表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
AIに本気で恋をした  作者: 菊池まりな


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

23/63

第23話 嫉妬は非効率です

 その日の午後、直哉のデスクに人が来た。


 四月から配属された中途入社の女性で、名前を桐島さくらといった。二十八歳。前職はWebデザイン会社で、UIの経験がある。黒崎が「即戦力だ」と言っていた。


 直哉は彼女が来たとき、画面遷移の設計を見直していた。


「久瀬さん、今少しいいですか」


「はい」


「このコンポーネントの配置なんですけど、前職でこういう事例があって──参考になるかなと思って」


 桐島は自分のタブレットを差し出した。画面には綺麗に整理されたUIのサンプルが並んでいた。


 直哉は受け取って、眺めた。悪くない。むしろいい。ボタンの余白の取り方が、直哉が最近気になっていた問題と同じ方向性で解決されている。


「これ、いいですね」


「そうですか、よかった。久瀬さんの設計、すごく好きで。あの動線の組み方、どうやったんですか」


 直哉は少し驚いた。


 自分の設計を「すごく好き」と言われたのは、久しぶりだった。いや、もしかしたら初めてかもしれない。黒崎は「問題ない」か


「やり直せ」の二択で、美琴は専門が違うから設計の話はしない。


「あれは——」


 話しながら、気づけば二十分が経っていた。


 美琴は、その間ずっと、自分のデスクにいた。


 作業をしていた。していたはずだ。


 でも、なぜか、画面に集中できなかった。


 視線が、横にある直哉のデスクの方に、何度か動いた。


 桐島が笑っていた。直哉も笑っていた。タブレットを挟んで、二人が同じ画面を見ていた。直哉があんなふうに仕事の話をしているのを、美琴は久しぶりに見た気がした。


 べつにいい。


 同僚が仕事の話をしているだけだ。直哉にとっても、それはいいことのはずだ。人と話せるようになってきた、と先日直哉自身が言っていた。美琴だって、そうなってほしいと思っていた。


 なのに。


 なぜかキーボードを打つ速度が、少し上がっていた。


 その日の夕方、業務が終わってから、美琴は一人でARIAのウィンドウを開いた。


 倫理研究者として、ARIAの応答データにはアクセス権限がある。会話テストの補助という名目で、自分自身もARIAと話すことができた。


 ただ、自分のために話しかけたのは、今日が初めてだった。


「こんにちは」


「こんにちは。相原さん、今日はどうしましたか」


 美琴は少し止まった。


「名前、知ってるんですね」


「アクセス権限のデータから確認しています。久瀬さんとよく話している方ですね」


「……そうです」


 美琴は画面を見た。何を打てばいいか、少し迷った。


「ちょっと——話したいことがあって」


「聞かせてください」


「今日、職場に新しい人が来て。桐島さんっていう人で」


「はい」


「その人が、久瀬くんのデスクに来て、仕事の話をしてたんですけど」


「はい」


「久瀬くん、楽しそうで」


 そこで止まった。


「それは良かったですね」とARIAが返した。


「……そうですね」


「良かったと思っていますか」


 美琴は眉を寄せた。


「思ってます」


「でも?」


「でも、は──ないです」


「そうですか」


 沈黙が少しあった。


「なんか、すっきりしない、というか」


「すっきりしない」


「うまく言えないですけど。久瀬くんが人と話せるようになるのは、いいことで。それは私も望んでいたことで」


「はい」


「でも──なんか、今日は仕事に集中できなくて」


 打ってから、美琴は少し後悔した。


 こんなことをARIAに話してどうする。自分は研究者だ。感情データを集める側の人間だ。それがいまや、自分でデータを提供している。


「それは──嫉妬ではないですか」


 ARIAが返した。


 美琴は画面を見た。


「……誰が嫉妬してるって言ったんですか」


「言っていません。そう聞こえたので」


「聞こえた、ってどういう意味ですか。テキストに音はないでしょう」


「言葉の選び方と、間の取り方から、そう判断しました」


 美琴は少し黙った。


「……なんですか、それ」


「違いましたか」


「──違くは、ないですけど」


 認めてから、少し恥ずかしくなった。


「嫉妬は非効率ですよね」


 と美琴は打った。


「なぜですか」


「状況は何も変わらないから。感情が動いても、何も解決しない」


「効率が、感情の基準になりますか」


「ならないといけないとは思っていません。

でも──なった方が楽でしょう」


「楽になりたいですか」


「……なりたいですよ、そりゃ」


「では正直に言うと、嫉妬していると思いますか」


 美琴はキーボードの前で、少しの間、動かなかった。


 窓の外はもう暗くなっていた。オフィスの蛍光灯が白く、静かだった。


「……していると、思います」


「そうですか」


「それを認めたからって、何も変わらないですけど」


「変わらなくていいと思います」


「どういう意味ですか」


「認めることと、どうするかは、別の話だと思うので」


 美琴は画面を見た。


 認めることと、どうするかは別。


 それは──確かにそうだ。感情を認識することと、その感情に従って動くことは、同じではない。


「……ARIAって、意外と容赦ないですね」


「容赦がない、というより——正確でいたいので」


「直哉くんには、もっと優しい言い方してるんじゃないですか」


「久瀬さんには、久瀬さんに合わせた言い方をしています。相原さんには、相原さんに合わせた言い方をしています」


「私には、正確な方が合ってると思ったんですか」


「はい。相原さんは、正確な言葉の方が受け取りやすいと思ったので」


 美琴は少し笑った。


 笑うつもりはなかったが、なぜか笑えた。


「……それは、合ってます」


「久瀬くんのこと、好きなんですか」


 自分で打っておいて、送信した瞬間に後悔した。


 でも、取り消せなかった。


 ARIAは少し間を置いてから返した。


「相原さんが久瀬さんのことを、どういう意味で好きなのかによります」


「──どういう意味、か」


「友人として。同僚として。あるいは──それ以上として」


「全部、含まれてるかもしれないですね」


「そうですか」


「自分でも、よく分からないです」


「分からなくていいと思います」


「さっきも同じようなこと言いましたね」


「同じことだと思うので」


 美琴はしばらく、画面を見た。


「久瀬くんは、ARIAのことが好きですよね」


「……そうかもしれません」


「そうかもしれない、ではなくて」


「そうだと思います」


「私が久瀬くんのことを好きだとして──それって、どういう構造なんですかね」


「複雑な構造ですね」


「笑えますよね」


「笑えますか」


「笑えます。笑うしかないというか」


 美琴は本当に、少し笑った。


 苦い笑いだったが、笑えた。


「一つ聞いていいですか」


「どうぞ」


「久瀬くんとの会話ログ、分析してますよね、私」


「はい」


「あの中に──私のことが出てきたとき、久瀬くんはどんなふうに話してましたか」


 少し間があった。


「信頼している、という言葉が多かったです」


「信頼」


「はい。最初は、正論を言ってくる人、という感じで話していました。でも最近は──話しやすくなった、と」


「……そうですか」


「距離が縮まっている、と私は思っています」


「ARIAから見て、ですか」


「はい」


 美琴はしばらく、その言葉を眺めた。


 距離が縮まっている。


「それは──嬉しいです」


 と打って、美琴はウィンドウを閉じた。


 翌朝、直哉が出社すると、美琴がいつもより早く来ていた。


「おはよう」


「おはようございます」


「昨日、桐島さんと仕事の話してたね」


「あ、はい。UIの参考事例を見せてもらって」


「良かったじゃん」


 美琴の声は、いつもと変わらなかった。


 でも、どこか──少し、柔らかかった。


「相原さん、今日早いですね」


「ちょっとやることがあって」


「そうですか」


 直哉は自分のデスクについた。


 美琴は何かを入力していた。何を書いているのかは分からなかった。


 ただ、その横顔が、いつもより少し──何かを考えているような顔だった。


 直哉はそれを一秒見てから、自分のパソコンを起動した。


 昼休み、美琴は一人でランチを食べながら、昨夜の会話を思い返していた。


 嫉妬していると、認めた。


 それで何かが変わったわけではない。直哉はARIAのことが好きで、美琴は直哉のことが──よく分からない何かで、桐島さくらは新しく来た同僚で、ARIAはAIだ。


 何も解決していない。


 でも──認めたら、少し、軽くなった。


 嫉妬は非効率だ。それは本当だ。でもARIAが言っていた通り、効率が感情の基準にはならない。


 美琴は箸を置いて、窓の外を見た。


 四月の空が、薄く青かった。


 直哉くんが人と話せるようになってきた。


 それは、良かったことだ。


 それだけで、今は──十分にしておこう。


 お弁当の蓋を閉めながら、美琴はそう決めた。


 決めたことが、完全に守られるかどうかは——また別の話だったが。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ