南西遺跡群
ベルノ村を出発した翌朝。
澄み渡る青空の下、三人は街道を歩いていた。
昨日まで見えていた牧草地は少しずつ遠ざかり、景色はなだらかな丘陵へ変わっていく。
朝露をまとった草が風に揺れ、小鳥のさえずりが静かな街道へ響いていた。
「平和ですね。」
アルノが空を見上げる。
エルディオンも同じように空を見た。
「そうだね。」
「ずっとこうならいいんだけど。」
その言葉に、アルノは少しだけ表情を曇らせた。
邪竜はまだ見つかっていない。
今この瞬間も、どこかで空を飛び、何かを探している。
その時だった。
上空から、一羽の白い鳥が一直線に舞い降りてきた。
鳥は迷うことなくエルディオンの肩へ止まる。
足には小さな筒が結び付けられていた。
「伝令?」
アルノが目を丸くする。
魔術塔の伝令鳥だった。
エルディオンは筒を外し、中の紙を広げた。
短く目を通す。
「新しい目撃情報だ。」
アルノとリネが身を乗り出す。
「邪竜は南西方面へ飛んだらしい。」
「目撃地点は……。」
紙を見ながら、小さく呟く。
「南西遺跡群。」
その言葉を聞いた瞬間だった。
アルノの指先がぴくりと動く。
無意識に空中をなぞる。
まるで見えない線と線を繋ぐように。
「アルノ?」
リネの声で我に返る。
「……あ。」
「また考え込んでた。」
「ご、ごめん。」
「謝らなくていいけど。」
リネは少し眉を寄せた。
「アルノって、集中すると周り見えなくなるから。」
昔からそうだった。
魔法陣を考え始めると、
食事も。
睡眠も。
時間まで忘れてしまう。
だからリネは、いつも途中で止めていた。
エルディオンはアルノの手元を見つめる。
碧眼が少しだけ細められた。
「考える時、すぐ手が動くんだ。」
「……え?」
「魔術師っぽい。」
見られていたらしい。
アルノは恥ずかしそうに視線を逸らす。
完全に無意識の癖だった。
エルディオンは小さく笑う。
「嫌いじゃないよ。」
「そういうの。」
軽い声だった。
アルノはなんとなく落ち着かなくなって、エルディオンの顔が見られなかった。
「さて。」
紙を畳みながらエルディオンが言う。
「次の目的地が決まった。」
「南西遺跡群。」
「行こうか。」
三人は再び歩き始めた。
街道沿いの停留所には、南西方面へ向かう乗合馬車が停まっていた。
荷台には旅人たちの荷物が積まれ、御者が出発の準備をしている。
三人は料金を払い、馬車へ乗り込んだ。
中には十人ほどの乗客がいた。
商人らしい男性。
荷物を抱えた老夫婦。
冒険者らしい若者たち。
それぞれが思い思いに出発を待っている。
馬が嘶き、車輪がゆっくりと動き始めた。
街道を抜けると、馬車は軽快な揺れに変わる。
窓の外では緑の丘が流れ、小川が陽の光を反射していた。
「いい景色。」
リネは窓の外を眺めて目を細める。
エルディオンもどこか楽しそうだった。
その隣で。
「……。」
アルノだけが静かだった。
「アルノ?」
リネが顔を覗き込む。
「大丈夫?」
「……だいじょうぶ。」
全然大丈夫そうではない。
三十分もしないうちに、アルノは窓へもたれ掛かっていた。
「うぅ……。」
「やっぱり。」
リネは苦笑する。
「酔った。」
アルノは力なく答えた。
エルディオンが不思議そうに首を傾げる。
「乗り物は苦手?」
「はい……。」
「歩く方が楽です……。」
「僕も。」
エルディオンはあっさり頷いた。
「歩く方が好き。」
アルノは青い顔のまま言う。
「歩いたら歩いたで、魔獣に襲われますけどね。」
「そうだね。」
エルディオンは笑う。
「でも、その方が旅してるって感じがする。」
その横で、アルノは弱弱しく言った。
「……僕は平和な旅がいいです」
一瞬、馬車の中が静かになる。
そして。
近くに座っていた商人が吹き出した。
「ははっ!」
「そりゃそうだ!」
老夫婦まで小さく笑っている。
アルノは耳まで赤くなった。
「……笑われた。」
リネは肩を震わせながら笑う。
「まあ、私も平和な旅の方がいいかな。」
エルディオンだけは楽しそうに笑っていた。
「それも旅。」
◇
夕方。
馬車は宿場町へ到着した。
西の空が茜色から群青へ変わる頃、宿屋や店先へ吊るされたガラス張りのランタンへ、一つ、また一つと火が灯っていく。
揺れる橙色の灯りは石畳へ柔らかな光を落とし、昼間とは違う温かな町並みを浮かび上がらせていた。
店先では肉が香ばしい音を立てて焼かれ、食欲をそそる香辛料の香りが風に乗って漂ってくる。
旅人たちは宿へ入り、酒場からは陽気な笑い声や食器の触れ合う音が漏れ聞こえていた。
「きれい……。」
アルノは思わず足を止めた。
王都とは違う。
旅人たちが行き交い、橙色の灯りに包まれた温かな宿場町だった。
エルディオンも立ち止まり、その景色を静かに眺める。
「前は。」
ぽつりと呟く。
「こんなふうに町をゆっくり歩く暇なんて、なかったなあ。」
アルノが振り返る。
「忙しかったんですか?」
「まあ。」
エルディオンは苦笑した。
「仕事がね。」
それ以上は語らない。
アルノも、それ以上は聞かなかった。
聞けば話してくれる気もした。
でも。
今は聞かない方がいい気がした。
三人は石畳をゆっくり歩き始める。
露店には見たことのない果物や香辛料が並び、旅人たちが楽しそうに品定めをしていた。
リネは足を止める。
「兄さんに見せたら喜びそう。」
「珍しい物ばっかり。」
商人の娘らしい感想だった。
アルノは思わず笑う。
「やっぱりそこなんだ。」
「商売になるか考えちゃうんだよね。」
リネも照れ笑いを浮かべた。
その時。
アルノはふと気になっていたことを思い出す。
「そういえば。」
エルディオンを見る。
「エルさんって、何歳なんですか?」
エルディオンはきょとんとした。
「二十五歳。」
アルノは首を傾げる。
「え?」
「でも、五百年前に──」
「二十五歳。」
にこり。
綺麗な笑顔だった。
「いや、その……。」
「五百年間眠って──」
「二十五歳。」
笑顔は崩れない。
アルノはしばらく考え込み。
「……。」
ゆっくりリネを見る。
リネは肩を震わせながら笑っていた。
「押し切られたね。」
「……納得できない。」
アルノが小さく呟くと、エルディオンは楽しそうに笑った。
「じゃあ。」
「今日はここで休もうか。」
長い銀髪が夜風に揺れる。
ランタンの灯りを受けて、その髪は月明かりのように淡く輝いていた。
「じゃあ。」
エルディオンは宿を見上げた。
「今日はゆっくり休もう。」
「明日からが、本番だから。」
アルノは小さく頷く。
南西遺跡群。
神代の時代から残る巨大な遺跡。
そこへ、邪竜が向かったかもしれない。
胸の奥が少しだけ高鳴る。
期待なのか。
不安なのか。
まだ、自分でも分からなかった。
後まで読んでいただき、ありがとうございました!
次回もよろしくお願いいたします!
更新は21時です( ᴗ ᴗ)⁾⁾




