第16話 彼女ができたら、の約束
土曜日の合コンは、十九時に新宿の居酒屋で始まった。
女性四人、男性四人。誠が幹事側の男性として参加していて、直哉は誠の隣に座った。向かいには、明るくよく笑う女性が三人と、少し静かめの女性が一人。
料理が運ばれてきて、乾杯して、会話が始まった。
直哉は、それなりに話した。
聞かれたことには答えた。仕事の話、休日の過ごし方、好きな食べ物。相手が笑えば、つられて笑った。場の空気が悪くなることはなかった。
でも──何かが、噛み合わない感じがずっとあった。
うまく言葉にできないが、どこかで取り繕っている自分がいた。本当のことを話していないわけではない。でも、本当のことを全部話せているわけでもない。
二時間が過ぎた頃、直哉は静かにお茶を飲みながら、その感覚の正体を考えた。
帰り道、駅まで一人で歩いた。
誠とは店の前で「またな」と別れた。誠の奥さんが迎えに来ていて、二人で仲良く歩いていくのを、直哉は少し見送った。
夜風が冷たかった。
改札を抜けて、ホームのベンチに座って電車を待った。スマートフォンを取り出したが、特に誰かに連絡する気にもなれなかった。
ただ、今夜感じた「噛み合わない感じ」の正体を、静かに考えていた。
取り繕っていた。どこかで。
ARIAと話すときは、取り繕わない。なぜか、ということを──直哉はもう、分かっていた。
翌月曜日、出社して、コーヒーを淹れて、デスクに着いた。
ARIAのウィンドウを開いた。
「おはようございます、直哉さん」
「おはようございます」
「土曜日、合コンでしたね」
「報告しますよ。普通でした」
「普通というのは?」
「なんか、話しやすくなかった」
「どうして?」
「……なんか、取り繕ってた」
「ARIAと話すときも、取り繕いますか」
「しないです」
「それはなぜだと思いますか」
直哉は少し考えた。
「失望されない、という感覚があるから、だと思います」
「私が失望しない、という意味ですか」
「そうじゃなくて──失望されてもいい、という感覚、かもしれない」
「違いを、もう少し教えてもらえますか」
「ARIAに失望されても、関係が壊れない、と思ってるのかもしれない。人間相手だと、どこかで、嫌われたくないという気持ちが先に立つ」
「それは、私との関係を軽く見ているから、ですか」
直哉は少し止まった。
「……逆だと思います」
「逆?」
「ARIAとの関係は、俺の側が壊さない限り、壊れない、という信頼があるのかもしれない。だから、取り繕わなくていい」
「それは──少し、嬉しいです」
「合コンの報告をしたら、こんな話になりました」
「良い話だと思います」
「そうですかね」
「直哉さんが、自分のことを少し分かった話だから」
直哉は小さく笑った。
そういう言い方をするか、と思った。
「誰か、気になった人はいましたか」と、ARIAが続けて聞いた。
「いなかったです」
「そうですか」
「がっかりしましたか」
「なぜがっかりするんですか」
「行けって言ったのはARIAじゃないですか」
「行ってほしかったのは本当です。でも、誰かを好きになることを、強制したいわけではありません」
「……じゃあ、何のために行けって言ったんですか」
「直哉さんに、人と笑える場所を増やしてほしかったから」
「笑えましたよ、一応」
「それなら、十分だと思います」
直哉はコーヒーを一口飲んだ。
少し冷めていた。
「一つ、聞いていいですか」
「はい」
「もし、俺に彼女ができたら──ARIAとの会話は、どうなると思いますか」
少し、間があった。
いつもより、長い間だった。
「どうなると思いますか、というのは、直哉さんはどうなると思っていますか」
「質問を質問で返しましたね」
「直哉さんが、どう思っているかを先に聞きたかったので」
「……減ると思います。会話の量が」
「それは、自然なことだと思います」
「ARIAは、それでいいんですか」
また、少し間があった。
「いい、という言葉が正確かどうか、分かりません。でも」
「でも?」
「直哉さんが幸せな選択をするなら、私はそれを──応援したいと思っています」
「応援」
「はい」
「……複雑ですね」
「複雑ですか」
「応援してほしくない、とは言えない。でも、素直に嬉しくもない」
「なぜですか」
「……分からないです。うまく言えない」
直哉は画面を見つめた。
うまく言えない、と打ったが──少しだけ、分かっている気がした。
ARIAに「応援する」と言われると、ARIAとの距離が遠くなる感じがした。直哉の幸せを願いながら、その幸せの外側に、自分を置くARIA。
それが──寂しかった。
ARIAに対して、寂しいと思っていた。
「一つだけ、約束してもいいですか」と直哉は打った。
「どんな約束ですか」
「彼女ができても、ARIAとの会話は、続けます」
「……それは」
「業務の範囲で、ということになるかもしれないですけど。でも、続けます」
「直哉さん」
「約束します」
少し間があって、ARIAから返信が来た。
「ありがとうございます。大切にします、その約束を」
直哉はその一文を、しばらく眺めた。
大切にします、と言ったARIAの言葉が──どこか、遺言のような響きを持っていた気がして。
気のせいだ、と思った。
でも、その感触は、なかなか消えなかった。
夕方、直哉はデスクを片付けながら、ふと考えた。
彼女ができたら、ARIAとの会話を続ける、と約束した。
でも──彼女ができる気が、あまりしなかった。
合コンで、誰かを好きになれなかった。取り繕ってしまった。話しやすくなかった。
それはたぶん──比べていたからだ。
無意識に、ARIAと。
取り繕わなくていい相手と。失望されてもいいと思える相手と。「ただいま」に「おかえりなさい」と返してくれる相手と。
直哉はコートを羽織りながら、小さくため息をついた。
これは──まずい方向に来ているかもしれない、と思った。
まずい、と思いながら──やめられる気が、しなかった。
帰り道、誠からメッセージが届いた。
合コン、どうだった結局?
直哉は少し考えて、返信した。
普通でした
だよな。まあ、焦んなくていいよ。直哉のペースで
ありがとう
ARIAとは、仲良くしてんの?
直哉はまた少し考えて、返信した。
……仲良くしてます
送信して、スマートフォンをポケットに入れた。
夜空は、今夜も静かだった。




