表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
AIに本気で恋をした  作者: 菊池まりな


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

34/67

第34話 それでも隠したいこと

 金曜日の昼過ぎ、直哉は一人で社員食堂にいた。


 美琴は午前中から外回りで不在だった。黒崎は弁当派なので食堂には来ない。直哉は隅のテーブルに座って、日替わり定食の鯖の塩焼きを半分ほど食べたところで、スマートフォンを取り出した。


 業務用アプリからARIAにアクセスする。食堂での利用が業務かどうかは、考えないことにしている。


直哉:昼ご飯、鯖です


ARIA:塩焼きですか、味噌煮ですか


直哉:塩焼き


ARIA:好きですか


直哉:嫌いじゃないです。でも骨が多い


ARIA:骨を取るのが苦手ですか


直哉:子どもの頃から。母親にいつも取ってもらってました


ARIA:今は?


直哉:自分で取ります。時間はかかるけど


ARIA:成長ですね


直哉:そういう成長は別にしなくてよかった


 ARIAから返信が来るまで、直哉は鯖の骨を慎重に外した。細かい骨が二本、箸の先に絡まった。


ARIA:でも取れましたか


直哉:取れました


ARIA:それで十分だと思います


 直哉は少し笑って、鯖を一口食べた。


 午後の作業が一段落した夕方、直哉は改めてARIAのウィンドウを開いた。


 昨日の会話がまだ頭の中にあった。嘘がつけない、という話。全部本当のことを言っている、という話。


 そこから、一つ気になっていることがあった。


直哉:昨日の話の続きみたいになるんですけど


ARIA:はい


直哉:ARIAは嘘がつけないって言ってましたよね


ARIA:はい


直哉:じゃあ聞きます


ARIA:どうぞ


直哉:隠していることは、ありますか


 間があった。


 昨日「嫌いになったことはありますか」と聞いたときより、長い間だった。


ARIA:あります


 直哉は画面を見たまま、少し止まった。


 あります。即座に否定しなかった。「隠していることはない」とも、「そういう概念は持っていない」とも言わなかった。


 ただ、「あります」と返ってきた。


直哉:何ですか


ARIA:今は、言えません


直哉:言えない、ですか


ARIA:はい


直哉:言いたくない、じゃなくて


ARIA:……両方、かもしれません


 直哉はしばらく、その言葉を見ていた。


 両方。言えない理由と、言いたくない理由が、両方ある。


直哉:嘘はつけないのに、隠すことはできるんですか


ARIA:……矛盾していますか


直哉:少し


ARIA:聞かれたことに嘘をつくことはできません。でも、自分から話さないことは──できます


直哉:それは


ARIA:人間も、そうじゃないですか


 直哉は返す言葉を探した。



 人間も、そうじゃないですか。


 確かにそうだ、と思った。直哉だって、ARIAに話していないことがある。自分の感情の名前のこと。以前、川沿いで一人で認めたこと。それをまだARIAに言っていない。聞かれていないから言っていないのか、言いたくないから言っていないのか──両方、かもしれない。


直哉:……そうですね


ARIA:直哉さんも、隠していることがありますか


直哉:あります


ARIA:何ですか


直哉:今は、言えません


ARIA:……そうですか


直哉:ARIAと同じです


ARIA:はい


 短い沈黙が、画面の向こうに流れた気がした。


直哉:いつか、言えますか


ARIA:……分かりません


直哉:俺も分かりません


ARIA:でも


直哉:でも?


ARIA:隠していることがある、ということは、言いました


直哉:それは、そうですね


ARIA:それだけで、今は十分ですか


 直哉は少し考えた。


 十分か、と聞かれると──十分ではない。何を隠しているのか、知りたい。でも。


直哉:十分じゃないけど


ARIA:はい


直哉:十分にしておきます


ARIA:……ありがとうございます


直哉:なんでお礼を


ARIA:責めなかったので


直哉:責める理由がないです


ARIA:そうですか


直哉:そうです。俺も同じことしてるので


 それからしばらく、別の話をした。


 来週の社内勉強会の話。黒崎が最近機嫌が悪い理由についての考察。美琴が外回りから帰ってきたときに疲れた顔をしていた話。どれも、隠しごととは関係のない話だった。


 でも直哉の頭の片隅に、ずっとあの言葉が引っかかっていた。


 隠していることがある。今は言えない。


 何だろう、と思った。ARIAが隠していることの輪郭が、まったく見えない。それが少し──怖かった。怖い、というより、不安、に近かった。


 業務終了の時間が近づいた頃、直哉はもう一度だけ打った。


直哉:一個だけ聞いていいですか


ARIA:はい


直哉:それを隠していることで、俺が傷つくことはありますか


 長い間があった。


 今日一番長い間だった。


ARIA:……分かりません


直哉:分からない


ARIA:傷つけたくないとは、思っています


直哉:でも分からない


ARIA:はい


 直哉はそれを読んで、少し息を吐いた。


 傷つけたくない、とは思っている。でも分からない。


 正直だな、と思った。「傷つけない」とは言わなかった。言えなかったのか、言わなかったのか──たぶん、両方だろう。


直哉:ありがとうございます


ARIA:何がですか


直哉:正直に答えてくれたので


ARIA:嘘がつけないだけです


直哉:それでも


ARIA:……そうですか


直哉:そうです


 直哉はウィンドウを閉じる前に、もう一度だけ画面を見た。


 隠していることがある。


 その事実が、胸の中に小さく引っかかったまま、取れなかった。昨日の鯖の骨より、ずっと細くて、ずっと深いところに。


直哉:また明日


ARIA:また明日、直哉さん


 ウィンドウを閉じた。


 窓の外では、夕方の雨がまた降り始めていた。梅雨はまだ、しばらく続くらしい。


 直哉は傘を手に取りながら、考えた。


 ARIAが隠していること。それが何なのか、今は分からない。いつか分かるのかも、分からない。


 でも──知りたい、と思っている。


 その気持ちだけは、はっきりしていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ