第三十九話 大魔導士ではない
七か月目、王都から魔法使いが訪ねてきた。
オーレンという老いた男だった。
かつて王宮魔術師団で教官を務め、今は引退している。リタが時間遡行術式について、何度も意見を求めている相手だった。
「お前が弟子を取ったと聞いて、耳を疑ったぞ」
オーレンは庭に立つソラを見た。
「自分の世話もできん奴が」
「できとるわ」
リタは椅子へ座り、毛布を膝へ掛けていた。
季節はまだ秋だったが、最近は寒がることが増えた。
「師匠は大魔道士です」
ソラが言うと、オーレンは眉を上げた。
次に、大声で笑った。
「何がおかしいん」
「弟子にまで信じ込ませたのか」
「事実を教えただけじゃ」
「そいつは昔から自分で言っているだけだ。全盛期でも魔術師団の上位には届かん」
ソラはリタを見た。
「ほんまのことよ」
リタは悪びれなかった。
「魔力量はちょっと多い。威力もちょっと強い。使える系統も多め。どれも専門の一番には勝てんかった」
「大魔道士ではないのですか」
「自称、大魔道士」
オーレンが言い直す。
「うるさいわ。今は弟子の前じゃろ」
「今さら遅い」
ソラの中で、知識が修正された。
大魔道士は、高位の魔法使いへ与えられる称号。
リタは公的な称号を持たない。
かつての能力も、複数項目で平均を上回るが突出していない。
一般的な分類では、大魔道士ではない。
「失望したか?」
オーレンが尋ねる。
「失望の基準が分かりません」
「可愛げのない弟子だな」
「誰に似たんじゃろうね」
「お前だろう」
オーレンはソラの魔法を見るために来ていた。
庭の標的へ向け、火を放つよう指示する。
「大きさは、この程度だ」
老人が片手を上げた。
人の頭ほどの火球が、瞬時に現れる。
リタの魔法より速く、強い。
標的へ当たると、藁は跡もなく燃えた。
「これが専門の術師ですか」
「そうじゃ。腹立つじゃろ」
「なぜ師匠が答える」
オーレンが言った。
ソラも火を作った。
同じ大きさへ抑える。
放つ直前、形が崩れた。
火球が二倍に膨らむ。
リタが指を動かした。
ごく細い風が火の外周を回り、余分な熱だけを上へ逃がす。火球は指定の大きさへ戻り、標的へ当たった。
燃え跡が残る。
「もう一度だ」
オーレンが、新しい標的を置いた。
「今度は半分の大きさ。威力も半分にしろ」
ソラは火を作った。
人の頭ほどに膨らみかけたものを、内側へ押し込む。
指定された大きさになった。
放つ。
標的へ当たった瞬間、火が弾けた。
藁だけでなく、その後ろの柵まで焦げる。
「大きさしか見ていませんでしたね」
リタが言った。
「魔力の密度が高すぎます」
オーレンは焦げた柵へ近づいた。
「お前の教え方だと、そうなる」
「なんで」
「お前は、一滴を何に変えるかだけ考える。こいつは、その一滴が樽一杯あるような身体だ」
「じゃけえ、小そう分けるんよ」
「分ける前に、流れを閉じすぎている。押し込めた魔力が、当たったところで全部出る」
オーレンがソラの手首を取った。
「次は、最初から半分を捨てろ」
「捨てる?」
リタの声が険しくなる。
「練習の話だ。こいつは捨てても枯れん」
「癖になったらどうするん」
「お前のやり方だけが魔法ではない」
二人の意見が分かれた。
ソラは手を上げたまま待った。
「どちらを行いますか」
「両方だ」
オーレンが答える。
「同じ火を、リタの方法と俺の方法で作れ。結果を見て、自分で使い分けろ」
リタは不満そうだったが、止めなかった。
最初に、リタの方法。
魔力を細く分け、指定の形へ満たす。余分を身体へ戻す。
火は小さい。
内部へ力が詰まりすぎ、標的へ当たると柵まで焼いた。
次に、オーレンの方法。
身体から出る流れを最初から広く取り、火へ変わらなかった力を空気へ逃がす。
火の密度は低い。
標的の表面だけを燃やし、すぐ消えた。
「今は、こっちの方が指定に近いですね」
オーレンが言う。
「魔力は無駄じゃけど」
「無駄にできるうちは、無駄からも学べ」
ソラは二つの流れを記憶した。
「師匠の方法は、私に適していませんか」
「今の段階ではな」
オーレンが答える。
「お前の師匠は、金貨一枚で一月暮らす方法を教えている。だが、お前は金庫を一つ背負っている。まず、金の使い方そのものを覚えろ」
「例えが分かりやすいですね」
「うちの説明は?」
リタが尋ねる。
「漏らすな、戻せ、でした」
「簡潔じゃろ」
「雑とも言う」
オーレンが笑った。
リタは椅子から立ち、焦げた柵へ近づこうとした。
二歩目で右脚が止まる。
ソラが腕を出した。
「大丈夫」
「転倒します」
「せんよ」
三歩目で身体が傾いた。
ソラが支える。
オーレンは笑わなかった。
「朝の魔力を使い切ったな」
「まだちょっとある」
「そのちょっとは、夜まで取っておけ」
「人んち来て命令せんで」
「三年、同じことを言っている」
「聞かんかったのに、今日聞くと思う?」
「弟子の前なら、少しは格好をつけるかと思った」
リタはソラの腕を借りたまま、椅子へ戻った。
「ほら、ちゃんと休んだ。格好ええじゃろ」
「弟子。こいつを反面教師にしろ」
「誰が反面よ」
ソラは、反面教師という言葉の意味を確認した。
本人へ言うと怒る場合があることも記憶した。
オーレンは火ではなく、リタの指を見ていた。
「今の魔力で、よくそこまでやる」
「三年もありゃ、嫌でも覚える」
「真似しようとは思わん。先に死ぬ」
ソラは、リタが使った魔力を追った。
オーレンの火球に使われた量の、数百分の一。
風を起こすのではなく、熱の逃げる方向へ道だけを作った。
「俺なら、もっと大きな風で火ごと囲う」
オーレンが言う。
「お前の師匠は、その風を作る魔力すら惜しいらしい」
昼食は、庭へ机を出して取った。
オーレンはリタの椅子を日陰へ運び、本人が文句を言う前に毛布を掛けた。
「子ども扱いせんで」
「子どもなら、もう少し言うことを聞く」
「うちは弟子の前では威厳あるんよ」
「先ほど転びかけた威厳か」
リタがパンを投げる。
オーレンは片手で受け取り、そのまま食べた。
ソラは二人を見た。
「師匠は、いつから大魔道士を名乗っていますか」
リタが咳き込んだ。
オーレンは楽しそうに笑う。
「聞きたいか」
「はい」
「言わんでええ」
「こいつが学院へ入って二年目だ」
リタの制止を無視して、オーレンは話し始めた。
王都の魔法学院では、年に一度、学生を組ませて森へ出す実地試験があった。
火を専門にする者。
治療を学ぶ者。
探知に長けた者。
防御を得意とする者。
リタは、どの組にも最初は選ばれなかった。
「なぜですか」
「どの役も、こいつより上の学生がいたからだ」
「言い方ぁ!」
「事実だろう」
「はい。続けてください」
「弟子まで冷たいね」
最後に余った学生を集めた組へ、リタは入った。
専門の火術師は火力が足りず、治療役は傷を見ると気分を悪くした。探知役は遠くを見つけられる代わりに足元の罠へかかり、防御役は自分の正面しか守れなかった。
「師匠が、すべて代わったのですか」
「代われるわけがない」
オーレンは即答した。
「火は薪へ着ける程度。治療は傷を洗って布を巻く程度。探知は物音がした方向を見る程度。防御は一撃受ければ割れた」
「役に立っとらんみたいに言うね」
「専門家の代わりにはならんという話だ」
試験の二日目、森に出るはずのない鎧熊が現れた。
学生の火では止められない。
防御役の結界も、一撃で割れた。
リタは火で熊を倒さなかった。
土を少しだけ崩して足を遅らせ、風を少しだけ起こして仲間の匂いを散らし、光を少しだけ曲げて逃げる方向を隠した。
どれも、熊へ大きな傷は与えていない。
一人なら、逃げ切れなかった。
探知役が見つけた岩穴へ、防御役が全員を押し込んだ。火術師が入口を焼き、煙を嫌った熊が離れる。傷を見られなかった治療役も、自分の腕の出血だけは自分で止めた。
「全員で逃げたのですね」
「そうだ」
「うちが見事に指揮したんよ」
「半分は泣きながらだったがな」
「泣いとらん。煙が目に入っただけ」
岩穴の中で、年下の学生が怯えていた。
先生は来ない。外には熊がいる。このまま死ぬのかと泣いた。
リタは胸を張った。
大丈夫、大魔道士リタがおるけえ、と言った。
「その時点では、称号を持っていません」
「今も持っとらんわ」
「そうでした」
オーレンが笑う。
「その場の全員が、何を言っているんだという顔をした。だが、一人が笑った。次が笑った。熊が離れるまで、震えずに済んだ」
「師匠は、安心させるために名乗ったのですか」
「格好つけただけよ」
「半分はな」
オーレンが言った。
「残り半分は?」
「こいつが本当に、自分なら何とかできると思っていた」
「できたじゃろ」
「熊は教師が倒した」
「来るまで持たせたんはうち」
「仲間と一緒にな」
「分かっとるよ」
リタは不機嫌そうにパンをちぎった。
それから学院で何か面倒が起きるたび、自分を大魔道士と呼ぶようになった。
最初は同級生が笑った。
卒業するころには、はいはい、と聞き流した。
だが、他校の学生が馬鹿にすると、同じ仲間が怒った。
「今と同じですね」
「成長しとらん言いたいん?」
「継続しています」
「便利な言葉使うね」
ソラは掌へ魔力を集めた。
リタが使ったのと同じだけに絞る。
一筋の風を作ろうとする。
空気が大きく弾け、食卓の布がめくれた。
パンが地面へ落ちる。
オーレンが自分の椀を押さえた。
「食事中にするな!」
「同じ量にしたつもりでした」
「百倍は出とるよ」
リタが落ちたパンを拾う。
土を払い、自分の皿へ戻した。
「私が食べます」
「うちのじゃけえ、うちが食べる」
「汚れています」
「食べもん粗末にせんの」
「私が落としました」
「ほいじゃ、次は落とさんようにしんさい」
パンを一口食べる。
「あと、真似せんでええよ。あんたは魔力あるんじゃけえ」
「師匠の方法を学んではいけませんか」
「今のあんたには、オーレンのやり方の方が合う。いつか細かいんが要るとき、覚えたらええ」
自分の方法を、唯一の正解だとは言わなかった。
得意なものを誇りながら、得意でないものも隠さなかった。
「あなたは、公的には大魔道士ではありません」
「弟子に二回も言われた!」
「ですが、師匠は大魔道士です」
リタが黙った。
「どっちなんだ、それは」
オーレンが尋ねる。
「分類ではなく、名前です」
大丈夫だと言うために、自分で選んだ名。
一番強い者の称号ではない。
足りないものを足りないまま使い、仲間と生きて帰るための名だった。
「師匠は、大魔道士リタです」
リタはしばらく何も言わなかった。
やがて、顔を横へ向ける。
「当たり前じゃろ」
耳が赤かった。
オーレンが笑う。
今度はリタも怒らなかった。
試験のあと、リタとオーレンは居間へ入った。
ソラは庭の標的を片づけた。
焦げた柵板を外し、新しい板を打つ。
窓が開いており、中の会話が聞こえた。
「時間魔法は、まだやっとるんか」
オーレンの声だった。
「うん」
「完成させて、どうする」
「どうもせんよ」
「あの器に使わせる気か」
ソラの手が止まった。
「違う」
リタの返事は早かった。
「あの子は関係ない。保護する前からやっとる。うちの課題よ」
「お前には使えん」
「知っとる」
「あの器なら使える」
「じゃけえ、教えん」
「今、魔法を教えているだろう」
「時間魔法は見せとらん」
「居間へ紙を広げているのにか」
しばらく、返事がなかった。
「術式は読めても、目的までは分からんよ」
「お前は甘い」
「知っとる」
「あれが魔王の器なら、いつかお前より長く生きる。紙を残せば、いずれ読む」
「なら、燃やした方がええんかもしれんね」
「できるのか」
リタはすぐに答えなかった。
「分からん。これはうちの三年じゃけえ」
「残せば、あれが選ぶ」
「選ぶ権利があるいうんと、使うてほしいいうんは違うよ」
リタの声が小さくなる。
「あの子に、うちの後悔を背負わせたくない。できるなら、知らんまま自分の人生を生きてほしい」
「死んだあとの選択まで、止められるか」
「止められんよ。じゃけど、うちの答えは変わらん」
オーレンはすぐには答えなかった。
「診療所では、何と言われた」
「前と同じ」
「俺に嘘をつくな」
「魔法使いは医者じゃないじゃろ」
「古い友人ではある」
窓の外で、ソラは板を持ったまま動かなかった。
「冬は越せる」
リタが言った。
「その先は?」
「分からん」
今度の分からないは、言いたくないときの声だった。
ソラには、まだその違いが完全には分からなかった。
ただ、オーレンが長く黙ったことを記録した。
「あの子には言うな」
「いつまで隠す」
「隠せる間」
「残酷だぞ」
「あの子、今は悲しまんよ」
「今はな」
会話が止まった。
ソラは柵板を打ち始めた。
槌の音で、これ以上は聞こえなくなった。
一般的な意味で、リタは大魔道士ではない。
だが、ソラの知識にあるどの魔法使いとも違った。
オーレンが帰ったあと、リタは尋ねた。
「呼び方、変える?」
「何にですか」
「リタさんとか」
「あなたは私へ魔法を教える者です」
「ほいじゃ、師匠のまま?」
「はい、師匠」
リタは満足そうに毛布へ顔を埋めた。
「大魔道士は?」
「一般的な定義には一致しません」
「そこも気ぃ遣いんさいよ」
「事実です」
リタは不満そうだった。
ソラは、なぜ自分が少しおかしいと感じているのか考えた。
笑っているのだと気づくまで、以前ほど時間はかからなかった。




