第十五話 魔王国の村
炭鉱村へ入る前に、五人は武器を隠した。
完全に隠せるものではない。カイルとソラの剣は外套の下へ入れても形が出るし、ガレスの弓も包んだだけだ。それでも、抜き身で歩くよりはいい。
村には柵がなかった。
黒い石で造られた家が二十軒ほど並び、その向こうに炭鉱の穴が開いている。道端で遊んでいた子どもには小さな角があり、井戸から水を汲む女の肌は薄い青色だった。
五人を見ると、子どもたちは家の陰へ逃げた。
大人も仕事の手を止める。
歓迎されていないのは明らかだった。
「薬師はどこにいる」
ガレスが、道端で薪を割っていた男へ尋ねる。
男は答えず、村の奥を顎で示した。
そこには小さな木札が掛かった家がある。薬草を束ねた絵が描かれていた。
中へ入ると、苦い匂いがした。
棚には乾燥させた葉と根、色の違う粉がぎっしり並んでいる。作業台の向こうにいたのは、五十歳ほどの女だった。
額から伸びた右の角が、途中で折れている。
「薬が欲しいなら、症状を言いな」
女は五人を一度見ただけで、手元の薬草へ視線を戻した。
ガレスが作業台へ銅貨を置く。
「春の橋を見たか」
女の手が止まった。
「今年は雪が深い」
合言葉が返る。
「奥へ入りな。表で立っていると目立つ」
女はミラと名乗った。
五人が何者かも、何をしに来たかも知っていた。
「王国の討伐隊にしては、ずいぶん若いね」
「魔王は年齢で倒すものではありません」
エレナが答える。
「聖女様は口が強い」
「よく言われます」
「そうじゃった?」
リタが聞くと、エレナは微笑まずにこちらを見た。
「今後は、リタにもそう接しましょうか」
「今のままでええです」
ミラが鼻を鳴らした。
「騒がしい連中だね」
地図を広げ、村から先の道を教わる。
魔王城へ近づくには、北西の補給砦を越える必要がある。砦を大きく迂回すれば、軍の駐屯地へ入る。南は深い湿地で、土地を知る者でも抜けるのに十日はかかる。
「砦の下に、古い坑道が通ってる」
ミラは炭で線を引いた。
「この村の炭鉱とつながっていた道だ。今は崩れてるが、途中までは歩ける。砦の貯蔵庫へ出る縦穴が残ってるはずだよ」
「警備は?」
「坑道側はいない。入口を知ってる村の者が、もうほとんど残ってないからね」
ガレスが村へ目を向ける。
「若い男が少ないな」
「徴兵された。断った者は鉱山送りか、見せしめに吊るされたよ」
ミラの声に怒りはなかった。
怒る時間を過ぎて、固く冷えたような声だった。
「あんたは、うちらを魔王んとこへ行かせてええん?」
リタが尋ねる。
「村が罰を受けるかもしれんよ」
「あんたたちが失敗すればね」
「成功しても、次の偉い人が同じかもしれん」
「それでも、今より悪くなる余地は少ない」
ミラは地図を畳んだ。
「人間だから助けるんじゃない。あの王を殺しに行くから助ける。それを間違えるな」
「分かった」
カイルがうなずいた。
そのとき、表の扉が勢いよく開いた。
十二、三歳の少年が駆け込んでくる。片方の角に布を巻き、顔は煤で汚れていた。
「ミラ婆ちゃん! また熱が上がった!」
「誰のだい」
「兄ちゃん!」
ミラの顔が変わった。
「あんたたちはここにいな」
薬箱を持ち、少年と外へ出ようとする。
エレナが立ち上がった。
「私も行きます」
「聖女だと知られたいのかい」
「治せるかもしれません」
「見捨てることも覚えな、魔王には届かないよ」
「見捨てる必要があるか、見てから決めます」
ミラは一度エレナを見て、何も言わずに外へ出た。
「うちも行く」
リタが続く。
結局、五人とも家を出た。
少年の兄は、村外れの物置へ寝かされていた。
若い魔族の兵だった。
制服は脱がされているが、腕に軍の刺青がある。腹には深い傷があり、周囲の皮膚が黒く変色していた。
「脱走兵か」
ガレスが言う。
ミラは答えない。
「昨日の夜、村へ戻ってきた」
少年が代わりに言った。
「もう人を殺したくないって」
エレナは傷の横へ手を当てた。
「刃に毒があります。傷口だけ治しても、身体へ回った分が残ります」
「薬はある」
ミラが瓶を出す。
「だが、毒を抑えている間に傷を閉じなきゃもたない」
「できます」
エレナの光が青年の腹を包む。
ミラが薬を飲ませ、リタは熱を持つ身体を冷やした。水の膜を額と首へ置き、温度が下がりすぎないよう何度も替える。
ソラは戸口に立ち、外を見張っていた。
夕方、青年の呼吸はようやく落ち着いた。
「峠を巡回する兵は、三日後に村へ来る」
意識を戻した青年が、途切れながら言った。
「補給砦にも……知らせが行ってる。王国の討伐隊が、近くまで来たと」
「なぜ教える」
カイルが尋ねる。
「あの王が……死ねば、戦争が終わるかもしれない」
それだけ言うと、再び眠った。
物置を出ると、村の者たちが遠巻きに集まっていた。
人間の聖女が魔族の兵を治したことを、どう受け取ればよいのか決めかねている顔だった。
リタは彼らへ何も言わなかった。
感謝を求めることでも、王国の正しさを説く場面でもない。
ミラの家へ戻る途中、ソラが隣へ来た。
「魔王国の兵でも、助けるんですね」
「死にかけとったじゃろ」
「敵かもしれません」
「次に剣向けてきたら、そんとき殴る」
「治してから?」
「治さんかったら、決める前に死ぬじゃん」
ソラは少し歩いてから言った。
「あなたらしいと思います」
「出会って二週間も経っとらんのに、よう分かった顔するね」
「分かってきました」
まっすぐ言われ、リタは返事を探した。
「……うちも、あんたのこと分かってきたよ」
「どんな人間ですか」
「見た目より、意外と意地悪」
「それだけですか」
「今んとこはね」
本当は、他にもあった。
真面目で、無茶をして、知らないことを素直に聞く。子どもに懐かれると、少し嬉しそうにする。
何より、リタが選んだことを、表面だけで判断しない。
だが、今すべてを教える必要はない。
「まだ保留」
リタが言うと、ソラは意味に気づいて笑った。
ミラの家へ戻ると、入口に三人の村人が待っていた。
薪を割っていた男と、井戸にいた青い肌の女。それから角の短い老人だった。
「夜までに出ていってくれ」
男が言った。
「あんたらを置いたと知れたら、村ごと処罰される」
「坑道を使うなら、夜明け前の方がいい」
ミラが答える。
「暗いうちに炭鉱へ入れば、見張りの目にもつかない」
「だから、その夜明けまでが困ると言ってるんだ」
男の視線は、カイルとソラの外套の膨らみへ向いていた。
「軍を連れて戻ってくるかもしれない」
「それは、あんたらが?」
青い肌の女がリタへ尋ねた。
「うちらは戻らんよ」
「なぜ信じられる」
「信じんでええ」
リタは答えた。
「炭鉱の入口近くへ寝る。武器は手元に置くけど、村へは入らん。朝になったら出る。それでも嫌なら、今から谷へ戻る」
「谷へ戻れば、巡回に見つかる」
カイルが小声で言った。
「分かっとる」
「では、選択とは言えない」
「うちらが選ぶことじゃないんよ」
村人の顔を見た。
助けてもらう側だからといって、怖がるなとは言えない。こちらが魔王を倒すつもりでも、村にとっては武装した人間が五人、突然入り込んだことに変わりはなかった。
老人が、戸口から物置の方を見た。
「あの若いのは助かるのか」
エレナが答える。
「今夜を越えれば、可能性は高いです。ただ、何度か薬を飲ませる必要があります」
「あんたがやるのか」
「ミラさんができるなら、任せます。難しければ、私が残ります」
「残る?」
「皆は先へ進みます」
カイルが何か言おうとした。
エレナは彼より先に続ける。
「必要なら、という話です」
老人は長く黙ったあと、男へ言った。
「鉱夫の詰所を使わせろ。入口は村の外だ」
「だが」
「あの子を助けてもらって、雨の下へ追い出すのか」
「人間だぞ」
「見れば分かる」
老人はそれで話を終えた。
五人は、炭鉱の入口にある詰所を借りることになった。
長椅子が二つと、煤で黒くなった机が一つある。床には砂と炭の粉が積もっていた。
ガレスが戸口と窓へ細い糸を張り、カイルとソラは交代で見張ることにした。
「信用されとらんね」
リタは床を箒で掃きながら言った。
「当然だ」
カイルが盾を壁へ立てる。
「こちらも、完全には信用していない」
「泊めてもろうたのに?」
「泊めてもらったことと、警戒を解くことは別だ」
「面倒じゃねえ、人間関係」
「人間だけではありませんよ」
エレナが訂正した。
外が暗くなるころ、青い肌の女が鍋を持ってきた。
「余ったから」
ぶっきらぼうに言い、机へ置く。
中身は豆と根菜を煮たものだった。五人分にしては少ない。
リタが礼を言うと、女はすぐ帰ろうとした。
「待って」
エレナが呼び止める。
「彼の熱は、先ほどより下がっています。今夜は水を切らさないでください」
女はうなずいた。
「あれは、私の弟だ」
井戸で初めて見たときと同じ、硬い顔だった。
「助けたことを、村の皆が喜んでるとは思わないで。あの子が軍から逃げたせいで、巻き添えになるかもしれない」
「はい」
「でも、私は――」
言葉を切る。
女は深く頭を下げ、顔を上げずに出ていった。
その夜の食事は静かだった。
豆の煮物を五つの椀へ分け、足りない分は携帯食を足した。味の話をする者はいない。
ソラは、自分の椀へ入った豆を見たあと、戸口の外を見た。
「助かって嬉しくても、困るんですね」
「どっちも本当なんじゃろ」
リタは硬いパンを割った。
「人を助けたら、みんな笑うて終わりとは限らんよ」
「では、助けたのは正しくなかったですか」
「正しかった言うてほしいん?」
ソラは考えた。
「分かりません」
「うちも分からん」
「大魔道士でも?」
「大魔道士じゃけえ、分からんもんは分からん言えるんよ」
隣でガレスが咳払いした。
「今のは便利に使ってないか」
「便利なんが大魔道士じゃろ」
「器用貧乏の間違いだ」
「誰が貧乏よ!」
声を上げた途端、外を見張っていたカイルが振り向いた。
全員で口を閉じる。
少しの間を置き、ソラが小さな声で言った。
「今は笑うところですか」
「今は静かにするとこ」
また一つ、外した。
それでもリタは笑い、エレナも口元を押さえた。
翌朝、出発の支度が終わっても、ソラだけが戻ってこなかった。
「どこ行ったん、あいつ」
リタは詰所を出た。
物置の扉が少しだけ開いている。中からソラの声が聞こえた。
呼ぼうとして、やめた。
扉の陰から、中を覗く。
青年はまだ青い顔をしていたが、目は開いている。弟が椅子に座り、眠り込んでいた。
「砦の兵は、あなたを探しますか」
ソラが尋ねる。
「たぶん」
「見つかれば、殺されます」
「分かってる」
「それでも戻った」
青年は、眠る弟を見た。
「ほかに行く場所がなかった」
「死ぬかもしれなくても?」
「一人で逃げて、生きて、そのあと何をすればいいのか分からなかった」
ソラはしばらく黙った。
「逃げたことを、後悔していますか」
「分からない。人を殺したことは後悔してる。逃げたせいで村が罰を受けたら、それも後悔する」
一つの選択に、一つの答えが付くわけではないらしい。
「あんたは、どうして魔王を倒しに行く」
青年が逆に尋ねた。
「私が選びました」
「何をだよ」
青年が聞き返す。
ソラはすぐには答えなかった。
「死んでほしくない人たちがいます」
言葉にしてから、ソラは少しだけ眉を寄せた。
リタは、扉の外で息を止めた。
その中に自分が入っているとは思わない。ソラには遠い場所に、何より尊敬する師匠がいる。
それでも、彼が何かを守るためにここへ来たのだと、初めて聞いた気がした。
青年は追及せず、目を閉じた。
「なら、行けよ。俺みたいに、あとから逃げるんじゃなくて」
外では、四人が出発の支度を終えていた。
リタは物置から離れ、炭鉱の入口まで戻った。
何も聞かなかった顔を作ってから、炭鉱の入口で手を振った。
「遅いよ!」
ソラは足を速めた。




