第十三話 大魔導士の穴
関所を越えた先で、道は二つに分かれた。
北は正規の軍道。南は炭鉱へ続く古い運搬路。
五人は南を選んだ。
炭鉱村の協力者へ会うには、こちらが近い。道幅は狭いが、荷車が通っていたため傾斜は緩い。ガレスの地図では、二日歩けば山を抜けられるはずだった。
一日目は何事もなかった。
二日目の朝、五人は同じ岩の前へ三度戻ってきた。
岩には、リタが杖で付けた黒い焼け跡がある。
「またじゃ」
誰も否定しなかった。
道は一本しかない。分かれ道もなく、引き返してもいない。それなのに、東へ向かって歩いているはずの五人は、半刻ごとに同じ場所へ戻ってくる。
「足跡は続いている」
ガレスが地面を調べる。
「俺たちのだ。前の二回と同じ位置にある」
「幻覚でしょうか」
エレナは聖印を掲げ、淡い光を広げた。
周囲の景色は変わらない。
「呪いではありません。精神へ触れている様子もないです」
「道そのものを曲げとる」
リタは焼け跡のある岩へ近づいた。
表面には何もない。
少し離れた崖、木の根、道へ埋まった石。魔力を広げて探ると、それぞれを結ぶ細い線が見つかった。
空間を折り、一定の場所から先へ進めなくする術式だった。
「解けるのか」
カイルが尋ねる。
「ちょい待ち」
リタは荷から紙と炭筆を出した。
線の位置を書き写し、魔力の流れを追う。
火、水、風、土のように、働きが目で見える魔法ではない。空間の位置そのものを術者がどう定めたか、それを読み取る必要がある。
一つ目の結び目へ、細い魔力を流した。
景色が揺れる。
道の先が二重になり、すぐ元へ戻った。
「今、動きましたね」
ソラが言った。
「動いただけ。解けとらん」
二つ目は土へ埋まっている。
土の魔法で周囲だけを掘り、術式を傷つけないよう露出させる。そこへ逆向きの流れを作った。
今度は、五人の背後にあった道が消えた。
「リタ」
カイルの声が低くなる。
「分かっとる。戻すけえ」
流れを切ると、背後の景色が戻った。
額へ汗が浮く。
魔力を大量に使っているわけではない。分からない仕組みを、少しずつ触って確かめることに神経を使う。
昼を過ぎても、術式は解けなかった。
リタは思いつく限りの方法を試した。
まず、八つある結び目のうち一つだけを眠らせた。
「歩いてみる」
カイルが焼け跡の岩から離れる。
十歩。二十歩。姿が道の曲がりへ消えた。
今度こそ抜けたかと思った直後、背後から足音がした。
カイルが、五人の荷の向こうから戻ってくる。
「前へ歩いていたはずなんだがな」
「どっか一個だけ止めても、残りでつなぎ直すんじゃ」
リタは紙へ線を足した。
次は二つを同時に止める。
ソラに頼み、道の先へ小石を投げてもらった。小石は途中で消え、数呼吸後にリタの足元へ落ちた。
三つなら、戻ってこなかった。
代わりに、岩壁の内側から硬い物が転がる音がした。
全員が黙る。
「今の石、岩ん中へ入った?」
「おそらく」
エレナが答えた。
「人間で試す前でよかったですね」
「試さんわ!」
リタは三つの結び目を急いで元へ戻した。
昼食は立ったまま、硬いパンを水で流し込んだ。
誰も先を急かさなかった。それがかえって、リタを焦らせた。
「エレナ、ここへ浄化を当てて。壊すんじゃなくて、術者の癖だけ薄められる?」
「やってみます」
白い光が細い魔力の線を包む。
リタは光の内側へ自分の魔力を沿わせた。異物が少しだけ削れ、術式の骨組みが見えた気がした。
「これなら――」
踏み込んだ瞬間、足元の土が空へ落ちた。
空が下にあり、山が横にある。
身体の向きは変わっていないのに、目だけが別の方向を見せられた。
リタは膝をつく。
背中を誰かにつかまれ、強く引かれた。
視界が元へ戻る。
ソラの腕が、リタの胴を抱えるように支えていた。
「離してええよ」
「立てますか」
「立てる」
返事ほどすぐには、足へ力が戻らなかった。
ソラはリタが自分で立つまで待ち、手を離した。
「今のは、うちが失敗しただけ。術が強うなったわけじゃないよ」
誰へともなく言い訳する。
「分かっています」
ソラはそれ以上慰めなかった。
ガレスは術式の外周を探し、木々へ布の印を付けた。戻ってきたころには、靴も裾も泥だらけになっていた。
「北の崖まで続いている。南は途中で線が消えた。少なくとも、山全体じゃない」
「外から壊せそう?」
「俺に魔法を聞くな」
「うちも罠のこと聞かれたら、似たような顔するね」
「なら、専門外へ無茶を言うな」
責める響きではなかった。ただ事実を告げられ、リタは余計に口を閉じた。
最後に、術式全体へ薄く魔力を散らした。
八つの結び目が同時に震え、道がいくつにも分かれた。どれも同じ焼け跡の岩へつながっている。
一つを選ぶ根拠がなかった。
魔力を切る。
景色が戻ったときには、日が西へ傾いていた。
「壊すならできる」
リタは最後に言った。
「ただし、道がどこへつながるか分からんようになる。谷ん中か、岩の中へ出るかもしれん」
「それは通れるとは言わないな」
「じゃろうね」
杖を地面へ置く。
手の甲で汗を拭った。
得意ではない魔法でも、少しなら扱える。それがリタの長所だった。
けれど少し扱えることと、専門の術師が作った大がかりな術を解けることは違う。
「無理じゃ」
言葉にした途端、ひどく悔しかった。
誰も責めていない。
カイルは地図を開き、ガレスは周囲を見直している。エレナはリタへ水筒を差し出した。
分かっている。この四人は、リタが何でもできるなど最初から思っていない。
それでも、隣に立つソラの目が気になった。
彼が初めて見る、大魔道士の明確な敗北だった。
「大魔道士にも、できないことがあるんですね」
悪意のない声だった。
だからこそ、少し刺さった。
「あるよ」
リタは水筒を受け取った。
「うちは何でもできるわけじゃない」
「そうですか」
「がっかりした?」
ソラはすぐには答えなかった。
「まだ、判断できません」
「なんの判断よ」
「あなたが大魔道士かどうかです」
「今の流れでそれ言う?」
思ったより強い声が出た。
ソラが口を閉じる。
エレナが二人を見たが、何も言わなかった。
「別の道を探す」
ガレスが立ち上がった。
「この術は谷まで広がっていない。降りられる場所があれば、下を回れるかもしれん」
「日暮れまでに見つかるか」
「やるしかない」
ガレスはロープを持ち、カイルと崖の方へ向かった。
エレナも周囲の魔力を調べに行く。
焼け跡のある岩の前に、リタとソラが残った。
「怒っていますか」
「怒っとらん」
「怒っているように見えます」
「ほいじゃ聞かんで」
紙を乱暴に畳む。
ソラが腰を下ろし、散らばった炭筆を拾った。
「私は、できないことがあるから大魔道士ではない、とは言っていません」
「似たようなもんじゃろ」
「違います」
「何が違うん」
「まだ判断するためのものが、他にもあると思っています」
拾った炭筆を、リタへ差し出す。
「魔法の強さだけではないと、あなたが教えました」
雨の夜の話だった。
リタは炭筆を受け取った。
慰めるつもりで言っているのかは分からない。たぶん、ソラは見たままを話している。
「そういうとこだけ、よう覚えとるね」
「忘れた方がよかったですか」
「忘れんでええ」
悔しさは消えなかった。
けれど、先ほどよりはましだった。
リタは解けなかった術式を、もう一度見上げた。
大魔道士かどうかの判断は、まだ保留らしい。
ならば、別のものを見せればよかった。




