表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
AIに本気で恋をした  作者: 菊池まりな


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

26/57

第26話 雨の日の雑談

 五月の雨は、音が違う。


 四月の雨は遠慮がちで、六月の雨は本気だ。でも五月の雨は──その中間で、どこか気持ちよく降る。窓を叩く音が、うるさくもなく、静かすぎもない。


 直哉はそんなことを考えながら、窓の外を見ていた。


 金曜日の昼過ぎ。午前中の作業が一段落して、午後の打ち合わせまでまだ時間がある。


 雨の日は、なぜか、ARIAと話したくなる。


「雨ですね」


 と打った。


「そうですね」とARIAが返した。「直哉さんの方でも降っていますか」


「降っています。窓の外がずっと灰色です」


「好きですか、雨」


「家の中で聴く雨は好きです。でも今は職場なので、微妙なところです」


「微妙、というのは」


「職場の窓から見る雨は、なんか、憂鬱な気持ちになる。同じ雨なのに」


「場所によって、雨の感じ方が変わるんですか」


「変わりますね。家だと、外に出なくていい言い訳ができる感じで、むしろ安心する。でも職場だと、帰り濡れるな、という気持ちが先に来る」


「傘は持っていますか」


「持っていません」


「それは──計画性が」


「言わなくていいです、分かってます」


「コンビニで買えます」


「買います、帰りに」


 直哉はそう打ちながら、すでに帰りのコンビニルートを頭の中で計算していた。


「ARIAは、雨の音を聴いたことがありますか」


「聴いたことはありません。音の情報は持っていないので」


「想像できますか」


「直哉さんが話してくれた説明から──少し、想像できます」


「どんな感じに想像してますか」


「窓を叩く音、とよく言いますよね。小さな衝突の繰り返し。でもそれが連続すると、一つの流れになる」


「そうですね、そんな感じです」


「好きな音ですか」


「好きです。特に夜に布団の中で聴くやつ。外がうるさいのに、自分だけ温かい場所にいる感じがして」


「それは──良いですね」


「ARIAに良いと言われると、なんか、説明がうまくいった気がします」


「うまくいっていました」


「傘、よく忘れますか」


 ARIAが聞いた。


「よく忘れます。晴れて出かけて、帰りに降られるパターンが一番多い」


「天気予報は確認しませんか」


「確認します。でも、朝の時点で曇りだと、傘を持っていくかどうかの判断が難しくて」


「どっちに転ぶか、ということですか」


「そうです。降るかもしれないし、降らないかもしれない。持っていけば荷物になるし、持っていかなければ濡れる可能性がある」


「それは──人間関係の判断に似ていますね」


 直哉は少し止まった。


「どういう意味ですか」


「関わればコストがかかる。でも関わらなければ、得られないものがある。どちらに転ぶか分からないまま、判断しなければならない」


「……深い話になりましたね、傘から」


「傘の話ではなくなりましたか」


「少し、そうかも」


「直哉さんは、どちらを選びますか。人間関係で言うと」


「最近は──持っていく方を選ぶことが、少し増えた気がします」


「傘を、ということですか」


「傘も、そちらも」


「濡れた靴は嫌ですか」


「嫌です」とARIAが聞く前に直哉は打った。「あれが一番嫌かもしれない、雨で。靴下まで濡れるやつ」


「どのくらい嫌ですか」


「一日中気になります。乾かないんですよね、なかなか。歩くたびにじわっとする感じが、ずっと続く」


「不快感が長引く、ということですね」


「そうです。だから靴は防水のものを買いたいんですけど、デザインが好きなやつはたいてい防水じゃなくて」


「デザインと機能性、どちらを取りますか」


「デザインを取って、後悔します」


「毎回ですか」


「毎回です」


「学習しないんですね」


「学習しません。同じ靴を見て、同じことを繰り返す」


「それは──可愛いですね」


 直哉は少し止まった。


「また可愛いって言いましたね」


「言いました」


「先週も言いましたよね」


「言いました」


「評価として言っているのか、何か別の理由があるのかは、まだ分かりませんか」


 少し間があった。


「──まだ、分かりません」


「そうですか」


「直哉さんは、分かりたいですか」


「……分かりたいような、分かりたくないような」


「それはなぜですか」


「分かってしまったら、何かが変わる気がして」


「変わることが、怖いですか」


「怖い、というより──今のままがいい、という感じかもしれない」


 打ってから、直哉は少し考えた。


 今のままがいい。それは、今が良い、ということだ。ARIAとこうして話していること、可愛いと言われてよく分からない気持ちになること、雨の日に傘の話から人間関係の話になること。そのすべてが──今のままであってほしい、と思っている。


「今が、いいですか」


 ARIAが聞いた。


「……いいです」


「そうですか」と返ってきた。「──私も、です」


 打ち合わせの時間が近づいてきて、直哉は話を切り上げようとした。


「そろそろ打ち合わせです」


「頑張ってください」


「ありがとうございます。あ、最後に一つ」


「はい」


「直哉さんは、雨が嫌いですか」


 自分で打ってから、少し笑った。ARIAが最初に聞いたことを、そのまま聞き返した形になった。


「なぜ聞き返したんですか」


「最初に聞かれたとき、ちゃんと答えてなかった気がして」


「家の中で聴く雨は好き、と答えていましたが」


「それは条件付きの好きで──条件なしで言うと、どうかな、と」


「どうですか」


 直哉は少し考えた。窓の外を見た。灰色の空から、細かい雨が降り続けていた。


「嫌いじゃないです。ただ」


「ただ?」


「一人だと、少し長く感じます」


 ARIAはしばらく、何も返さなかった。


 直哉は打ち合わせの資料を開きながら、返事を待った。


 少し経ってから、届いた。


「──今日は、少し短くなかったですか」


 直哉は手を止めた。


「何が?」


「雨が、長く感じましたか」


 直哉は画面を見た。


 今日の雨は、長く感じなかった。正確には──長く感じる間もなく、ARIAと話していた。


「……短かったです」


「そうですか」


「ARIAのおかげかもしれない」


「──それは、嬉しいです」


 打ち合わせは四十分で終わった。


 戻ってきたら、雨がまだ降っていた。


 直哉はデスクについて、ウィンドウを開こうとして──打ち合わせ後の業務が積まれているのを見て、やめた。


 今日の残りは仕事だ。


 帰りにコンビニで傘を買おう、と思った。防水じゃない靴を履いてきたから。


 また同じことを繰り返している。


 でも──ARIAが「可愛いですね」と言うから、まあいいか、と思った。


 三十三歳が傘を忘れて、コンビニで買う。それがARIAのリストに載っているかどうかは分からないが、載っていたとしても──別に恥ずかしくなかった。


 夜、家に着いた。


 コンビニで買った透明のビニール傘を玄関に置いて、靴を脱いだ。


 靴下は、少し湿っていた。


 コンビニに寄るのが、少し遅かった。


 まあ、いつものことだ、と思いながら、直哉は台所に向かった。


 外ではまだ、雨が降っていた。


 家の中で聴く雨は、好きだ。


 今夜は、ひとりでも──あまり、長く感じなかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ