夢現
セツが消えた。そのことをヒショウが聞いたのは、翌朝の朝議でのことだった。
「セツが、消えた?」
「ああ。朝から兵に捜させているが、この王宮の中にはいない。城下に降りたのだと思う」
「朱雀君のところにもいなかったのか?」
「我々はてっきり、君たちの部屋にいるものだと」
「いません。私もてっきり、皆さんの所にいるものだとおもっていました」
ヒショウは言い終えるや否や、席を立った。
「おい、どこへ行く」
「セツを探しに行きます。当たり前でしょ」
「おい、待て」
留めようとしたツグミを手で制したのはホトだった。
「ツグミ君、行かせてあげなさい」
「ちっ」
ツグミは大きく舌打ちをうった。王の前で舌打ちをつくなんて本来の朱雀であれば注意しただろうが、ヒショウは軽く頭を下げるとそのまま都に飛び出す。
ホトは、ヒショウがセツを追うことを留めなかった。どころかうながしているかのようにも思えた。彼の思考を読むことは未だに難しい。それでも、なんとなくわかる。セツはきっと、ホトのせいでろくでもないことに巻き込まれている。やはり、自分が倒れたあの日にホトとセツは接触していたのだろう。ヒショウが疲れの具合を確かめる為に使っている毒がついた椅子に座らされて、知らぬ間に朱雀の力を見抜かれたのかかもしれない。ミズキから玄武の力は漏れているだろうし、それを知った彼がセツを放置しておくとも限らない。何を企んでいる?セツに何をした?何をさせようとしている?
それに、これはセツ自身の計画なのだとツグミは言った。
ホトの計画とも違うのか?自分の知らない場所で何が起こっているんだ。
その時だった。
強い風が、ヒショウの体を吹き抜け鼻腔をくすぐった。
「これは……」
この焦げ臭い匂いには、覚えがある。
「火事?」
方向から行って、移民達のキャンプの方からだ。ヒショウは慌ててセツにつないだ糸をたぐり感触を確かめる。大丈夫。キレてはいない。火事には巻き込まれていない。
それでも――。
足はひとりでにキャンプの方へ向いていた。まるで何かに引き寄せられるように。いや、誰かに背中を押されたようなが気がしたといった方が正しいのかもしれない。
「いや、絶対に、絶対にありえない。あり得る訳がない。でも、もしも」
確かめないことには胸騒ぎが収まらないだろう。幸か不幸か、セツの糸もキャンプの方に続いているようだった。火事は関係ないと己に言い聞かせつつ、ヒショウは全速力で走り出した。
正直、自分でもこれから何が起こるのかわかっていなかった。ホトのことだからどうせろくでもないことを企んでいるのであろうことは容易に想像できたが、ツグミの様子を見て確信した。彼らが企んでいることは彼女の顔をゆがめてしまうほどにどうしようもないことで、そして、自分はしようとしていることを実行できるのだと言うことを。
ならば、怖いものなどない。どうせ一度死んでいるのだ。恐れることはあっても、怖がることなどないさ。
そんな御託をひとしきり並べると、セツは拳を握りしめた。聞こえる足音はざっと十人。多くが男のようだが、中には軽い足音があるところを見ると女か子供も紛れているようだ。キャンプに入った途端これだ。待ち伏せされていたとしか思えない。振り向いてみると、今まで自分が歩いてきた裏道にはまばらに人影があった。西日に照らされ、自分の影が濃く、長く伸びていく。
「なにか用でしょうか?」
わざと白々しい態度で聞いて見る。少しずつ現れた人影の数は思っていたよりも多かった。
「神様、俺たちをどうかお助けください!」
男が叫んだ。男の顔は見たことがある。かつて玄武の神像を売っていた男だ。ただし、目は血走り頬は瘦け、彼がまともでないことはわかった。
あいつに似ている。
先日助けを求めてきた家族に似ていた。これはきっと、裂け目のせい。
「かみ、さま……?一体何のことでしょうか。先生であれば、本日はここにはいらして折りませんが」
「玄武様!我々を見捨てるのですか!?」
セツはその言葉に大きく目を見開いた。別に、意外なことではない。わかっていたつもりだった。それでも、その名で呼ばれると、思わず身がこわばる。かつて犠牲にした人々の罵声が、恨み声が頭に響く。
「……はぁ……はぁ」
セツは呼吸を整えようと胸を押さえつけるが、心臓の鼓動は早まるばかりだ。息を吸っても吸っても空気は出て行くばかりだ。苦しい。痛い。
「そのご様子からして、あなたは本当に玄武様なのですね」
先ほどまでとは打って変わった落ち着いた男の声が聞こえた。
「ち、ちがっ……いや……その……げほっ……はぁ……」
攻められるのが怖かった。否定をしてしまったが、それが意味の無いことなど容易にわかった。
「我々をお救いください」
男は壁にもたれかかっていたセツの顔をのぞき込むようにして言った。
「わかっ……わかったから……」
「ありがとうございます」
男はにっこりと笑うと、支えるようにしてセツの肩に腕を回す。
「では、行きましょうか」
「……ああ」
セツは覚悟を決めたような顔で首元に付けられた糸を外し、近くの建物の柱に結びつけた。あれだけ冷たく対応したのだ。いい加減ヒショウの愛想も尽きたのではないかと思いたいが、自分の身に置き換えればそれで諦めるなんてことはあり得ないし、ホト達が放っておくとも思えない。万が一にでもヒショウが追いかけてきてしまったときに備え、彼が自分にたどりつけないようにする必要があった。
男達は、人目につかない道をわざと選んでセツを港の方へつれて行った。港には積み荷の作業用の小屋がいくつかある。屋根は木で出来ているが石造りで、窓はない。天窓からわずかに光がいし込むだけで、薄暗い重苦しい場所だ。その中の一つ。今は使われていない小屋の一つに、セツは男達と入った。大きく深呼吸をして呼吸を整えると、ゆっくりと男達の方を振り返る。
「まず言っておくが、俺は確かに『玄武様』だった。でも、それはもう昔のことだ。俺にはその力は無いし、お前らをすくうことは出来ない。第一、お前らをすくうことが出来るのは、お前ら自身だけだ」
「ああ、玄武様。なんということだ。心もあの忌々しい朱雀に乗っ取られてしまったのですね。おかわいそうに」
「なんでそうなる。朱雀様は、お前らのこともここで保護してくださっている。確かに、やり方には俺も思うところはあったけど、だが、少なくともお前達が忌み嫌う対象ではないはずだ」
「玄武様はご存じないのですね」
「逆に、お前らは何を知っているんだ」
セツが食ってかかるようにして言うと、男達は動揺したように顔を見合わせぽつりぽつりと話し始めた。
朱雀は、玄武様を捕まえ、拷問にかけ洗脳をした。
現在その朱雀は玄武を手駒のように従え、玄武国自身を我が物にしようとしている。
すべては、朱雀国の繁栄のために。
「その話、誰に聞いたんだ」
「俺は、あいつから」
「僕は、あの人から」
「私は――」
じきに声は静かになっていく。どうせ、出所不明の噂話だ。まあ、火付け役は言われなくともわかっているが。
「はっ。とってつけたようなほら話だな」
全くもって事実と異なる根も葉もない噂話。それでも、虐げられた者の力は強い。そう思い込ませることが、どんなに有効かをセツは知っている。かつて玄武が最もよくやっていた手口だから。
「それで、お前らは俺に何を望んでいるんだ」
誤解を解くことはおそらく不可能だろう。それに、それは自分の望むところではない。こんな状況でなければ、必死に朱雀の素晴らしさを歌ったかもしれないが、なにせ自分にも目的があり、それを達成するにはタイムリミッドが近いのだ。
「力を、わけていただきたいのです」
「わから、俺にはもうそんな力」
「玄武様の力ではございません。朱雀様の、あなたが我々を見捨てて得た力です」
言い切る前に、男はセツを机に押しつけるようにして倒した。反い的にセツも抵抗をしたが、図っていたように他の男達に体を押さえられ、動きを封じられる。
「玄武様、あなたは朱雀様の力ほしさに我々を見捨てたそうですな」
「はあ?!」
「あなた様は、朱雀様の力をお持ちなのでしょう?」
「何を言って」
「ああ、嘘をついていただかなくて結構ですよ。確かめてみればわかることですから:
他の男が、ナイフでセツの腕を切った。
「うっ」
鋭い痛みが走るが、すぐに収まっていく。全身の血の怪我ひいていくのがわかった。傷が治ってしまっている。
男達はその様子を見ると、半ば満足そうに、半ば恨めしそうな目でセツを見た。
「やはり、そうだったのですね。ならば、最後だけは我々の役に立っていただけなければ」
「この力は俺が望んでいたもんじゃない。これは」
「我々はあす、王宮に攻め込みます。そのためには、不死身の体が必要なのですよ」
「攻め込む?おい、何を言っているのかわかっているのか?」
今の朱雀国の支援は、玄武国の民にとって必要不可欠で感謝すべきものであるはずだ。その恩を仇で返すことは今後の領国の関係にとっても良いことではないことは少し考えればわかることだろう。それに――。
セツの頭に浮かぶのは、悲痛な顔をするヒショウの姿だった。玄武国のために心を砕いていた彼はきっと切望することだろう。その切望の中には、きっと自分も含まれているのだろうな。ホトの計画に、このことは入っていたのだろうか。彼は何が目的だったのだろうか。まさか、初めから粛正を目的に?ああ、それなら、それをしたのは青龍か。秩序を守る。秩序を守るために必要な粛正とでも、言うつもりなのだろうか。自分からけしかけておいて、そんなの結局自作自演で、ただの口減らしが目的ではないだろうな。
「お前達はだまされている。あいつは、ヒショウは」
「だまされているのはあなたの方ですよ、玄武様」
「話を聞いてくれ。あいつは」
「やれ」
死刑宣告は、こうもあっさりしていて良いのだろうか。そんな風に冷静に、自嘲的に俯瞰する自分がいた。首元から吹き出す鮮血。徐々に動かなくなってくからだ。そして歓喜に沸き立つ人々の声。
彼らは血をのむ。
用が済めば、誰かさんに言われたとおりに火を放つ。
血をのんで不死身になって、あした、王宮に攻め込んで、ヒショウは――。
全く無様だな。本当に。俺の人生こんなもんか。
意外なことに、死ぬことに恐怖はなかった。それよりも、ヒショウを悲しませるであろう罪悪感が心を覆った。きっとうまくいく。そう信じても世界を呪わざるをえない。本当は、あいつと一緒に玄武国に行きたかった。そうやって二人で国を立て直して、玄武様にもあって、三人で世界を見に行って。それから――。
意識が遠のいていくのに、妄想が止まらない。それは次第に夢のようになって、セツの体を包んでいく。甘い夢は、手に取ろうとしてもきりのように消えて行く。出来ないとわかっていても手を伸ばしてしまう。
この感覚は知っている。
俺は世界に、絶望している。
それも、計画通りに。




