「……出そうね。やなぎ、ごめん、やっぱり窓閉めてくれる?」
「は、はい」
「すぐにここを離れた方が良さそうだから、高速乗る事にする。アオイがシートベルトちゃんとしてるか見てくれる?」
「えと……ちゃんとしてます! 勿論私も」
「偉い! じゃあちゃっちゃと妖魔が出る前に逃げ帰るわよ! 私戦えないし!」
そう言って、ミナトはアクセルを強く踏み込んだ。




