第二十二話 老魔王
北水路の排出口は、城壁の真下にあった。
鉄格子は錆び、半分が水へ沈んでいる。ガレスが錠を外し、カイルとソラが音を立てないよう格子を持ち上げた。
五人は腰まで冷たい水へ入り、暗い穴を進んだ。
城内へ近づくほど、空気に混じる魔力が濃くなる。水面が勝手に震え、石壁の苔が黒く変色していた。
「触らないでください」
エレナが先頭のガレスへ言う。
「呪いが染み込んでいます」
「石全部にか」
「ええ。私の光が届く範囲を歩いてください」
聖印から淡い光が広がり、五人の周りだけ黒い染みを押し返す。
水路の終わりには、縦に長い鉄扉があった。
ガレスが耳を当てる。
「向こうに二人」
指で配置を伝える。
扉をわずかに開け、カイルとソラが同時に入った。声を上げさせる前に、柄で一人ずつ打ち倒す。
そこから先は、石造りの地下廊だった。
王国軍の攻勢に兵を取られ、普段より守りは薄い。それでも中央塔へ近づくたび、巡回の数は増えた。
一度目は物陰へ隠れた。
二度目はガレスが投げた石で別の廊へ誘った。
三度目は避けられなかった。
「侵入者だ!」
警鐘が鳴る。
カイルが盾を前へ出した。
「ここからは急ぐ!」
狭い階段を駆け上がる。
兵が道を塞ぎ、頭上から魔法が降る。エレナの障壁が五人を覆い、リタは石段へ氷を張った。敵の足が崩れたところを、カイルとソラが押し通る。
「右!」
ガレスが叫ぶ。
壁から槍が突き出した。
罠だ。
彼が床の板を踏む前に短剣を差し込み、仕掛けを止める。
「走れ!」
止まらない。
途中で二度、道が分かれた。ガレスは迷わず中央塔へ向かう方を選ぶ。エレナは扉へ刻まれた呪いだけを消し、リタが鍵を焼き切る。
何か一つ欠けても、ここまでの速さでは進めなかった。
最上階へ続く広間で、黒い鎧の騎士が待っていた。
人間の倍近い背丈があり、兜の隙間には赤い光が燃えている。大剣を一振りすると、床の石が割れた。
中身の呼吸が聞こえない。
エレナが聖印を向ける。
「生きていません」
「鎧が動いとるん?」
「魂を縛りつけられています」
兜の赤い光が、エレナへ向いた。
大剣が床を薙ぐ。
カイルの盾が受けた。
金属同士がぶつかる音ではなかった。城の壁そのものが鳴ったような衝撃が広がり、カイルの足が石を削って後ろへ滑る。
ソラが鎧の懐へ入った。
膝の裏へ剣を当てる。
刃が黒い金属を滑った。
「硬い!」
リタは火を放つ。
鎧の胸へ当たり、黒い表面を包んだ。熱は通っている。それでも騎士は止まらない。
腕を振るだけでソラを払い、大剣を頭上へ上げる。
エレナの障壁がカイルとソラを覆った。
大剣が落ちる。
光の壁がへこみ、床へ膝をつくように沈んだ。
「長くは支えられません!」
ガレスが鎧の周りを走った。
矢を肩、脇、腰へ続けて射る。
すべて弾かれた。
「関節も覆われてる。だが、首の後ろだけ継ぎ目がある!」
「届かんじゃろ!」
鎧はカイルより頭二つどころか、身体一つ近く大きい。
「倒せば届く!」
「どうやって!」
返事の代わりに、ガレスが足元へ二本の鋼線を走らせた。
鎧が一歩踏み出す。
線が足首へ絡んだ。
「今だ!」
カイルが大盾を低く構え、黒い騎士の膝へぶつかった。
ソラが反対側から肩を押す。
二人分の力でも、身体は傾かない。
大剣の柄がカイルの背へ落ちる。
リタは床へ杖を向けた。
鎧の踵だけを、薄い氷で覆う。
滑った。
わずかに重心が崩れる。
「押して!」
風を横から叩きつける。
カイルとソラが同時に踏み込んだ。
巨大な身体が倒れた。
石床に亀裂が走る。
ガレスが背へ飛び乗り、首の継ぎ目へ短剣を差し込んだ。
赤い光が一度、消える。
「やった?」
リタが聞いた瞬間、鎧の腕が背中へ回った。
ガレスをつかもうとする。
彼は転がるように逃げた。
赤い光が戻る。
「浅い!」
騎士が片膝を立てる。
首の傷から黒い煙が漏れた。動きは遅くなったが、止まってはいない。
螺旋階段の上から、警鐘とは別の音が響いた。
重く、ゆっくりとした足音。
魔王が、こちらへ来ようとしている。
空気の魔力が一段濃くなった。
「こいつへ全員で時間を使えん」
リタは杖を握り直した。
「うちが首んとこ焼く。エレナ、浄化を――」
「こいつは俺たちが止める」
カイルが言った。
「ガレス、リタとエレナを先へ」
「でも」
「首の継ぎ目は分かった。次は倒さなくても届く」
カイルは大盾を構え直す。
縁が曲がり、腕へつなぐ革帯は半分切れていた。
ソラが隣へ並ぶ。
「私が右を取ります」
「左足を残せ。さっきと同じ間違いをするな」
「はい」
関所で教えた言葉が、こんな場所でも同じように返る。
黒い騎士が立ち上がった。
二人は打ち合わせもなく、左右へ分かれた。
「二人で足りる?」
リタは杖を握った。
「足りさせる」
カイルは大盾で大剣を受けた。
ソラが鎧の脇へ回る。
「早く行ってください!」
リタは一瞬だけ迷い、階段へ向かった。
三人で螺旋階段を上る。
背後から、何度も重い衝突音がした。
最上階の扉には、魔法の封印が五つ並んでいた。
「解除できるか」
ガレスが尋ねる。
リタは一目見て首を振った。
「正しく解くんは無理」
「なら?」
「壊す」
五つの封印は互いを支え合っている。
一つを先に壊せば、残り四つが力を増す仕組みだった。
リタは杖を最初の封印へ向け、水を薄くまとわせた。二つ目へ風、三つ目へ土、四つ目へ火。どれも小さな魔法で、封印の表面を覆うだけだ。
「エレナ、最後の一個へ光を」
「同時に壊すのですね」
「うち一人じゃ五つ無理じゃけえね」
エレナの光が最後を包む。
「ガレス、扉が開いたら罠見て」
「忙しい大魔道士だな」
「じゃろ」
リタは四つの魔法を一度に維持できない。
順に作り、壊れる前に次を重ねただけだ。
「今!」
水を凍らせ、風を弾けさせ、土を押し込み、火を燃やす。
エレナの光が最後の封印を打った。
五つが同時に砕ける。
扉が内側へ開いた。
ガレスが床へ小さな金属片を転がす。何も起こらない。
「罠なし。入るぞ」
三人が広間へ踏み込んだ直後、螺旋階段から足音がした。
カイルとソラが追いつく。
二人とも鎧へ新しい傷を増やしていたが、自分の足で立っている。
「倒したん?」
「階段から落とした」
カイルが短く答えた。
五人は揃った。
広間の奥には、黒い玉座があった。
そこに、一人の老人が座っている。
長い白髪。額から後ろへ伸びる二本の角。痩せた身体には、金糸で縫われた黒い衣をまとっていた。
老いている。
だが、弱ってはいない。
老人の周りだけ、空気が重く歪んでいる。呼吸をするたび、他人の魔力が身体の外へ引かれるようだった。
「王国の鼠が、ようやくここまで来たか」
魔王が立ち上がる。
杖も剣も持っていない。
「軍を東へ寄せたのは、余を空にするためか」
「王国軍は、王国を取り戻すために戦っている」
カイルが盾を構えた。
「俺たちは、お前を倒すために来た」
「五人で?」
魔王の目が、一人ずつを通った。
ガレス。エレナ。カイル。リタ。
最後に、ソラで止まる。
老人の眉が、わずかに寄った。
「妙なものを連れているな」
ソラを覆う膜が、魔王の視線に反応するように揺れた。
「古い時の匂いがする。何者だ」
ソラは剣を抜いた。
「あなたを倒しに来た者の一人です」
「名を聞いている」
「ソラ」
魔王はしばらくその顔を見た。
知っている者を見る目ではない。
「聞かぬ名だ」
老人が片手を上げる。
「ならば、他と同じように死ね」
空気が弾けた。




