第二話 街道の襲撃
王都を出て二日目の朝、ガレスが右手を上げた。
その合図を見た瞬間、三人は声を止めた。
街道は低い丘の間を縫うように続いている。右手には雑木林、左手には雨水の枯れた浅い溝。前方には横倒しになった荷車があり、麻袋が道へ散らばっていた。
人の姿はない。
リタは馬上から周囲を見回した。
「荷車が邪魔なん?」
ガレスは答えず、馬から下りた。土へ指を触れ、散らばった麻袋のひとつを見る。
「小麦じゃない。中身は土だ」
「ずいぶん腹持ちの悪そうな荷物ですね」
エレナが言う。
「荷車ごと囮か」
カイルも馬を下り、盾を腕へ通した。
リタは目を閉じ、周囲の魔力を探った。
林の奥に、ごく小さな揺れがある。誰かが魔法を隠している。それだけは分かるが、位置までは絞れない。
「右の林に術師がおる。たぶん」
「たぶんを付けるな、大魔道士」
「分かる範囲を正直に言うんが誠実な大魔道士じゃ」
「術師は右奥、樫の太い木の裏だ」
ガレスが短弓を手にした。
「弓が三。溝に槍が二。荷車の後ろにも二人いる」
リタは片目を開けた。
「見えとるん?」
「見えてないから分かる。鳥が避けてる場所と、草の向きだ」
「感じ悪い特技じゃね」
「褒め言葉として受け取っておく」
かすかな弦の音がした。
エレナが杖を地面へ突く。同時に淡い光の壁が広がり、飛来した三本の矢を弾いた。
「来ます」
荷車の陰から、黒い鎧を着た兵が飛び出した。
額に短い角を持つ者もいれば、人間と変わらない姿の者もいる。鎧の胸には、ヴァルド魔王国の紋章が刻まれていた。
カイルが一歩前へ出る。
槍が盾へぶつかり、鈍い音を立てた。カイルは受け止めた勢いをそのまま押し返し、相手の体勢を崩す。抜いた剣の柄で顎を打ち、ひとりを地面へ沈めた。
リタは両手を広げた。
風が街道を低く走る。
二射目の矢が軌道を変え、道端の土へ突き刺さった。続けて指を鳴らすと、荷車の下から火が走り、隠れていた兵を追い出す。
「左です!」
エレナの声に、リタは振り向いた。
溝から出た槍兵が、障壁の端を回り込んでいる。
リタは地面へ掌を向けた。槍兵の足元が盛り上がり、片足を取る。倒れはしなかったが、動きが一瞬止まった。
その一瞬で十分だった。
ガレスの矢が槍の柄を弾き、カイルが間合いへ入る。
「便利じゃろ!」
リタが言うと、カイルは敵の剣を受けながら怒鳴り返した。
「自分で言うな!」
林の奥で魔力が膨らんだ。
リタは火球を作り、樫の木へ投げる。だが幹へ届く直前、青白い膜が現れて火を散らした。
「防がれた!」
「相手は専門の術師です。火では押し切れません!」
エレナの声は落ち着いていた。
「ほいじゃあ、別のにするわ」
リタは火を捨て、林の地面へ意識を向けた。
土を持ち上げる。木の根そのものを抜くほどの力はない。代わりに、術師が立つ周囲だけを細かく揺らした。
青白い膜がぶれる。
ガレスの矢が、その隙間を抜けた。
木の裏で短い呻き声が上がり、隠されていた魔力が消える。
「さすがうち」
「俺の矢だ」
「うちがおらんかったら当たっとらん」
「あとで分け前を相談しよう」
前方の荷車が、突然内側から弾けた。
木片と土袋を吹き飛ばし、灰色の巨体が現れる。牛ほどもある獣だった。太い前脚と、岩のように固まった背中。魔王国の兵が鎖を外すと、獣は一直線にカイルへ突進した。
「カイル、右へ!」
「後ろにエレナがいる!」
カイルは退かなかった。
大盾を地面へ食い込ませ、肩を当てる。灰色の獣が正面から激突し、金属がひしゃげるような音が響いた。
靴が土を削り、カイルの身体が半歩押される。
それでも隊列は崩れない。
リタは獣を吹き飛ばそうとして、やめた。
今の距離で大きな風を起こせば、カイルまで巻き込む。岩の背中へ火を当てても、すぐには通らない。
なら、倒せる者が倒しやすいようにすればいい。
道に残った朝露を集め、獣の前脚の下へ薄く広げる。冷気を重ねると、泥の表面が白く凍った。
獣の爪が滑る。
カイルは盾を斜めに傾け、巨体を横へ流した。
地面へ倒れた獣の脚へガレスの矢が刺さり、エレナの光が目を覆う。カイルが剣を逆手に持ち替え、岩の隙間へ深く突き立てた。
灰色の巨体が二度痙攣し、動かなくなった。
主力を失った兵たちは、長く戦おうとしなかった。
ひとりが退却の声を上げ、残った者たちが林へ逃げ込む。ガレスは二本目の矢をつがえたが、カイルが首を振るのを見て下ろした。
「追えば、次の罠へ誘われる」
「だろうな」
林の奥で、押し殺した呻き声がした。
ガレスが短剣を抜き、樫の木へ向かう。三人も続いた。
木の裏には、先ほどの術師が倒れていた。ガレスの矢は肩を貫いている。逃げようとしたらしく、地面には片手で這った跡が残っていた。
角はない。黒衣の襟元から見える顔は人間と変わらず、年もリタたちより下に見えた。
「殺すのか」
術師は四人を見ると、震える声で尋ねた。
「暴れなきゃ殺さんよ」
リタが答える。
「嘘だ。王国は魔族を捕らえない」
「誰に聞いたん、そんなん」
「隊長が」
「その隊長、あんた置いて逃げたじゃん」
術師は口を閉じた。
エレナが膝をつき、肩の傷を調べる。術師は身を引こうとしたが、背中が木へ当たった。
「矢を抜きます。動かないでください」
「俺を治すのか」
「死なれると、話を聞けませんから」
穏やかな声だが、内容は実際的だった。
エレナが矢を短く切り、光で出血を抑える。完全には治さない。逃走や再戦ができず、命だけは失わない程度だった。
カイルが術師の杖を遠くへ蹴った。
「どこを襲う予定だった」
「言わない」
「街道を塞ぎ、王都から来る者を待っていた。別働隊がいるな」
返事はない。
ガレスは術師の腰袋を外し、中身を地面へ並べた。火打ち石、乾いた薬草、短い縄。それから、折り畳まれた紙。
術師の顔色が変わった。
「そっちが大事らしい」
「待て」
ガレスが紙を開く。
術師は目を閉じた。
「ベルカに家族がおるん?」
リタが尋ねる。
「いない」
「なら、なんでそんな顔するん」
「俺が話したと思われる」
「話しとらんじゃん。うちらが勝手に取った」
「同じだ」
戦争の中では、本人にとって同じなのだろう。
リタは少し考え、術師の黒衣を裂いた。細長い布へ、水で大きく王国の印を書く。
「何をしている」
カイルが尋ねる。
「こいつ、ここへ置いてくしかないじゃろ。味方が戻ったら、情報吐いた裏切り者にされる。王国軍が捕虜にした印つけときゃ、少しはましよ」
「敵へ捕虜だと知らせるのか」
「逃げた兵が連れ帰るかもしれん。王国の巡回が見つけても分かる」
エレナが布を術師の腕へ結んだ。
「水と薬も置きましょう」
ガレスは嫌そうな顔をしながら、自分の水筒を半分だけ別の容器へ移した。
「返せとは言わん。次に会っても撃つ」
「……分かっている」
四人は術師を木へもたれさせ、西の地図へ目を移した。
リタは息を吐き、凍らせた泥を靴先で踏んだ。
薄い氷は簡単に割れた。
「ずいぶん薄い氷ですね」
エレナが言う。
「目的を果たすんに必要な厚さがあればええんよ」
「さっき火を防がれたことは?」
「あれは相手が火だけ上手かったんじゃ。総合力ではうちの勝ち」
「本人が逃げたあとなら、何とでも言えるな」
ガレスが、術師から取り上げた紙を地面へ広げながら言った。
紙には街道沿いの町と村が、簡単な線で記されている。
そのうち一つへ、赤い印が付いていた。
「ベルカ」
カイルが町の名を読んだ。
リタも地図を覗き込む。
ここから西へ、馬なら半日の距離だ。河と街道が交わる小さな町で、軍の補給路にもなっている。
「今日の日付が書いてある」
ガレスが言った。
「こいつらは街道を塞ぐ役だ。本隊はもう向かってる」
エレナが倒れた獣を見てから、西へ目を向けた。
「急ぎましょう」
カイルはうなずいた。
休息を取るという言葉は、誰の口からも出なかった。
リタは馬へ乗り、手綱を握る。
強い四人が旅をしているからといって、行く先すべてを救えるわけではない。
着くのが遅ければ、それだけで間に合わなくなる。
「行くよ」
今度は、大魔道士とは名乗らなかった。
四頭の馬が、一斉に西へ駆け出した。




