第三十話 残った二人
音のあとに、熱が来た。
エレナの障壁が三人を包む。
炎と石片が光の壁へぶつかった。
リタは目を閉じなかった。
ガレスがいた場所を見ていた。
そこには、黒い煙しか残っていない。
魔王は片膝をついていた。
身体の左半分が焼け、腕がなくなっている。
それでも生きていた。
「よくも」
老人が立ち上がる。
「よくも、この身体を」
残った右手へ、広間中の魔力が集まった。
「エレナ、逃げて」
リタは杖を握った。
「カイル連れて、今すぐ」
「あなたを置いてはいきません」
「一人なら、なんとかなる」
「嘘ですね」
「そういうとこだけ、分からんでええのに」
カイルが柱のそばで立ち上がった。
左腕が動いていない。剣を右手だけで持つ。
「三人でやる」
「残ったのが三人だからと、勝手にまとめんでよ」
リタは火を放った。
カイルが走る。
エレナの障壁が二人を追う。
魔王の右手から、黒い光が広がった。
火が飲まれる。
カイルの剣が折れた。
エレナの障壁に亀裂が入る。
「まだです!」
聖印を両手で握る。
光の壁が厚くなる。
黒い力も増した。
亀裂が端から端へ走る。
リタは障壁の端へ風を重ねた。
意味がないと分かっていても、何もしないではいられなかった。
風は黒い力へ触れ、すぐにほどけた。
土の壁を作る。
一枚。二枚。
障壁の外側へ置くそばから、粉々に砕ける。
「リタ、魔力を残してください!」
エレナが叫ぶ。
「残してどうするん! 今使わんで!」
「魔王を倒すためです!」
「エレナ守れんかったら意味ないじゃろ!」
返事はなかった。
エレナは障壁を両手で支え、黒い力を見ていた。
自分が守られる側へ回る考えはない。
カイルが、動かない左腕を身体へ縛った。
折れかけた剣を右手に持つ。
「障壁を開けろ」
「駄目です」
「俺が近づけば、あいつの集中を崩せる」
「今の身体では届きません」
「届かせる」
「いいえ」
エレナは振り返らなかった。
「あなたは、帰ってください」
「何を言っている」
「神殿へ、私の代わりに報告を」
「自分でしろ」
「それから、リタを」
「エレナ」
カイルの声が低くなった。
「命令するな。三人で帰る」
エレナの横顔が、ほんの少しだけ笑った。
「はい」
障壁の中央が、音を立てた。
黒い亀裂が一本、光を貫いている。
エレナは聖印を握り直した。
「カイル」
「何だ」
「出立前に、言えばよかったことがあります」
「帰ってから聞く」
「そうですね」
今度の笑みは、リタにも見えた。
光が押し戻される。
エレナの足が一歩、後ろへ滑った。
カイルが背中を支える。
「離れてください」
「嫌だ」
「珍しく、子どものようなことを言うのですね」
「お前が聞き分けのないことを言うからだ」
「では、お互い様です」
障壁がもう一度鳴った。
「エレナ、もうええ!」
リタが叫んだ。
「下がって!」
障壁が割れた。
砕けた光の向こうで、魔王の刃がカイルへ向かう。
エレナがその間へ入った。
白い法衣を、黒い刃が貫く。
光が一度だけ、強く瞬いた。
最後に残った障壁がカイルの身体を包み、魔王の刃から押し離す。
エレナは自分へ障壁を使わなかった。
カイルの目が見開かれた。
「エレナ」
彼女は返事をしなかった。
カイルの腕の中へ崩れる。
「治せ」
カイルがリタを見る。
「治せるだろう」
リタは動けなかった。
回復魔法は使える。
切り傷を閉じ、血を止める程度なら。専門家であるエレナには遠く及ばなくても、何度も仲間を助けてきた。
だが、黒い刃は胸を貫いている。
心臓の鼓動も、魔力の流れも、もうなかった。
「リタ!」
「無理よ」
声が出た。
「そんなわけがあるか」
カイルはエレナを床へ横たえた。
自分の手で傷を押さえる。白い法衣が赤くなる。
「お前は大魔道士なんだろう!」
初めて、カイルがその名を否定せずに叫んだ。
「何とかしろ!」
「できんのよ!」
リタも叫び返した。
できることが多いだけだ。
回復役にはなれない。
死んだ人間を戻す魔法など、知らない。
「ごめん」
謝っても何も変わらない。
カイルはそれ以上、リタを見なかった。
エレナの頬へ付いた血を拭う。
魔王が右手へ、次の力を集めている。
悲しむ時間すら与えない。
カイルはエレナの聖印を胸元へ戻し、立ち上がった。
剣は折れている。
左腕は動かない。
それでも、リタの前へ立った。
「俺が止める」
「カイル」
「お前が倒せ」
声の中から、何かがなくなっていた。
怒りなのか、恐れなのか、リタには分からなかった。
魔王が次の力を集める。
リタの中で、何かが切れた。
悲鳴は出なかった。
代わりに、身体の奥にある魔力をすべて引きずり出した。
回路が焼ける。
細い管へ、通るはずのない量を押し込む。
腕から胸へ痛みが走った。
火を作る。
風を重ねる。
水で自分の杖を冷やし、土を芯にする。
順番も、形も崩れている。
制御ではない。
壊れるより先に放つだけだった。
「リタ!」
カイルがエレナを抱えたまま叫ぶ。
「伏せて!」
杖を前へ出した。
四つの魔法が、ひとまとまりの光になった。
魔王の黒い力とぶつかる。
押し戻される。
リタはさらに魔力を流した。
右腕の感覚が消えた。
胸の中で、何本もの回路が弾ける。
逃げ場を失った魔力が、回路に沿って全身へ走った。
腕の皮膚が内側から裂ける。
肩、背中、脚へ、焼けた線が広がる。頬まで熱が上り、視界の端が赤く染まった。
服の下で何が壊れているのか、確かめる余裕はなかった。
光が細くなる。
魔王の障壁へ穴を開けた。
そのまま胸を貫く。
老人の身体へ亀裂が走った。
黒い魔力が内側から崩れ、灰になる。
魔王は消えた。
リタの杖が床へ落ちた。
拾おうとしたが、指が動かない。
膝をつく。
痛みは、もう身体のどこにあるのか分からなかった。
カイルが何か叫んでいる。
遠くで聞こえた。
身体が横へ倒れた。
床へぶつかるはずの頭を、カイルの腕が受け止める。
「目を閉じるな」
頬を叩かれた。
痛みは分からない。
「リタ、俺を見ろ」
「魔王は」
「死んだ」
「ほんまに?」
「灰になった」
「ガレスみたいに」
カイルの顔が歪んだ。
その表情で、全部を思い出した。
「エレナは?」
答えを知っているのに聞いた。
カイルは答えなかった。
少し離れた床に、白い法衣が見える。
「連れて帰ろ」
リタは起きようとした。
指が動かない。
右脚も、左脚も、自分の身体ではないようだった。
「動くな」
「エレナ置いてけん」
「置いていかない」
カイルはリタを壁へ預けた。
自分の外套を脱ぎ、エレナの身体を包む。
刃を抜くことはしなかった。抜けば血が増えるだけだと、死んだあとでも考えたのかもしれない。
片腕だけで抱き上げる。
左腕は肩から動かない。
足元もふらついていた。
「うち、歩くよ」
「無理だ」
「エレナ持って、うちまで無理じゃろ」
「無理でもやる」
どこかで聞いた言葉だった。
リタは笑おうとした。
息だけが漏れた。
カイルはエレナを扉のそばへ横たえ、今度はリタを抱き上げた。
玉座の間を出る。
数歩進むたび、身体が揺れた。
リタの傷ではない。
カイル自身が、まともに歩けていない。
「二人ともは無理よ」
「黙っていろ」
「誰か呼んで」
「城の中にいるのは敵だ」
「ほいじゃ、先にうち置いて――」
「置いていかない」
同じ返事だった。
螺旋階段を一段ずつ下りた。
途中で黒い騎士の残骸があった。
四人で倒した鎧。
帰りは二人しか通らない。
カイルは階段の踊り場へリタを下ろし、玉座の間へ戻った。
長い時間が過ぎたように感じた。
実際には、ほんの数刻だったのだろう。
彼はエレナを背へ負い、戻ってきた。外套と切れた盾帯で身体を固定している。
もう一度、リタを右腕へ抱く。
「ガレスは」
聞いてしまった。
「何も残っていない」
カイルは前を見たまま答えた。
城内では、魔王の死と共に呪いが消えていた。
兵の多くは逃げ、廊下に残っていた者も、三人分の血を浴びたカイルを止めなかった。
誰かが、魔王は死んだのかと聞いた。
カイルは答えず、歩き続けた。
城下へ出たところで、王国軍の斥候隊と出会った。
彼らは四人を探し、東門から城へ入っていた。
「討伐隊だ!」
声が上がる。
兵が駆け寄り、リタを受け取ろうとした。
カイルの腕が離れない。
「もう大丈夫です」
軍医が言った。
「我々が運びます」
「エレナを先に」
「聖女様は――」
「先にだ」
軍医は何も言わず、背からエレナを下ろした。
白い布で全身を覆う。
その瞬間、カイルの膝が崩れた。
リタも兵の腕へ渡される。
二人は別々の担架へ乗せられた。
隣にいるのに、互いへ手を伸ばす力もなかった。
広間には四人で入った。
王国へ帰ったのは、二人だけだった。




