不死鳥
近づけば近づけるほど、鼻を塞ぎたくなるような苦しい香りが肺に入り込んでくる。何があったのかと、わざわざ住人に聞く必要も無かった。
「セツ……」
パチパチと炎がはぜる音がヒショウの声をかき消してゆく。
「セツ!」
押さえが聞かなかった。ただただ、壊れたように叫び続ける。全身がこわばる。それでも、返事はなかった。代わりに、野次馬のなかがらこちらを悲痛な、しかし、ざまあみろと言わんばかりの視線が増えていくだけだ。ここに、セツがいるという確証が何かあったわけでもない。それでも、わかるのだ。明らかに不自然なこの空間は、彼によって作られたものだろう。心を惹きつけるような、揺さぶるような思いを作り出す人物は限られている。聡明な彼が状況を理解するのには、さほどの時間を要しなかった。
事情など、後回しで良い。隠しているつもりでも、かれらの服には血がついている。それを見ただけで、尋常じゃないことが起こっていることはわかった。
体が先に動いていた。
「あんた、やめなさいよ!」
「危ない!」
「僕に触るな!」
ヒショウは暴力的にヒトを突き飛ばし、炎に包まれた扉に手をかけた。
「セツっ!」
あけた瞬間に、熱気が彼を包む。熱が肌を、喉を焼くのがわかった。普通の人間なら、これだけで死ぬだろう。今のヒショウには聞く余裕もなかったが、背後では叫び声が上がっている。
力がみなぎる。
炎に包まれれば包まれるほど、彼の体は好調だ。引き留める声など聞こえる訳もなく、ヒショウはずんずんと建物の中に入っていく。
目的の人物は、すぐに見つかった。
「……」
ヒショウは、言葉を失った。
まるで、祭壇のようだった。
小屋の真ん中には、机があった。その机の上に寝かされていたのは、血だらけで変わり果てた姿の青年とおぼしき物体。そして、その上に大きく開いた世界の裂け目。
「これは……」
「……うぐっ」
声に反応したのか、セツからうめき声のようなものが漏れた。
生きてる!
叫ばないように真っ先に潰されたのか。皮膚は切り刻まれ、内臓まで達しているであろう傷は見るも耐えない。かろうじて張り付いている服をどかせば、もっと凄惨な様子を見ることになるだろう。普通の人間であれば、とっくに事切れているである尾その状態でも彼が生きていられたのは、間違いなく、朱雀の血と、放たれたらしい炎のおけがだった。
「セツ!セツ!セツ!」
ヒショウは、何度も何度も確認するようにその名を呼んだ。
「……きこ……てる」
「セツ!待ってて!今助けるから!」
「く……な!」
その声はひどく鬼気迫る者だった。
「僕ですよ!ヒショウです!もうあなたを傷つける人はここにはいません!セツ、大丈夫だから落ち着いて」
ヒショウに躊躇は無かった。今すぐにでもセツに血をのませなくてはならない。近づくと、血を出すために袖をまくる。幸いここは炎がある。今の自分ならどこまでも力をわけられる。それで力を、命を失ったとしても、僕はかまわない。
「炎のお陰ですね」
「ほのう……せいだ……」
そう避けずセツの声は、悲痛そのものだった。ヒショウはセツの言っていることがわからなかった。何を言っているんだ。だって、炎のお陰で君は助かルのに!
「セツ、つらかったでしょう。怖かったでしょう。もう大丈夫です。あとで叱ってあげますから、今はおとなしく」
「く……・な……・」
「どうして?セツ、僕ですよ!」
セツの目は無事だった。それだけに恐怖を間のあたりにしただろうか、その双眸はたしかにヒショウを捉えている。
「セツ」
「く……な……!」
許可を求めるだけ時間の無駄だ、セツはきっと錯乱状態にあるのだと考えたヒショウはセツの言葉には耳を貸さないことにした。腕を切って口に注ごうとしたその時、裂け目から風が噴き出し、ヒショウの体は大きく背後に飛ぶ。
「そんな。なんで」
まるで、裂け目がセツに味方をしているようだ。
「く……な……」
「セツ、どうして。なんでそんなこと」
ヒショウが腰を起したとき、さらに風が強くなり、裂け目は拡大していった。セツの意志に合わせて動く裂け目。あの裂け目はきっと、極限状態にあったセツと、それに追い込んだ犯人達が作ったものなのだろう。
「まさか」
声が、震えた。
「セツ、君は死のうとしてるんじゃない、よね……」
そう言葉にしてしまえば、意志とは反してつじつまが合ってしまう。ここ数日の、まるで自分を遠ざけるような態度も、昨晩の不審な行動も、今の拒絶も、全て。
「一緒に、玄武国に行くって言っていたじゃないか!」
「ごめ……ん……」
静かな肯定を聞くと,ヒショウは全身から力が抜けていくのを感じた。
「君も、僕を一人にするだなんて、ゆるさない」
「ごめ……ん……」
「なんで。なんで君は死のうなんて」
「お前は……お前に……しんでほしく……ない……。血を……・もうおれに……くれるな……。お前が……死んじまう……それは……いやだ……」
「そんな。そんなことどうでも」
「よく……ないだ……ろ。生に……執着する……ことまで……わすれんな……。生きて……玄武国……たて……なおして……あの方と……世界を……みに……」
「でも、あなたが死んでしまっては、意味が無い!あなたのために僕は」
「ごめんな……。でも……きっと……うまく……」
さらに裂け目が大きくなる。このままではいけない。このままでは。
ヒショウはひときは強くなった風にあらがうようにして立ち上がる。立っているのもやっとだ。それでも、早く助けなければ。
必死なヒショウの顔を見ると、セツはわずかに微笑んだ。
ヒショウだって、わかってるんだろ。裂け目を塞がなければ、セツの容態は回復することはない。そして、裂け目を塞ぐことが出来るのは、今はもう自分しかいない。
この計画は、うまくいったのだ。
ヒショウ。幸せになろうな。
裂け目が視界を覆い始めた。これでいい。これでいいのだ。
「セツ!」
「あり……がと……。あとは……任せた……!」
最後は、笑顔でいようと思った。ヒショウに貰った幸せを返したいと思った。
ヒショウの泣きそうな顔が見える。彼はきっとまだ諦めていない。今も風の中を必死にあらがってこちらに向かってきてくれている。そんなヒショウを、改めて好きだと思った。幸せになってほしいと思った。
泣くなって。
ヒショウだってきっとわかっているのだ彼はきっと今、自分の意志を尊重しようか葛藤している筈だ。そして優しい彼はきっと、俺の意志を尊重してくれるだろう。最後だけ、いや、最後なのだから甘えたってかっこ悪くたって、良い。ヒショウにとっての特別である自分を、最後だけは実感したい。
泣いたって良い。お前が流しているその涙は、哀しみの涙でも、諦めの涙でもない。きっと、未来への原動力となる涙なのだから。
それに俺は、泣かないお前も、涙を力に変えるお前も、大好きだから。
「また……な……」
こうして世界の裂け目は、閉じられた。




