似た男
「昨日は良く眠れたかい?」
「眠れたわけないでしょ。はやく僕を解放してください」
「だーめ。というか、君だって夜に逃げられたのにここにいるってことはわかっているんでしょ。ここから逃げ出すことは出来ないって」
「……」
気に入らない。ヒショウは不機嫌を丸出しにしてホトをにらむ。
「今日は一緒に村でも歩き回ってみよう。ちょうどいい。一人でここにいるのも、そろそろ退屈だなって思ってたんだ」
女中が朝食を運んできた。相変わらず頬を紅潮させて、ホトと何か話している。
馬鹿馬鹿しい。
視線にきづかれたようだ。ホトは女中に向けていたのと同じうさんくさい笑顔をヒショウに向けた。
「まあそうつんつんしないでよ。君を私が捕まえようと、捕まえまいと、君は今、その人の元へ行くべきじゃあないんだから。今すべきことをきちんと見極め給え」
馬鹿馬鹿しい。
うさんくさい青年に、心を見透かされてしまう自分が。ぐうの音も出ない自分が。
昨日と変わらず人でごった返している道を、二人は離れないように歩いて行く。絹の服をまとったホトの隣に控えて歩いているヒショウはまるで、ホトの従者のように見えた。女性達のキラキラとした視線がホトに向けられ、ついでのようにヒショウにも向けられた。落ちつかないことこの上ない。一方ホトの方は笑顔を顔に貼り付けて女性達に手を振りながら歩いている。つくづくうさんくさい奴だ。あまり目立ちたくはないのでヒショウは深く外套をかぶり、ひそかにゼンの気配を探っていた。勿論、まったくもって気配を感じないのだが。
それにしても、もう二十分ほど歩いている。その間ホトは女性達に愛想を振りまく以外何もしていない。ヒショウはたまらなくなり、ホトを見上げた。
「あの」
「なんだい?」
「どこへ向っているのでしょう」
「どこにも向ってないよ」
「え?」
「君と歩いていれば、それでいいんだ」
「はい?」
「つまり、君の行きたいところに行けばいいってことだよ」
「は?」
ヒショウは少し考え込むような姿勢をとったが、湧き出てくる疑問の答えがでる気配はない。
「あんた、何がしたいんですか?」
あきれるあまり、ヒショウはつい素を出してしまっていた。
「僕が行きたいところにいけないのは、アンタが一番わかっているでしょ?変に優しくしないでください!」
ホトはヒショウの叫びを聞くと目を細めた。
「これは君のことを思って言っているんじゃない。君はいま、私のいいなりにならざるをえない、それだけだ。わかるかい?」
ホトの顔に張り付いていた笑顔が少し恐ろしく見えたのは気のせいだろうか。
「ああ、そこの綺麗なお姉さん。少しいいかい?」
ホトは道行く女性に声をかける。
「少し人を探しているんだけどね――」
何を思ったのか、ホトは突然手当たり次第にそう聞いて周り始めた。女性ばかり選んで声をかけていることはさておき、ヒショウは目の前でおこっていることが理解できずにいた。
この人は本当に、何がしたいんだ。
「やあ、綺麗なお姉さん」
手当たり次第に声をかけてはふらりふらりと道をそれていくホトをヒショウは必死に追いかけた。
「それ、本当かい?」
女がホトと何を話しているのか、ヒショウには聞こえなかった。だが、ホトが聞き直したのを聞くと、胸に淡い期待を抱いてホトを見上げた。
「このお姉さん、君が探しているっていうその人に見覚えがあるかもしれないってさ」
ヒショウは目を見開いて、女を見た。頬を紅潮させた女は少し戸惑っているようだったが、こくり、とうなずいた。
「い、いつ!ど、どこであの方を!」
ヒショウはホトそっちのけで叫ぶ。
「つい三日ほど前のことです。場所は……」
女は助けを求める様にホトの方を見た。答えを待つヒショウも食いつくようにホトのほうを見る。
「場所は?」
「それが……」
「ん?」
「あそこです。あの村の方々が最近住み始めた……」
「ああ」
「どこですか!?」
ヒショウが叫んだ。
やっと。やっと、あの方に会えるかもしれない!
「えっと、隣の村の娘達が住む屋敷が近くにあってね、そこらしい。今からでもいってみようじゃないか」
ホトが説明してくれた道筋は、本当に簡単なものだった。
はやく。
一刻もはやく。
あの方に、会いたい。
あの方が、いる。
あの人に、やっと追いつける。
ヒショウは走り出そうとした。しかし、ホトは動こうとしない。それどころか、女の手を取って口づけを手の甲におとすと、なにか耳元でささやいている。
「お姉さん、今夜是非」
「おい、あんた!」
ヒショウは叫ぶがはやいか、ホトの手を引っ張って走り出した。
「おっとっと」
ふ抜けた声を出しながら、ホトはヒショウに引きずられるようにして連れて行かれる。
「またねえ」
ホトが呑気に手まで振っているのも相まって、ヒショウが進める足は速くなっていった。
「ねえ、君」
ホトが唐突に声をかける。
「なんですか」
ヒショウは雑にあしらうように言う。
「私も連れて行ってくれるんだね」
「は?」
「今君は逃げるチャンスだったんだよ」
「……」
「私の目を盗んで、君はその探している人のところに行くことも出来た。けれどわざわざ私まで連れて行ってくれようとしているのは、一体なぜだい?」
「そんなことをいうなら、おいていきますよ」
ため息交じりにヒショウは言う。
「えー、やだなあ、それは。せっかく君が私を必要としてくれたみたいなのに」
「気持ち悪いこと言わないでください。たまたまです。本当に、たまたま。なんとなくです」
「なんとなく、か。本当にい?」
ヒショウは大きくため息をついた。
「まあ、強いて言うなら、アンタが変なことをしていたので、社会貢献。それと……」
「それと?」
「知っているんです。あなたは多分、意外といい人だってこと」
「ほう?」
「僕にはわかる。あなたは僕があの人に会えるように心から手を貸してくれているって」
ホトは、ゼンに似ている。
その直感は、きっと、間違っていなかった。突き放すようなことを言う割に、律儀に手を差し伸べてくれる。そして、自分で助かる道を不器用に示してくれる。
「君がそう思うんなら、それでいいよ」
ホトは楽しげに言った。
「でも。もしかして君、僕とその人を重ねてる?」
「重ねてないです」
「本当?」
「ありえない。あの人は素晴らしい方なんですよ。女性に下心丸出しに声をかけたりしないですし、むやみやたらに少年を監禁して楽しむ趣味はない」
「ここぞとばかりに悪口をいってくるなあ。まあいいや。とにかく、君はその人のことが大好きなんだね」
ホトはあきれたようにそう言った。
「はい」
ヒショウは一言一言をかみしめるようにして行った。
「大好きです」
結果から言おう。
ここにあの人はいなかった。
だがそれが決していけないこととは思わなかった。
ゼンはもう去って行ったらしいが、それでも、ゼンがこの村にいることはわかった。
必ず、あの人に会える。
運命がそう言ってくれている気がした。
だから今は、僕のすべきことをするべきだろう。兄弟達ときちんと決着をつけよう。ヒショウは心からそう誓った。
満足そうな表情のヒショウとは異なり、ホトは無表情であった。珍しいとは思うが、落ち込んでいるのだからしょうがないだろう。
「大丈夫ですか?」
「大丈夫なわけないでしょ」
ヒショウは見るからにうなだれて見せる。
「初めてだよ。こんなこと」
二人の前にはすでに閉ざされた扉がある。荘厳な雰囲気で、二人の行く手を阻んでいた。
「はじめてだよ。女性に家に入るのを拒まれるだなんて」
「はあ」
時は少し遡る。
屋敷についてヒショウ達を出迎えたのは、一人の女性だった。布をかぶり、目元しか見せていない姿は異様に思えたが、それは彼女たちの住む村特有の風習なのかもしれない。ホトはそんな相手にもなれなれしく声をかけ、大きく舌打ちをされてしまった。ヒショウと必要最低限の会話をすると、勢いよくドアを閉めて中へ入っていってしまったのである。
とはいえ、ホトが袖を振られようと、ヒショウにはどうでもいいことだ。うなだれるホトを担いで屋敷からはなれると、やっと屋敷の全貌をゆっくり見ることが出来た。ヒショウの身長ではかなり見上げてやっと屋根が見えるほどであったが、ふと、屋敷の欄干に目が行った。そこにはあの不思議な布が掲げてあった。なるほど。どうやらここは行きに見たあの家らしい。
「あの」
「なんだい?」
「あれはなんでしょう?」
ヒショウは布を指さした。ふらふらと立ち上がったホトは大きく見上げた。
「あれは、布だよ」
「あ、いえ、そうじゃなくて」
「朱雀の刺繍が入った布だね。あれがどうかしたのかい?」
「あれは、何かを示しているのでしょうか。どうしてあんな所に飾ってあるのですか?」
「しーらない」
ホトは投げやりにそう答えた。
「私はあんまり興味がないんだよ、ああいうのに。もしかすると、あいつなら知っているかもしれないけど」
「あいつ?」
「なんでもないよ」
ヒショウははぐらかすように答える。ヒショウは思わず方をすくめた。
あの布は何をしめしているのだろう。
それにどうして、同じ柄の朱雀が自分の顔にも彫られていたのだろうか。
朱雀の柄、というのは、嫌でも自分との関係を考えずにはいられない。村長はヒショウが持つ特別な力は朱雀のものだと言った。力を持っていることと、あの刺繍が彫られていたことには何か関係があるのだろうか。
あの刺繍は、いつ彫られたものなのか自分でもわかっていない。初めてその存在に知ったのは、客の男に指摘されてからだ。もちろん、奴隷商人に彫られたわけでも、自分で彫ったわけでもなかったので、ヒショウにとっては仕事で邪魔な上に、不思議で仕方がないものだった。だが、だからこそ、あの刺繍はきっと、両親との大きな関わりの一つなはずなのだ。あの朱雀の柄の意味がわかれば両親についてもっと知ることが出来ると思うのだ。
刺繍がなくなってしまったときは、ほんの少し、寂しいと思った。ヒショウは己の頬に触れ、そのまま服の上から手紙に触れた。きっと手紙は両親の元へ届く。だけどもう、待っているだけではいられないのである。
ヒショウはひとまずはホトとともに宿に戻った。だが、明日は必ず話を聞くのだという強い決意があった。
女に振られてふて寝を決め込んだホトが目を覚ましたのは、すでに夜中のことだった。
部屋の中に響いているのは、ヒショウが月明かりを頼りに何かを書いている音だ。
「眠れないのかい?」
急に声をかけてみた。ヒショウは驚くようなそぶりを見せると、こちらをふりむくこともなく答えた。
「眠らないだけです」
「でも、心なしか私への態度は柔らかくなっているじゃあないか」
「はい?気のせいじゃないですか?」
ヒショウはぶっきらぼうに答える。
「まだこの部屋で寝る気にはならない?」
「勿論」
「じゃあ、私の胸の中は?」
「一生そこでは寝ませんのでご安心を」
「寝ないと死んじゃうよ?」
「死にません。死ぬ前までには、僕は安心して眠れる方の所へ行きますよ」
「本当に心配しているんだけどなあ」
ホトは甘ったるい声で言った。
「まあ、いいや。その気になったらいつでもおいで。今夜の僕は、珍しくフリーだから」
「おやすみなさい」
ヒショウは素っ気なくそう言うと、また何かに熱中し始めた。ホトはそんなヒショウの様をみて満足そうに微笑むと、再び寝台に沈み込む。
本当は、昼間声をかけた女のうちの誰かの家に行こうと思っていた。だが、ヒショウを選んで正解だった。彼には自分を惹きつける不思議な魅力がある。
ふと、ホトの中にちょっとしたいたずら心が芽生えた。
「いいこと思いついた」
ホトは音にもならないような小さな声でそうつぶやくと、おとなしく眠りについたのであった。




