第七話 雨の見張り
夕方から降り始めた雨は、夜になっても止まなかった。
森の中で見つけた古い炭焼き小屋は、屋根の半分が残っているだけだった。それでも雨ざらしよりはましで、五人は馬を木陰へつなぎ、使える壁際へ荷を寄せた。
火は小さく焚いた。
濡れた服をすべて乾かせるほど薪に余裕はない。外套から水を絞り、革具へ油を塗り、金属についた水気を拭う。食事は道中で買った固いパンと干し肉で済ませた。
「靴下が冷たい」
リタは膝を抱えて座っていた。
「替えがあるだろう」
剣を拭いていたカイルが言う。
「替えも冷たい」
「なぜ濡らした」
「袋に穴が開いとった」
「確認しなかったお前が悪い」
「困っとる人に正論ぶつけるん、性格悪いよ」
向かいで弓弦を張り替えていたガレスが、顔も上げずに言った。
「靴下を杖の先へつるせ。火の上で回せば乾く」
「それやったら明日から杖が靴下臭くなるじゃろ」
「大魔道士の杖なら耐える」
「うちの杖を何じゃと思っとるん」
「現在は物干し候補だ」
エレナがとうとう笑い出した。
その隣で、ソラはカイルの手元を見ていた。
「刃ではなく、鍔元から拭くんですね」
「水が柄へ入っている。先にこちらを開けた方がいい」
カイルが留め金を外して見せる。
ソラも自分の剣を取り、同じように柄を緩めた。手つきには慣れているが、使っている油の量が少し多い。
「それでは埃を吸う」
カイルが布を一枚投げる。
「余分を拭け」
「はい」
「剣の師には習わなかったのか」
「習いました。雨の中で何日も使うのは初めてです」
「なら、覚えておけ。遠征では斬る時間より、持って歩く時間の方が長い」
「同じことを言われました」
カイルの手が止まる。
「剣の師に?」
「はい。ただ、言われたときは意味を十分に理解していませんでした」
「まともな教え方をする人間らしい」
ソラは布で油を拭いながら、うなずいた。
二人の剣は長さも拵えも違う。それでも、膝へ置く角度や、外した部品を並べる順番がよく似ていた。
同じ流派なら珍しくはない。
リタにはそう見えたが、カイルはしばらくソラの手元を眺めていた。
「カイル」
エレナが乾いた布を差し出す。
「肩の留め具も濡れています。鎧を外してください」
「この程度なら――」
「錆びてからでは遅いのでしょう?」
先ほど自分がソラへ言った手前、断れなくなったらしい。
カイルは黙って肩当てを外した。
「聖女様には弱いねえ」
リタが言うと、カイルが睨む。
「何か言ったか」
「なんも」
夜半、雨脚はさらに強くなった。
最初の見張りはガレスとカイル。次がエレナとソラで、最後がリタとソラだった。
「なんであんただけ二回なん?」
交代のため起きたリタは、外套を羽織りながら尋ねた。
「眠くないので」
「昨日もそう言うとったじゃろ。寝んと身体もたんよ」
「必要な分は休んでいます」
また問題ないと言われそうで、リタは先に口を閉じた。
小屋の軒下へ二人で座る。
雨は目の前へ灰色の幕を作っていた。火は背後にあり、眠っている三人の呼吸が、雨音の合間にかすかに聞こえる。
「町を出てから、四日ですね」
ソラが言った。
「あの町を?」
「皆さんと出会ってからです」
「日ぃ数えとるん?」
「はい」
「几帳面じゃね」
ソラは否定しなかった。
横顔を見る。
火が遠いため、淡い青の瞳も今は暗く見えた。
「ねえ。うちらがおらんかったら、一人で魔王んとこまで行くつもりじゃった?」
「その予定でした」
「ひとりで倒せた?」
「いいえ」
あまりに素直な返事で、リタは眉を上げた。
「じゃあ、どうするつもりじゃったん」
「できることをして、足りなければ別の方法を探します」
「行き当たりばったりとも言うね、それ」
「あなたも似ています」
「うちは考えとるよ」
「考えながら、足りない部分を別の方法で補っています」
「……見とるね、よう」
褒められたのか分からない。
だが、自分を何でもできる魔法使いだと言われるより、ずっと正しく見られている気がした。
「ほいじゃ、聞いとこうか」
リタは濡れた前髪を指でよけた。
「ソラから見て、うちは大魔道士?」
ソラはすぐには答えなかった。
雨垂れが軒先から落ち、泥へ小さな穴をいくつも作っている。
「まだ分かりません」
「そこは気ぃ遣って、はいって言うとこじゃろ」
「分からないことを、分かったとは言えません」
「融通が利かん」
「ですが、なぜそう名乗るのかは知りたいです」
リタは瞬きをした。
仲間たちはもう、聞かない。
長い付き合いの中で、いつからか始まったリタの悪ふざけだと知っている。それで大きく間違ってはいない。
「昔ね、領地に魔獣が出たことがあったんよ」
声を落とす。
「うちもカイルもまだ子どもで、屋敷の地下へ押し込められた。周りの子が泣いとってね。大丈夫って言うても、誰も信じん」
「それで、大魔道士と?」
「この国一番の大魔道士がおるけえ、魔獣なんか一発じゃって。そしたら、一人が泣きやんだ」
本当は、魔獣を倒したのは領地の兵だった。
リタは地下室から一歩も出ていない。
「そのあと引っ込みつかんようになって、今に至る」
「嘘だったんですか」
「あんた、言い方」
「当時は大魔道士ではなかった」
「当時は、って付けたけえ許したげる」
ソラは雨の向こうを見た。
「あなたがそう名乗って、安心する人がいたんですね」
たったそれだけを言った。
馬鹿にせず、立派だとも持ち上げず、事実として受け取った。
「まあ今は、みんな笑うけどね」
「笑えるなら、役に立っています」
「あんたの師匠も、そういう人?」
ソラがこちらを見る。
「笑わせる人ではありませんでした」
過去形だった。
リタは気づいたが、指摘しなかった。
「ですが、言葉にしたことを、最後まで本当にしようとする人です」
その声には、静かな確信があった。
「ほいじゃ、うちも負けとれんね」
リタは膝を伸ばし、杖を抱え直した。
「魔王倒して帰ったら、あんたにも認めさせちゃる。うちは大魔道士じゃって」
「分かりました」
「そこは楽しみにしときます、くらい言いんさい」
「楽しみにしています」
言わされた言葉のくせに、ソラの声は真面目だった。
雨はまだ止みそうになかった。
それでも、冷たかった靴下はいつの間にか乾いていた。




