第四話 五人目
町の鐘が再び鳴ったのは、襲撃が終わって半刻ほど経ってからだった。
今度は敵襲を告げる早鐘ではない。家に隠れている者へ、外へ出てもよいと知らせる、ゆっくりとした三つの音だった。
広場には戸板を並べただけの治療場所が作られていた。エレナは町の治療師と並んで負傷者を診ている。深い傷へ癒やしの光を使い、軽傷者には布と薬を渡す。魔力を使えば何でも治るわけではない。骨を正しい位置へ戻すのも、傷口を洗うのも、人の手が要る。
リタは井戸と治療場所を何度も往復していた。
「大魔道士さま、お水をもう一桶!」
町の娘に呼ばれ、空の桶を受け取る。
「任せんさい。大魔道士は水汲みも一流じゃけえ」
「井戸から引き上げているのは私ですけど」
綱を引いていた衛兵が言った。
「細かいこと言いんさんな。うちがおらんかったら桶を運ぶ人がおらんじゃろ」
「他に十人はいます」
「戦いが終わった途端、扱いが雑になっとらん?」
娘が笑った。それだけで、張りつめていた広場の空気が少し緩む。
幸い、町の死者は出なかった。
侵入した兵たちは、町を奪うより先に倉庫と井戸を押さえようとしていた。ソラが工房へ住民を逃がし、衛兵が北の柵を守りきったことも大きい。討伐隊があと少し遅ければ、違う結果になっていただろう。
リタは水を運びながら、広場の端へ目をやった。
ソラは壊れた柵を直していた。
太い丸太を衛兵と二人で持ち上げている。正確には、ソラがほとんどの重さを支え、衛兵が置く場所を指図していた。
肩で大斧を受けた男が、今度は丸太を担いでいる。
本人が怪我はないと言ったのは、強がりではなかったらしい。
「あれは何者だ」
いつの間にか隣へ来ていたガレスが、同じ方を見ていた。
「ソラ」
「名前しか分からない、の間違いだろ」
「魔王を倒しに行くらしいよ」
「それを何者かと聞いている」
「本人に聞きゃええじゃん」
ガレスは嫌そうな顔をした。
知らない者へ自分から話しかけるのも仕事のうちだろうに、仕事でないときには徹底して避ける男だった。
「お前が拾ったんだから、お前が聞け」
「拾っとらん」
「ついてきただろ」
「一緒に戦うたんよ」
「犬でも最初はそう言う」
「あんた、人付き合い下手じゃろ」
「今さら気づいたのか」
水桶を娘へ渡したところで、町長らしい老人が二人へ歩み寄ってきた。
「このたびは、本当にありがとうございました」
何度目かの礼だった。
リタは老人が腰を折りきる前に、その肩へ手を添えた。
「礼はもう十分よ。それより、南へ逃げた敵が戻ってくるかもしれん。王都への早馬は?」
「出しました。近隣の守備隊へも知らせが行くはずです」
「ほいじゃ、柵が直るまで気ぃ抜かんようにね」
老人はうなずいてから、ソラを振り返った。
「あの方にも助けていただきました。昨日、東から来られた旅のお方でしてな。宿へ入ったばかりでしたのに、鐘が鳴るなり剣を持って飛び出してくださった」
「昨日?」
「ええ。私どもも名しか伺っておりませんが、悪い方ではありません」
少なくとも、この町に関しては十分な身元保証だった。
どこの誰であろうと、魔王国の兵が押し寄せた町で住民を守るふりまではしない。
丸太を固定し終えたソラが、こちらへ歩いてきた。
「話があります」
まっすぐリタの前に立つ。
「うちに?」
「皆さんにです」
後ろでガレスが小さく笑った。
「お前だけじゃないらしいぞ」
「聞こえとるわ」
カイルとエレナも呼び、五人は広場から少し外れた荷置き場へ移った。
カイルは修復中の柵を背にして、ソラと向かい合う。
「我々に何の用だ」
「魔王討伐へ同行させてください」
遠回しな前置きはなかった。
カイルも驚いた様子を見せず、短く問い返す。
「俺たちが討伐隊だと、なぜ分かった」
「王都を発った四人の特徴は、街道沿いの町へ伝わっています。騎士、聖女、弓を持つ斥候、赤い髪の女魔法使い」
ソラの目がリタで止まった。
「自称、大魔道士」
沈黙が落ちた。
エレナが口元を手で隠し、ガレスは隠しもしなかった。カイルだけが真面目な顔のまま、わずかに横を向いている。
「待って。なんで最後だけ余計なんが伝わっとるん?」
「王都を出るとき、ご自分で名乗ったと聞きました」
「名乗ったけど! 王国の伝達係は他に書くことなかったんか!」
「識別には便利だな」
「カイル、あとで覚えときんさいよ」
「話を戻すぞ」
カイルはソラへ向き直った。
「我々の任務は、旅人が同じ目的だからと気軽に加われるものではない。だが、腕が立つ者を断る理由もない。同行したい理由は?」
「魔王を倒すためです」
「それは目的だ」
「理由も同じです」
ソラは迷わなかった。
「魔王を倒す必要がある。私には戦う力がある。ですから、戦います」
単純すぎる答えだった。
名誉が欲しいとも、故郷の仇だとも言わない。それだけに嘘をついているようには聞こえない。
「剣以外に何ができる」
「長く歩けます。重い物を運べます。毒は多くの場合、効きにくいと思います」
「思います?」
リタが口を挟む。
「試した種類には限りがあります」
「何をどうやって試したんよ」
「リタ」
カイルに止められた。
確かに、今はそこではない。
「王国剣技はどこで学んだ」
「剣の師から」
それ以上の答えを求めるような問い方ではなかった。カイルはソラの手と腰の剣へ目をやり、考える。
王国剣技を学ぶ家はいくらでもある。教えた者の名を聞いたところで、その場で確かめようもない。
「隊の判断へ従えるか」
「はい」
「負傷した場合、目的より仲間の撤退を優先できるか」
ソラは一瞬だけ黙った。
「できます」
答えはしたが、先ほどまでよりわずかに遅い。
リタはその間が気になった。
命令へ従えるかでは迷わなかったのに、仲間という言葉で考えたように見えた。
カイルが三人を見る。
「俺は連れていっていいと思う」
「私も異論はありません」
エレナが続く。
「前衛が一人増えるなら助かります。町の方々も、彼に守られたと証言しています」
「ガレスは?」
「夜中に俺の首を切るつもりなら、もう少し信用させる努力をするだろう。今のところは問題ない」
「その賛成の仕方、どうなん」
三人の視線がリタへ集まった。
もとより、断る気はなかった。
戦っている姿を見た。呼吸を合わせた。リタの指示を疑わず、町の者を守るために動いた。
それに、あの青い目が何を見てここまで来たのか、少し気になる。
「うちも賛成」
リタは手を差し出した。
「大魔道士リタと、その仲間たちの魔王討伐へようこそ」
「リタ率いる討伐隊だと誤解される言い方はやめろ」
「実質そうじゃろ」
「現場指揮は俺だ」
「はいはい。細かい話はあとでええじゃん」
ソラは差し出された手を見てから、握った。
掌は大きく、ひどく温かかった。
「よろしくお願いします、リタ」
「よろしゅう、ソラ」
日が暮れるころ、五人は町で唯一無事だった宿へ集まった。
食堂の窓には板が打ちつけられ、割れた食器が壁際の籠へ積まれている。祝勝の席ではない。町の者たちが交代で食事を取り、これからの見張りと修復を相談する場所になっていた。
五人へ出されたのも、豆と根菜を煮ただけの薄い汁だった。
リタは一口飲み、向かいのソラを見た。
彼の荷物は宿の部屋に置いたまま残っていた。小さな鞄が一つ。着替え、毛布、水筒、手入れ道具。長旅をするには少なすぎるが、必要なものは一通り入っている。
「改めて紹介しとこか」
リタは匙を置いた。
「美貌と知性を兼ね備えた大魔道士、リタ」
「さっき聞きました」
「最後まで聞きんさい。こっちの偉そうなんがカイル。盾役と道に迷ったときの多数決要員」
「現場指揮だ」
「エレナは怪我と呪い。ガレスは罠と道と、だいたい感じの悪い仕事」
「その説明で俺に何を期待しろと?」
「感じ悪う答えたら、証明になるじゃろ」
エレナがソラへ向き直った。
「ご存じかもしれませんが、私たちはそれぞれ、自分の担当を持っています。得意なことがあれば教えてください。不得意なことも」
「剣と盾を使えます。長時間の移動、重量物の運搬、夜間の行動にも支障はありません」
「不得意は?」
ソラは少し考えた。
「まだ、皆さんの戦い方を知りません」
できないことではなく、今足りないものを答えた。
「そりゃ、うちらも同じじゃね」
リタが言う。
「明日から覚えりゃええよ」
食堂の入口から、小さな女の子が顔を出した。
昼間、染物工房の半地下へ逃げていた子だった。母親の後ろに隠れながら、ソラを見ている。
ソラは鞄から、片耳の欠けた木彫りの兎を取り出した。
「これを落としましたか」
女の子の顔が明るくなる。
駆け寄って兎を受け取ると、何度も頭を下げた。ソラは礼を言われる理由が分からないような顔で見送った。
「戦いながら拾うたん?」
「工房の階段にありました。踏めば壊れるので」
「律儀じゃねえ」
「返せる相手がいたので返しました」
それだけ言い、また汁を飲む。
目立ちたいわけでも、子どもに好かれたいわけでもないらしい。
その夜、リタはエレナと同じ部屋になった。
寝台へ横になると、昼間から動き続けた身体がようやく重くなる。隣の寝台では、エレナが髪をほどいていた。
「変わった方ですね」
「ソラ?」
「ええ」
「悪い人じゃないよ」
「ずいぶん早い判断です」
「町守っとったじゃん」
「それだけですか?」
エレナの声には、からかう響きが少しだけ混じっていた。
リタは枕へ頬を押しつけた。
「なんね。うちが男拾うたみたいに言わんで」
「ガレスは、そう思っているようでした」
「あいつ明日置いてこ」
「道が分からなくなりますよ」
「ほいじゃ魔王倒すまで保留」
エレナが笑い、明かりを消した。
暗くなった部屋で、リタは淡い青の瞳を思い出した。
ただ綺麗なだけなら、こんなに何度も思い出しはしない。
自分でも分からない反応を、一瞬だけ見せたから気になっているのだろう。
そういうことにして、目を閉じた。
翌朝、町の西門には四人ではなく五人が並んだ。
壊れた柵の向こうで、町の者たちが手を振っている。前日の娘が、ソラへ包みを投げた。彼は危なげなく受け取る。
「焼いたパンです! 皆さんで!」
「ありがとうございます」
「人気者じゃね」
「町を守ったからだろう」
「うちも守ったんじゃけど」
「お前は水運びの一流だからな」
カイルの言葉に、衛兵たちが笑った。
リタは馬上から拳を振り上げる。
「次に来たとき見ときんさい! 大魔道士の像を町の真ん中に建てさせちゃるけえ!」
「井戸の横なら場所が空いておりますぞ!」
町長が負けずに声を返した。
笑い声に押されるようにして、五人は西へ向かった。




