第三十六話 剣の師匠
カイルが家を訪れたのは、ソラが見つかってから一か月後だった。
リタはそれまでに、魔王城で何を見つけたかを手紙で知らせていた。
詳しい説明は書かなかった。
魔王の器らしい青年を拾った。今は自分の家にいる。危険な様子はない。
その三行だけだった。
「なぜ先に相談しなかった」
家へ入るなり、カイルは言った。
「相談したら止めるじゃろ」
「当然だ」
「じゃけえ、せんかった」
「答えになっていない」
「うちん中ではなっとる」
二人はしばらく言い争った。
ソラは居間の壁際に立ち、次の指示を待った。
カイルは剣を帯びている。
身長、体格、立ち方。一般知識と、リタから聞いた情報を合わせる。
王国騎士。侯爵家の次男。リタの幼馴染。魔王戦の生存者。
「それで、そいつが」
カイルの視線がソラへ向いた。
「ソラ」
リタが言う。
「うちが名前付けた」
「聞いていない」
「今言うた」
カイルは頭を押さえた。
「ソラ。自分が何か分かっているか」
「魔王が次の肉体として作った可能性が高いと、師匠から聞きました」
「師匠?」
「うち」
リタが胸を張る。
「魔法教えよるんよ」
「一か月で、そこまで話が進んだのか」
「大魔道士じゃけえ」
カイルは無視した。
「魔王の記憶は」
「ありません」
「命令は受けているか」
「誰からも受けていません」
「目的は?」
「ありません」
「リタが誰かを殺せと言えば?」
「命令には従わないよう指示されています」
カイルがリタを見る。
「そこは教えたんだな」
「当たり前じゃろ」
「では、今俺がリタを殺そうとしたら?」
ソラは考えた。
必要な行動を求められている。
リタの生命が失われる。
それを回避する理由を、彼はまだ持っていない。
ただし、リタは自分を保護し、知識を与える個体だった。失われれば、現在の生活と学習が継続できない。
「止めます」
「なぜ」
「師匠が死ぬと、魔法を学べません」
「そこ?」
リタが割り込む。
「他に理由がありますか」
「あるじゃろ、もうちょっと!」
「答えられるよう誘導するな」
カイルが止めた。
剣から手を離す。
「少なくとも、魔王ではなさそうだ」
「じゃろ?」
「安全だとは言っていない」
「似たようなもんよ」
「違う」
昼過ぎ、三人は裏庭へ出た。
カイルは木剣を二本持ってきていた。
「剣も教えてほしいんよ」
リタが言う。
「魔法だけでええじゃろ」
「いつも魔法使えるとは限らん。自分の身体を守る方法は、多い方がええ」
カイルはソラの身体を見た。
「持て」
木剣を投げる。
ソラは受け取った。
「打ってこい」
「どこへ?」
「俺へだ」
ソラは木剣を振った。
身体の力を、そのまま剣へ乗せた一撃だった。
カイルは半歩横へ動き、受け流す。ソラの剣先が地面へ落ちたところで、足を払った。
ソラは背中から倒れた。
「力だけだな」
「はい」
「立て。まず握り方からだ」
カイルは王国剣技の基本を教えた。
足の置き方。
盾を持つ側を守る身体の向き。
剣を振ったあと、次の動きへ戻る位置。
ソラは説明どおりに動いた。
理解は早い。身体も強い。
それでも、カイルには一度も触れられなかった。
日が傾くころ、リタが椅子を庭へ運んできた。
「どう?」
「基礎から一年あれば、形にはなる」
「一年?」
「早い方だ」
「うちの弟子じゃけえ、もっと早いかもよ」
「剣は俺の弟子だ」
カイルが答える。
リタは笑った。
「ほいじゃ、ソラには師匠が二人じゃね」
ソラは二人を見た。
「どちらも師匠と呼びますか」
「ややこしいけえ、カイルは剣の師匠。うちは師匠」
「なぜお前が決める」
「先に師匠になったけえ」
「分かりました」
ソラの中で分類が増えた。
人生と魔法を教える師匠。
剣を教える、剣の師匠。
その時点では、ただ区別するための呼び方だった。
カイルは、三日後にも来た。
今度は木剣だけでなく、古い丸盾を持っていた。
「騎士が使うものより小さいですね」
ソラが腕へ付ける。
「最初から大盾を持たせると、身体の力だけで振り回す」
「振り回せます」
「だから駄目なんだ」
カイルは盾の革帯を締め直した。
「盾は武器ではない。自分と、後ろにいる人間へ、敵の刃が届く場所を減らすものだ」
「敵を殴ることも可能です」
「必要ならな。だが、殴ることを先に考えるな」
庭の中央に、石を三つ置く。
ソラの後ろに一つ。左右へ一つずつ。
「後ろの石を守れ。俺は左右から打つ」
カイルが木剣を構えた。
最初の一撃は、正面だった。
ソラは盾で受けた。
次は左。
身体ごと向きを変え、盾を当てる。
後ろの石が右から見える。
カイルの剣先が石へ触れた。
「失敗だ」
「私には当たっていません」
「お前は石を守ると言われた」
「はい」
「自分だけ無傷でも、後ろが死ねば盾の役目は果たしていない」
もう一度。
今度は身体を大きく動かさず、盾の角度だけを変えた。
剣は受けられた。
三撃目で、右の石へ触れられた。
「左右の石も守りますか」
「守れるなら」
「条件が追加されました」
「戦いでは、敵が条件を守ってくれない」
四度目。
五度目。
十度目で、後ろの石だけは守りきった。
左右は六回触れられた。
「今日の目標は後ろだ。合格」
「左右は失敗しています」
「一日で全部できると思うな」
「魔法でも言われました」
「リタが?」
「はい」
カイルが椅子にいるリタを見た。
彼女は毛布を膝へ掛け、庭の二人を眺めている。
「聞いた?」
リタが胸を張った。
「うちら、教え方も似とるんじゃない?」
「剣と魔法で共通するだけだ」
「妬かんでええよ」
「何を妬くんだ」
ソラは二人の会話を聞き、木剣を構え直した。
「次をお願いします」
「休め」
「疲労はありません」
「俺がある」
カイルは木剣を下ろした。
「お前の身体に付き合うと、こちらが先に潰れる」
「それは、私の習得が遅れる理由になりますか」
「なる。教える人間がいなくなる」
ソラは剣を下ろした。
魔法の練習で、リタの水を優先したときと同じ理由だった。
休息は自分のためだけではない。
昼食は三人で取った。
カイルは食卓の空いている椅子を見て、廊下側へ座った。
長く使われていなかった一脚だった。
「そこ、ガレスの席じゃった」
リタが言う。
カイルの手が止まる。
「決まっていたのか」
「勝手に。入口近い方が何かあったとき楽じゃ言うて」
「変わらないな」
カイルは席を替えなかった。
リタの隣には、もう一つ空席がある。
ソラが最初に選ばなかった、窓側の椅子だった。
「そっちは?」
ソラが尋ねる。
「エレナ」
「亡くなった聖女ですか」
「うん」
「なぜ椅子を残していますか」
リタは皿を見た。
「片づける理由もないけえ」
答えと声が一致していなかった。
ソラはそれ以上尋ねなかった。
カイルも黙っていた。
三人で食べる食卓には、椅子が四脚あった。
次の週、カイルは同じ曜日に来た。
ソラは朝から庭へ石を並べていた。
後ろに一つ。左右に一つずつ。
「今日は私が左右も守ります」
カイルへ言う。
「誰が決めた」
「私です」
「後ろを守る基礎が崩れたら、元へ戻すぞ」
「はい」
二十回のうち、左右へ触れられたのは七回だった。
前回は十回のうち六回。
比率は改善している。
「数字の問題ではない」
カイルは言った。
「敵が一度触れれば、その一度で死ぬ」
「では、零回まで続けます」
「今日中にとは言っていない」
「一年あれば形になると言いました」
「覚えていたのか」
「はい」
「一年後に、何をするつもりだ」
「不明です」
剣を学ぶ目的は、自分を守る方法を増やすためと教えられた。
だがソラには、守りたい自分の人生がまだなかった。
「目的がなくても、学ぶのか」
「師匠が、方法は多い方がよいと言いました」
「またリタか」
「はい」
カイルは庭の椅子を見た。
その日はリタがいない。
朝から身体が動かず、寝室で休んでいた。
「あいつの言葉以外にも、自分の理由を作れ」
「どのように?」
「それを俺に聞くな」
「師匠と同じことを言います」
「なら、二人分聞け」
カイルが構える。
「もう一度だ」
稽古が終わると、カイルは寝室の扉を見た。
「今日は、いつから動けない」
「朝です」
「食事は」
「摂っていません」
「なぜ先に言わなかった」
「尋ねられなかったので」
カイルは目を閉じた。
怒りを抑えるときの反応だった。
「リタの身体のことで、普段と違うことがあれば俺へ言え」
「すべてですか」
「食べない。起きない。血を吐く。立てない。いつもより悪いと思ったことだ」
「師匠は、言わなくてよいと言う可能性があります」
「それでもだ」
「どちらを優先しますか」
「自分で決めろ」
また同じ答えだった。
カイルは台所で薄い粥を作った。
味を確かめ、塩を足す。
鍋をソラへ渡した。
「食べさせろ」
「これは命令ですか」
「頼んでいる」
「断った場合は?」
「俺がやる」
ソラは鍋を受け取った。
「私がします」
寝室へ入ると、リタは起きていた。
「二人で何話しとったん」
「師匠が食事を摂っていないことについてです」
「告げ口したん?」
「カイルが尋ねました」
「次から言わんでええよ」
ソラは鍋を机へ置いた。
カイルの指示と、リタの指示が衝突する。
以前なら、直近の命令を優先しただろう。
「言います」
「なんで」
「師匠が食べない状態は、悪化する可能性があります。私は、悪化しない方を選びます」
リタはしばらくソラを見た。
「それ、あんたが決めたん?」
「はい」
「ほいじゃ、仕方ないね」
「食べてください」
「それは命令?」
「頼みます」
「断ったら?」
「カイルを呼びます」
「脅しじゃん!」
リタは文句を言いながら、粥を半分食べた。
カイルはそれから、週に二度来るようになった。
剣を教える日と、剣を持たずに食料だけ置いていく日があった。
ソラにとって、どちらの日も剣の師匠が来る日だった。
次の稽古で、カイルは石を置かなかった。
代わりに、リタを庭へ呼んだ。
「今日は、お前が後ろだ」
「うち?」
「石は動かない。人間は動く」
リタは毛布を肩へ巻き、ソラの後ろへ立った。
「怪我をする可能性があります」
ソラが言う。
「木剣じゃ」
「師匠の身体には、木剣でも危険です」
「なら、当てさせるな」
カイルは盾を持たず、木剣だけを構えた。
「俺がリタの肩へ触れたら、お前の負けだ」
「前へ出ないでください」
ソラはリタへ告げた。
「はいはい」
最初の一撃を盾で受ける。
二撃目は剣で払った。
カイルが右へ回る。
ソラも動き、進路を塞ぐ。
背後で、リタが咳をした。
振り返らない。
三撃目。
四撃目。
すべて止める。
カイルが一度下がった。
「師匠、そこから動かないでください」
返事がない。
「師匠?」
ソラがわずかに顔を向ける。
リタは庭の端へ移動していた。
「なんで動いたん!」
「花踏みそうじゃったけえ」
カイルの木剣が、リタの肩へ軽く触れた。
「負けだ」
ソラは盾を下ろした。
「指示に従っていません」
「うちは石じゃないけえ」
「危険を回避するための指示です」
「足元の花も避けたかったんよ」
「花は負傷しません」
「踏んだら折れるよ」
「師匠の方が重要です」
「それ決めるん、あんた?」
リタが尋ねた。
ソラは答えに詰まった。
自分はリタを守ろうとした。
そのために、彼女の選択を止めようとした。
「後ろの人間は、お前の盾の一部じゃない」
カイルが言う。
「自分で見て、動く。お前が守ろうとした場所から出ることもある」
「それでは、守れません」
「だから声を聞け。お前も声を出せ。敵だけ見て、守る相手を忘れるな」
「先ほど、動かないよう伝えました」
「命令しただけだ」
リタが、折れかけた白い花の茎を立て直している。
「師匠」
「なに?」
「次に動くときは、先に言ってください」
「あんたも、こっち見てから怒りんさい」
「戦闘中に見ると、隙ができます」
「見んでも分かる方法、考えたらええじゃろ」
課題が増えた。
二度目の立ち合い。
ソラはカイルの剣を受けながら、後ろの足音を聞いた。
リタが左へ動く。
「左ですか」
「左」
短く返事が来る。
ソラも左へずれた。
カイルが反対へ回る。
盾で塞ぐ。
「右へ行くよ」
リタの声。
「待ってください」
「待つ」
ソラが右側を確保する。
「今です」
リタが動く。
十撃目まで、肩へ触れさせなかった。
十一撃目、カイルが剣を捨てた。
空いた手で盾を掴み、ソラを引く。
体勢を崩した隙に、反対の手がリタへ伸びた。
ソラは自分の身体を間へ入れた。
カイルの掌が胸へ当たる。
「そこまで」
「師匠には触れていません」
「今のは合格だ」
「私は攻撃を受けました」
「盾を持つ者は、無傷で終わるとは限らない」
「それでも勝ちですか」
「守るべき者が立っている」
ソラは背後を見る。
リタは立っている。
「ようできました」
魔法が成功したときと同じ言葉だった。
胸へ当たった痛みより、その言葉の方が長く残った。
「もう一度お願いします」
「今日は終わりだ」
「疲労はありません」
「うちが寒い」
リタが先に家へ入る。
今度は、ソラもそれを見ていた。




