第五話 知らない師匠
五人になって最初に分かったのは、ソラが馬を持っていないことだった。
二つ目は、馬がなくてもまったく困らないことだった。
「ほんまに乗らんでええん?」
町を出て一刻。リタは馬上から、隣を歩くソラを見下ろした。
「はい」
「今はええかもしれんけど、昼からきついよ」
「問題ありません」
「昨日からそればっかりじゃね」
「問題がないので」
ソラは荷を背負い、盾まで持っている。それでいて、馬の並足と同じ速さを保っていた。
呼吸も乱れていない。
「こいつの方が馬より長持ちするかもしれんぞ」
先頭のガレスが言った。
「馬の気持ちも考えんさい」
「今のは俺が悪いのか?」
「たぶん」
「判断基準が雑だな、大魔道士」
ソラを加えた隊列は、昨日までと少し変わった。
ガレスが先行し、カイルが前を守る。リタとエレナを挟み、ソラが後ろにつく。まずは互いの動きが分かるまで、役割を単純にした形だった。
街道は朝から緩やかな上りが続いている。
昼前、ガレスが片手を上げた。
全員が止まる。
道の端には、小さな白い花が固まって咲いていた。その先に、倒木が一本ある。見たところ、他に変わったものはない。
ガレスは馬を降り、倒木までの地面を調べた。
「獣罠だ。古いが、まだ生きてる」
落ち葉の下から、細い縄を引き出す。踏めば頭上から丸太が落ちる仕掛けらしい。
「魔王国兵のものですか?」
エレナが尋ねる。
「いや。猟師だろう。ここ数日は誰も見回っていない」
ガレスは縄を切らず、罠の位置へ目印を立てた。
「戻る者がいるかもしれん。勝手に壊すな。右を通れ」
四人が順に避ける。
最後のソラも、ガレスが踏んだ場所だけを正確にたどった。
「自分で罠を探そうとはしないんだな」
ガレスが意外そうに言った。
「私より、あなたの方が詳しいので」
「剣が強い奴は、何でも自分でやりたがるものだと思っていた」
「剣の師にも、知らないことは知っている者へ任せろと教わりました」
「いい師だ」
「はい」
ほんの一言なのに、ソラの返事には迷いがなかった。
リタはその横顔を眺めた。
「あんた、師匠好きじゃね」
「尊敬しています」
「剣を教えた人?」
「剣の師も尊敬しています。ですが、師匠は別の人です」
「師匠が二人おるん?」
「はい」
「ややこしいね」
「私には明確です」
ソラは真面目に答えた。
ガレスが口を挟む。
「片方には剣の師と付けて、片方は師匠だけなんだ。明確だろ」
「なんであんたはもう分かっとるん」
「人の話を聞いていたからだ」
リタは馬の腹を軽く蹴った。
少しだけ前へ出る。
「うちだって聞いとったわ」
「負けた顔をしていますよ」
隣へ馬を寄せたエレナが、楽しそうに言った。
「誰に?」
「まだ見ぬ師匠に」
「負けとらんし。そもそも何で競わにゃいけんの」
「さあ」
エレナはそれ以上追及せず、前を向いた。
昼を過ぎると、街道は森へ入った。
枝が日を遮り、道の両側には湿った土の匂いがこもっている。馬上より歩く方が安全になり、全員が馬を降りた。
ソラは自然にエレナの馬の手綱を取った。
「ありがとうございます」
「足元が悪いので」
「うちの馬は?」
リタが言うと、ソラは空いている手を見た。
片手には自分の荷があり、もう片方にはエレナの手綱がある。
「荷を持ちましょうか」
「冗談よ。なんでも持とうとせんでええけえ」
リタは自分の馬を引いて歩いた。
先頭でガレスが藪をよけ、その後ろをカイルが進む。リタたちは踏み跡を外さないよう、一列になった。
しばらくして、エレナの馬が泥に脚を取られた。
手綱が強く引かれる。
ソラは力任せに引かなかった。馬の首を撫で、一度足を戻させてから、乾いた場所へ向きを変える。
扱いに慣れている。
「馬にも乗れるんじゃない」
「乗れます」
「ほいじゃ、なんで乗らんの?」
「馬が一頭足りません」
「そりゃ見りゃ分かるけど」
「師匠は、必要のない者が楽をして、必要な者へ負担を押しつけるなと言っていました」
また師匠だった。
だが、ソラの語り口は自慢というより、方角を確かめるときに地図を見るのと似ている。何かを決めるたび、その人の言葉を確かめている。
「その師匠、いちいち立派じゃね」
「はい。大魔道士ですから」
リタの足が止まった。
後ろにいたソラも止まる。
「今、なんて言うた?」
「大魔道士です」
「師匠が?」
「はい」
リタは杖を持ち直し、ソラの前へ回り込んだ。
「どういう大魔道士?」
「魔法を教えるのが上手く、多くの術を知っています。困難な状況でも、使える手段を見つける人です」
「ほう」
「自分を大魔道士と呼びます」
「最後で急に怪しゅうなったね」
エレナが吹き出した。
少し先で、カイルが額へ手を当てている。
「お前と同類じゃないか」
「一緒にせんで。うちは本物じゃけえ」
「相手も同じことを言うんじゃないか」
「会うて確かめちゃる」
口にしてから、リタはソラへ尋ねた。
「その人、どこにおるん?」
ソラの表情は変わらなかった。
「遠いところです」
それ以上聞くなと言われたわけではない。
だが、その短い答えの向こうへ踏み込むのは、なぜかためらわれた。
会いたくても、簡単には会えない相手なのだろう。
「ほいじゃ、会うたとき勝負じゃね」
リタは軽く言った。
「何で勝負するんですか」
「どっちが大魔道士らしいか」
「師匠は勝負を受けないと思います」
「そこを何とかするんが弟子の仕事じゃろ」
「私の仕事ではありません」
「融通利かんね、あんた!」
今度はガレスまで笑った。
森を抜けるころには、五人で歩く順番が少しだけ崩れていた。
ガレスは変わらず先頭にいる。カイルとエレナは二頭の馬を挟み、何か小声で話している。
リタは自分の馬を引き、ソラと並んでいた。
見たことのない大魔道士の話を、もう少し聞いてみたいと思った。
それが本人への興味なのか、その弟子への興味なのかは、まだリタにも分からなかった。
その日の夜営地は、森を抜けた先の低い丘に決まった。
ガレスが周囲を確かめ、カイルが馬をつなぐ。エレナは水場から戻ると、乾いた布を広げて薬と包帯を数え始めた。
ソラは誰に言われるでもなく、丘の外側へ寝床を作った。
五人の荷から少し離れ、道と森の両方が見える場所だった。
「なんで、そこなん?」
リタは外套を抱えて近づいた。
「外から来るものを先に見つけられます」
「ガレスの罠より外に出とるよ」
「では、私が先に気づきます」
「先に襲われるとも言うね」
リタはソラの敷いた毛布の端を持ち上げた。
「こっち」
「どこへ?」
「みんなの近く。見張りの順番はカイルが決めるけえ、勝手に一晩中起きとらんで」
「私は少ない睡眠で動けます」
「できるかどうかの話じゃない」
毛布を引いて歩く。
ソラはしばらくその場に立っていたが、やがて荷を持ってついてきた。
「端におったら、何かあったとき声届かんじゃろ」
「声は聞こえます」
「うちが嫌なんよ」
言ってから、少し強すぎた気がした。
リタは仲間たちの寝床の外側へ、ソラの毛布を置いた。
「新入りが勝手に消えたら、連れてきたうちの責任になるけえ」
「私が自分から参加を希望しました」
「細かいね。とにかく、ここ」
ソラは置かれた毛布を見た。
「分かりました」
少し離れた場所で、ガレスが罠を張りながらこちらを見ていた。
「なんね」
「犬でも最初はそう言う、と思ってな」
「聞こえとるよ!」
ソラが初めて、声を出して笑った。
大きな笑いではない。それでも、町で見た静かな顔よりずっと年相応に見えた。
リタはガレスへ投げるつもりだった小枝を、そのまま地面へ捨てた。




