第三話 青い目の剣士
ベルカの鐘が鳴っていた。
時を知らせる穏やかな鐘ではない。短く、激しく、何度も打ち鳴らされている。
町の東側から黒い煙が上がっていた。
「正門は敵に取られてる!」
先行していたガレスが街道脇の斜面を駆け下りながら叫んだ。
「北の柵が破られた。敵は三十前後、町の中にも入ってる!」
「ガレス、屋根へ上がって数を見ろ。エレナは東側の負傷者を。リタは俺と中央へ行く」
カイルが迷いなく指示を出す。
「了解」
「分かりました」
「うちだけ返事せんかったら怒る?」
「今それを聞くな!」
四人は走りながら分かれた。
北の柵は、荷車が通れるほど大きく破られている。内側には町の衛兵が倒れ、槍や盾が散らばっていた。
リタは杖を前へ向けた。
破れた柵の外から入ろうとしていた兵の前で、地面が盛り上がる。人の背丈ほどの壁には届かない。腰ほどの高さの土塁が、道を横切るようにできた。
「こんなもんで止まるか!」
敵兵が叫んだ。
「止まらんでも、遅うなればええんよ」
土塁を乗り越えようと足を掛けたところへ、カイルが突っ込む。
盾がひとりを外へ押し返し、剣がもうひとりの槍を切り落とした。狭くなった入口では、一度に入れる人数が限られる。
リタはカイルの肩越しに風を送り、敵の顔へ土埃を叩きつけた。
「だから便利って言うなよ!」
「まだ言うとらんじゃろ!」
「顔に書いてある!」
「うちの台詞取らんで!」
北の柵を衛兵へ任せ、二人は中央広場へ走った。
通りには壊された屋台が転がり、窓を閉ざした家々の隙間から、子どもの泣き声が聞こえる。敵兵が家の扉を蹴破ろうとしていた。
リタが小さな火を三つ放つ。
一つ目が兵の足元を焼き、二つ目が扉との間を塞ぐ。三つ目は狙いを外し、壁に当たって弾けた。
「二人任せた!」
「三つ目を外したな」
「二つ当たったじゃろ!」
カイルが二人を引き受けている間に、リタは家の前へ駆け寄った。
扉の内側から家具が押し当てられている。中の者が無事なのを確かめ、次の通りへ向かう。
そのとき、石造りの染物工房の裏手から、重い衝突音が響いた。
金属と金属ではない。
もっと大きく、鈍い音だった。
リタは角を曲がり、足を止めた。
崩れかけた路地の入口に、ひとりの青年が立っている。
片手に剣、もう片方に丸盾。旅装は土と煤で汚れていた。その正面には、リタより頭二つ分は大きな魔族の兵がいる。両手で持った大斧を、青年の盾へ叩きつけたところだった。
普通なら、盾ごと腕が折れる。
青年は片足を半歩引いただけだった。
丸盾で斧の刃を外へ流し、空いた脇へ剣を入れる。派手さのない、王国騎士が最初に習う形だ。ただし、その基本を支えている身体が尋常ではない。
大男が肘を打ち下ろす。
青年は避けず、肩で受けた。身体が揺れた直後には剣を返し、大男の手首を正確に切る。
「なんちゅう無茶な受け方しよるん」
リタは呆れながら杖を上げた。
大男の背後で、別の兵が槍を構えている。
「そこの剣士、左へ三歩!」
青年は振り向かなかった。
それでも、指示どおり左へ動いた。
リタの放った風の塊が路地を抜け、槍兵の胸へぶつかる。鎧を砕くほどの威力はないが、狭い路地で体勢を崩すには十分だった。
青年が一歩踏み込み、剣の腹で槍兵のこめかみを打つ。
大男の斧が、空いた背中へ迫った。
「後ろ!」
青年は盾を背後へ回した。
斧がぶつかる。
足は止まったままだ。
「ほんまに人間なん、あれ」
リタは地面へ魔力を流した。
大男の踵の下だけ、石畳がわずかに持ち上がる。ほんの指一本分。大男の踏み込みが傾き、斧へ乗るはずだった力が逃げた。
青年の剣が喉元へ届く。
刃を返し、柄頭を叩き込むと、大男はその場へ崩れ落ちた。
青年がようやくリタを見た。
淡い青色の目だった。
礼を言うでも、驚くでもない。誰が来たのかを確かめる、静かな視線。
「怪我は?」
リタが尋ねる。
「ありません」
「今、斧を盾で受けとったじゃろ」
「負傷はしていません」
「そういう意味なら合っとるけど」
青年の後ろには、工房の半地下へ下りる扉があった。中から複数の気配がする。町の住民をここへ逃がし、ひとりで入口を守っていたらしい。
「あんた一人?」
「ここでは」
「なんか変な答え方するね」
路地の外から、カイルの声がした。
「リタ! 広場に術師がいる!」
「聞こえたじゃろ。話はあと!」
リタが走り出すと、青年も当然のようについてきた。
中央広場では、黒衣の術師が町の井戸を背に立っていた。周囲に四人の護衛がいる。術師が杖を掲げると、黒い火が石畳を這い、逃げ遅れた住民たちへ向かった。
リタは水を呼んだ。
井戸から引き上げた水が薄い壁になり、黒い火とぶつかる。白い蒸気が広場を覆った。
押し返せない。
水は急速に濁り、端から蒸発していく。相手の術の方が強い。
「五つ数える!」
リタは叫んだ。
「その間に術師を止めて!」
「分かった!」
カイルが護衛へ向かう。
青年も別の護衛へ斬りかかった。
一。
リタは水を足す。
二。
黒い火が左右へ回り込み、腕に熱が走る。
三。
カイルが護衛のひとりを盾で弾き、術師までの道を開ける。
青年は剣を振り上げた護衛の懐へ入り、その身体を術師の前へ押し出した。
四。
屋根の上から矢が飛んだ。
ガレスの矢が術師の杖を弾く。
黒い火が揺らいだ。
五まで数える必要はなかった。
リタは水の壁を一気に前へ押し出した。崩れた黒い火ごと術師を飲み込み、石畳へ転がす。
カイルの剣先が、その喉元で止まった。
「武器を捨てろ」
術師は杖から手を離した。
広場の反対側では、エレナの光が負傷者を包んでいる。北の柵から入ろうとしていた敵も、町の衛兵たちが押し返し始めていた。
指揮を失った魔王国兵は、ほどなく退いていった。
鐘の音が止まった。
代わりに、あちこちから人の声が上がる。家族を呼ぶ声、負傷者を運ぶ声、火を消すため水を求める声。
リタは井戸の縁へ腰を預けた。
「五つ言うたのに、四つで終わったね」
「早い方がいいだろう」
カイルは剣についた水を払っている。
「大魔道士の見せ場を奪ったとは思わん?」
「思わない」
「薄情な幼馴染じゃ」
そこへ、先ほどの青年が歩いてきた。
剣を鞘へ戻し、盾を背負っている。近くで見ると、リタたちと同じくらいの年に見えた。
カイルの視線が、青年の足元から肩までを一度なぞる。
「王国剣技だな」
「はい」
青年はそれだけ答えた。
カイルもうなずいただけで、それ以上は聞かなかった。
王国剣技は、騎士家や貴族家で広く教えられている。旅装の質も悪くない。家を継がない次男か三男が、事情を抱えて旅をしていても珍しくはなかった。
リタは青年の顔を覗き込んだ。
「名前は?」
「ソラです」
「ソラ」
口に出してみる。
短く、呼びやすい名前だった。
青年――ソラがリタを見る。
やはり、目の色が目についた。
「あんた、えらい綺麗な目しとるね」
ソラの動きが、ほんの一瞬だけ止まった。
驚いたようにも見えたが、すぐにいつもの静かな顔へ戻る。
「ありがとうございます」
「そこは普通なんじゃね」
「何がですか」
「いや、なんでもない」
どうにも調子の狂う男だった。
リタは腰へ手を当てた。
「それで、あんたはこれからどこへ行くん?」
「魔王を倒しに行きます」
今度はリタの方が、一瞬黙った。
やがて西を指差し、笑う。
「そりゃまた、行き先まで一緒じゃね」




