第1話 妖魔を裂くは
雷鳴が轟いている。暗雲から迸る稲妻が周囲をコンマ1秒程照らし、少し遅れて雷鳴が轟く。
春嵐に吹きすさぶ京を駆ける足が1つある。レインコートをばさばさと捲られながら、彼女は整頓された道を逃げる様に駆る。
風は止まず、強風が街中に設置されたゴミ箱の蓋をパカパカと開いて、捨てられたゴミが飛び出している。
正面から吹く強風に息を奪われ、空気の通り道を作るべく顔を逸らし、っぷはぁ! と息継ぎする。
レインコートを打つ雨は強く、少し痛いくらいだ。ザー、というより、ゴーという擬音が似合う程の豪雨。今朝のニュースでは異常気象と銘打たれて警報を鳴らしていた。
どれだけ走っただろうか。盤上に並べられたかの様な家々を抜け、小さな神社を抜け、また、住宅街に入った時、彼女の耳元に、こっち。と短い音が届いた。
自分の足音さえも掻き消す程の豪雨なのにも関わらずその声ははっきりと聞こえた。
少女とも少年とも分からない、ただ幼い声で、こっち、と呼び掛ける様な声。
不思議とその声が示す方角が解った。誘われるように彼女は絶え絶えの息を整えて、もう一度走り出す。
寺を越え、商店街を越え、観光名所を越え、住宅街に入り、そしてまた寺を越え、彼女はそうして、小さな路地裏へと辿り着いた。
何の変哲も無い、ただの路地裏。商店街と住宅街を分け隔つ小さな路地。
どうしてか、やっと着いた、と安堵した彼女は、ゆっくりとその足を踏み出した。
とくんっ
心臓が響く。全身が危険を訴えている様な嫌な感覚。けれど踏み出した足は止まる事なく、路地裏へと続く。
その瞬間、ただでさえ暗かった視界が、がこんっと分厚い雲の奥にある太陽さえも無くなってしまったのかと錯覚してしまう程暗くなった。
レインコートの彼女は、その景色に戸惑いながら、それでも足を止めずに歩いている。暗く、塗り潰されてしまった視界の隅に、小さな蒼い炎が揺らめく。ぼぅ、と灯されたソレは、続々と点灯され視界を照らす。
「────────。」
それはまるで裏世界。蒼い炎で照らされた視界に映る像。狐を模したそれは、不気味な笑みを浮かべている。
踏み出した足を今更止める事は出来ず、まるで操られるかの様に彼女は青く揺らめく道を歩く。
地面はアスファルトではなく石畳に変わっていて、まるでどこかの神社の境内の様。詳しく見ると、蒼く揺らめく炎は灯篭の様なものに宿っている様だ。
不気味だけれど、少しだけ幻想的でもある。戸惑いながらもレインコートの彼女は歩みを続ける。
雨は止んでいる。空が無いのだから、雨が降るはずも無い。
数歩進んで、ようやく恐怖心が戻って来た。
こっち、という声が大きく響く。それは道の奥から聞こえてくる。幼い声は、少しだけ急いている様に聞こえ、彼女はそれに応える様に足を運ぶ。恐怖で頭はパニックになり掛けているというのに、足だけは動く。
『こっち、こっち、こっち』
その声は次第に低くなり、聞き取るのが難しくなっていく。
「おい」
肩をがしっと何者かに掴まれ、バランスを崩し、押し倒される。レインコートは視界の先に広がる空に戸惑い、自分を押し倒した何者かを視界に収めた。
栗毛で和装をした少女が、レインコートの彼女に馬乗りになり、その手に持つ刃の様なモノを彼女の顔のすぐ傍に突き刺す。ヒッという短い悲鳴を聞いた栗毛の少女は、深く息を吐く。
「あんさん、人間か?」
その問いに声が出なかった。傍に突き刺されたそれは、見紛う事無き刀。刀身が剥き出しになった刀は、いつでも自分を切り殺せるぞ、と脅している。銀と黒の混じった刀身に反射する蒼い炎が、栗毛の少女の綺麗な赤い瞳に映っている。
レインコートの彼女は答える事が出来ず、栗毛の少女は暫く待ったが返答が無い事に苛立ちを覚えたのか、突き刺した刀を手に握り直し、しゃあないな、とレインコートの彼女の顔面の前に翳す。
「試しに斬って見りゃええか。……ようけ妖気孕んどるから判断付かんわ」
レインコートの彼女はその発言に息を荒くし、恐怖に顔を歪ませる。けれど、何を言えば良いか、自分がどういう状況か全くわからなくて何も言えずに居る。栗毛の少女は、刀を彼女に翳したまま暫く止まっている。脅せば答えるかもしれないと思ったのか、10秒程の空白の時間を経て、大きく溜息を吐いた。
レインコートの彼女はようやく口を動かす事を思い出して、声を口にする。
「うし、ろ!」
「なんや、警告とはえらい優しいなぁ、ほんまに妖魔?」
馬乗りになったままではあるが、刀をレインコートの彼女の顔から遠ざけ、横に倒す。
彼女の背後に、黒い玉のようなモノが集まって出来上がった異形の怪物があった。その異形は、頭部が異常に発達した人の形を取る。ぼごんっぼごんっと頭が膨らみ、まるで爆発でもしようとしているかの様。
栗毛の少女は自分の顔の前で翳す様に刀身を倒した刀に、ふっと息を吹きかける。
「カンナギ」
小さな声で呟いた瞬間、刀が少しだけ輝いたように見えた。彼女はようやく馬乗りを辞めて立ち上がる。
刀は依然眼の前で翳す様に構えたまま、頭部が異常発達したよく分からない黒い物体に背中を晒し続けている。最早目も瞑っている。きっと集中しているのだろうが、あまりに隙だらけ。
巨大な黒い異形のヒト型は、その隙だらけな背中に対し、肥大化した頭に相応に着いている巨大な口を開きながら、形容しがたい咆哮を上げ向かって来ている。
栗毛の彼女は刀を、指先でなぞる。なぞった先から光が迸り、その光は巨大なヒト型の顔面を弾き飛ばす。黒い玉の集合の為、頭部を吹き飛ばされても他の部分は通常通り動くらしい。吹き飛ばされた部分を補う様に形を変え、それは再び2人へと向かってくる。
──妖魔。鏡世界の影が雷鳴の激しい光によって現世に焼き付いたモノを指すそれは、平安の時代から現代まで続く災いとして存在している。曰く、妖魔とはヒトの現身。影である。
振り返った栗毛の少女は刀を構えたまま、地を蹴り妖魔の背後を取る。
「蒼桜」
──過去、それは当たり前の存在であったが、幕末を期に、庶民にはひた隠しにされる事となる。
背後を取った彼女は、紫電が如く速度で妖魔の身体を駆け上がる。手にした刀が再び揺らめく蒼い炎を映し、それがレインコートの彼女にはとても美しく見えた。
その瞬間、黒い妖魔は、その群体の様な身体を爆発四散させ跡形も無く消えてしまう。
そうして空は破れ、気付けば路地へと戻っている。
濡れたアスファルトに横たわったままのレインコートは未だ状況を飲み込めず、いくつも重なった疑問をどう口に出せば良いかさえも戸惑っている。
──それ故、妖魔を祓う特別な力を持つ者達は人々から忘れ去られる事となる。けれどそれでも、彼女ら妖魔を祓う力を持つモノはこうして影より妖魔を切り裂く刃となった。それこそが、この身に宿る使命であると、胸に抱きしめて。
「これで解決……って訳にも行かんなぁ。どうしよーか、この子。やっぱ斬っといた方がええよな……」
地面に着地した彼女は刀を鞘に納め、困ったと言った感じで首を捻る。
レインコートはどうにか状況を理解するべく、まずは身体を起こし──
「うし、悪いんやけど、一旦斬られてくれへん? あんさん、妖気孕みすぎてうちじゃ人間か判断出来へんねん。危険分子を放置する訳にもいかんし」
栗毛の彼女は淡々と言って納めたはずの刀の柄に手を伸ばす。
──斬られる!
そう思った時、既に彼女の身体は一刀両断され──
「あらら、人間やったんか。まあ──ってあれぇ!? し、死んでへんよな? 気絶……やな。焦らせんといてやぁ……」
斬られたというショックで、気絶してしまったらしい。ただでさえ意味の分からない状況で、殺されるって思ってしまったんだ、失禁とか情けない姿でなくて良かったと思うべきだろう。
豪雨だった空は、既に青を取り戻そうとし、隙間からは陽の光が差している。
栗毛の少女は、再び刀を鞘に納め、気絶してしまった彼女の傍に駆け寄り、えらいすまんなぁ……驚かせすぎてもうた……と何やら一人で反省している。
彼女の名は秋庭アオイ。
「ミナトちゃんに怒られるやろか……。妖気だけ斬ったのに気絶するとは思わんやんか……」
──妖魔を裂き災を祓う。秋庭アオイは祓妖師である。




