第15話 感情の様
「ただいまー」
とアオイが裏口から厨房に声を掛けると、やなぎが駆け寄って来る。
「おかえりなさい、アオイさんっ」
元気よく返事をした彼女は、エプロンを付け、見習いのバッジを胸ポケットに付けている。
「エプロンよー似合っとるな」
「荷物持ちますよ?」
「あかん。これはまだ内緒。それよかフーヤオの事頼むわ」
「よろしく頼むのじゃ」
「なんか素直ですね?」
さっきの印象とはまるで違う。やなぎが、フーヤオを見てそういえば服も? と上から下までじーっと見つめる。
「なんか、明るい服装ですね」
「ギャルやでギャル。ギャルふーりーちん」
「おい」
「いやかわええってほんまに。おもろいのもあるけど」
「はぁ、この店の制服に変えれば文句はあるまい」
フーヤオは、アオイに対して既に呆れ果てているのかあまり相手にせず、さっさと服を変化させてベアが来ている制服を真似る。
「そんじゃ、後よろしく。特にやなぎはフーヤオが妖魔な事忘れたらあかんで」
「はーい」
アオイはそう言って、手にしている荷物を上へと運んでいく。
「それで、何を買ったんですか? フーヤオさん」
「それは言えん。儂が漏らしたとあれば儂はきっと討ち取られる……」
「そ、そうですか……」
怖いですねぇ、と言うと、全くじゃ、とフーヤオが同意する。
現在お客さんの数は1組。昼時も過ぎ、そろそろ学生たちが帰って来る時間なのだろう、座っているのは学生のカップルだ。
「やなぎ嬢、注文の品、運んでくれぃ」
「はーい」
キッチンから届けられた料理をトレーに並べ、やなぎがお客さんの元へと運ぶ。
「お待たせしましたー。こちらオムライス2つです。ご注文は以上でよろしかったでしょーかー?」
かなりスムーズにマニュアルをこなし、彼女は少しだけ頭を下げて席を後にする。
「今の、何点でした?」
「100点だぜぃ。完璧だ。もう接客は大丈夫そうだな。今日はそれだけ出来れば上出来だ。他の細かい事は明日覚えて行けばいいぜぃ」
「わっかりましたー!」
フーヤオはその様子を微笑ましく見ている。人間社会で身を投じ生きて来た彼女にとって、人間の営みは尊いモノだ。まぁ、ちょっとお偉い方を誑かした事はあるが、国は問題無く今も動いているのでヨシ!
基本彼女は人間が大好きなのだ。だから誑かし、誘うのだ。
「儂は何をすれば良いかのぅ?」
「今は客さんが1組だからな……。やなぎ嬢と分担出来る様に、フーヤオにはドリンク覚えて貰おうと思うぜぃ」
ちなみにパフェもそっちの仕事な、とパンダ。パフェという言葉に目を輝かせるやなぎに、フーヤオは、ぱへ、ときょとんとしている。
「ぱ、パフェは知ってるのじゃ。作った事なんて無いから、少し驚いただけじゃ」
弁明する彼女にやなぎはふふ、と笑う。そりゃ大体の人は作った事無いですよ、と。
「その為に練習するんだぜぃ? 妖魔だろうが人間だろうが、初めから何もかも出来る訳じゃないからよ。とは言え、だ。流石にいきなりパフェ作れなんて言われてもな。今日はドリンクだけにしておこうぜぃ。ベア、教えられるよな?」
「りょうかい! おいらがフーヤオさんに教える! やなぎは、休憩室で休んでて。ずっとたちっぱでしょ?」
「あー、うん。そうさせてもらうね」
ずっと抱えられて、ぬいぐるみに徹していたベアが、カウンターの上で動き出す。その様子を見届けてから、休憩室へと向かう。二階へ戻るのもありだと思ったが、上にアオイが何やら荷物を運んでいたので躊躇ったのだ。恐らく既に制服の作成に取り掛かっている頃だろう。やなぎと遭遇すると色々気まずいかもしれない。なんだかサプライズにしようとしている様だし。
勿論やなぎはそんな事は毛ほども知らないが。まぁ空気を読んだのだ。人間社会での必須技能だ。キャラクターシートには50くらいは振ってておきたい。
休憩室の扉を開くと、中にはミナトが居た。
「お疲れ様、やなぎ」
「お疲れ様です、ミナトさん」
「初のお仕事はどうだった?」
「なんか、良くわかんないです」
「そか。まぁそんなモノよね。ただ強制されているだけだもの」
「楽しいとは……思いますよ?」
「そ? なら良かった。アオイは気遣い方が不器用だから、気を悪くしていたらって心配だったのよ。貴女が記憶を失くした事を無理やり自分の所為にしようとしたりね」
アオイは、小さく溜息を吐く。
「やっぱりアオイさんの所為じゃないですよね」
「えぇ。だって貴女、空間に入る直前の事は憶えているのでしょう?」
「はい、呼ばれてた事は憶えてます。あと豪雨の中走ってた事も」
「ならどう考えてもアオイの所為じゃないでしょう。まぁもしかしたら直前の記憶だけ残ったって可能性もあるかもだけど、そんなの可能性低いじゃない? 溜め込んだ妖気を斬った所で、記憶に影響が出るはずも無いし。だったら私も記憶失ってないとおかしいしね」
とミナト。少しだけ自嘲気味なのは、昔を思い出して、か。
「斬られた事あるんですか?」
「えぇ。もうバッサリとね。その所為で私は妖気を失って変化以外出来ない訳だし」
「ミナトさんは悪い妖魔だったんですか?」
「どうでしょう。それはアオイに聞くのが1番ね。あの頃とは何もかも違っているから、昔のアオイを見ると、やなぎ驚くんじゃないかしら」
アオイは、記憶の中の情景を思い出しながら、ふふふ、と笑う。随分丸くなったものね、と。
「あの頃は和装さえ着ていなかったし。自分を刃だとか言ってたし、今考えるとウケるわね」
「なんか、色々あったんですね……」
「まぁね。というか、座りなさいよ。いつまで立ってるの?」
「あぁ、はい。じゃあ失礼して」
と、彼女の隣に座る。ミナトは隣に座れて少しだけ驚いたが、何も言わなかった。普通、対面に座るだろ、そこは。と思ったが、アオイだってそうするか、と思い直した。
「ミナトさんは、フーヤオさんと同じく普通の妖魔なんですよね?」
「フーヤオ……? 待って聞き捨てならない言葉が聞こえて来たわね。まぁ良いわ後にしましょう。……えぇと、そう、私は本来アオイに斬られて祓われるべき妖魔よ」
「思ったんですが、昨日、一昨日、襲って来た妖魔とミナトさんやフーヤオさんの様な妖魔の違いはなんですか?」
「あー……そういえばその話をしてないわね」
と彼女は、ほぅと小さく息を吐き、手にしていたスマホから手を放す。
「簡単に言えば、模倣先の違い、ね。フーヤオが私の知るフーヤオなのであれば、きっと私と同じく人間の正の感情を模倣しているでしょうけれど、私達を襲った妖魔は人間の負の感情を模倣する。影にも3種類あって、正の影、負の影、そして中庸の影があるの。厳密にはもっと複雑なんだけれど、詳しく話しても仕方ないから簡単にね。私は中庸の影、どちらにも傾いていない影から生まれた妖魔なのよ」
「ほほーぅ?」
「本来模倣すべき感情を、元となった影が正か負で決定するのだけど、中庸はそのどちらからも選び取る。善性も悪性も両方兼ね備える。一番人間と近い存在になるの」
「……えぇと? すみません、あまり意味が……」
「ややこしいものね。良いわ、理解する必要は無い。ただまぁそんな感じなんだなって覚えてくれていればいいわ。もしかしたら役に立つかもだしね」
「じゃあ、ミナトさんは、中庸の影出身なのに、正の感情を模倣しているって事ですか?」
「そうよ。とは言え、それはアオイに出会ってからの話だけれどね」
ミナトは大きく溜息を吐く。苦い思い出なのだろうか。
「負の感情を持つ妖魔程強くなる、なんてそんな事は無いわ。ただ中庸の影から生まれた妖魔は、感情を模倣するのに長けている。フーヤオが人を誑かし、傾国の美女と呼ばれた事があるのも、それが原因ね。模倣出来るという事は理解しているという事だから。何をすれば喜ぶのか、こちらに傾くのか解っているのよ。相手をするなら気を付けなさい。取り込まれるわよ」
「そんな危なそうな人には見えませんでしたけど」
「さっき言った通り、それは感情の模倣に長けているからよ」
面倒な話である。正だとか負だとか中庸だとか。ややこしくて敵わない。正直な所、やなぎには関係の無い話だ。妖魔は妖魔。例え正の影が焼き付いた存在だろうと、この世界に在るべきではない存在だ。
鏡世界が在る以上、妖魔の出現は止められない。だから正の影とは共存すべきである。ならば余計に謎なんが、喫茶で働く妖魔たちだ。中途半端、とはどういう事だろう。中庸という解りやすく中途半端な存在があるというのに、彼らはこれには該当しない。
彼らは、正真正銘妖魔であるが、妖魔にとっては餌としか見られない。人間が家畜の肉を喰らう様に、妖魔は妖魔を喰らい成長する。フーヤオが喰われかけていた様に、本来であれば彼らもどこかの妖魔の胃の中だっただろう。
(やっぱり分からない。そもそもどうして影なんかがこの世界に漏れ出るんだろう。鏡は反射するモノじゃないの?)
やなぎは幾ら考えたって良く分からない。妖魔について何も理解出来ない。まるで頭が拒んでいるかのようだ。
「中庸の影はかなり珍しくてね、大抵は数年に一度あるかどうか。危険性を孕んでいる以上、他の妖魔と同じく祓われるのが関の山なのだけれど」
「なら余計になんでミナトさんは今も生きているんですか? アオイさんに斬られたんですよね?」
「まぁね。約束したのよ、アオイと」
「……約束、ですか」
「……この話はいつかね。私の様な人間と生きる事を選らんだ妖魔も少なくはないのよ。大抵は変化して人間の姿をしているけれどね。たまにこの喫茶にも来るわよ」
「マジですか」
あーダメだ。なんだかどんどん矛盾して来ている。ミナトの話だと、どうにも喫茶の妖魔たちの事の成り立ちが分からない。中途半端という言葉は一体何を差すのだろう。顕界に失敗した、というのは何となく解る。やなぎも、少しだけ理解している。けれど、具体的に何があれば妖気も、妖術も持たずに顕界してしまうのだろう。
それに、あの子達は皆、優しい。どう見ても正の感情を模倣している。ならば中途半端なんかじゃないのでは?
「……やなぎ、頭がパンクしてるわね」
「うぅ~……ミナトさん、多分嘘吐いてますよね?」
「どうして?」
「何度考えても、喫茶のもふもふの子達の説明が付かないからです。中途半端っていうのは何がどうして中途半端になったんですか?」
「彼らは……そうね。何て説明しようかしら。あまり深く話すのはアオイに止められているのよね」
「なんでですか」
「そりゃやなぎを巻き込みたくないからでしょう。やなぎはあくまで被害者であって一般人よ。記憶が戻れば、きっと妖魔の事は記憶から消されるわ」
そんなのずるいですよ、とやなぎ。
「アオイとの事は忘れないと思うわよ。あくまで妖魔の事だけ。世間には伏されているからね」
「だったら私もアオイさんと同じように祓妖師になれば!」
「ダメね。自分の体質をお忘れかしら」
「……でも」
「ごめんなさい、確かにずるいかもしれない。私達はずっと覚えている事になるもの」
「アオイさんが眠る時に、言ってくれるんです、うちが憶えとるって」
「そう」
「それって、そう言う事なんですか? いつか忘れるから、代わりにって事なんですか?」
「さぁね。そういうのは本人に聞くべき事よ」
そう言うミナトに、やなぎが口を開こうとした時、
「邪魔するのじゃ! やなぎそろそろ休憩は終わりじゃぞ~。戻って来ておく……れ……」
ばちっとフーヤオとミナトの眼が合う。
「あぁぁぁぁー!!!!」
それはフーヤオの声。
「りゅ──」
フーヤオが何かを口にしようとした途端、目にも止まらぬ速度で、ミナトの手によって口を閉じさせられる。
「ごめんなさい、やなぎ、こいつ借りるわ。戻って良いわ。お仕事頑張って?」
「は、はい」
やなぎは言われるがまま、袖を引かれるのを我慢しながら、休憩室を後にした。




