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月光の師と未完の魔術師 ― 世界はまだ、繋がっている ―  作者: 平子 天陽


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7/18

ベルノ村

 王都を出発した乗合馬車は、西へ向かう街道をゆっくりと進んでいた。

 荷台には旅人や商人が座り、木箱や樽が揺れるたび、かたん、と乾いた音が響く。

 窓の外へ目を向けると、王都を囲んでいた城壁はもう小さく、代わりに冬枯れの草原がどこまでも続いていた。

 遠くには低い山並み。

 空はどこまでも青い。


「いい天気。」


 エルディオンが窓の外を眺めながら呟く。

 銀髪が風に揺れ、陽の光を受けて淡く輝いていた。


 アルノは向かいの席で地図を広げる。

 地図の上を指でなぞる。

 街道と村を結ぶ一本の道。

 気付けば、その先も空中へ描くように指が動いていた。


「またやってる。」


 リネが苦笑すると、アルノは照れくさそうに手を引っ込めた。


 ベルノ村。


 王都から西へ向かい、街道を途中で外れた先にある小さな酪農の村。

 昨日、宰相から渡された地図には、街道から村までの細い道も丁寧に記されていた。


「ここですね。」


 アルノは指で目的地をなぞる。


「馬車を降りたら、一時間くらい歩けば着くと思います。」


 リネが地図を覗き込んだ。


「うん、その道で合ってる。」


 商隊の護衛として何度も各地を往復してきた経験がある。

 地図を見るまでもなく、街道の位置は頭へ入っているようだった。

 やがて馬車が速度を落とす。


「この先で降りる方は準備してください!」


 御者の声が響いた。

 三人は荷物を抱え、馬車を降りる。

 街道には冷たい風が吹き抜けていた。

 周囲に民家はない。

 見渡す限り草原が続き、その先に一本の細い道だけが延びている。

 アルノはもう一度地図を確認した。


「……たぶん、こっちです。」


「うん。」


 リネは頷いた。


「この道なら間違いない。」


 三人は草原の道を歩き始めた。

 空は高く、風は冷たい。

 足元では冬草がさらさらと揺れ、小鳥の鳴き声だけが静かに響いている。

 旅が始まった。

 そう実感したのは、その景色の中を歩き始めてからだった。


 その時だった。

 草むらが、大きく揺れる。


「……あ。」


 リネが立ち止まる。


「出た。」


 アルノも思わず足を止めた。


「え?」


 次の瞬間。

 草むらから飛び出してきたのは、長い耳を持つ灰色の魔獣だった。

 見た目は野ウサギに似ている。

 だが、大人の犬ほどもある体躯と、異様に発達した後ろ脚が目を引いた。

 地面を蹴る音すら聞こえない。

 一瞬で距離を詰めてくる。


「速っ──」


 アルノが声を上げるより早く。

 リネの姿が消えた。

 地面を蹴る。

 小柄な体をばねのように弾ませ、一瞬で魔獣の懐へ潜り込む。


 次の瞬間。


 鈍い音が草原へ響いた。

 リネの拳が魔獣の脇腹へ突き刺さる。

 勢いを失った魔獣は、そのまま地面を何度も転がり、動かなくなった。

 アルノは呆然と立ち尽くす。


「……強い。」


 リネは軽く手を払う。


「このくらいならね。」


 倒れた魔獣を見下ろし、肩をすくめた。


「旅は楽しいんだけど。」


「こういうのが、ちょくちょく出るんだよね。」


 それから少し笑う。


「まあ、種類によってはおいしいお肉なんだけど。」


 アルノは思わず目を丸くした。


「食べるの?」


「食べるよ。」


 そのやり取りを見ていたエルディオンが、小さく笑う。


「やるねぇ。」


 リネは少し照れくさそうに頭をかいた。


「商隊の護衛やってると、このくらい普通。」


 再び歩き始める三人。

 アルノは地図へ目を落としながら歩く。

 その直後だった。

 足元の地面が、不自然に盛り上がった。


「アルノ!」


 リネの声が飛ぶ。


「え?」


 返事をした時には遅かった。

 ぼこり、と土が弾ける。

 アルノの右足が地面へ沈んだ。


「うわっ!」


 そのまま身体ごと引き込まれる。

 穴の中から、大きな顎が飛び出した。

 鋭い牙が並び、土をまとった巨体が勢いよく地上へ躍り出る。


「なっ──!」


 アルノの腕を、リネが力強く掴んだ。


「アルノ!」


 ぐいっと後ろへ引く。

 アルノの身体が穴から引き抜かれた。


 グラスモールは低く唸りながら、再び飛びかかる。

 リネが一歩踏み込む。

 小柄な身体がばねのように弾けた。

 魔獣の懐へ潜り込む。


 そして。

 拳が真っ直ぐ突き出された。


 ドゴッ!!

 鈍い衝撃音が草原へ響く。

 岩のように硬い皮膚の継ぎ目へ叩き込まれた一撃で、巨体が大きく仰け反る。


 逃がさない。

 リネは間髪入れず、もう一歩踏み込んだ。


 今度は掌底。

 顎を打ち抜く。


 グラスモールの身体が宙へ浮いた。


 最後に回し蹴り。

 巨体が地面を何度も転がり、そのまま動かなくなった。


 草原に静けさが戻る。

 アルノは呆然と口を開けていた。


「……すごい。」


 リネは剣を鞘へ戻しながら振り返る。


「だから注意して歩いてって言ったのに。」


「ご、ごめん……。」


 アルノは服についた土を払いながら苦笑した。


「地図を見てたら、つい……。」


「やられちゃうよ。」


「う……。」


 反論できない。

 その様子を見ていたエルディオンが、くすりと笑った。


「楽しい旅だ。」


 アルノは思わず振り返る。


「どこがですか!」


「僕、さっき食べられそうだったんですけど!」


 エルディオンは楽しそうに目を細めた。


「そこがいいんだよ。」


 あまりにも自然に言うので、アルノは言葉を失う。

 リネは呆れたようにエルディオンを見る。


「……この人。」


「絶対、どんな場面でも楽しめるタイプだ。」


 エルディオンは小さく笑った。


「飽きないから。」


 アルノは思わず苦笑する。


 冬の草原を風が渡っていく。

 さっきまで賑やかだった空気が、少しだけ落ち着いた。

 アルノは苦笑しながら服についた土を払う。


「旅って、もっと景色を楽しむものだと思ってました……。」


 リネが肩をすくめる。


「景色も楽しむよ。」


「でも、外は人の町じゃないから。」


「魔獣も普通にいる。」


「だから護衛が仕事になるんだけどね。」


 アルノは改めて周囲を見回した。


 草原。

 森。

 青空。

 一見すると穏やかだ。


 けれど、その静かな景色の中にも危険は潜んでいる。

 王都の外は、まったく別の世界だった。

 エルディオンはそんな二人を眺めながら、小さく笑う。


「楽しい旅になりそう。」


 アルノは思わず振り返る。


「僕は、もう少し平和でもいいんですけど。」


「そう?」


 エルディオンは空を見上げる。


「何が起きるか分からない方が、面白いよ。」


 穏やかな笑みを浮かべたまま、冬の風を受けて歩いていく。

 その後ろ姿を見ながら、アルノは小さく息を吐いた。


 伝説の魔術師。

 強くて。

 優しくて。


 そして、少しだけ変わった人だった。


 やがて。

 なだらかな丘を越えた先に、小さな村が見えてきた。


 石造りの家々。

 赤茶色の屋根。

 牧草地を囲う木柵。

 煙突から立ち上る白い煙。


「あれがベルノ村。」


 リネが前を指差す。

 アルノも頷いた。

 地図の通りだ。


 村の入口には、大勢の村人が集まっていた。

 その誰もが、不安そうな顔で同じ方向を見つめている。

 エルディオンの表情から、ふっと笑みが消えた。


「行こう。」


 三人は足を速める。

 村人たちも、こちらへ気付いた。

 一人の壮年の男が駆け寄ってくる。

 日に焼けた顔。

 作業着姿。

 深く頭を下げた。


「魔術塔の方々ですね。」


「お待ちしておりました。」


 日に焼けた顔には疲労が滲んでいた。

 一晩中、村人たちをまとめていたのだろう。

 エルディオンが穏やかに頷く。


「村長さん?」


「はい。」


「ベルノ村の村長です。」


「遠いところ、本当にありがとうございます。」


 エルディオンは村の奥へ視線を向けた。


「詳しく聞かせてもらえる?」


 村長は大きく息を吐いた。


「昨日の昼過ぎでした。」


「突然、空が暗くなったんです。」


 村人たちの表情が強張る。


「見上げると……。」


「黒い竜みたいなものが飛んでいました。」


 その言葉だけで、周囲の空気が重くなる。


「村の牧草地へ降り立つと、そのまま翼を畳んで動かなくなりました。」


「休んでいるようにも見えましたが……。」


 村長はゆっくり首を振る。


「首だけは、ずっと動かしていたんです。」


「何かを探しているように。」


 アルノは思わず息を呑む。


「しばらくすると、また空へ飛び立ちました。」


「安心したのも束の間でした。」


「牛たちが、突然暴れ始めたんです!」


「柵を壊して、人へ襲いかかるようになりました!」


 村長は牧草地を指差した。


「あちらです。」


 三人は急いで牧草地へ向かった。

 近付いた瞬間だった。

 アルノの足が止まる。


「……。」


 最初に目へ入ったのは牛ではなかった。

 地面だった。

 草がところどころ黒く染まっている。

 枯れているわけではない。

 まるで墨を流したような濁りが、大地へ広がっていた。


「なに、あれ……。」


 リネも眉をひそめる。


「地面が黒い。」


 村長は苦い顔で頷いた。


「黒い竜みたいなものがいた場所です。」


「飛び立った後から牛が暴れ始めました。」


 アルノは無意識に牛へ視線を向けた。

 一頭の牛が荒い息を吐いている。

 蹄で地面を掻き、勢いよく柵へ突っ込んだ。


 ドォンッ!!

 丸太が折れ、村人たちから悲鳴が上がる。


「……あ。」


 見えた。

 牛の首元へ。

 糸くずのような黒い線が一本、絡みついている。

 細い。

 けれど確かに存在していた。


 慌てて周囲を見る。

 暴れている牛すべてに。

 同じ黒い線が絡みついていた。


「エルさん!」


 アルノは思わず叫ぶ。


「牛に……何か付いてます!」


 エルディオンが振り返る。


「何が見える?」


「黒い糸みたいな線です!」


「全部の牛に付いています!」


 村人たちは顔を見合わせた。


「線?」


「そんなもの見えねぇぞ。」


「俺たちには何も……。」


 エルディオンは静かに頷いた。


「分かった。」


「君が見えていることを教えて。 」


 アルノは大きく頷く。


「首の辺りに付いています!」


 エルディオンは牛たちを見渡した。


「それなら役割を分けよう。」


「僕が牛を眠らせる。」


「アルノは、その線をお願い。」


「線を…?僕に出来るでしょうか。」


 アルノは不安そうに呟く。

 エルディオンは優しく笑った。


「大丈夫。」


「まずは一頭やってみよう。」


 右手を静かに掲げる。

 淡い銀色の光が掌から溢れた。


「――Somnus(眠り)」


 柔らかな光が一頭の牛を包む。

 荒かった呼吸が静まり、牛はその場へゆっくり伏せた。

 穏やかな寝息だけが聞こえる。


「今だよ。」


 アルノは恐る恐る近付く。


 牛の首元。

 糸くずみたいな黒い線がある。


 恐る恐る指先を伸ばす。

 魔法陣の線へ触れる時と同じ感覚だった。

 細い線をつまみ、

 ゆっくりほどく。


 ぷつり。

 するり、と線がほどけた。

 黒い線は細かな光となって消えていく。


「あ……。」


「消えた。」


 エルディオンが嬉しそうに笑う。


「消えたね。」


 アルノは目を丸くした。

 本当に消えた。

 牛の表情が、どこか穏やかになった気がする。

 エルディオンは牧草地全体を見渡す。


「じゃあ始めよう。」


 今度は右手を高く掲げた。

 銀色の光が一気に広がる。

 光は風のように牧草地を駆け抜け、

 暴れていた牛たちを優しく包み込んだ。


「――Somnus。」


 淡い光が降り注ぐ。


 一頭。

 また一頭。

 牛たちは暴れることをやめ、その場へ静かに伏せていく。

 村人たちは息を呑んだ。


「すごい……。」


「全部眠った。」


「こんな魔法、初めて見た……。」


 アルノは走った。


 一頭目。

 黒い線をほどく。


 二頭目。

 また一本。


 三頭目。

 四頭目。

 眠る牛に駆け寄っては線をほどく。


 汗が額を流れた。

 息が切れる。


(エルさんなら。)

(一度で全部できるのに……。)


 歯を食いしばる。


 それでも一本ずつ。

 一本ずつ消していく。

 最後の牛の線をほどき終えた頃には、

 肩で大きく息をしていた。


「終わりました……。」


 エルディオンが歩み寄る。


「よくやったね。」


 アルノは苦笑する。


「僕、一頭ずつしかできませんでした。」


「エルさんみたいに、一度で全部できたらいいのに……。」


 エルディオンは静かに首を横へ振る。


「違うよ。」


「僕には、その線は見えない。」


「だから消せない。」


「眠らせることはできても。」


「原因そのものは、君にしか触れられなかった。」


 アルノは眠る牛たちを見つめる。

 もう黒い線は一本も残っていない。


「君は僕になる必要はない。」


「君には君にしかできないことがある。」


「焦らなくていい。」


「君のペースで進めばいい。」


 アルノは少しだけ照れくさそうに笑った。


「……はい。」


 村長は眠る牛たちを見回し、大きく息を吐いた。


「助かった……。」


 その声を合図にしたように、村人たちから歓声が上がる。


「ありがとうございます!」


「牛が助かった!」


「本当に良かった!」


 村長は深々と頭を下げた。


「魔術師様。」


「そして、見習いさん。」


「本当にありがとうございました。」


 その言葉にアルノは少しだけ照れながら頭を掻く。

 リネはそんな様子を見て笑った。


「ちゃんと役に立ったじゃん。」


 アルノも小さく笑う。


「……うん。」


 エルディオンも穏やかに微笑んだ。


 村長がアルノたちを見回す。


「大したお礼はできませんが……。」


 少し照れたように笑う。


「ベルノ村は酪農の村です。」


「チーズだけは、どこにも負けません。」


 村長は誇らしげに胸を張った。


「チーズ!」


 リネの目がぱっと輝く。


 アルノは思わず吹き出した。


「そこは早いね。」


「だって、ここの村のチーズおいしいんだもん。」


 エルディオンも楽しそうに笑う。


「じゃあ、ごちそうになろう。」


 ようやくベルノ村に、穏やかな笑い声が戻っていた。


 その日の夕方。

 三人は村長の家へ招かれていた。

 木の扉を開けると、ふわりと香ばしい香りが鼻をくすぐる。


「お帰り! みんな無事だったんだね!」


 奥から恰幅のいい女性が笑顔で現れた。


「あなたが魔術師様たち?」


「主人から話は聞いてますよ。」


 村長が照れくさそうに頭を掻く。


「妻です。」


「料理だけは村一番でして。」


「だけって何ですか。」


 奥さんは笑いながら肘で村長を小突いた。


「今日は腕によりをかけましたからね。」


 食卓には次々と料理が並べられていく。


 焼きたての丸パン。


 火で炙ったチーズを熱々の芋へたっぷりとかけた一皿。


 大鍋で練り上げられ、白いチーズがどこまでも糸を引く料理。


 半熟卵と焼きチーズが香ばしい陶器皿。


 そして、大皿いっぱいに並べられた、白や黄金色のチーズ。


「わぁ……。」


 アルノは思わず声を漏らした。

 こんなにたくさんの種類のチーズを見るのは初めてだった。

 リネはもっと分かりやすかった。


「すごい!」


「全部チーズ料理!」


 目を輝かせながら皿を見つめている。

 奥さんは嬉しそうに笑った。


「若い子は反応がいいねぇ。」


「こっちは三か月熟成。」


「こっちは燻製。」


「これは昨日できたばかりの柔らかいチーズですよ。」


 エルディオンは興味深そうに皿を眺める。


「五百年前より種類が増えてる。」


 その一言で、部屋が静まり返った。


「あ。」


 エルディオンは困ったように笑う。


「ごめん。」


「つい比べちゃった。」


 村長は一瞬ぽかんとしたあと、豪快に笑った。


「ははは!」


「そうでしたな!」


「エルディオン様は五百年前のお方でした!」


 その笑いにつられるように、部屋の空気も和らぐ。

 リネは早速チーズを一口食べた。


「うーん、おいしい~!」


 もう一口。

 さらにもう一口。

 止まらない。


 アルノは苦笑する。


「そんなに食べて大丈夫?」


 リネは真剣な顔で頷いた。


「こんなの王都じゃ食べられない。」


「早く次の仕入れに来たい」


「商売か。」


 思わずツッコミが出る。


「だってめちゃめちゃ売れるんだよ。」


「それはありがたい。」


 村長夫妻は顔を見合わせ、嬉しそうに笑った。


「そんなに気に入っていただけるなんて。」


 エルディオンも柔らかなチーズを一口運ぶ。

 ゆっくり味わい、小さく目を細めた。


「……うん。」


「おいしい。」


 その一言だけだった。

 けれど、それだけで十分だった。


 アルノも焼き立てのパンへ柔らかなチーズを乗せる。

 思わず笑ってしまう。


「……おいしい。」


 村長は胸を張る。


「でしょう!」


「うちの村の自慢です!」


 窓の外では夕日が牧草地を赤く染めていた。


 眠る牛たちも静かだった。


 アルノはその景色を眺めながら、小さく息をつく。

 世界には、こんな穏やかな場所がある。


 だからこそ。

 守りたい。


 そう、自然と思えた。

後まで読んでいただき、ありがとうございました!

次回もよろしくお願いいたします!

更新は21時です( ᴗ ᴗ)⁾⁾

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