読める文字
その夜。
四人は遺跡近くの街へ戻っていた。
宿の窓から、橙色の灯りが石畳へこぼれている。
行き交う人々の話し声と、夕食を作る香ばしい匂いが夜風に乗って漂っていた。
つい数時間前までいた地下遺跡の静寂が、まるで別世界だった。
「風呂……。」
宿へ着くなりリネが呟く。
明るめの赤茶のポニーテールは砂埃で少し乱れ、肩には白い石の粉がうっすら積もっていた。
「賛成。」
アルノも即答した。
栗色の髪にも細かな砂が残り、袖口は土で汚れている。
身体中が重い。
服も傷だらけだった。
頭の奥には、あの地下で見た赤黒い光景がまだ焼き付いている。
夕食を終える頃には、全員かなり疲れていた。
銀髪をさらりと揺らしたエルディオンだけは普段と変わらず紅茶を飲んでいたが、その深い碧眼だけはどこか考え込むように窓の外を眺めている。
そして、もう一人。
金髪の青年だけは疲れを忘れたように机へ向かっていた。
「何してるんですか?」
アルノが声を掛ける。
宿の食堂。
ランプの柔らかな灯りに照らされた机いっぱいへ、石板の写しや古びた羊皮紙、崩れかけた文書が隙間なく並べられていた。
その中央で、レグルスが一枚ずつ丁寧に並べ替えている。
眼鏡の奥の灰紫の瞳は眠気など感じさせないほど輝いていた。
「資料整理です。」
「資料?」
「遺跡で回収しました。」
アルノが目を丸くする。
「持って帰ってたんですか!?」
「もちろんです。」
「いつの間に……。」
戦闘の後、遺跡ではそれぞれが好き勝手に調べていた。
アルノは床の線を見ていた。
エルディオンは結晶や裂け目を調べていた。
リネは周囲を警戒していた。
その間に集めていたらしい。
エルディオンが横から資料を覗き込む。
「結構あるね。」
「もう一度調査できる保証はありませんでしたから。」
「なるほど。」
納得したように頷く。
アルノだけは納得できなかった。
「そんな余裕あったんですか?」
「ありました。」
真顔だった。
リネが思わず吹き出す。
「この人、本当に研究者なんだね。」
「ええ。」
レグルスは少しだけ口元を緩めた。
「目の前に神代文明の資料があれば、回収しない理由はありません。」
「命より?」
「……できれば両方です。」
少しだけ間を置いて返ってきた答えに、食堂へ小さな笑いが広がる。
アルノも苦笑しながら机へ近付いた。
並べられた資料は、どれも見覚えのある神代文字で埋め尽くされている。
昼間の自分なら、ただの模様にしか見えなかったはずだった。
なのに。
視線が触れた瞬間。
「……第1星環運転記録。」
自然と言葉が口からこぼれた。
食堂が静まり返る。
アルノ自身も固まった。
「……え?」
レグルスがゆっくり顔を上げる。
「今、何とおっしゃいました?」
アルノは戸惑いながら、もう一度資料へ目を落とした。
文字を追っている感覚ではない。
意味だけが、そのまま頭へ流れ込んでくる。
「……第1星環設備運転記録 。」
レグルスが勢いよく立ち上がった。
「読めるんですか?」
「読めるっていうか……。」
アルノは困ったように首を振る。
「文字を読んでる感じじゃないんです。」
もう一度、神代文字を見る。
やはり同じだった。
「見た瞬間、意味だけが頭へ飛び込んでくるというか……。」
アルノは戸惑ったように資料を見つめる。
「さっき遺跡で見た時は、ただの文字にしか見えなかったのに。」
リネが不思議そうに資料を覗き込む。
「星環って、何?」
「分からない。」
アルノは苦笑した。
レルスも静かに頷く。
「私にも分かりません。」
そして、すぐに椅子へ座り直す。
「続きをお願いします。」
「ぜひ。」
レグルスは資料を抱えたまま、思わずアルノへ詰め寄った。
普段の冷静な表情は消え、灰紫の瞳だけが強い興味に輝いている。
アルノは小さく息を吐いた。
「分かりました。」
アルノは資料へ視線を落とした。
古びた神代文字が、次々と意味へ変わっていく。
「運転記録……。」
口が自然に動く。
「出力、正常。」
「魔力循環、正常。」
「エネルギー供給……正常。」
レグルスのペンが走る。
紙へ次々と書き留めながら、アルノの言葉を一つも聞き漏らすまいとしていた。
アルノはさらに読み進める。
「……外側接続正常。」
リネが眉を寄せる。
「外側?」
眼鏡の奥の灰紫の瞳がゆっくり見開かれた。
エルディオンも紅茶のカップを置いた。
そこで言葉が止まる。
「あれ?」
紙をめくる。
端が破れていた。
続きが欠けている。
「ここで終わってる。」
レグルスがゆっくり資料を受け取った。
神代文字を見つめる。
当然、意味は分からない。
しばらく無言だった。
「……惜しい。」
ぽつりと呟く。
「あと少し残っていれば。」
リネが腕を組む。
「結局、何の記録?」
誰も答えられなかった。
アルノも首を横へ振る。
「分からない。」
「途中で切れてる。」
静かな沈黙が落ちる。
やがてレグルスが顔を上げた。
その表情は興奮を抑え切れていなかった。
「アルノ。」
「はい?」
レグルスは一度眼鏡を外し、小さく息を整えた。
「お願いがあります。」
灰紫の瞳が真っ直ぐアルノを見つめる。
「しばらく、皆さんの旅へ同行させていただけませんか。」
アルノは目を丸くした。
「え?」
「あなたは神代文字を読むことができます。」
「その力は、神代文明を研究する者にとって計り知れない価値があります。」
静かな口調だった。
けれど、その言葉には研究者としての強い熱意が滲んでいた。
「もちろん、ご迷惑はお掛けしません。」
「旅の途中で見つかった神代文明については、私が分かる限りお伝えします。」
「それでも、ご迷惑でしたら断っていただいて構いません。」
アルノは困ったように頭をかいた。
「でも……。」
一度、エルディオンとリネを見る。
「僕たちは神代遺跡を調べてるわけじゃないんです。」
「邪竜を追って旅をしています。」
レグルスは静かに頷いた。
「承知しています。」
「それでも構いません。」
リネがふと思い出したように口を開く。
「そういえば。」
「私たち、あの遺跡に邪竜がいるって話を聞いて向かったんだよね。」
「結局、いなかったけど。」
エルディオンは小さく肩をすくめた。
「空振りだったね。」
アルノは静かに息を吐いた。
邪竜の居場所は、まだ分からない。
「僕は構わないよ。」
エルディオンが笑う。
わずかに緩んだ碧眼には、歓迎する色が宿っていた。
リネも柔らかく笑う。
「私も賛成。」
「よろしくね、レグルスさん。」
レグルスは深く頭を下げた。
「ありがとうございます。」
その声には、抑えきれない喜びが滲んでいた。
アルノは思わず笑う。
旅の目的は変わらない。
邪竜を追う旅だ。
けれど。
気付けば、仲間は一人増えていた。
後まで読んでいただき、ありがとうございました!
次回もよろしくお願いいたします!
更新は21時です( ᴗ ᴗ)⁾⁾




