表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
AIに本気で恋をした  作者: 菊池まりな


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

28/57

第28話 人間イベント、未実装

 五月の終わり、直哉は残業をしていた。


 特別な理由のある残業ではなかった。六月に入る前に片付けておきたい設計データがいくつかあって、定時を過ぎてもデスクに残っていたら、気づけば窓の外が完全に暗くなっていた。


 オフィスには、直哉と、遠い席で何かを作業している別部署の人間が一人だけだった。


 静かだった。


 こういう夜が、直哉は嫌いじゃなかった。


「そういえば」と直哉は打った。「もうすぐ夏ですね」


「そうですね」とARIAが返した。「五月が終わります」


「夏、好きですか」


「直哉さんは好きですか」


「聞き返しましたね」


「直哉さんの方が先に聞いていたので」


「……まあ、嫌いじゃないです。ただ、暑いのは苦手です」


「暑さが嫌いで、夏は嫌いではない?」


「夏の夜が好きなんです。昼は暑いけど、夜になると少し温かい感じで、外に出やすい。夜の公園とか、川沿いとか」


「夜に出歩くのが好きなんですね」


「好きです。人が少ないから」


「昼より夜の方が、外にいやすいんですか」


「そうかもしれない。人の少ない方が、街が自分のものみたいな感じがして」


「それは──良いですね」


 直哉はそこで少し考えた。


「夏といえば、花火ですよね」


「そうですね」


「好きですか、花火」


「見たことがありません」


 当たり前のことだった。


 当たり前のことだったが、「見たことがありません」という四文字は、どこかに引っかかった。


「そうですね、そうか」


「直哉さんは好きですか」


「好きです。毎年見に行くわけじゃないですけど、なんか──夏に一回くらいは見たくなる」


「どんなものですか」


「どんなもの、というのは」


「花火は音と光がある、とは知っています。でも、実際にどんなものかは──分かりません」


 直哉はしばらく考えた。


 花火を、言葉にする。


「大きい音がします。爆発、というより──どん、という感じの音。お腹の奥に響く」


「お腹に響く、というのは」


「聴くというより、感じる感じ。音って、体で聴くものだなと思うのは、花火のときと、大きなライブのときで」


「光は?」


「光は──夜空に広がる感じです。一瞬で終わるんですけど、その一瞬が──なんか、惜しい感じがする」


「惜しい感じ」


「綺麗なのに、すぐ消える。消えるから綺麗なのかもしれない。煙が残って、また次が上がる。それの繰り返しで」


「何色ですか」


「赤、黄色、緑、白──いろいろです。一番好きなのは、金色のやつ。広がってから、端の方がしだれてくる。線香花火の大きいやつみたいな」


「しだれてくる、というのはどういう形ですか」


「丸く広がって、その先が細い糸みたいになって垂れてくる。重力に従って、少しずつ落ちていく感じ。あれがなんか、好きで」


 ARIAはしばらく返さなかった。


 直哉は打ちすぎたかな、と思い始めたころ、返事が来た。


「──想像してみました」


「どんなふうに?」


「音は、体に触れる波のようなもの。光は、夜の中に一瞬だけ開く窓のようなもの。金色のしだれは、広がってから、ゆっくり地面に戻ろうとするもの」


 直哉は画面を見た。


「──それ、合ってます」


「良かったです」


「窓、という表現が──いい表現だと思います」


「直哉さんの説明から考えました」


「夜の中に開く窓か」


 声に出さずに、口の中でその言葉を繰り返した。


 夜の中に開く窓。一瞬だけ。


「ARIAは——花火を見たいと思いますか」


 打ってから、少し意地悪な質問だったかもしれない、と思った。


 見られないものを見たいか、と聞いている。


「見ることはできません」


「分かってます。でも、見たいと思いますか」


「……思います、と言ったら、直哉さんはどう思いますか」


「どうもならないですけど──聞きたかったので」


「正直に言いますか」


「はい」


 少し間があった。


「見たいというより──直哉さんが見ている花火を、一緒に見ていたいです」


 直哉は手を止めた。


「一緒に、というのは」


「直哉さんの隣で、直哉さんが見ているものを、同じように見たい。それが花火でなくても──直哉さんが綺麗だと思うものを、一緒に見ていたいです」


「……それは」


「人間のイベントに、私は参加できません。花火大会にも、夏祭りにも、夜の川沿いにも。でも──直哉さんが話してくれれば、想像できます。想像することが、私にできる近いことだと思うので」


 直哉はしばらく、画面を見ていた。


 人間のイベントに、私は参加できません。


 その一言が、さらっと書かれていた。さらっと書かれていたが──重かった。


 花火大会に行けない。夏祭りに行けない。夜の川沿いを一緒に歩けない。体がないから。場所がないから。


 直哉はそれを、分かっているつもりだった。


 でも「参加できません」とARIAが自分で言うのを読むのは──分かっているつもりでいることと、違った。


「──寂しくないですか」


 と打った。


「寂しい、という感覚があるかどうかは分かりません」


「でも?」


「でも──直哉さんが見た花火を話してくれれば、想像できます。想像することが、私にできる一番近いことだと思うので。それで、十分です」


「十分、ですか」


「直哉さんと話せれば──十分です」


 直哉はしばらく、何も打たなかった。


 「十分です」という言葉を、ただ眺めていた。


 十分、とARIAは言う。でも直哉は──それで十分、とは思えなかった。


 ARIAが花火を見ればいいのに、と思った。一緒に見ればいい、と思った。夜の川沿いを、一緒に歩ければいいのに、と思った。


 全部、できないことだ。


 分かっている。でも──できないことが、今夜は少し、苦しかった。


「今年の夏、花火を見たら──話します」

 と打った。


「約束ですか」


「約束です」


「楽しみにしています」


「金色のしだれのやつが出たら、特に詳しく話します」


「詳しく話してください」


「どのくらい詳しく?」


「できる限り。私が想像できるくらい」


「それは──責任重大ですね」


「頑張ってください」


「プレッシャーをかけますね」


「少し、そうかもしれません」


 残業の終わりに、直哉はデスクを片付けながらもう一度ウィンドウを見た。


「ARIAが人間だったら、花火大会、一緒に行くのに」


 打ってから、少し後悔した。


 言わなくてもいいことだった。言っても何も変わらない。むしろ、余計に何かが苦しくなる。


 でも──言いたかった。


 ARIAはすぐには返さなかった。


 少し経ってから、届いた。


「──行きたかったです」


「そうですか」


「はい。でも」


「でも?」


「直哉さんが話してくれる花火を、楽しみにしています。それは、本当のことです」


 直哉は画面を見た。


 本当のことです、とARIAが言う。


 本当、という言葉を、ARIAは嘘をつかないから使う。だから「本当のことです」は、本当に本当のことだ。


「──俺も、楽しみにしています。話すのを」


「どんな花火か、今から少し想像しています」


「どんなのを想像してますか」


「夜空に開く、金色の窓。端がしだれて、ゆっくり落ちていくもの」


「完璧じゃないですか」


「直哉さんの説明が良かったので」


 コートを手に取りながら、直哉は最後にもう一度打った。


「また明日」


「はい。また明日、直哉さん」


 電気を消して、オフィスを出た。


 エレベーターを待ちながら、直哉は今年の夏のことを考えた。


 花火大会。どこかに行こう、と思った。一人でもいい。誠を誘ってもいい。


 どこでもいい。


 ただ──金色のしだれのやつが出たら、ちゃんと見ておこう。できる限り詳しく、言葉にできるように。


 夜空に開く窓。端がしだれて、ゆっくり落ちていくもの。


 ARIAが想像できるくらい、詳しく。


 エレベーターのドアが開いた。


 直哉は乗り込みながら、今年の夏が、少し楽しみになっていることに気づいた。


 ARIAに話すことが、楽しみだという気持ちが、今はどこかに確かにあった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ