第十話 酒場の席
監視線を抜けて二日後、五人はラウルという宿場町へ入った。
王国領内ではあるが、魔王国との交易で栄えた土地だ。戦争が始まってから表向きの交易は止まり、今は両国の商人と兵、逃げてきた者、どちらにも属さない者が入り混じっている。
石壁には王国の旗が掲げられていた。
その真下で、角のある商人が果物を売っている。誰も気に留めない。
「ここから先の道を買う」
町へ入る前、ガレスはそう言った。
「人に会う。俺が合図するまで、討伐隊だと分かることはするな」
「大魔道士も?」
「特にお前だ」
リタは杖を布で包み、ただの長い荷物に見せて背負っていた。カイルも紋章の入った外套を脱ぎ、盾を荷車預かりへ置いている。
エレナは聖印を服の中へ隠した。
「うちら、何に見えるん?」
「旅商人と護衛」
「売り物ないじゃん」
「商談を終えた帰りだ」
「どこから?」
「黙っていれば聞かれない」
ガレスが選んだのは、町の中央にある大きな酒場だった。
昼を過ぎたばかりだというのに、店内は混んでいる。給仕が卓の間を行き交い、奥では楽士が弦を鳴らしていた。酒と焼いた肉の匂いに、煙草の煙が混じっている。
五人は壁際の丸卓へ案内された。
「狭いね」
「近い方が話を聞かれにくい」
ガレスはリタの背中を押し、ソラとの間へ座らせた。
反対側にはカイルとエレナが並ぶ。
「あんたは?」
「知り合いを探す」
「一人だけ逃げるん?」
「飲み物が来るまで、商人らしく世間話でもしていろ」
ガレスは人混みへ消えた。
残された四人で顔を見合わせる。
「世間話って何するん?」
「それを俺に聞くな」
カイルは店内を警戒している。どう見ても護衛だった。
エレナが品書きを取った。
「昼食を選んではいかがですか」
「それじゃ」
「注文を決めるのは世間話ではない」
「もう、文句ばっかりじゃね」
リタは隣のソラへ向き直った。
椅子の間が近く、膝が触れた。
「ソラ、なんか面白い話して」
「急ですね」
「普通の旅商人は面白い話するんよ」
「初めて聞きました」
「今うちが決めたけえ」
「では、普通ではないと思います」
「そこから疑う?」
給仕が四人分の飲み物を置いた。
薄い麦酒だった。酒に強くないエレナの前には果実水を頼む。
リタが杯へ口をつけたところで、入口から魔王国兵が三人入ってきた。
制服ではないが、歩き方と揃いの短剣で分かる。先頭には人間と変わらない顔の男、後ろの二人には黒い角があった。
三人は店内を見渡し、近くの卓へ座った。
カイルの姿勢が硬くなる。
「見すぎ」
リタは小声で言った。
「分かっている」
「全然分かっとらん顔しとる」
兵の一人がこちらを見た。
旅人四人が、無言で入口を警戒している。
どう考えても怪しい。
リタは咄嗟にソラの腕へ両手を絡めた。
「ほら、飲みんさいよ」
声を少し大きくする。
「何をしているんですか」
「うちに付き合って」
笑ったまま、歯の間から囁く。
ソラは一拍置いて、杯を取った。
「飲めばいいんですか」
「仲良さそうに」
「いつも仲は悪くありません」
「そういうこと、今さらっと言う?」
「違いましたか」
リタは返事に困り、杯をあおった。
薄いはずの酒が、急に喉へ熱く感じる。
正面を見ると、エレナが果実水の杯で口元を隠していた。目だけが笑っている。
カイルは呆れた顔をしながらも、ようやく護衛らしい緊張を解いている。
「帰り道の夫婦と、その連れに見えますね」
エレナが穏やかに言った。
「夫婦は言いすぎじゃろ」
「そうでしょうか」
「そうよ。ねえ、ソラ」
ソラは兵たちの視線を確かめた。
「夫婦に見える方が都合はよいと思います」
「今はね。今だけの話よ?」
「はい」
リタが腕を離そうとすると、兵の一人が立ち上がった。
反射的に、もう一度強くつかむ。
男はこちらへ来ず、給仕を呼んだだけだった。
「力が強いです」
「我慢しんさい、旦那さん」
「分かりました」
真顔で答えるから、余計におかしい。
ソラの腕は温かく、服の上からでも固い。剣を振るうときとは違い、今はリタにされるがままになっている。
いつまでも意識している自分の方が馬鹿らしくなり、リタは店内へ目を向けた。
ほどなく、ガレスが戻ってきた。
卓の様子を一目見て、空いている椅子へ座る。
「俺がいない間に何があった」
「商人らしく世間話しとった」
「腕を組む必要が?」
「新婚の設定になったんよ」
「聞いてないぞ」
「今できたけえ」
ガレスは深く追及せず、卓の中央へ銅貨を一枚置いた。
表には王国の王冠、裏には古い橋が刻まれている。
「北の橋は落ちた。正規の街道は軍が封鎖している」
声を落とす。
「西へ三日行ったところに、昔の運搬路がある。魔王国側の炭鉱村へ抜ける道だ。今も使える」
「案内は?」
カイルが尋ねる。
「向こうの村まで行けば、協力者がいる。角が片方欠けた薬師だ。合言葉は『春の橋を見たか』。返事が『今年は雪が深い』なら当たり」
「違ったら?」
「薬を買って帰れ」
「便利な合言葉じゃね」
「間違えても怪しまれにくいのが大事なんだ」
ガレスは銅貨を裏返した。
「もう一つ。魔王国軍の一部が、住民を城下へ集め始めている。物資と人手の徴発だ。侵入者を探す目も増える」
先ほど入ってきた三人も、そのためにいるのかもしれない。
「長居はできませんね」
エレナが言った。
「今夜だけ休む。明日の朝、別々に西門を出て外で合流する」
話はそれで終わった。
注文した昼食を食べ、五人は二組に分かれて店を出た。兵たちは最後までこちらへ声をかけなかった。
カイル、エレナ、ガレスは裏通りへ向かった。
リタとソラは、先ほど作った新婚夫婦の設定を崩さないため、大通りを歩くことになった。
「もう腕は組まなくてええよね」
「必要なら続けます」
「必要じゃないけど、あんたがそう言うと、うちが嫌がっとるみたいじゃん」
「違うんですか」
「そういう聞き方するん、ずるくない?」
ソラは答えず、リタが離した分だけ横へ間を空けた。
通りの店で、破れた荷袋を直す糸と針を買う。
店主の老女は二人を見比べ、勝手に納得した顔をした。
「旅の途中で式を挙げたのかい」
「ええ、まあ」
リタが答える。
「何日目だい?」
「五日くらい」
「出会ってからは七日です」
ソラが正確に訂正した。
リタは彼の足を踏んだ。
「痛いです」
「旦那さんは冗談が下手なんよ」
老女は声を立てて笑った。
「新婚のうちは、それくらいでちょうどいい。仲良くおし」
店を出てから、リタは小声で言った。
「設定に合わせんさいよ」
「事前に何日目か決めていませんでした」
「普通、出会って七日で結婚せんじゃろ」
「そうなのですか」
「あんたの普通、時々どうなっとるん?」
「知識はあります。経験が少ないだけです」
その答えが妙に引っかかった。
剣を扱い、馬に乗り、旅の支度もできる。師匠の教えをいくつも覚えている。
それなのに、人と暮らした経験だけがどこか抜け落ちているように聞こえた。
「結婚したい思うたことは?」
聞いてから、何を尋ねているのだと自分で思った。
ソラは驚きもせず、真面目に考える。
「ありません」
「好きな人も?」
「いませんでした」
過去形だった。
「今は?」
ソラがリタを見る。
「夫婦の設定は、まだ続いていますか」
「質問で返さんで」
「設定に合わせるよう言われたので」
からかわれたと気づくまでに、一拍かかった。
「あんた、絶対性格悪うなっとるよ」
「リタから学んでいます」
「師匠の教育じゃないん?」
「師匠は、もう少し穏やかでした」
会ったことのない相手へ、また少しだけ負けた気がした。
宿へ続く角で、先ほどの魔王国兵の一人が大通りへ出てきた。
リタは今度こそ迷わず、ソラの腕へ自分の腕を絡めた。
「まだ要るみたいじゃね、旦那さん」
「はい」
今度の返事には、わずかに笑いが混じっていた。
宿の脇道へ入ったところで、リタはようやくソラの腕を離した。
「助かったわ」
「役に立ちましたか」
「たぶんね。あんた、もうちょい照れたりせんの?」
「照れる必要がある場面でしたか」
「普通はあるんよ」
ソラは少し考えた。
「リタは、照れていたんですか」
「照れとらん」
「そうですか」
「なん、その納得してなさそうな顔」
「何も言っていません」
口元だけが、ほんの少し笑っていた。
リタは包んだ杖で、その腕を軽く叩いた。




