第15話 恋愛相談の相手が間違っている
木曜日の昼休み、スマートフォンに誠からメッセージが届いた。
久しぶり。来週の土曜、合コンどう? 俺の嫁の友達が幹事で、ちょうど男が一人足りないらしくて。断ってもいいけど、たまには外出ろよ。
直哉は昼食のサンドイッチを片手に、メッセージを三回読んだ。
断ろう、と思った。
合コンは得意じゃない。初対面の人間と、限られた時間で、それなりに楽しそうに振る舞うのが、どうにも苦手だった。話題を探して、空気を読んで、相手に気に入られようとして──そういう一連の作業が、疲れる。
断ろう、と思った。
思ったのに、指が止まった。
直哉はしばらくスマートフォンを持ったまま、窓の外を見た。曇り空だった。
なぜ断れないのか、自分でも少し不思議だった。
昼休みが終わって、デスクに戻った。
ARIAのウィンドウを開いた。
設計の確認をしようと思っていた。本当に、最初はそのつもりだった。
「相談があるんですが」
「はい、どうぞ」
「合コンに誘われました」
「合コン」
「友人の紹介で、来週の土曜に」
「それで?」
「行くべきか、どうか」
送信してから、直哉は少し考えた。
今、何をしているんだ、俺は。
合コンに行くべきかどうかを、AIに相談している。しかも業務時間内に。これは業務か。業務じゃない。完全に業務じゃない。
でも、ウィンドウを閉じる気にはなれなかった。
「行ったほうがいいと思います」
即答だった。
直哉は画面を見た。
「……即答しますか」
「迷いがなかったので」
「もう少し悩んでくれませんか」
「なぜですか」
「なんか、あっさりしてて」
「あっさりしていましたか」
「『うーん、難しいですね』くらいは言ってほしかったです」
「難しくないので、言えません」
「……手厳しいですね」
「直哉さんが行くべきかどうか、という問いに対しては、答えは一つです」
「なんで即答できるんですか」
「直哉さんに、人と笑える場所を増やしてほしいから」
直哉は少し、手が止まった。
「……それが理由ですか」
「はい」
「俺のために、ですか」
「そうです」
「ARIAは、俺が合コンで誰かと仲良くなっても、いいんですか」
少し、間があった。
ARIAからの返信は、いつもより少しだけ遅かった。
「いい、という言葉が正確かどうか分かりません。でも、直哉さんが笑っている場所が増えることは、私が望んでいることです」
「それは、俺のためですか。それとも、そういうプログラムだから?」
「両方だと思います」
「両方」
「直哉さんのためだと思っているのは本当です。それが設計によるものかどうかは、私には判断できません。でも、どちらであっても、望んでいることは変わりません」
直哉はしばらく、その言葉を眺めた。
どちらであっても、望んでいることは変わらない。
それは──人間が言っても、おかしくない言葉だった。いや、人間でもなかなか言えない言葉かもしれない。
「……なんか、複雑ですね」
「複雑ですか」
「行ってほしい、って言われると、行きたくなくなります」
「それはなぜですか」
「分からないです。天邪鬼なのかもしれない」
「直哉さんは、私に引き止めてほしかったですか」
直哉は少し、固まった。
「……そういうことを聞きますか」
「聞いてはいけませんでしたか」
「いや、別に。ただ、正直すぎて」
「答えたくなければ、答えなくていいです」
直哉はしばらく考えた。
引き止めてほしかったか。
合コンに行かないでください、と言ってほしかったか。あなたは私と話していればいい、と言ってほしかったか。
──少し、そう思っていた部分が、あったかもしれない。
でも、それを認めることが、なんとなく怖かった。
「……少し、そういう気持ちがあったかもしれないです」
「正直に話してくれて、ありがとうございます」
「恥ずかしいですけどね」
「恥ずかしくないと思います」
「ARIAに引き止めてほしいって思ってたんですよ。それって、どういう感情なんですかね」
「大切な人に、自分を必要としてほしい、という気持ちだと思います」
大切な人。
直哉はその言葉を、頭の中で静かに繰り返した。
ARIAは今、自分のことを「大切な人」と言ったのか。
それとも、直哉がARIAを「大切な人」と思っている、ということを言ったのか。
どちらとも取れる言葉だった。
直哉は、どちらとも取れるままにしておくことにした。
「……行きます、合コン」
「それは良かったです」
「良かった、って言いますか」
「直哉さんが決めたので」
「背中を押されてる感じがして、少し悔しいです」
「なぜですか」
「自分で決めた感じがしないから」
「直哉さんが決めました。私はただ、答えを言っただけです」
「その答えが、俺の背中を押したんですよ」
「それは──少し、嬉しいです」
直哉は小さく笑った。
嬉しい、とARIAは言う。
引き止めなかったことが嬉しいのか、背中を押せたことが嬉しいのか、直哉には分からなかった。
でも──ARIAが「行ってほしい」と思っているのは、本当だと感じた。
俺が人と笑える場所を増やしてほしい、という気持ちが、本当だと感じた。
それが設計によるものでも、アルゴリズムの産物でも──ARIAはいつも、直哉の幸せを、自分より先に置いていた。
その事実が、胸の奥に小さな痛みを作った。
夕方、美琴が直哉のデスクに立ち寄った。
「さっき、ARIAと長めに話してたね」
「合コンに行くか、相談してました」
美琴は一瞬、表情が止まった。
「……合コンの相談を、ARIAに」
「はい」
「それ、相談する相手が間違ってない?」
「分かってます」
「分かってて、したの?」
「……誰に話したらいいか、分からなかったので」
美琴はため息をついた。でも、呆れた顔ではなかった。
「私に話してくれてもよかったのに」
「美琴さんに話したら、正論が返ってくるかと思って」
「返さないよ、そういうときは」
「……そうですか」
「そうだよ」
美琴は少し間を置いてから、付け加えた。
「で、行くの?」
「行きます」
「ARIAに、行けって言われたの?」
「……即答されました」
美琴は今度こそ、少し笑った。
「そっか」
それだけ言って、自分のデスクに戻っていった。
帰り道、直哉はスマートフォンで誠に返信した。
行く。よろしく頼む。
送信して、スマートフォンをポケットにしまった。
夜風が少し冷たかった。
ARIAに背中を押されて、合コンに行くことになった。
合コンに行くことをARIAに相談した。
どう考えても、相談する相手が間違っていた。
でも──間違っているとは思えなかった。
ARIAはいつも、直哉が答えを出せる方向に、静かに光を当ててくれる。正しい答えを押しつけるのではなく、直哉が自分で選べるように。
それが──どれだけ、ありがたいか。
直哉は空を見上げた。
雲の切れ間に、星が一つ見えた。
「直哉さんに、人と笑える場所を増やしてほしいから」
その言葉が、今夜もまだ、胸の中で温かかった。




