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月光の師と未完の魔術師 ― 世界はまだ、繋がっている ―  作者: 平子 天陽


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縁が導く道

 海面の光が見えたのは、長い上昇のあとだった。


 頭上を覆っていた暗い水が少しずつ青みを帯びる。

 降下用の重りを外した四人は、防護膜の内側に保たれた空気に押し上げられ、ゆっくりと光の方へ浮かんでいった。


 アウレリアの結節点を構成する円環へ力を渡した時、アルノの右肩を覆う膜が一度薄くなっている。

 流れは結び直したが、ほかの三人より注意が必要だった。


「まだ膜を消さないでください」


 レグルスに言われるまでもなく、アルノは三人へ続く流れを追っていた。

 リネ、レグルス、アレクシス。

 どの膜も海水を通してはいない。


「甲板へ戻るまで保ちます」


 やがて四人の頭が海面を破り、白い飛沫が周囲へ弾けた。


 風の音。

 波の音。

 船上から飛び交う声。

 深い海では聞こえなかった音が、一度に戻ってくる。


 船から下ろされた縄梯子へ、アレクシスが最初に手を掛けた。

 続いてレグルス、リネ、アルノの順に上がり、待機していた漁師たちに腕を取られながら甲板へ戻る。


 全員の足が甲板へ着いた。


 アルノは最初にアレクシスの膜を閉じた。

 次にレグルス、リネ。

 三人の周囲から透明な光が消え、最後に自分を包んでいた線を一本ずつ解いていく。


 防護膜が消えた途端、潮風の冷たさが肌へ戻った。


「まだ、足に力が入らない……」


 リネが船縁へ手をつく。


「無理に歩くな。海の底から戻ったばかりだ」


 ベイルは甲板へ乾いた布を広げ、そこへ座るよう顎で示した。


「まず息を整えろ。話はそれからでいい」


「うん。そうする」


 リネは素直に腰を下ろした。

 アルノも歩き出そうとして、自分の足が思った以上に強張っていることへ気付いた。

 差し出されたアレクシスの手を借り、どうにか一歩を踏み出す。


 ベイルは四人の姿をあらためて見渡した。

 怒っているように寄っていた眉が、全員の無事を確かめるうち、ようやく少し緩んだ。


「見つかったのか」


 アルノは船縁の向こうへ目を向けた。


 何事もなかったように波打つ海の遥か下に、人の暮らした街が沈んでいる。

 金色に縁取られた白い塔も、折れた橋も、今はもう見ることができない。


「はい」


 胸の奥に残る光景を確かめ、アルノは答えた。


「アウレリアは、そこにありました」


 船上の誰もが息を呑んだ。


「そうか」


 ベイルは短く答えた。


「詳しい話は、温かいものを飲んで落ち着いてからだ。海の底から戻ってきて、甲板で倒れられちゃたまらねえ」


「ベイルさんも、詳しい話を聞きたいんじゃない?」


 リネに言われ、ベイルは顔をしかめた。


「聞きたいから、ちゃんと話せる状態になれって言ってんだ」


 漁師たちが毛布と温かい飲み物を運んでくる。

 四人は帆柱のそばへ腰を下ろし、冷えた身体が落ち着くのを待ってから、海底で見たものを話し始めた。


「それで、街はどんな様子だった」


「塔も橋も残ってたよ。家も、水路も。それに、パンを焼いてたみたいな窯まで」


 リネは温かい飲み物の入った杯を両手で包みながら、海の底で見た光景を一つずつ思い返した。


「海の底なのに、ちゃんと人が暮らしてた街だった」


 ベイルは船縁の向こうへ目を向けた。


「人が暮らした跡まで、残ってたのか」


「うん」


「それで、お前らが探してたものは」


「見つかりました」


 アルノは頷いた。


「切れたはずの道が、まだ残っていました。あれを調べれば、エルさんのところへ行く手掛かりになると思います」


「そうか。なら、海の底まで来た甲斐はあったな」


 アウレリアで見た光は、間違いなく手掛かりだった。

 だが、一つの結節点の魔法陣に過去の道筋が残っていたからといって、すべての接続が同じ仕組みを持つとは言い切れない。


 期待している時ほど、見たいものだけを見てしまう。


 三年間の研究で、それも嫌というほど学んでいた。


「王都へ戻ったら確かめます」


 奇跡のように残っていた街が、完成した答えをくれたわけではない。

 ただ、三年間閉ざされていた問いの向きを、はっきりと変えてくれた。


 ◇


 ベイルの船が港町へ戻ったのは、四日後だった。


 桟橋の先には、船影が見えた時からミラが立っていた。


 係留索が渡されるより早く、彼女の目が甲板を数える。

 アルノ、リネ、レグルス、アレクシス。

 その全員がいると確かめてから、最後に舵を握るベイルを見た。


「ちゃんと全員いるね」


「当たり前だ」


「あんたには聞いてないよ」


「俺が連れて帰ってきたんだろうが!」


 いつものやり取りに、四人のあいだから笑いが漏れた。

 数日前まで海の底にいたことが、ようやく遠い出来事になった気がした。


 ミラは、あらためてアルノへ目を向けた。


「それで、見つかったのかい」


「はい」


 アルノが頷くと、ミラはそれ以上、桟橋で問い重ねなかった。


「そうかい。なら、今夜はうちで食べていきな。話は腹を満たしてからでいい」


 その夜、アルノたちはベイルとミラの家の食卓を囲んだ。


 大きな皿には、皮目を香ばしく焼いた白身魚が盛られている。

 その隣には香草と塩をまぶした小魚が山になり、深い鍋では、魚の切り身と根菜を煮込んだ汁物が湯気を立てていた。


「冷める前に食べな。海の底まで行って帰ってきた日に、冷えた飯を出したら港の名折れだよ」


 ミラに椀を押し付けられ、アルノは両手で受け取った。

 一口飲むと、魚の旨みと塩気が身体の内側へ広がっていく。

 深海の冷たさが、ようやく胸の奥から抜けていくようだった。


「おいしい」


 隣では、リネが焼き魚の身を大きくほぐしている。

 レグルスも湯気の向こうで椀へ口を付け、アレクシスは勧められた皿を前に、ようやく肩の力を抜いていた。


「それで」


 ミラは自分の椀を手にしたまま、アルノの向かいへ座った。


「その街で、一番心に残ったのは何だった?」


 結節点の仕組みではなく、街について尋ねられたのだと分かった。


「パンを焼いていたらしい窯がありました。それから、街で暮らしていた人たちが描いた壁画も」


「空に浮いてた頃の自分たちの街を、自分たちで描いたのかい」


「はい。橋を渡る人や、窓から外を見ている人まで残っていました」


 ミラはしばらく黙って汁物の湯気を見つめ、それから窓の向こうの海へ目を向けた。


「だったら、なおさら場所は伏せないとね。宝を探す場所じゃない。誰かが暮らしてた家なんだから」


 その言葉に、アルノは頷いた。


 初めから、海底から何かを持ち帰るための旅ではなかった。


 ベイルとミラが船を出したのも、海底の財宝を求めたからではない。

 四人が探しているものを知り、無事に送り、迎えるためだった。


 だからアルノも、アウレリアから何かを持ち去ろうとは思わなかった。


 必要なものは、もう見つけていた。


 接続が切れても、受け手側には道筋が残る。

 その痕跡から、途切れた先を逆に辿ることができる。


 その確かな手掛かりと、深海で見た街の姿を胸に、四人は身体を休めてから王都へ戻った。


 ◇


 数日後。


 魔術塔の実験室には、同じ円環を描いた四枚の紙が並んでいた。


 一枚は魔力を送り出すためのもの。

 残る三枚は、それを受け取るためのものだった。

 三枚の中央には同じNodusが記され、紙の大きさも、インクも、描かれた線もすべて揃えてある。

 裏へ付けた番号を見なければ、区別はつかない。


 実験室にいるのは、アルノとレグルス、それにリネの三人だけだった。

 アレクシスは聖騎士団の任務へ戻っているが、第五星環へ向かう時には合流することになっていた。


 アルノは送り手となる円環と、三番の円環だけを一本の線で繋いだ。


「流します」


 指先から、ごくわずかな魔力を送る。


 淡い光が二枚の間を一周し、送り手へ戻ってきた。

 アルノは流れが閉じたことを確かめると、二枚を結んでいた線を消す。


「これで、三番だけに、送り手から続いていた道の痕跡が残ったはずです」


「残った魔力の量で判別される可能性があります」


 レグルスが指摘する。


「うん。だから三枚とも、残留する魔力量を同じにします」


 受け手の円環へ同じだけ魔力を流し、三枚に残る光の強さが揃うまで調整する。

 違うのは、一度でも送り手から続く道を持っていたかどうかだけだった。


「次は、僕から番号が見えないように並べ替えてくれる?」


「私がやるの?」


「場所を選んでるんじゃないって確かめたいから」


 リネは三枚の紙を持ち、アルノへ背を向けるよう指示した。

 紙が机へ置かれる音が何度か響き、最後に目隠し用の衝立が外される。


「いいよ」


 どれが三番なのか、アルノには分からない。


 アルノは、手前の一枚へ指を触れた。

 Nodusを中心に、アウレリアで見た受け取り側の構造を小さく再現し、ごく僅かな魔力を流す。


 光は円環の内側を巡ったが、外へ出る道を見つけることなく消えた。


 二枚目も同じだった。

 残った魔力が淡く円を照らし、すぐに消えていく。


 最後の一枚へ魔力を渡した時、変化が起きた。


 円環の中央から、細い銀色の線が伸びた。

 机の上には、もう二枚を結ぶ線はない。

 それでも光は、かつて線があった場所を逆向きに辿り、送り手の円環まで届いた。


 二つの円が、描かれていない道で繋がった。


「三番です」


 裏側を確かめたレグルスが告げた。

 送り手から一度だけ力を受け、そのあと線を消した円環だった。


 アルノはすぐに魔力を止めた。


「もう一度、場所を変えよう」


 今度はレグルスが三枚を入れ替えた。

 三番の円環は、送り手から最も遠い位置へ置かれる。

 アルノは番号を見ず、一枚ずつ同じ構造を重ね、同じ量の魔力を流した。


 結果は変わらなかった。


 三番の円環からだけ、消したはずの道を遡る線が伸びた。


「位置を変えても、道が現れる円環は同じです」


 レグルスが二度の結果を照らし合わせる。


「距離の近さも、残留する魔力量も反応の条件にはなっていません。以前の道筋が残っていたと考えるのが、現時点では最も妥当です」


「反対側からでも、元の道を辿れたんだね」


 リネが、送り手へ届いた銀色の線を見つめる。


「少なくとも、この大きさの術式では」


 アルノは答えた。


 これで、エルディオンへ届くと証明されたわけではない。

 平面の実験で成功した原理が、四次元の接続でも同じように働く保証はなかった。


 それでも、アウレリアで見た反応は見間違いではなかった。

 道の片側が失われても、残った端から以前の道筋を辿ることはできる。


 ◇


 実験室の大机へ、四枚の薄紙が広げられた。


 三年間、描いては消し、重ねては外してきた四次元魔法陣だった。

 薄紙の上には、各地で集めた神代スペルと、それらを働かせる円環、魔力の流れを整える補助線が幾重にも組み合わされている。

 役割ごとに層を分けなければ、互いの流れが干渉し、一枚の平面には収められないほど複雑な術式になっていた。


 一枚目は、接続を担う層だった。

 離れた二点を結ぶスペルの周囲へ、距離に左右されず道を保ち、通した魔力を循環させるための円環が重ねられている。


 二枚目は、観測を担う層だった。

 接続先の空間を捉え、その位置と状態を読み取り、生じたずれをほかの層へ伝えるための線が組まれている。


 三枚目は、空間の固定と遷移を担う層だった。

 こちら側と向こう側の空間を一時的に留め、渡る者の形を崩さないまま移すための円環が幾重にも連なっている。


 四枚目は、境界を扱う層だった。

 外周のLimesでこちら側の世界を定め、その境界を越える経路と、開いた境界を閉じるための構造が組み込まれている。


 四枚は役割ごとに分かれていても、一枚だけでは働かない。

 接続の層を通った魔力が観測へ渡り、固定された空間を通って、Limesで定めた境界を越える。

 そのすべてが噛み合って、初めて一つの道になる。

 どれだけ正しく重ねても、中央には小さな空白が残った。

 行き先を書き込もうとするたび、そこだけが術式から浮き、すべての流れを止めてきた。


 アルノは、アウレリアで見た受け取り側の構造を観測の層へ組み込んだ。

 第五星環へ残された痕跡に触れた時、その先に続いていた道筋を、こちら側から読み取るための構造だった。


 これで、道は探せる。

 けれど、中央の空白は消えなかった。


 エルディオンがいる場所は、王国の地図にも、三次元の座標にも存在しない。

 道筋を見つけても、その先のどこへ向かうのかを定められなければ、扉は開かない。


 アルノは、机の端へ置いた一枚の紙へ目を向けた。

 そこには、三年前、王墓で読み取った神代文字が一語だけ記されている。


 Vinculum。


 絆。

 結びつき。

 遠く隔てられても、途切れずに残る繋がり。


 その言葉は、アウレリアの魔法陣にはなかった。

 Nodusの働きを説明するものでもない。

 二つは、まったく別の場所で見つけた、別の役割を持つ手掛かりだった。


 アウレリアで確かめたのは、途切れた道を反対側から辿れるということ。

 Vinculumが示すのは、座標のない場所にいるエルディオンへ向かうための道標だった。


 会いたいと願うだけで、何もない場所へ道を作る言葉ではない。

 第五星環に残された道の端を辿り、その先で、自分とエルディオンのあいだに今も残る繋がりを目印にする。

 それなら、正しい座標が分からなくても、行き先を見失わずに進めるかもしれない。


「場所ではなく、エルさんとの繋がりを道標にするんですね」


 レグルスの確認に、アルノは頷いた。


「うん。アウレリアで見つけた道筋とは、別の役割です。あれは道を辿るためのもの。Vinculumは、その道をエルさんへ向かって進むための目印です」


 アルノは、座標を書き込むはずだった中央へVinculumを置いた。

 行き先の座標は書かない。

 第五星環の痕跡と、エルディオンへ続く繋がりから、術式自身が進む方向を定める場所へ変える。


 最後の一線を引くと、四枚の紙の上で、別々だった円環が一つに重なった。


 アルノはすぐには魔力を流さなかった。

 線の繋がりを最初から見直し、レグルスにも確認を求める。

 リネは壁際の停止術式へ手を置いた。


「試すのは、魔力の循環だけです」


 アルノは二人へ告げた。


「ここには、エルさんの痕跡がありません。接続先は定まらないはずです。四つの層を魔力が通って、何も開かずに戻ってくれば成功です」


「何かが開き始めたら?」


「僕が切る。同時に、停止術式を動かして」


「分かった」


 全員の準備を確かめ、アルノは四次元魔法陣の端へ指を触れた。


 ほんの少しだけ魔力を流す。


 接続の層に、銀色の光が灯った。


 光は観測へ渡り、固定と遷移の線を通る。

 Limesの外周へ届く直前で細く折れ、紙の上にはない方向へ一度だけ姿を消した。


 リネの手に力が入る。


 次の瞬間、銀色の線は四枚の紙の中央へ戻ってきた。


 Vinculumを置いた中央を通り、最初の接続へ還る。


 裂け目は生まれない。

 行き先のない穴も開かない。

 魔力は四つの層を一周し、始点へ戻ったところで静かに消えた。


 三年間、何度描いても途中で途切れた円が、初めて閉じていた。


「……完成したの?」


 リネが息を潜めるように尋ねる。


 アルノは四枚の紙を見つめた。


「術式は完成した」


 口にしてから、その言葉を自分の中でもう一度確かめる。


「でも、道はまだ開いてない。最後の行き先は、第五星環に残ったエルさんの痕跡から受け取らないといけない」


「なら、次は第五星環ですね」


 レグルスの声に、アルノは頷いた。


 海面まで届くほど長い線が、消えずに残っていたこと。


 空から落ちたアウレリアが、海の底で街の形を留めていたこと。


 Nodusを刻んだ魔法陣が海の底へ残り、遠い王墓では、誰も意味を知らないままVinculumが守られていたこと。

 二つに、もともとの関わりはない。

 巡り合わせだけを見れば、奇跡と呼ぶしかない。


 スペルを一つずつ拾い、意味を読み、確かめてきた時間が、奇跡のような巡り合わせを一本の道へ変えた。


 アルノは中央に記したVinculumへ、そっと指を置いた。


 三年前、伸ばした手の先で、エルディオンの銀髪も光の中へ消えていった。


「行きましょう」


 灰銀色の瞳に、もう迷いはなかった。


「エルさんが消えた場所へ」

最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

更新は19時半時です( ᴗ ᴗ)⁾⁾

次回最終話です。

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