目覚める遺跡
地下空間へ、低い振動が響いた。
どくり。
心臓の鼓動にも似た音が、床の奥から伝わってくる。
次の瞬間だった。
壁へ埋め込まれた光石が、一つ、また一つと輝き始める。
暗かった巨大空洞は、まるで夜明けを迎えるように明るさを取り戻していった。
「……動いた。」
レグルスが思わず息を呑む。
石柱。
壁面。
天井。
至るところへ刻まれた神代文字が淡い光を帯び、静かに脈打ち始めていた。
「信じられない……。」
灰色の瞳が大きく見開かれる。
「千年……いや、それ以上停止していた施設が、今、この瞬間に動いている。」
興奮を隠し切れない。
レグルスは夢中で壁へ駆け寄り、神代文字を見つめた。
「線の摩耗も少ない……。」
「保存状態も異常なほど良い……。」
「どうやって維持されていたんだ……。」
ぶつぶつと独り言を漏らしながら、次々と壁を見て回る。
リネは苦笑した。
「完全に自分の世界だね。」
「研究者ですから。」
エルディオンも小さく笑う。
その一方で。
アルノだけは、その場から動かなかった。
灰色の瞳は、ずっと床を見つめている。
「アルノ?」
リネが声を掛ける。
返事はなかった。
床いっぱいへ刻まれた幾重もの同心円状の紋様。
さっきまでは、ただ精巧な装飾にしか見えなかった。
けれど今は違う。
「……。」
線が見える。
無数の線が紋様の中を走っていた。
一本追えば、その先で幾つにも枝分かれする。
枝分かれした線は別の流れと交わり、さらに幾重にも分岐しながら巨大な構造を形作っていく。
終わりがない。
どこまでも複雑だった。
それなのに、一切の無駄がない。
一本たりとも意味のない線は存在していなかった。
「……すごい。」
思わず声が漏れる。
美しかった。
今まで見てきたどんな魔法陣とも違う。
線が線を支え。
流れが流れを補い。
巨大な構造全体が、一つの生命みたいに呼吸している。
「これ……。」
アルノは息を呑む。
「全部、繋がってる……。」
どくり。
再び遺跡が脈打った。
その瞬間だった。
止まっていた線が、一斉に動き始める。
「……!」
アルノは目を見開いた。
眠っていた流れが目を覚ます。
一本。
また一本。
光る線が床いっぱいへ広がり、やがて中央の透明結晶へ集まり始めた。
そして。
結晶から再び四方へ流れ、床に描かれた魔法陣、壁や石柱へ刻まれた神代文字へ繋がっていく。
巨大な循環だった。
「エルさん。」
アルノが小さく呼ぶ。
エルディオンが歩み寄る。
深い碧眼がわずかに柔らいだ。
「何が見えてる?」
「線です。」
アルノは床を指差した。
「全部、動き始めました。」
「動いてる?」
「うん。」
アルノは線を追う。
複雑に入り組んだ流れ。
その一本一本を目で追い続ける。
すると。
「……。」
視線が止まった。
巨大な透明結晶。
そのさらに奥。
黒い裂け目。
そこから滴り落ちる黒い雫。
雫が床へ落ちた瞬間。
床いっぱいに刻まれた神代魔法陣が、ひときわ強く脈打った。
「……え。」
アルノは小さく呟く。
「どうした?」
「この遺跡。」
裂け目。
床。
透明結晶。
壁。
一本一本の線を目で追う。
「裂け目から流れてきた何かが……。」
アルノは息を呑んだ。
「星環の流れに入り込んでる。」
エルディオンは裂け目へ目を向ける。
黒い雫は、今も静かに滴り続けていた。
「そう見える?」
「うん。」
「流れが、あそこで変わってる。」
エルディオンはゆっくりと中央の透明結晶へ歩み寄る。
「少し確かめる。」
白い指先が透明結晶へそっと触れた。
静寂。
結晶は何の反応も示さない。
「……。」
エルディオンはわずかに眉を寄せた。
「反応がない。」
その瞬間だった。
どくり。
遺跡全体が大きく脈打つ。
アルノの顔色が変わる。
「エルさん!」
「ん?」
「流れが変わった!」
今まで中央へ集まっていた線が。
一斉に逆流する。
四人を囲むように。
床全体へ広がっていく。
床の魔法陣と壁一面の神代文字が、赤黒い光を帯び始めた。
「……まさか。」
レグルスが顔を上げる。
興奮していた表情が消えていた。
「どうした?」
エルディオンが問う。
レグルスは赤く染まり始めた文字を見つめたまま、小さく首を振る。
「分かりません。」
「ですが……。」
一拍置く。
「もし。」
「もし、この施設に防衛機構のようなものが備わっていたとしたら。」
言葉を選ぶように続ける。
「僕たちは侵入者として認識されたのかもしれません。」
どくり。
遺跡が三度目の脈動を響かせる。
空気が変わった。
アルノには分かった。
線が。
全部こちらへ向いている。
「エルさん。」
アルノの声が震える。
「来ます。」
壁一面の神代文字が、一斉に壁から浮かび上がった。
一文字。
二文字。
十。
二十。
数え切れないほどの文字が赤黒い光を帯び、四人を取り囲んでいく。
どくり。
床が脈打つ。
それに合わせるように、文字列の動きが速くなった。
「アルノ。」
エルディオンは神代文字から目を離さない。
「何が見える?」
アルノは空間を見つめる。
「線が……。」
赤黒い線が神代文字同士を繋ぎ、さらに四人へ向かって伸びている。
「全部、僕たちへ繋がってます!」
「なるほど。」
エルディオンは小さく頷いた。
次の瞬間。
神代文字が一斉に形を変える。
槍。
刃。
矢。
無数の武器となって襲い掛かってきた。
「下がって。」
エルディオンが一歩前へ出る。
銀髪がふわりと揺れる。
白い指先が静かに空をなぞった。
「Fract(破砕)」
銀色の閃光が地下空間を駆け抜ける。
轟音。
飛来していた神代文字が、一瞬で砕け散った。
槍も。
刃も。
矢も。
赤黒い光となって霧散する。
「すご……。」
アルノが思わず呟く。
まるで嵐が通り過ぎたようだった。
だが。
どくり。
床が再び脈打つ。
砕け散った赤黒い粒子が空中へ集まり始める。
「……!」
アルノが目を見開く。
壁へ戻った神代文字が、再び赤黒く輝き始めた。
リネが顔をしかめる。
「また……?」
レグルスも息を呑む。
「そんな……。」
神代文字は何事もなかったかのように浮かび上がる。
さっきより多い。
さっきより速い。
「エルさん!」
アルノが叫ぶ。
「線が戻ってます!」
「うん。」
エルディオンの表情は変わらない。
「なるほど。」
次の瞬間。
赤黒い槍が一斉に放たれた。
「っ!」
アルノは反射的に身を引く。
だが、避け切れない。
目の前まで迫った槍を、拳が叩き落とした。
甲高い音が地下空間へ響く。
「アルノ!」
リネが前へ踏み込む。
続けざまに飛来した二本目を蹴り飛ばし、三本目を拳で弾き返す。
「私の後ろにいて!」
「で、でも!」
「いいから!」
休む間もなく神代文字が降り注ぐ。
リネは一歩も引かない。
拳を振るうたび赤黒い火花が散り、床石が砕けた。
拳。
蹴り。
回し蹴り。
「数が多すぎる!」
レグルスが素早く魔法陣を展開する。
淡い光が四人を包み込み、半透明の障壁が立ち上がった。
直後。
無数の神代文字が障壁へ叩き付けられる。
ドドドドドッ、と無数の神代文字が障壁へ突き刺さった。
淡い光の壁が激しく揺れ、表面へ細かなひびが走る。
レグルスは歯を食いしばり、両手で魔法陣を支えた。
「長くは保ちません!」
アルノは唇を噛む。
自分だけ何もできない。
見えるだけだ。
リネが守ってくれる。
レグルスが時間を稼いでくれる。
エルディオンが戦っている。
なのに、自分は。
「アルノ!」
エルディオンの声が飛ぶ。
「どこ?」
アルノは床へ視線を落とした。
神代文字。
床。
壁。
透明結晶。
無数の線が複雑に絡み合っている。
その一本一本を必死に追う。
そして。
「あっ……!」
見つけた。
全部の流れが、一度だけ集まる場所。
巨大な透明結晶。
その中心だった。
「エルさん!」
アルノは迷わず指差した。
「そこです!」
「全部、あそこを通ってます!」
エルディオンは一度だけ頷いた。
「それで十分。」
銀髪が静かに揺れる。
碧眼が透明結晶を真っ直ぐ見据えた。
足元へ、幾重もの銀色の魔法陣が静かに展開される。
地下空間の空気が張り詰めた。
「Fract(破砕)」
短い一言だった。
銀色の閃光が地下空間を駆け抜ける。
轟音。
透明結晶の中心へ、一筋の亀裂が走った。
ぱきり、と乾いた音が響く。
その小さな亀裂は一瞬で全体へ広がり、巨大な結晶を蜘蛛の巣のように覆い尽くす。
次の瞬間。
透明結晶は音を立てて砕け散った。
同時だった。
アルノの目に映っていた無数の線が、一斉に途切れる。
「……!」
床いっぱいを巡っていた光が消える。
赤黒く輝いていた神代文字も力を失い、空中で崩れ始めた。
飛来していた槍は形を保てなくなり、目の前でさらさらと光の粒になって崩れ落ちる。
どくり。
どくり。
さっきまで響いていた脈動が弱くなる。
もう一度。
小さく震えたあと。
地下空間は静寂に包まれた。
誰も口を開かなかった。
砕け散った透明結晶。
光を失った床の紋様。
壁へ刻まれた神代文字も、眠るように静まり返っている。
やがてレグルスが、小さく息を吐いた。
「……止まった。」
信じられないものを見るような目で、砕けた結晶を見つめる。
「神代文明の中枢を……。」
「一撃で……。」
エルディオンは肩の力を抜くように笑った。
「思ったより素直だったね。」
リネが呆れたように肩を落とす。
「今の、素直って言う?」
「もっと大変かと思った。」
「十分大変だったから!」
アルノは苦笑しながらも、砕けた結晶へ視線を向けた。
もう、線は動いていない。
さっきまで世界中へ張り巡らされていた複雑な構造は、静かに眠りへ戻っていた。
エルディオンは砕け散った透明結晶へ視線を向けたまま答える。
「少なくとも、防衛機構は止まったみたいだね。」
レグルスは我に返ったように駆け出した。
「結晶の破片を!」
「今なら調べられるかもしれない……!」
夢中で破片を拾い集め始める。
その様子にリネが苦笑した。
「さっきまで命懸けだったのに。」
「研究者ってすごいね。」
「今しか見られない資料かもしれませんから!」
レグルスは振り返りもしない。
アルノは小さく笑った。
その時だった。
「……。」
視線が止まる。
黒い裂け目。
砕けた透明結晶の奥にある、それだけは何も変わっていなかった。
アルノには見える。
一本の線。
細く。
静かに。
裂け目の奥へと伸びている。
さっきまで遺跡中を巡っていた複雑な線は消えた。
けれど、その一本だけは残っていた。
「エルさん。」
アルノが静かに呼ぶ。
エルディオンも裂け目へ歩み寄る。
白い指先をそっとかざす。
しばらく、そのまま動かない。
やがて小さく息を吐いた。
「……駄目だ。」
碧眼がわずかに細められる。
「閉じられない。」
レグルスの手が止まった。
「閉じられない……?」
「うん。」
エルディオンは裂け目から目を離さない。
「これが何なのかも、まだ分からない。」
その一言で、空気が静かに重くなる。
伝説の魔術師でも知らない。
誰も答えを持っていなかった。
アルノはもう一度、裂け目を見る。
黒い向こう側へ伸びる一本の線。
まだ切れていない。
まだ、どこかへ繋がっている。
胸の奥が、小さくざわついた。
この遺跡は止まった。
でも。
終わってはいない。
アルノは静かに裂け目を見つめ続けていた。
後まで読んでいただき、ありがとうございました!
次回もよろしくお願いいたします!
更新は21時です( ᴗ ᴗ)⁾⁾




