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自称大魔導士と空の名前  作者: 白瀬余白


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第二十八話 消える空

リタはソラの手を強く握った。


透けた指の向こうに、王都の明かりが見える。


「どういうこと」


「未来の身体は、この世界にそのまま存在できません。時間魔法で固定していました」


「知っとる。膜じゃろ」


「魔王戦で、帰るために残していた魔力まで使いました。身体を固定する分も、もうほとんどありません」


「魔力なら、うちが」


リタは彼の腕へ触れ、魔力を流そうとした。


何もつながらない。


膜はソラの身体と時間へ結びついている。外から力を足せる形ではなかった。


「術の形を教えて。うちが直す」


「できません」


「やってみんと分からんじゃろ!」


「分かっています」


静かな返事が、ひどく腹立たしかった。


「どのくらい残っとるん」


「分かりません。長くはありません」


リタは扉を見た。


広間には、まだ三人がいる。


「みんな呼ぶよ」


「リタ」


「五人で帰ったんじゃけえ。あんただけ、黙っておらんようになるんは駄目」


「残った時間を、あなたと――」


「うちも二人がええ!」


声が裏返った。


「でも、カイルも、エレナも、ガレスも、あんたと旅したんよ。別れも言えんかったら、ずっと後悔する」


ソラは透け始めた手を見た。


「はい」


リタは扉を開け、廊下にいた侍従へ三人を呼ぶよう頼んだ。


待つ時間さえ惜しかった。


ソラの手を握ったまま、何度も指の感触を確かめる。


最初にカイルが入ってきた。


続いてエレナとガレス。


三人とも、リタの顔を見たあと、ソラの手へ視線を落とした。


「何があった」


カイルが扉を閉める。


「ソラは未来から来たんよ」


リタが答えた。


説明になっていない。


それでも三人は笑わなかった。


カイルはソラを覆う膜を見た。


「あの魔法か」


「時間を越えた身体を、ここへ固定していました」


ソラが言う。


「魔王を倒すため、帰る分まで使った。もう身体を保てん」


リタはそこまで言い、一度息を吸った。


「消えるんじゃって」


エレナがすぐにソラへ近づいた。


聖印を取り出し、透けた手の上へ光を重ねる。


光は何にも触れず、床へ落ちた。


「生命力の損耗ではありません」


もう一度、今度は浄化ではなく治癒の術を使う。


結果は同じだった。


「すみません」


ソラが言う。


「なぜ、あなたが謝るのですか」


エレナは聖印を握りしめた。


「私が治せないだけです」


「エレナにも無理なら、誰でも無理です」


「そのような慰め方を、いつ覚えたのです」


「旅の途中で」


エレナは何か言おうとし、唇を閉じた。


代わりに、ソラの手を両手で包む。


感触があるうちに覚えるような、強い握り方だった。


「一緒に帰れて、よかったです」


「はい」


「あなたがいなければ、誰かが欠けていたのでしょうね」


ソラは答えなかった。


その沈黙から、エレナはそれ以上を聞かなかった。


ガレスが窓辺へ寄り、ソラを上から下まで見た。


「未来の人間なら、俺が今から何を言うか知ってるのか」


「いいえ」


「役に立たんな」


いつもの口調だった。


「ガレス」


リタが睨む。


「泣いて見送る趣味はない」


彼は宴から持ち出した酒瓶を机へ置いた。


まだ栓が開いていない。


「一緒に飲むつもりだった」


「苦いので、あまり好きではありません」


「知ってる。帰りに一杯飲んだ顔を見た」


「では、なぜ」


「うまい酒なら、考えが変わるかもしれんだろ」


ガレスは瓶の首を指で弾いた。


「次に飲むまで預ける」


「次はありません」


「お前に決める権利はない」


「理不尽ですね」


「生きるのは面倒なんだろ」


水車小屋の夜、リタが言った言葉だった。


ソラの口元が上がる。


「はい」


「なら、持っていけ」


酒瓶は置いたままだった。


もう、ソラの手では持てない。


カイルは最後まで、少し離れた場所に立っていた。


「剣は、未来のあなたから教わりました」


ソラが彼へ向く。


カイルの表情が動いた。


「剣の師は、あなただった」


「そうか」


関所で、誰に教わったかを聞かなかった男は、今も名前を求めなかった。


「お前の剣に、俺の癖があると思っていた。だが、俺が知らない直し方まで知っていた」


「長く教わりました」


「俺は、いい師だったか」


「はい」


迷いのない返事だった。


カイルは目を閉じ、息を吐いた。


「なら、未来の俺へ礼は言わない。教える価値のある剣士だったから、教えたんだろう」


「そう言うと思います」


「それまで知っているのか」


「はい」


カイルが手を差し出した。


ソラも手を上げようとしたが、指が通り抜ける。


代わりにカイルは、まだ輪郭の残る腕をつかんだ。


騎士同士の握手だった。


「五人で帰った」


「はい」


「お前が連れて帰った」


ソラは首を横へ振った。


「五人で帰りました」


「そうだったな」


カイルは腕を離した。


エレナが涙を拭う。


ガレスは酒瓶を見ていた。


三人が扉へ向かう。


「あとは二人で話せ」


カイルが言った。


誰も、また明日とは言わなかった。


扉が閉まる直前、ガレスが振り返る。


「酒、返せよ」


「努力します」


扉が閉まった。


足音が遠ざかる。


リタはソラの前へ戻った。


「いつから?」


「魔王戦が終わったときには」


「ほいじゃ、帰り道ずっと知っとったん?」


「はい」


「なんで言わんかったん!」


リタは手を離し、ソラの胸を叩いた。


「うちは王都の話ばっかりして! 宴で踊って! あんた、全部知っとったんじゃろ!」


「皆で帰りたかった」


「そんな理由で」


「私が見たかったんです」


ソラの声は変わらなかった。


「エレナとガレスが生きて、カイルとあなたが傷を負わず、五人で王都へ帰るところを」


窓の外から歓声が聞こえた。


今も誰かが五人の名を呼んでいる。


「今日のために来ました」


リタはもう一度、ソラの胸を叩いた。


今度は力が入らなかった。


「うちは、あんたがおる明日のために帰ってきたんよ」


「はい」


「はいじゃない」


「私も、あなたと生きたい」


初めて、ソラの声が揺れた。


「王都へ来たい。あなたが話した場所を見たい。明日も、あなたと話したい」


抱き寄せられる。


腕はまだ温かい。


それなのに、背中へ回った指の感触が少しずつ薄れていく。


「では、魔法を使わなければよかったのかと、何度も考えました」


「そんなこと言わんで」


「使わなければ、あなたが死んだかもしれない。エレナも、ガレスも。だから、同じ場所へ戻っても使います」


「分かっとる」


リタはソラの上着をつかんだ。


「分かっとるけど、嫌なんよ」


「はい」


「消えんで」


「はい」


叶えられない願いに、ソラは初めて嘘をついた。


身体の輪郭が淡い光へ変わり始める。


時間がない。


リタは顔を上げた。


「未来のうちに、なんか言うことある?」


ソラは少し驚いた顔をした。


「あんたの中に、おるんじゃろ」


「はい」


「ほいじゃ言うとく。よう育てたね。見る目あるわ」


ソラが笑った。


涙を流しながら笑う顔を、リタは初めて見た。


「師匠も、同じことを言うと思います」


「うちじゃけえね」


「違うあなたです」


「細かいとこ、最後まで融通利かんね」


笑ったまま、涙が落ちた。


ソラの手が頬へ触れる。


もう重さはほとんどなかった。


「リタ」


「何」


「愛しています」


「うちも」


唇が重なった。


温かさは一瞬だけ残り、光へ変わった。


腕の中から、身体が消えていく。


「ソラ」


呼んでも、止まらない。


最後に残ったのは、瞳と同じ色をした小さな光だった。


それはリタの指先へ一度触れた。


次の瞬間、窓の外へ走り、夜の向こうへ消えた。


客室には、リタ一人だけが残された。


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