うさんくさい笑顔
次の村に着くや否や、ヒショウは思わず立ちすくんでしまった。
「なんだこれ」
村自体はそれほど裕福であるようには見えない。勿論、王都よりは何千倍も栄えているし、ヒバリの村よりも栄えているようではあったが、まだまだ建物には年期が入り、少し裏びれているような印象はある。
しかし、それ以上に、とにかく人が多かった。
人でごった返していた。
なんだこれ。
今までこんなにも人が集まっている様を見たことがなかったヒショウは思わずうろたえる。一瞬気が迷い後ずさりをしたが、大きく息を吐くと背筋を伸ばしてぎこちなく歩き出した。外套を深くかぶりなおす。ヒショウの白い髪が風に揺れた。同時に外套の中にも風が入りこみ、ゼンの匂いがヒショウを包む。
物怖じしている場合じゃない。
あの方を探すんだ。
あの方に追いつくんだ。
人が多いからゼンを探すのも手こずりそうだが、できるだけ急いで探して、いないのならどんどん先に進もう。
まず当たるのは宿屋だ。
人があふれている通りを身をよじらせてなんとか通り抜ける。背の高い大人達を見上げるようにして息を吸おうとすると、ふと、空が目に入った。いや、正確に言えば欄干に垂れ下がるようにかがげられた布に目が止まったのである。
青い空に映える、赤い布だった。
そこに、金色の糸で刺繍が施されている。
その刺繍こそ、以前までヒショウの顔に描かれていたものだった。奇妙な絵だと思っていたが、こうして見ると案外美しい絵のようにも思える。
「ううっ」
視界が揺らいだ。人流に押し流された。苦しい。今のヒショウにとっては布のことよりもはやくこの混雑から抜け出し宿屋に行くことが最優先事項だ。人混みを抜けた先の宿屋で、とにかくゼンが泊まっていないか尋ねるのだ。
「そのようなお客様は泊まっていらっしゃいませんね」
宿の女中は首をかしげて言った。
「じゃ、じゃあ、見かけてはいませんか?優しくて、かっこよくて、つい憧れてしまうような方なんです!」
「いらっしゃらないと思いますよ、ここには。もしいらしていたとしても、最近は人が多くて……」
女中は困ったように通りの方を見て言った。
宿屋にとって客が多いことは悪いことではないはずだが、多すぎるというのはそれはそれであまり良くはないことなのだろう。念のためヒショウは宿屋の奥をのぞいた。普段はそこまで忙しくはないであろう宿だからこそ、奥では宿の人間が走り回っておりてんてこ舞いになっているようだった。なんとなく、ここのような騒がしい場所にゼンはいないような気がしたので、ヒショウが潔く宿を後にすることにした。
「ありがとうございました」
きちんと頭を下げて、ヒショウはその場を去ろうとする。
「あ、そういえば」
女中が何かを思い出したような声を出したので、ヒショウは足を止め振り向く。
「この屋敷の近くの屋敷に隣の村の方達が住み始めたそうですよ」
「そう、ですか……」
だが、これはヒショウが知りたい情報ではない。また体の向きを変え、ヒショウは一歩踏み出す。
「あの、ご宿泊は?」
「ああ。僕は人を探しているだけなので、遠慮をして」
そこまで言いかけたところで、ヒショウは口をつむんだ。そうせざるを得なかった。
神経が研ぎ澄まされる。
名を捨てて生まれ変わろうとしているとはいえ、所詮は自分も人殺しだ。わずかにでも殺気を放つ奴の気配は、すぐにでもわかった。
しかし、この感じ、相手はかなりの手練れだ。気配を感じるのが遅すぎた。このままでは――。
「あの、お客様」
「えっ……」
女中が声をかけ、ヒショウの集中力が一瞬途切れてしまったその瞬間だった。
「あれ?こんなところにいらっしゃったんですか?だめだと言ったでしょう、一人で動いては」
「迷子になるっすよ」
その声が聞こえたのと同時に、ヒショウの肩に二人分の手が触れた。
振り向けなかった。
振り向きたくなかった。
ヒショウはその後、迎えに来たらしい二人組の男に連れて行かれた。女中は何が起こったのかわからず、少しの間立ち尽くしていたが、しばらくすると何事もなかったかのように仕事に戻った。というか、女中にとっては何もなかったのだ。彼女にとっては。
「やあ、こんにちは」
落ち着いた声でそう言ったのは、つい数日前からこの宿に泊まっている青年だ。すらりと背が高く、まだまだ若いようだがその端正な顔立ちと漂う色気が彼を大人びさせている。まとっている絹の服に見合い、かなり羽振りも良く、領家の人間であることは明らかだった。彼を見れば、どんな人間も頬を紅潮させた。勿論、彼女も例外ではない。
「あ、あの、お客様、何か、御用でしょうか!」
「いや、たいしたことではない。君のそのかわいらしい声が聞きたくてね」
「えっ!そ、そんな」
「それと」
青年は宿屋の出口の方を見て言う。
「今の子、どうしたの?」
「今の子?」
今来た少年のことだろうと、女中は理解した。
「今の方なら、誰か人を探しているようでしたけれど、お連れ様がいらっしゃって、一緒に行かれましたよ」
「ふうん。そう」
青年は言うと、再び女中の方を向いて笑みを浮かべた。
「教えてくれてありがとね、綺麗なお姉さん。じゃあ、私は出てくるから、鍵、預かっておいてよ」
「は、はい!」
女中の裏返った声が宿中に響くと、青年はおかしそうに笑った。
前にはフブキ、後ろにはセッカ。ヒショウは二人に挟まれて歩いていた。
「探しましたよ、お嬢さん」
「兄貴、こいつは男だ」
「ああ、そうだった。ありがと、フブキ」
セッカは呑気に笑っているが、ヒショウは殺気を放ち続け、体が緊張でこわばっていた。気が抜けない。
「それで、お嬢さん。あなたはどうして俺達につきまとわれているのか、おわかりでしょ?」
「つきまとう?そんな生ぬるくないだろ。お前達は僕を狙っているんだろ?」
「おやおや、前にあったときとはまるで人が変わったようだ。獲物の前では猫をかぶっていたようですねえ」
ヒショウは思わず一瞬黙ってしまった。
「あの方は、獲物なんかじゃない。あの方は、僕の主だ」
「主?笑わせてくれますね。人殺しにとってかつては獲物でしかなかったあの男が、あなたを変えた。いや、あなたをだました、というべきでしょうか」
「人聞きの悪いことを言うな。そんなわけない。あの方は」
「しかし、事実でしょう?人殺しだという弱みを握られたあなたはそれで優しさに触れ、あの方の虜になってしまった。実にかわいそうだ。まるで雛の刷り込みのようだ」
「僕が好きであの方に付き従っているだけだ。僕がしたいからあの人の従者でいるんだ」
ヒショウは外套の中でこっそり潜ませ置いてくれた短剣に手をかけた。
知られていたのか、僕が人殺しだったことを。
動揺が隠せなかった。
「おっと、変なまねはしないでくださいね。こんなところで我々を殺せばどうなるかわかっているはずですよ」
人混みの中を三人は進んでいく。
「関係のない人を巻き込みたくはないでしょう?それに、ここでまた僕たちを殺せばあなたは人殺しに逆戻りですからね」
ヒショウは大きく舌打ちをつく。
「関係のない奴なんていない」
「はい?」
「僕は今すぐにでもここでお前達とやり合うことを躊躇はしない。誰が巻き込まれようと僕は気にしないし、人殺しになったってかまわない。ただ僕たちの近くにたまたまいたから、それだけで、死ぬのには十分な理由だ。ただ」
セッカへの殺意は強まる一方だが、ヒショウは短剣から手を離した。
「あの方に追いつくためには、お前達にかまっている暇はないんだ」
「なるほど。それほどまでにあなたはあの男に侵されてしまったのですね。ああ、おかわいそうに。こうなるのであれば、あの時にあなたを保護するべきでした」
保護。その言葉がヒショウの胸に引っかかった。
「お前達の目的はなんだ」
「先ほども申し上げましたが、それはもうあなたも知っていることだ」
「僕の過去か?牢にでも入れる気か?」
「いえいえ。そんなことは申し上げてはいけませんよ。それを言えば、我々も同罪になってしまうのでね」
「じゃあ」
「わからないのか?」
フブキが言った。
「目的はお前の力だ」
「力?」
聞き直したが、ヒショウはすぐはっと気がついた。
力。
朱雀の、力。
「フブキ、違うだろ。我々の目的は、特別な力をもつ人間その人ですよ」
「僕はそんな力持っていない」
「今更ごまかしたところで無駄ですよ。あの頬の刺繍が、もう今は隠されているようですけど、あれが何よりもの証拠ですよ」
セッカはヒショウの頬を背後からなでると言った。
「俺たちの主は、あなたを救済したいと申しています」
「救済だと?」
「かわいそうに。あなたはその特別な力を知らされずに今までつらい人生を強いられてきました。人を殺し、取り入れられ、あなたの心はあの男の糸でがんじがらめにされてしまった」
こいつらはゼンの糸についても知っているのか、とヒショウはさらに警戒を強める。
「あなたは自由になっていいのです。あの男に糸でつながれている必要はない。本来の力を生かして、自由に生きられたら、それはとっても幸せなことだとは思いませんか?」
「何度も言わせないでくれ。僕は今幸せだし、好きであの人を慕っているんだ」
「おやおや。これは一度、きちんと教えて差し上げないといけませんね」
「はあ?」
「お前は捨てられたんだよ」
フブキが言った。
「あなたはあの男に捨てられた。捨てられた奴隷に残った道は、そこでくたばるしかないんですよ。一度捨てられた奴隷が追いかけてきたところで、主は見向きもしないでしょうね。今あなたがやっているのはただのわがままなんですよ。今まで犯してきた罪を放っておいて自分の思いだけを叶えようとするそれは、ただのおごりだ」
「でも、あの方は」
「あなたがあの男の何を知っているというのです」
ヒショウは絶句した。
知っていると言いたい。
けれど、ヒショウは何も知らなかった。
自分がゼンをだましていたように、ゼンもヒショウをだましていた。だから、何も知らない。知らされていないのだ。はじめから、こうする為だったのかもしれないとさえ思った。
だが、悪いのは自分の方だ。自分の命を狙う相手に真実など伝える訳もない。
そのはずなのに、なぜか悲しかった。はじめから信用されていなかったのなら、ゼンが見せた姿は全てまやかしだったのか?
「あの男は、慕われるような人間じゃないですよ。人を弱みにつけ込み、生という呪縛に縛り付けてしまう。人の不幸を食らう、化け物です」
「そんな、ことは」
「いつまでもあの男の元にいては、あなたは本当に、あなたが本当にしたいことも出来なくなってしまう。あの男の操り人形として生きる人生で、いいのですか?」
それは。
僕が、本当にしたいのは。
「ご両親にお会いしたいんですよね」
ヒショウが言う前に、セッカが言った。
「あの男は、あなたにそんなことは許さないでしょうね。里心でもついて、有用な力を持ったあなたを失っては不便だと、あの男なら考えるでしょうから」
セッカは笑いながら言った。
「どうか俺たちと一緒においでください」
ヒショウは足を止めると背後に振り向いた。
「行かない、といったらどうする?」
「あなたを殺しますよ。どうせあなたは死なないのですから」
「なら」
ヒショウは懐に手を入れた。
「行きません」
それが合図だった。
短剣がぶつかり合う。セッカと距離を詰めれば、今度は背後から手が襲ってきた。急いで背後に短剣を振りかざしたが、手応えはない。避けられた。今度は、近くを通っていた男にセッカの短剣が向けられた。ヒショウは男をかばうように間に入り、応戦する。
なんとかして隙を作りたい。
ヒショウの頭にはもとから、この場から逃走することしかない。一刻も速く逃げて、ゼンの足取りを探りたかった。
周りが騒がしくなる。
ヒショウ達のことに気がついたのだろうか。ざわめきが大きくなり慌て始めた周囲は、混沌そのものだ。人が人を倒し、人が人を押しのける。
しかし、その時だった。
場の空気が変わった。
なんだ、これ。
異様な雰囲気を感じ取ったのだろう。セッカとフブキも動きを止める。
何かが来る。
直感的に、ヒショウはそう思った。短剣を構えたまま思わず圧倒されていると、ヒショウの首に短剣と手刀が向けられた。だが、彼は冷静だった。セッカ達の焦りがつたわってきたからだ。
周囲にいた人々が、まるで誰かが来るかのように道の端へと詰めていく。
場が一気に静かになった。
急に人気のなくなった周囲を見回し、そして『それ』が来る方向を、ヒショウはただ凝視した。
「三人とも、けんかはそこまでだ。そんな物騒なものはしまいたまえ」
その声とともに、一人の青年が通りに姿を現した。
整った身なりをしている。ゆうゆうと道の真ん中を歩いてくる姿は、ヒショウの目を惹きつけた。なぜか無性に、彼に惹かれたのだ。
「あいつは」
フブキが切羽詰まったような声で言った。
「やばい。逃げよう」
気がつくと、二人の気配は消えていた。
「だめじゃない。そんな物騒なものを、君みたいな子供が持っていちゃ、ね?」
立ち尽くしていたヒショウの前に青年が立つ。
浮かべていたのは、うさんくさい笑顔だった。




