緑の目の男
広い客室。
客人であるはずのヒショウは、その隅で小さくなっていた。
以前までの生活を考えると、このように無駄に広い部屋に慣れていない訳ではない。だがしかし、客人という立場になれていないのだ。
「茶だよ。どうぞ」
大きな丸い机の上に、二人分の茶が置かれる。ニコニコと笑顔を浮かべて座っている男を警戒しつつ、多しけて貰った恩もあるので一応はヒショウも警戒しつつ席に着いた。
このうさんくさい男は、何者なんだ。
観察するように青年を見ていると、青年はなぜか視線に応えるようにウインクをした。ヒショウは気分が悪くなり、目をそらす。
「お茶、飲まないのかい?冷めてしまうよ」
青年はそう言うと茶を少し口に含んだ。
「お茶、嫌いかい?」
「い、いえ……」
つい癖で、人が入れたものには警戒してしまうのだ。相手が商売対象であれば、毒でもクスリでも、何が入っていようが必ず口をつけるが、今回は訳が違う。相手は得体の知れない奴なのである。
そういえば、ゼンはどうして僕が入れた茶を飲んでくれたのだろうか。
ヒショウはふと、そう疑問に思った。ヒショウを人殺しと知っていながら。毒が入っていたかもしれなかったというのに。まさか、毒を入れていないと信じてくれたのか?
「そう……じゃあ、何か食べたいものは有るかい?最近の子は何が好きなのかな?」
「特にないです」
「そう?」
青年はおもむろにヒショウのコップに手を伸ばしたと思うと、ほんの一口、茶を飲んで見せた。驚きのあまり、ヒショウは目を見開く。
「毒なんて入ってないよ」
「……」
「最近の子でこうも用心深いのは珍しいね。それなりに平和になったと思っていたけど、どうやらそうでもないらしい。王都とかはまだまだってことかな?」
おそらく気まぐれで口にしたのであろう、王都、という言葉にヒショウは思わず肩を動かしてしまった。
「すみま、せん」
ヒショウはごまかすように茶を飲み干す。美味しいお茶だった。
「いいよ、いいよ、気にしないで。君は少し痩せすぎだね。やはり何かをつくらせよう。何が食べたい?」
そういう青年もゆったりとしたふくよかな服をまとっているものの、そこから出る腕は枯れ枝のように細かった。食べるものに困っている、ということではないだろうから、本当に不思議な奴だ。
「僕は大丈夫です。何もいりません」
「そうだなあ、パン、とかならすぐに持ってきてくれそうだけど」
「パン!」
ヒショウは思わず叫んだ。
「お?パンが好きなようだ。わかった。頼んであげる」
青年はまるで舞っているかのような足取りで部屋を出て行く。ヒショウは一瞬逃げ出そうかと思ったが、すぐに青年が帰ってきた。ふわり、と服をなびかせて、また席に座る。
「すぐにもってきてくれるって」
「あの……?」
ヒショウは叫んだ。顔を上げ、青年の方をまっすぐ見る。
「僕に何か用でしょうか?」
青年はにやりと笑うが何も言わない。
「あの、僕、先を急いでいるんです。それに、いつもあの人達が襲ってくるかわからないし……。僕らの、その、けんかを止めてくださったことは本当に感謝していますが、もしご厚意で僕に良くしてくださっているのなら」
「つまり、早く解放しろってことだね?」
青年はヒショウの言葉を遮るようにして言った。言い方こそ直接的過ぎるが、言いたいことはまさにそのとおりだった。
この状況は、軟禁に近い。自由に室内を動かせてはくれているが、場の主導権が完全に相手側にあるが為に逃げられないのだ。青年のことを調べようにも、その隙も見せない。通りで出会ったときからずっとそうなのだ。
はやくこの部屋から出たい。
あの方に追いつかなくてはいけないのだ。
しかし、青年の答えは
「申し訳ないけど、それは出来ない」
と、あまりにも簡素なものだった。ヒショウは唖然とする。
「君を解放することは出来ないなあ」
「なぜですか」
「せっかく私が捕まえたんだよ。逃がすわけがないじゃない」
「捕まえた……?」
ヒショウは聞き返したが、青年は当然だ、と言わんばかりに何も答えなかった。
「それに、君を気に入った。だから、この部屋に呼んだ。それじゃあ、だめかい?」
「えっ……」
そんな風に絶望に近い声を上げたのはヒショウではない。部屋の入り口には、パンの入ったかごを手に持ち頬を紅潮させて立つ女中の姿があった。
日が沈んでも、通りに群がる人の数は減らなかった。
青年の止まっている部屋からは通りを見下ろすことが出来る。はめ殺しの窓の縁に腰掛け悠々と眺め下ろしている青年の姿は絵画のように美しかった。一方のヒショウは先ほどまでと変わらずに、椅子に腰掛けたまま一歩も動いていない。机の上にはパンの山が置かれている。無言の空間の中でヒショウが思うのはやはりゼンのことだった。
はやく追いかけなければいけないのに、自分は一体何をしているのだろうか。それに、セッカ達のことも気がかりだ。考えるだけで、頭を抱えたくなった。
「きれいだねえ」
青年がつぶやいた。ヒショウは何も言わない。
「見てご覧よ。家々に灯る灯火がなかなかに幻想的じゃあないかい?」
ヒショウは動かなかった。
青年は大きくため息をつくと、窓枠から降りた。わざと足音を立てるようにしてヒショウに近づき背後に立つと、その両肩に手を置いた。動じないヒショウをよそにそのては徐々に上へと上がっていき、やがてヒショウの頬に触れる。すると突然、強くひかれた。ヒショウの頭が仰向けにされ、のぞき込んでいた青年と目が合った。
「私の目を見給え」
ヒショウは目をそらそうとするが、青年はしつこく目を合わせようとしてくる。故に仕方がなく、ヒショウは青年の目をにらみつけてやった。
青年の目は、まるで宝石のように美しかった。珍しい緑のグラデーションがかかっており、瞳の中心には濃い緑色の一本線が引かれている。蛇みたいだ、とヒショウはぼんやりと思った。だが、ゼンの瞳の方がすっと綺麗だと思う。ありふれたはずの黒目も、ゼンのものであれば愛おしく思えた。
そんなことをヒショウが考えていると、青年は気が済んだのか、それともあきれたのか、ヒショウの頬から手を離した。ヒショウはあえてなにごともなかったかのように同じ姿勢に戻る。
「つれないねえ」
「すみません」
そうは言ったものの、もうしわけないという気持ちは一切何のだが。
「僕をつりたいのなら、ここから出してください」
「解放したら逃げるじゃないか」
「逃げます。先を急いでいるので」
「ねえ」
青年はヒショウの住まっている椅子にもたれかかった。
「なんでそんなに先を急ぐんだい?」
「人を探しています」
「誰?」
「あなたが知らない人です」
「決めつけは良くないなあ。それに私、意外と顔が広いんだよ」
「あなたに教える必要もないので」
青年は少し口をゆがめた。
「でも、先を急いだところで無駄だよ」
「はい?なぜです?」
ヒショウが少しいらついたような口調で言うと、青年はわざとじらすように黙り込んだ。ニヤニヤと見下ろしてくるのが気に入らない。ヒショウが手を挙げようとしたところで、青年はやっと口を開いた。
「この先へは進めないからだ」
ヒショウは一瞬固まった。
進めない?
どういうことだ?
「だからあなたが僕を拘束しているから僕は前に進めないのであって」
「違う。そういうことじゃあないよ。君だけではなくて、僕を含め全ての人間がここから先へは進めないんだ」
だからこうも人が多いんだよ、と青年は視線で下にいる人たちのことを示す。
「南都へは一本道、というか、橋がかかっているだけなんだけど、それが壊れちゃったみたいなんだ。じきになおるとは思うんだけど、なにせ、あそこは大都市だからいけないとなると如実に影響が出てしまうんだ」
「じゃあ」
「君がその、探している人、というのも、もし南都に行こうとしているのならこの村か次の村にいるはずだよ。とはいえ、いるとしたら十中八九この村だと思うけど」
「なぜ」
「次の村には泊まれないからね」
「そうじゃなく」
ヒショウが今聞いたのはそういうことではなかった。
「なぜ僕に、そんな親切に教えてくれるんですか?」
なぜそうやって、僕に希望を見せるんだ。
あの方も。
この人も。
「君にもう少しの間ここにいてほしいからだよ。ねえ、焦らなくていいのだから、君を助けてあげたお礼に私に恩返しをしてくれないかな」
このうさんくさい男は――。
ヒショウは改めて青年を見る。
――あの人に似ている。
漠然と思っていたその思いがヒショウの中で大きくなっていた。
「僕たちのけんかを止めてくださったことには感謝をしています。でも、僕は今すぐにでもここをでないといけません。あの方がこの村にいる可能性が高いのならなおさらです」
「どうやって?君はここから動くことが出来ないというのに」
青年は冷たい目をして言った。
「けんか、っていう言い方はもうやめないかい?あれは周りの目を気にして私が便宜上使ったものであって、あれは確かに殺し合いだったんじゃないのかい?君にあいつらが仕掛けたようだが……君はあれをけんかと言えるほど心穏やかじゃなかったでしょ。あの剣裁きはそうとう慣れた奴が命の危機を感じたときにするものだった」
この、じりじりと恐怖が迫ってくるような感覚には身に覚えがある。反射的に、あるいは、本能的に、ヒショウは身構えた。
「はい……そうですね。あの人達とは確かに殺し合っていました。あの人達はいつまた襲ってくるかわからない。ここに僕がいては、あなたに迷惑がかかってしまうかもしれませんよ」
「なんで?別に、あいつらが襲ってきても、大丈夫だよ。私結構強いし」
平然とした様子で青年は言う。
「それに、君が探しているその人のところにもし行ったとしても、そこで襲われたらどうするんだい?ここにいた方がその人にも迷惑をかけないですむんじゃないかなあ」
ふと、この男はわざとセッカ達を逃がしたのではないかと思った。ヒショウがセッカ達に襲われていたことを知っていたとなれば、かなりの間ヒショウ達の様子を見ていた可能性が高い。殺し合っていることを知った上で、この男は現れたのだ。逃げた二人を追いかけることも出来たはずだ。だが、ヒショウの前に現れたこの男は、まるであの二人組のことなど気にしていないようだった。もとから、ヒショウのことしか見えていないような、そんな態度だったようにも感じる。
わざとあの人たちをにがして、僕がここにとどまるよう仕向けた?
ゼンは、ヒショウよりもずっと強い。そんなことはわかっている。だが、自分が弱いばかりにゼンに迷惑をかけてしまうのは嫌だった。
考えすぎなのだろうか。
「ああ、考えちゃった。まあいいや。長丁場になりそうだし、名前だけ教えておく。私はホト。気軽によんでくれ」
「……」
ヒショウは何も答えなかった。まだホトに気を許すわけにはいかなかった。
それから数時間がたった。ヒショウは考え事をしつつ瞑っていた目を開く。窓から差し込む月光がヒショウの体を照らしていた。ふと、視界に映り込んだ己の小指を見て、ヒショウは逃げるように視線を天井に向けた。淡い光は天井も照らしていた。
ゼンの外套に包まれて、何をするでもなくそれを見ていると、ホトの安らかな寝息が聞こえた。人が三人は眠れそうなほどに大きな寝台の上で、彼は一人で眠っている。その隣にはヒショウのために用意された同じ大きさの寝台があったが、特に眠る気にはならなかった。きちんと整頓されているのが、ひどく無機質で。無慈悲なもののように思えたのだ。ちなみに、ホトは、眠れないのなら添い寝をしようか、とふざけたことを言ってきた。勿論、雑に断った。
この部屋で、この場所で、この人と、眠りたくはない。眠ることなんてできない。
慣れたことだ。いままでも、標的の元では常に眠ったことなどない。眠ったふりをして相手を油断させるだけだった。
長すぎる夜をしのぐため、次は何をしようか。
もう一度耳を澄ませば、今度はかすかに外の人の声がした。村の灯火はほとんど消えているのに、まだ宿を探してさまよっている人たちがいるようだ。
何もしないのももったいないので、ヒショウは重い腰を上げて立ち上がった。とはいえ、体は軽い。仕込んでいた暗器はホトにとられどこかに預けられているらしい。ゼンは残してくれていたのに。
ホトのように窓枠に腰掛けて見ると、案外心地が良かった。夜風が気持ちいい。下をのぞけば、昼間よりかは少しまばらになったものの。それでも通りの人は多い。彼らは野宿をするのだろうか。自分だけがここにいてもいいのだろうか。
ヒショウはため息をつく。
眼下に広がる暗闇をみて、ヒショウの頭にふとあることが思いついた。
あの人だかりの中に、ゼンがいるのではないだろうか。
宿を探しているかもしれない。
それとも何か仕事をしているのかもしれない。
散歩をしているだけかもしれない。
もしかすると、僕のことを探してくれているのかもしれない。
あり得ないことだけど、あり得るはずがないことだけれど、下へ降りてみようか。
窓から逃げて下におりようかと一瞬体を傾けたものの、ヒショウはすぐに体を戻した。代わりに月光に照らされている山の方を見た。その山の中腹あたりにも、ぽつりぽつりと光が見えた、旅人が持っているたいまつと、ヒショウが通過してきた村の明かりだ。
ヒバリの村はさすがにここからでは見えない。
山を越えたさらに向こうに住む彼女は、元気にしているだろうか。また苦しんではいないだろうか。果たして、笑っているだろうか。
いや、きっと、僕が心配するほどのことでもない。彼女のことだ。きっと元気だ。そう信じてる。
ヒバリは大丈夫。大丈夫じゃないのは自分の方だ。早くあの方のもとへ行かなくては。その前に、あの兄弟をどうにかせねば。
道が塞がれているのは、ある意味好条件なのかもしれない。ここでけりをつける。
またヒショウは立ち上がる。ホトにとられないように隠してあった手紙を取り出した。楽しそうに笑顔を浮かべ、筆を走らせていく。
ヒショウが去った後の窓枠には、一人の女性が座っている。
まるで炎のようにはためく衣をまとった女は、見た目こそはかなげに感じられたが、その赤い瞳には強くしっかりとした意志があった。
彼女が見つめる視線の先には光がある。
けれどヒショウには、否、誰にも、彼女の姿は見えなかった。




