第十八話 傷の手当
火のない夜営は暗かった。
木々の隙間から落ちる月明かりを頼りに、エレナが傷を診ていく。
カイルは右の脇腹に打撲。ガレスは手の甲を切っている。リタは肘と膝を擦りむいただけだった。
いちばんひどいのはソラだった。
砦で受けた左腕の傷が開き、服の下では肩も紫色に腫れている。リタを庇って地面へ倒れたとき、さらに痛めたらしい。
「上着を脱いでください」
エレナに言われ、ソラは黙って従った。
癒やしの光が左肩を包む。
「骨には異常ありません。ただ、明日は左腕で盾を持たないでください」
「盾は壊れました」
「そういう意味ではありません」
「分かっています」
「なら最初から、はいと答えてください」
エレナが珍しく苛立っている。
リタは少し離れたところに座り、二人を見ていた。
「リタも何か言ってください」
突然、エレナに振られる。
「なんでうち?」
「言いたそうなので」
実際、言いたいことは山ほどあった。
リタは立ち上がり、ソラの前へ行く。
「なんで魔法使わんの?」
空気が止まった。
カイルとガレスがこちらを見る。
リタは、ソラが薄い魔力をまとっていることを二人へ話していない。ソラ自身が話さないものを、勝手に明かす気はなかった。
「使わないと決めているからです」
ソラは答えた。
「あの膜は魔法じゃろ。自分でかけた言うた」
カイルの眉が動く。
「膜?」
「こいつ、ずっと変な魔法まとっとる。呪いじゃない言うけど」
結局、自分で明かしてしまった。
苛立ちが言葉を先に出した。
「それが使えるんなら、他にも何かできるんじゃないん?」
「できます」
今度は全員が黙った。
「できるんじゃん」
「はい」
「なら、なんで!」
声が森へ響く。
ガレスが周囲を確かめたが、止めなかった。
ソラはリタを見上げている。
「今は使えません」
「使えるんか、使えんのか、どっちよ」
「使えば、目的へ届かなくなる可能性があります」
それ以上は話せないのだと分かった。
ただの意地でも、剣士としての誇りでもない。
リタが知らない理由で、彼は魔法を残さなければならない。
「じゃけえ、代わりに自分の身体使うん?」
「剣で対処できることは、剣で対処します」
「今日、死んどったかもしれん」
「あなたもです」
「うちの話は今しとらん!」
「私はしています」
ソラが立ち上がった。
エレナが治療を続けようとしたが、手を止める。
「あなたは、あの術師に勝てないと分かっていて魔法を撃ち続けました」
「みんなを動かすためじゃ」
「私も同じです」
「同じじゃない」
「何が違うんですか」
「うちは――」
言葉が続かなかった。
討伐隊へ選ばれた魔法使いだから。
仲間を守る責任があるから。
それを言えば、ソラも仲間だと返される。
「うちが、あんたに死んでほしゅうないんよ」
口から出た。
思っていたより、ずっと静かな声だった。
誰も動かなかった。
ソラの顔から、反論が消えた。
「出会って、まだ二週間です」
「そんなん関係ある?」
「ないんですか」
「仲間が死んでええようになるまで、何日かかるん」
「そういう意味ではありません」
ソラは一度目を伏せた。
「すみません」
「何に謝っとるん」
「心配させたことに」
「次からせん?」
「できる限り」
「そこは嘘でも、はい言うときじゃろ」
「嘘は言えません」
腹が立つ。
それでも、先ほどまでの恐ろしさは少し薄れていた。
「もうええ」
リタは背を向けた。
「治療の邪魔してごめん。エレナ、続けて」
「はい」
元の場所へ戻ろうとすると、手首をつかまれた。
ソラだった。
「何」
「私も、あなたに死んでほしくありません」
青い目が、暗い森の中でもはっきり見えた。
先ほど自分が言ったのと、ほとんど同じ言葉だった。
仲間だから。
そう続くのを待ったが、ソラは何も足さなかった。
リタは手を振りほどかなかった。
「ほいじゃ、次から二人とも、もうちょい自分を大事にせんとね」
「はい」
今度は、迷いのない返事だった。
少し離れた木の根元で、エレナがカイルの脇腹へ新しい布を巻いていた。
「痛むなら、先に言ってください」
「動ける程度だった」
「それを決めるのは私です」
「今日、同じ台詞を聞いたな」
「何度でも言います」
カイルは困ったように黙った。
エレナの指が離れるまで、普段なら急かすはずの彼が、じっと待っていた。
ガレスは二組から少し離れた場所で、周囲へ罠を張っている。
戻ってくると、深いため息をついた。
「明日から耳栓も荷へ入れる」
「なんで?」
リタが聞く。
「必要になる夜が増えそうだからだ」
「どういう意味よ」
「分からないなら、そのままでいろ」
ガレスは外套を頭までかぶり、さっさと横になった。
それで眠れるほど、夜は素直ではなかった。
見張りは二人ずつ、短く交代することになった。
最初はガレスとカイル。次がエレナとリタ。最後がソラとガレスだった。
リタは横になり、目を閉じた。
少し離れた場所で、エレナが薬瓶を片づけている。カイルの鎧が小さく鳴る。ガレスが何かを囁き、木の枝を踏む音が遠ざかった。
ソラの寝床は隣だった。
眠っているのか確かめたくなった。
顔を向ければ済む。だが目が合ったら、何を話せばよいのか分からない。
死んでほしくない。
言ったときは、ほかに言葉がなかった。今になって、その言葉が二人の間へ置かれたままになっている。
仲間に向けるには重すぎて、好きな相手へ向けるにはまだ名前が足りない。
「起きていますか」
暗闇から声がした。
「寝とる」
「そうですか」
「そこは突っ込むとこじゃろ」
「寝ているなら、話しかけない方がよいと思いました」
リタは目を開けた。
ソラはこちらを見ていない。仰向けになり、枝の隙間の空を見ていた。
「あんたも寝れんの?」
「はい」
「腕痛い?」
「少し」
「またそれ」
「眠れないほどではありません」
「ほいじゃ、なんで」
ソラはしばらく黙った。
「次に同じことがあった場合、どうすればよいか考えていました」
「庇うかどうか?」
「はい」
「庇わんで、とは言えんよ。うちだって、あんたが避けられんかったら同じことする」
「では、結論が出ません」
「一人で決めようとするけえよ」
リタは身体を横へ向けた。
「次から、避けられんと思うたら名前呼んで。うちが避ける。無理なら庇って」
「間に合わない場合は」
「そんときは勝手にしてええ」
「条件が多いですね」
「生きるんは面倒なんよ」
ソラが顔を向ける。
暗くても、目の色だけは分かった。
「師匠も、同じことを言いました」
「また師匠」
「嫌ですか」
「嫌じゃないけど」
少しだけ、嫌だった。
今の自分の言葉が、またその人の言葉と重なる。
「いつか、うちが言うたことも自慢しんさいよ」
「誰にですか」
「誰でもええ。次に会うた人」
「分かりました」
「ほんまに?」
「大魔道士は、生きることは面倒だと言っていた、と」
「そこだけ広めんで!」
慌てて声を落とす。
見張り中のガレスが遠くから、静かにしろと手を振った。
翌朝、ソラは荷を背負おうとしなかった。
自分の剣と水筒だけを右肩へ掛け、エレナが巻いた布を確かめている。
リタが見ていることに気づくと、
「左腕は使っていません」
先に言った。
「よろしい」
「あなたは、大魔道士ではなく治療師ですか」
「エレナの弟子よ」
「そのような弟子を持った覚えはありません」
エレナが荷をまとめながら答えた。
カイルが彼女の薬箱へ手を伸ばす。
「これは俺が持つ」
「昨夜から持っていただいています。自分で持てますよ」
「脇腹も、もう痛まない」
「痛むかどうかを決めるのは私だ、と昨日お話ししましたね」
カイルは手を引いた。
「では、診てくれ」
「今ですか」
「痛まないと判断してもらわなければ、荷を持てない」
エレナが言葉に詰まる。
ガレスは二人を見ず、入口の罠を回収していた。
「耳栓の次は、目隠しも要るな」
「あんたが一番見とるじゃん」
リタが言うと、ガレスは返事をしなかった。
出発すると、ソラは隊列の最後ではなく、リタの隣を歩いた。
左腕を枝から守るため、森の中央を通る必要があっただけかもしれない。
リタは理由を聞かなかった。




