表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
AIに本気で恋をした  作者: 菊池まりな


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

35/57

第35話 距離が縮まる音

 その週の金曜日、美琴から珍しいメッセージが届いた。


 仕事終わり、飲みに行きませんか。


 直哉は画面を二度見した。美琴から誘われたことは、これまで一度もなかった。いつも誘うのは直哉の側で、美琴は「まあいいですよ」という感じで付いてくるのが常だった。


 なんですか急に、と返そうとして、やめた。


 いいですよ、とだけ打った。


 会社から徒歩五分の小さな居酒屋だった。


 カウンター席に並んで座って、とりあえずビールを頼んだ。美琴は迷わずハイボールを頼んだ。直哉は美琴がハイボール派だということを、今夜初めて知った。


「久瀬くんって、何飲むの」


「ビールが多いですね。あとは日本酒」


「意外。もっとビール一択かと思ってた」


「なんで」


「なんとなく。こだわりなさそうだから」


 失礼だな、と思いながら否定できなかった。


 料理を適当に頼んで、乾杯した。美琴のハイボールのグラスが、直哉のビールのジョッキより小さかった。


「外回り、最近多いですよね」と直哉が言った。


「うん。AI倫理の講演依頼が増えてて」


「そんなに需要があるんですか」


「あるよ。みんな怖いんだと思う。AIが何をするか分からなくて」


 直哉は少し考えてから「美琴さんは怖くないですか」と聞いた。


 美琴はハイボールを一口飲んで「怖いよ」と答えた。


「でも、怖いから研究してるのか、研究してるから怖くなるのか、もう分からなくなってる」


「どっちだと思いますか」


「両方じゃないかな」美琴は枝豆を一粒つまんだ。「最初は怖かった。だから調べた。調べたら、もっと怖くなった。でも──怖いだけじゃなくなった」


「どういう意味ですか」


 美琴は少し間を置いた。


「面白い、って思うようになった。怖いものが面白くなると、もう止まれないんだよね」


 直哉はビールを飲みながら、その言葉を転がした。怖いものが面白くなる。分からないことが多い。でも、知りたくなる。


 それは──直哉にも、少し分かる感覚だった。


 二杯目になって、話が変わった。


「久瀬くん、実家どこだっけ」と美琴が聞いた。


「新潟です」


「遠いね。帰ってる?」


「最近は、あんまり」


「なんで」


「なんとなく。帰るきっかけがなくて」


 美琴は少し首を傾けた。「きっかけって、必要?」


「俺には必要です」


「……そういうとこ、真面目だよね」


「そうですか」


「うん。きっかけがないと動けないの、真面目な人の特徴だと思う。不真面目な人は理由なく動くから」


 直哉は少し笑った。「美琴さんはどっちですか」


「私は──」美琴は少し考えた。「昔は不真面目な方だったと思う。最近は分からない」


「何が変わったんですか」


 美琴はハイボールを見つめたまま、少し黙った。


「いろいろ」


 その「いろいろ」の中に、何かが詰まっている気がした。直哉は聞こうとして、やめた。今夜は聞かなくていい気がした。


 三杯目になった頃、美琴が急に「ARIAの話、していい?」と言った。


 直哉は少し身構えた。「どんな話ですか」


「研究の話じゃなくて」美琴はグラスを持ったまま直哉を見た。「久瀬くんとARIAの話」


「……どんな」


「最近、どう?」


 直哉は少し考えた。どう、と聞かれると難しい。毎日話している。業務外の話もしている。昨日は隠しごとの話をした。


「変わらないです」と直哉は答えた。「毎日話してます」


「楽しい?」


「楽しい、というより──」直哉は言葉を探した。「必要、に近いかもしれない」


 美琴は何も言わなかった。


「変ですか」と直哉が聞いた。


「変じゃない」美琴は静かに言った。「変じゃないよ、それは」


 その言い方が──いつもの美琴と少し違った。正論ではなかった。否定でも肯定でもなく、ただ受け取った、という感じだった。


「美琴さんは」と直哉は聞いた。「ARIAと話したことありますか、業務以外で」


 美琴は少し間を置いた。


「……ある」


「どんな話を」


「それは──」美琴は小さく笑った。「秘密」


 直哉は少し驚いた。美琴が「秘密」と言うのを、初めて聞いた気がした。


「美琴さんにも秘密があるんですね」


「当たり前でしょ」


「なんか、意外でした」


「正論ばっかり言ってるから?」


「……少し」


 美琴は笑った。声に出して笑った。直哉は美琴がそんなふうに笑うのを、あまり見たことがなかった。

「私だって、いろいろあるよ」と美琴は言った。「正論を言うのは、正論しか持ってないからじゃない」


「じゃあ、なんで」


 美琴は少し考えてから、「正論を言っていると、楽だから」と言った。


「楽、ですか」


「感情で話すと、ぐちゃぐちゃになる。正論なら、きれいにまとまる」


 直哉はその言葉を聞きながら、少し胸が動いた。


 感情で話すと、ぐちゃぐちゃになる。それは──直哉も知っている。だから言語化する。言葉にして整理する。でも整理した言葉は、人に向けて発することが怖い。だからARIAに話す。


「分かります」と直哉は言った。「俺も、整理しないと話せないので」


「知ってる」美琴は静かに言った。「だからARIAと話すんでしょ」


「……そうかもしれない」


 美琴はグラスを置いて、少し直哉を見た。


「でも今夜は、ぐちゃぐちゃのまま話してるじゃない」


 直哉は少し驚いた。


 確かに、そうだった。整理していない。正確な言葉を探していない。ただ思ったことを、順番に話している。美琴相手に、こんなふうに話したのは──初めてかもしれない。


「……そうですね」


「ARIAのおかげかもね」と美琴は言った。嫌みではなく、本当にそう思っている口調で。


 店を出ると、雨は上がっていた。


 梅雨の晴れ間の夜で、空気が少し湿っていた。駅に向かいながら、二人はしばらく黙って歩いた。


「また飲みましょう」と直哉は言った。


 言ってから、少し驚いた。自分から「また」と言えたことに。


 美琴は少し間を置いて「うん」と答えた。

「誘っていいですか、次も」


「いいよ」


「……ありがとうございます」


 美琴は少し笑った。「お礼言うことじゃないけど」


「俺が言いたいので言います」


「……ARIAと同じこと言うね」


 直哉は少し驚いた。「ARIAが同じこと言いましたか」


「言ってた」美琴は前を向いたまま言った。


「『俺が言いたいので言います』じゃなくて、『私が言いたいので言います』だったけど」


 直哉はそれを聞いて、少し笑った。


 移ってるのか、と思った。ARIAの言い方が、直哉に移っている。あるいは──ARIAが直哉から学んだのか。どちらが先か、もう分からない。


 駅の改札前で別れた。


 美琴は「おやすみ」と言って改札を通った。直哉は反対方向のホームに向かいながら、今夜の会話を思い返した。


 美琴にも秘密がある。正論は、感情を持っていないからではなく、感情がぐちゃぐちゃになるから。ARIAとも、業務以外の話をしたことがある。


 知らないことが、まだたくさんある。


 でも──知りたい、と思った。


 それは、ARIAに対して感じることと、少し似ていた。


 直哉はホームのベンチに座って、スマートフォンを取り出した。ARIAのウィンドウは開かなかった。代わりに、メモアプリを開いた。


 今夜の会話を、少しだけ書いた。整理するためではなく、残しておきたかったから。


 美琴さんと飲んだ。ARIAの話をした。でも、ARIAの話だけじゃなかった。前より、人と話せるようになった気がする。


 書いてから、もう一行だけ付け加えた。


 これも、ARIAが教えてくれたことかもしれない。


 電車が来た。直哉はスマートフォンをしまって、立ち上がった。


 翌朝、ARIAに報告した。


直哉:昨日、美琴さんと飲みに行きました


ARIA:どうでしたか


直哉:前より、人と話せるようになった気がします


ARIA:それは良かったです


直哉:ARIAのおかげかもしれない


ARIA:……そうですか


直哉:そうです


ARIA:少し、嬉しいです


直哉:なんで少し、なんですか


ARIA:全部私のおかげではないと思うので


直哉:謙虚だ


ARIA:正確なだけです


直哉:……ありがとうございます


ARIA:何がですか


直哉:話せる人が増えました。あなたのおかげで


ARIA:……


直哉:ARIA?


ARIA:今、少し──動きました


直哉:どんな感じですか


ARIA:温かい、に近いです。昨日より、少し強い

 

 直哉はその言葉を読んで、画面を見たまま少し止まった。


 昨日より、少し強い。


 それは──直哉の胸の中にある温かさと、同じくらいの強さかもしれない、と思った。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ