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自称大魔導士と空の名前  作者: 白瀬余白


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第二十話 城下への道

ミラの坑道図には、砦から先の道がなかった。


そこからはガレスが集めた情報と、奪った軍用地図を頼りに進んだ。


山を下りるのに三日かかった。


砦で鳴った警鐘のせいで、軍用路には騎兵が増えていた。昼間は木立へ隠れ、日が沈んでから斜面を進む。


最初の川には、石造りの橋が一本だけ架かっていた。


谷は深く、水量も多い。橋を避けて渡れる場所は半日の範囲にはない。


「兵が六人。荷車が三台」


川上の岩陰から、ガレスが橋を見た。


兵は通行人を調べているのではなかった。近くの集落から穀物と家畜を徴発し、荷を積み替えている。


橋のたもとには、羊を引いた老人が立たされていた。


「戦う?」


リタが尋ねる。


「六人だけなら勝てる」


カイルが答えた。


「だが、一人でも逃がせば追手が増える。殺せば、あの老人が見たことを問われる」


「橋が空くまで待つ」


ガレスは短く決めた。


待った。


日が西へ傾いても、兵は動かなかった。


穀物袋を数え直し、羊を荷車へ載せ、次の荷を待っている。


岩陰は狭かった。


五人が身体を寄せても、エレナの外套の端が外へ出る。カイルが膝で踏んで隠した。


「重いです」


「すまない」


「謝るなら、どけてください」


「どけると見える」


「では、もう少し端を」


カイルが身体をずらす。今度は肩が触れた。


二人とも黙った。


隣でガレスが、見なかった顔をして橋を見続けている。


リタは笑いを飲み込み、反対側へ顔を向けた。


そこにはソラの顔が近くにあった。


「何」


「笑うところかと思いました」


「今は我慢するとこ」


「基準が難しいですね」


声を立てないよう、口だけを動かす。


結局、橋が空いたのは夜になってからだった。


徴発隊が東へ去る。


老人は一頭だけ残された痩せた羊を引き、反対方向へ歩き始めた。


五人は闇へ紛れ、橋を渡った。


中央まで来たとき、老人がこちらを振り返った。


リタたちの外套の下には武器がある。数も不自然だった。


だが老人は何も言わず、道の端へ寄った。


すれ違いざま、ガレスが小さな銀貨を一枚、橋の欄干へ置いた。


老人は見ていた。


礼も言わず、銀貨を取り、歩いていった。


「あれも斥候の仕事?」


橋を渡りきってから、リタが聞いた。


「俺がしたかっただけだ」


どこかで聞いたような答えだった。


ソラがガレスを見た。


何かを覚えるときの顔をしている。


二つ目の川は、橋が落ちていた。


水深の浅い場所を探し、夜明け前に渡った。腰まである冷たい水へ一人ずつ入り、荷だけは頭上へ張った綱で運ぶ。


渡り終えたころには、全員の脚が震えていた。


「火を使いたいところだが、煙が出る」


ガレスが言う。


「このまま歩く。身体を動かして温めろ」


「鬼じゃ」


リタは濡れた裾を絞った。


「止まった方が冷える」


ソラが言う。


「あんたは平気そうじゃね」


「平気ではありません」


よく見ると、唇の色が薄い。


魔王の身体でも、寒いものは寒いらしい。


リタは火の魔法を指先へ集め、ソラの袖へ近づけた。


「乾かすだけ。煙は出さん」


「自分を先にしてください」


「うちは自分でできる」


「私も濡れたまま歩けます」


「できるかどうかの話じゃないんよ」


ソラは一度黙り、腕を差し出した。


「では、お願いします」


「最初からそう言いんさい」


少ない熱を布へ移す。


完全には乾かない。冷たさが少しましになる程度だった。


終わると、ソラが同じようにリタの袖を見た。


「リタは?」


「今やる」


「見ています」


「なんで」


「自分を先にしないことがあるので」


監視されながら、自分の服も乾かした。


その日の昼前、ガレスが突然、道を外れた。


「騎兵だ」


まだ誰にも音は聞こえない。


全員で森へ入り、斜面を駆け上がる。


隠れられる岩場はなかった。木も冬枯れし、五人分の姿を隠せない。


斜面の上に、屋根の傾いた建物が見えた。


古い水車小屋だった。


川筋が変わり、水車は半分土へ埋もれている。扉は壊れ、室内には腐った麦袋と鼠の糞が積もっていた。


「ここへ入る」


ガレスが全員を押し込む。


ソラとカイルが扉を戻し、リタは風で足跡を薄くした。エレナが浄化の光を広げ、人の匂いを少しだけ散らす。


騎兵の音が近づいた。


窓の隙間から、黒い馬が一頭ずつ見える。


六騎。


先頭の兵が水車小屋を見た。


馬を止める。


五人は動かなかった。


鼠が腐った袋の陰から出て、リタの靴を踏んだ。


声を上げそうになり、自分の口を押さえる。


ソラの肩がわずかに揺れた。


笑っている。


リタは睨んだ。


外の兵はしばらく小屋を見ていたが、後ろから呼ばれて馬を進めた。


蹄の音が消えても、ガレスは動くなと手で示した。


半刻後、同じ兵が二騎だけ戻ってきた。


行ったふりをして、様子を見ていたらしい。


二騎も去り、さらに一刻待って、ようやくガレスが息を吐いた。


「今日は出ない」


「もう来んじゃろ」


「そう思わせるのが、戻ってきた二騎の仕事だ」


「じゃあ、いつまで?」


「明日の夜まで」


「ここで?」


リタは足元の鼠を見た。


「嫌なら外で騎兵と寝ろ」


「鼠の方がまし」


五人は水車小屋で二日を過ごした。


一日目は、全員が眠った。


見張りを一人だけ残し、三刻ずつ交代する。追跡と川越えで溜まった疲れが、床の汚さに勝った。


リタが起きると、外は暗くなっていた。


ソラが壁際に座り、リタの外套の端を持ち上げている。


「何しよるん」


「鼠が入ろうとしていたので」


外套の下から、小さな鼻先が出た。


リタは飛び起きた。


「なんで起こさんの!」


「眠っていたので」


「鼠に食われるとこじゃった!」


「食べられる大きさではありません」


「そういう問題じゃない!」


声を抑えて怒ると、ソラは鼠を両手で包み、壊れた窓から外へ逃がした。


「優しいんじゃね」


「殺す必要がないので」


「うちを起こす必要はあったじゃろ」


「次から起こします」


「次があるみたいに言わんで」


二日目は、時間が余った。


動けないことを喜んだのは最初だけだった。


カイルは盾のへこみを直し、エレナは包帯を洗った。ガレスは地図へ歩いた道を書き込み、ソラは剣の手入れを始めた。


リタは杖を磨き終えたあと、三度小屋の端から端まで歩いた。


「静かにしろ」


ガレスが言う。


「静かに歩いとる」


「目障りだ」


「目ぇ閉じんさい」


四度目へ入る前に、エレナが呼んだ。


「リタ。包帯を畳んでください」


「うち、そういうん苦手」


「知っています。ですから、練習してください」


細長い布を渡される。


端を合わせたつもりが、途中で斜めになる。巻き終えるころには片側だけ太くなった。


「魔法使うたら駄目?」


「駄目です」


「なんで」


「その魔力を魔王へ使っていただくためです」


正論だった。


ソラが剣を置き、布へ手を伸ばした。


「私がします」


「あんた、できるん?」


「見ていました」


一度目は、リタと同じように斜めになった。


エレナが無言でほどく。


二度目は端が余った。


三度目で、ようやく同じ幅に巻けた。


「できました」


ソラがエレナへ差し出す。


「はい。きれいです」


「なんでうちより先に褒められとるん」


「リタも三度やれば、できるかもしれません」


「できる。やらんだけ」


ソラが新しい布を一本、リタの前へ置いた。


「ほいじゃ、あんたと勝負ね」


声を出せない小屋で、包帯を巻く速さを競った。


一度目はソラが勝った。


二度目はリタが速かったが、形が悪いとエレナにやり直させられた。


三度目は、ガレスが包帯を取り上げた。


「遊びで消耗するな」


「包帯で世界は滅びんよ」


「俺の我慢が先に尽きる」


カイルが肩を震わせている。


「笑うんなら、あんたもやりんさい」


「俺はできる」


手渡すと、本当にきれいに巻いた。


エレナがうなずく。


「慣れていますね」


「従軍訓練で習う」


「ほいじゃガレスは?」


「俺に振るな」


「できんの?」


「できる」


結局、五人全員で一度ずつ包帯を巻いた。


大魔道士は四位だった。


「ソラにまで負けたんが納得いかん」


「私は三度練習しました」


「うちもしたわ」


「二度目は速さだけでした」


「細かいね、あんた」


日が落ちるまでには、誰がどの位置で寝ても文句を言わなくなっていた。


最初の夜、ソラは扉のそばを選んだ。


二日目は、リタとカイルの間へ空いていた場所に座った。誰もそこへ来いとは言わなかった。


出発前、リタは水車小屋の柱へ小さな傷を付けた。


「何の印だ」


カイルが尋ねる。


「ここまで来た印」


「追手に気づかれる」


ガレスがすぐに削り取った。


「情緒がない!」


「生きて帰ったら、また付けに来い」


「こんなとこ、二度と来んわ」


口ではそう言いながら、削られた柱を一度振り返った。


廃屋を出た翌日、小さな宿場へ入る道で、徴発隊に呼び止められた。


兵は三人だった。


「荷を見せろ」


逃げれば、近くの宿場へ知らせが行く。戦うには街道が開けすぎていた。


ガレスが荷を下ろそうとする前に、リタが大きくため息をついた。


「また?」


兵が眉をひそめる。


「何だ」


「さっきの人らにも全部見せたんよ。薬草しかない言うたのに」


「どこの隊だ」


「角がこう、左へ曲がった偉そうな人」


自分の額の横で、指を曲げる。


魔族の角の形など、いくらでもある。


兵同士が顔を見合わせた。


「北の監督官か?」


「名前は知らん。うちら、病人のとこへ急いどるんよ。遅れたら、あの人にあんたらのせい言うけえね」


リタは後ろのソラを見た。


話を合わせろという合図のつもりだった。


「北の監督官は、検査済みの証明を渡すと言いました」


ソラが真顔で続けた。


そんな話はしていない。


兵が手を出す。


「証明は」


「あなた方が持っていると思っていました」


「なぜ俺たちが」


「監督官は、先の隊へ伝えると言ったので」


ソラの言葉には、嘘をついている揺れがなかった。


兵たちの顔に、自分たちの連絡不備を疑う色が出る。


リタはすかさず荷を背負った。


「やっぱり届いとらんの? もうええ、戻って聞いてくる」


「待て」


兵は止めた。


戻られて、存在しない監督官へ苦情を言われる方が面倒だと思ったらしい。


「今回は通れ。次から札を持て」


「最初からそう言うてくれりゃええのに」


五人は歩き出した。


角を曲がり、兵の姿が見えなくなるまで、誰も速度を変えなかった。


森へ入った途端、リタはソラの外套を引いた。


「あんた、ようあんな嘘出たね」


「話を合わせろという意味だと思いました」


「合うとったけど、証明まで作るとは思わんかった」


「まずかったですか」


「いや。うちよりうまかったんが腹立つ」


ソラが笑う。


「今のは褒めていますか」


「半分だけ」


「残りは?」


「今度から、先にうちへ教えんさい」


「即興では難しいと思います」


「そこを何とかするんが仲間じゃろ」


以前、師匠との勝負を取りつけろと言ったときと、同じ返しだった。


ソラはそれに気づいたらしい。


「私の仕事が増えました」


「喜びんさい」


ソラが討伐隊へ加わってから、五週間が過ぎた。


旅の終わりが近づくほど、進み方は遅くなった。


魔王城の周囲には広い城下町がある。その外側へ、各地から集められた軍が陣を張っている。王国側の人間が五人で歩けば、門へ着く前に捕まる。


五人は西の集積所で、荷運びの一団へ紛れた。


ガレスが手に入れた通行札は三人分しかない。カイルとソラは雇われた護衛、リタとエレナは薬草を運ぶ姉妹、ガレスは荷の持ち主という形にした。


「なんでうちが妹なん」


荷車の陰で、リタは髪を布へ押し込んでいた。


「落ち着きがないからです」


エレナが答える。


「年はうちの方がちょっと上じゃろ」


「今、初めて聞きました」


「言うたことなかったっけ」


「ありません」


「ほいじゃ今日だけ妹でええよ」


「ずいぶん簡単に譲りましたね」


「姉さん、荷物持って」


「自分で持ちなさい」


城下へ続く道には、人と荷車が列を作っていた。


兵士、商人、農民、鉱夫。角や獣の耳を持つ者も、人間と変わらない者もいる。


誰も楽しそうではない。


門前では魔王国兵が通行札を確かめ、荷を調べていた。


順番が来る。


「三人分しかないな」


検問の兵が、札と五人を見比べる。


ガレスは面倒そうに答えた。


「護衛は荷の数に入らんと、西の役人が言った」


「ここでは入る」


「なら、あんたが西へ聞きに行ってくれ。こっちは三日待たされてる」


兵の眉が動く。


後ろの列から、早くしろと声が飛んだ。


ガレスは小さな革袋を札の上へ置く。


中で硬貨が鳴った。


兵は袋ごと札を取り、道を空けた。


「次!」


五人は門を抜けた。


「あれも斥候の仕事?」


リタが小声で聞く。


「世の中の半分は金で開く」


「残りは?」


「鍵か、力だ」


「夢がないねえ」


城下の大通りは、人で埋まっていた。


店は開いているが、品物は少ない。壁には徴兵と供出を命じる布告が貼られ、広場では兵士が荷を数えている。


魔王城は町の北にあった。


黒い城壁が何重にも重なり、最も高い塔は雲へ刺さっている。ここからでも、重い魔力が空気へ満ちているのが分かった。


「あれが」


リタは思わず足を止めた。


「見るな」


ガレスが肩を押す。


「田舎者でも、城くらい見たことがある」


「うちら田舎者の設定なん?」


「今決めた」


「うちと同じことしよる」


話しながらも、五人は周囲を見ていた。


兵の巡回。裏通りの幅。城壁へ入る荷車。水路の位置。


広場の端で、幼い少女が兵に腕をつかまれていた。


足元には割れた籠と、転がった黒い果実がある。


「盗んだな」


「違う! 落ちてたのを拾っただけ!」


「供出品だ。拾っていいものじゃない」


母親らしい女が兵へ頭を下げている。


リタの足が、そちらへ向いた。


ソラが腕をつかむ。


「今は駄目です」


「分かっとる」


「分かっている動きではありません」


「子ども一人じゃろ」


「ここで正体を知られれば、魔王へ届きません」


正しい。


カイルも苦い顔で前を向いていた。


兵が少女を突き放す。母親が抱き止めた。


それ以上のことは起こらなかった。


五人は歩き続けた。


路地へ入ったところで、リタはソラの手を振りほどいた。


「もう離してええよ」


声が固くなる。


「怒っていますか」


「怒っとらん」


「それは怒っているときの答えです」


「分かってきた顔せんで」


前を歩いていたガレスが止まる。


「ここだ」


古い染物屋の裏口だった。


中には、反魔王派の商人が待っていた。彼から城内へ入る荷車の時刻と、北水路の古い排出口を教わる。


「三日後、王国軍が東で攻勢に出る」


商人は地図へ印を付けた。


「城の守備隊も一部が動く。入るならその夜だ」


三日。


討伐隊は染物屋の地下へ隠れることになった。


日が落ちてから、ソラは一人で外へ出た。


戻ってきた彼の荷袋が、少し軽くなっていることにリタは気づいた。


「どこ行っとったん」


「近くまで」


「何しに?」


ソラは袋を開いた。


中には道中で買った保存食が入っていた。その半分がなくなっている。


「広場の親子へ渡しました」


「どうやって見つけたん」


「帰った方向を見ていました」


「見とったんじゃ」


「はい」


リタはしばらくソラを見た。


止められたことへの怒りは、とっくに消えていた。


正体を明かさず、できることを後からした。


たぶん、それが今の正しいやり方だった。


「ありがと」


「私がしたかっただけです」


「それでも」


ソラの隣へ腰を下ろす。


地下室には他の三人もいたが、カイルとガレスは地図を見ており、エレナは薬を整理している。


「王都へ行ったら、何を見せてくれるんですか」


ソラが尋ねた。


塔で話した予定を覚えていた。


「まず、肉の煮込み」


「それは見せるものですか」


「食べるもんじゃね。あとは、王城の南にでっかい噴水がある。夏は子どもが入って遊びよる」


「リタも入るんですか」


「なんでうちが入るん」


「入りそうなので」


「あんた、ほんまにうちのこと分かってきたね」


「違いましたか」


「三年前までは入っとった」


「やはり」


「笑うな」


まだ見ていない王都の話をした。


市場、祭り、カイルの実家の庭。エレナがいる神殿の鐘。ガレスがよく姿を消す安酒場。


ソラは一つずつ聞いた。


そのどれも、彼が来ることを前提に話している自分へ、リタは途中で気づいた。


約束ではなく、予定だ。


それでも話すたび、予定は少しずつ本当の未来に近づいているように思えた。


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