隠された入口
翌朝。
三人は宿場町をあとにした。
街道を外れ、南西へ続く細い山道を進んでいく。
森は朝露に濡れ、柔らかな光を受けた木々が静かに枝を揺らしていた。
頭上では葉が重なり合い、木漏れ日がまだら模様を描いて地面へ落ちる。
風が吹くたび、葉擦れの音に混じって鳥のさえずりが森の奥から聞こえてきた。
人の手がほとんど入っていない、静かな森だった。
アルノは何度も地図へ目を落とす。
「この先ですね。」
アルノは何度も地図と周囲を見比べながら歩く。
やがて木々が途切れる。
その瞬間、視界が大きく開けた。
アルノは思わず足を止めた。
「……。」
白い石柱の周囲には、崩れた石積みや建物の土台が点々と残っていた。
屋根は失われ、壁もほとんど崩れ落ちている。
神代の遺跡へ惹かれるように、後の時代の人々もここへ建物を築いたのだろう。
研究者だったのか。
巡礼者だったのか。
今となっては知る者はいない。
ただ、その痕跡だけが静かな草原へ残されていた。
それでも、白い石柱が描く円形の配置だけは崩れていなかった。
静かな風が吹き抜ける。
石柱の間を草が揺れた。
「これが……。」
リネが小さく呟く。
「南西遺跡群。」
エルディオンは静かに頷いた。
「神代の遺跡だ。」
三人は石柱の間へ足を踏み入れる。
人の気配はない。
鳥の鳴き声も聞こえない。
風だけが、石柱の間を通り抜けていく。
アルノは辺りを見回した。
崩れた石柱。
埋もれた石畳。
どこを見ても、人が出入りできそうな場所は見当たらなかった。
リネは辺りを見回した。
「遺跡っていうくらいだから、もっと大きい建物かと思ってた。」
「長い年月は、ほとんどのものを風景に変えてしまうからね。」
エルディオンも静かに辺りを眺める。
その時だった。
「……あれ?」
アルノが小さく声を漏らした。
二人が振り返る。
「どうした?」
エルディオンが尋ねる。
アルノは石柱の奥を見つめていた。
「線があります。」
「線?」
リネも同じ方向を見る。
「……何もないけど。」
アルノはゆっくり指を伸ばした。
「あっちへ続いてます。」
まるで誰かが一本の糸を張ったように。
細い線が草原の奥へ伸びている。
その先で、ふっと途切れていた。
「行ってみよう。」
エルディオンが一歩踏み出す。
長い銀髪が朝の風にさらりとほどけ、石柱の間を白い光が流れたように見えた。
三人もその背を追う。
草をかき分けながら進んだ。
石柱を一本、また一本と通り過ぎる。
すると。
半ば土へ埋もれた石段が姿を現した。
「え?」
リネが目を丸くする。
「こんな所に。」
石段の先には、草木に覆われた石造りの壁。
さらに蔦を払いのけると。
巨大な石扉が静かに姿を現した。
アルノは息を呑む。
「入口……。」
その時だった。
「……驚きました。」
後ろから静かな声が聞こえた。
三人が同時に振り返る。
そこには、一人の青年が立っていた。
淡い金髪。
灰色の外套。
細い銀縁眼鏡の奥で、淡い灰紫の瞳が石扉を静かに見つめている。
その視線は、やがてアルノへ向いた。
「そこが入口だったのですね。」
アルノは思わず聞き返す。
「探していたんですか?」
青年は静かに頷いた。
「古い文献には、この周辺の地下に巨大な神代遺跡が眠ると記されています。」
「ですが、入口の場所だけは分かりませんでした。」
石扉へ視線を戻す。
「私は一か月ほど、この周辺を調査しています。」
「それでも見つけられなかった。」
少し間を置き、再びアルノを見た。
「あなたは、どうやって見つけたのですか。」
「えっと……。」
アルノは困ったように頭を掻く。
「線が見えたので。」
青年は少しだけ黙った。
「線。」
「はい。」
「入口まで続いていました。」
また沈黙が落ちる。
リネが苦笑した。
「私には何も見えなかったけど。」
「僕も。」
エルディオンが肩をすくめる。
青年はゆっくり息を吐いた。
「よくわかりません。」
「ですが、その結果だけは目の前にあります。」
そう言って一歩近づく。
「失礼しました。」
「私はレグルス・ヴァルハイト。神代遺跡を専門に研究しています。」
名乗り終えると、レグルスは一瞬だけエルディオンへ視線を向けた。
月光を編み込んだような長い銀髪。
人とは思えないほど整った容姿。
だが、その印象をすぐ頭の隅へ追いやるように、視線は石扉へ戻る。
彼の興味は人物よりも、目の前の神代遺跡に向いていた。
「アルノです。」
「リネ。」
「エルディオン。」
短い自己紹介を終えると、四人の視線は自然と石扉へ集まった。
重厚な石扉は半ば開いたまま、静かに地下への闇を覗かせている。
レグルスが静かに呟いた。
「文献では、この先にも何かあるはずです。」
エルディオンが頷く。
「じゃあ。」
「行こうか。」
四人は石段を下り始めた。
ひんやりとした空気が肌を撫でる。
白い石で造られた階段は、驚くほど深く続いていた。
踊り場を一つ。
二つ。
三つ。
何度折れ曲がっても、まだ下へ続いている。
「……まだあるの?」
リネが思わず呟いた。
「文献にも詳しいことは書かれていませんでした。この先に何かある、としか。」
レグルスも苦笑する。
「ここまで深いとは思っていませんでした。」
階段が終わる。
今度は長い回廊だった。
白い石で造られた通路は、人が何人も並んで歩けるほど広い。
天井も高い。
壁には風化した神代文字や幾何学模様が刻まれていた。
誰も意味は読めない。
足音だけが静かに響く。
一本道ではなかった。
緩やかな坂をさらに下り、
巨大な石柱が並ぶ広間を抜け、
再び長い通路を歩く。
どれほど下ったのだろう。
地上の気配は、とっくに消えていた。
時間の感覚さえ曖昧になり始めた頃。
前方が、ぼんやりと白く明るくなった。
「……光?」
地下のはずだった。
それなのに。
柔らかな光が、通路の奥から静かに漏れている。
最後の角を曲がる。
そして。
四人は思わず足を止めた。
目の前には、巨大な地下空間が広がっていた。
見上げても天井は見えない。
遥か頭上では、無数の光石が淡く輝き、地下とは思えないほど柔らかな光を降り注いでいる。
遺跡の白い壁には、長い年月を刻んだ傷跡が幾筋も走り、それでも崩れることなく、この空間を支え続けていた。
「……でかい。」
リネが思わず呟く。
中央には、巨大な円形の祭壇。
幾重にも重なる同心円が床いっぱいに刻まれ、その周囲を無数の白い石柱が静かに取り囲んでいる。
一本一本の石柱には、見たこともない古い文字がびっしりと刻まれていた。
だが。
その神秘的な光景の中で、一か所だけ異様な場所があった。
入ってきた入口とは反対側。
石柱が何本も根元からへし折れ、床には巨大な亀裂が走って空洞が開いている。
砕けた白い石材が散乱し、壁には深く抉られたような傷跡が残っていた。
まるで巨大な何かが、力任せに突き進んだようだった。
「……これ。」
リネが辺りを見回す。
「戦った跡じゃないよね。」
レグルスも足元の瓦礫へ視線を落とした。
「神代文明の崩壊にしては新しすぎます。」
「風化していない……。」
エルディオンは崩れた石柱へ手を触れる。
白い指先で割れ口をなぞり、小さく目を細めた。
「……新しいね。」
「少なくとも、何百年も前の傷じゃない。」
アルノは無意識に黒い裂け目へ目を向けた。
胸の奥がざわつく。
この場所で。
つい最近。
何か巨大な存在が動いた。
そんな気がした。
そして。
祭壇の中心。
人の背丈をはるかに超える透明な結晶が、静かに佇んでいる。
「……あれ。」
アルノは思わず息を呑んだ。
透明結晶の真上。
空間に、一本の黒い亀裂が走っていた。
まるで空そのものへ傷を刻んだような裂け目。
その向こう側は暗く、ゆっくりと脈打っている。
黒い雫のようなものが一滴、床へ落ちた。
濁った黒がゆっくりと広がっていく。
床に刻まれた魔法陣が黒く染まり、あたりを汚染していた。
どれもまだ新しく、乾ききってはいない。
「……何、あれ。」
リネが息を呑む。
レグルスも手帳を持つ手を止め、裂け目を見上げた。
誰も口を開かなかった。
ただ、祭壇の上に残された異様な光景だけを見つめていた。
静寂だけが地下空間を包んでいた。
レグルスがゆっくり祭壇へ近づく。
慎重に黒い染みを避けながらしゃがみ込み、その様子を観察した。
「……おかしい。」
小さく呟く。
「どうしたんですか?」
アルノが尋ねる。
「この汚染です。」
レグルスは床へ視線を落としたまま続けた。
「古いものではありません。」
「つい最近汚染されたように見えます。」
リネが顔をしかめる。
「最近って……。」
「ここ、誰も入ってないんじゃないの?」
「入口が埋もれていた以上、その可能性は高いはずです。」
レグルスも首を傾げた。
「ですが、この痕跡だけは説明がつきません。」
エルディオンは何も言わなかった。
ただ、透明結晶と、その上の裂け目を静かに見上げている。
その横顔から、いつもの笑みは消えていた。
アルノはもう一度、裂け目へ視線を向ける。
胸の奥が、ざわついた。
理由は分からない。
見てはいけない気がする。
それでも、目が離せない。
その時だった。
どくり。
低い音が地下空間へ響いた。
「……え?」
アルノが顔を上げる。
透明結晶の奥で、淡い光が一瞬だけ揺らいだ。
どくり。
もう一度。
今度は足元へ刻まれた巨大な魔法陣が、かすかに赤い光を帯びる。
「今……光った?」
リネが息を呑む。
レグルスも驚いたように結晶を見つめていた。
「文献には、こんな記録は……。」
言い終わる前だった。
どくり。
三度目の脈動。
透明結晶の内部を、淡い光がゆっくりと巡る。
まるで長い眠りから目を覚ますように。
地下空間の空気が、わずかに張り詰めた。
エルディオンが静かに一歩前へ出る。
「……二人とも。」
穏やかな声だった。
けれど、その声には今までにない緊張が滲んでいた。
「少し下がって。」
アルノとリネは顔を見合わせる。
エルディオンが、口調は硬かった。
アルノとリネは顔を見合わせた。
エルディオンが、こんな声で話すのは初めてだった。
レグルスも空気の変化を感じたのか、ゆっくりと祭壇から距離を取る。
その瞬間だった。
どくり。
透明結晶が、大きく脈打つ。
「っ!」
地下空間が微かに震えた。
足元へ刻まれた巨大な魔法陣を、赤黒い光がゆっくりと走り始める。
一本。
また一本。
複雑に刻まれた紋様の中を、まるで血流のように光が巡っていく。
「動いてる……。」
レグルスが息を呑んだ。
「そんな……。」
「何千年も眠っていた遺跡が……。」
信じられないものを見るような声だった。
アルノは透明結晶を見つめる。
見える。
今まで静かだった無数の線が、一斉に動き始めていた。
結晶を中心に流れが生まれ、複雑に絡み合いながら、どこかへ繋がっていく。
「エルさん……。」
震えた声が漏れる。
エルディオンはすぐにアルノを見た。
「何が見えてる?」
「線が……。」
アルノは息を呑む。
「全部、動き始めました。」
「結晶へ集まっています。」
エルディオンの碧眼が細められた。
何も見えてはいない。
それでも、アルノの言葉だけで十分だった。
静かに一歩前へ出る。
どくり。
再び透明結晶が脈打つ。
次の瞬間。
祭壇を囲む白い石柱の一本が、淡く赤い光を帯びた。
「……!」
さらに一本。
また一本。
静まり返っていた神代遺跡が、長い眠りから目を覚ますように光り始める。
地下空間へ、低い唸りが響いた。
エルディオンは裂け目を見据えたまま、小さく呟く。
「……来る。」
アルノの胸が大きく脈打つ。
何が来るのかは分からない。
それでも。
何かが、始まろうとしていた。
後まで読んでいただき、ありがとうございました!
次回もよろしくお願いいたします!
更新は21時です( ᴗ ᴗ)⁾⁾




