結ばれたもの
四人は白い外壁の上で、同じ深さに浮いていた。
身体を包む防護膜は海流に合わせて形を変えているが、内側へ水は入ってこない。
四つの膜も、互いの声を伝える細い線も、安定していた。
膜の縁から漏れる淡い光が、海底の街を照らしている。
塔の幾つかは中ほどから折れ、渡り廊下は道の上へ崩れ落ちていた。
石畳を覆う泥の上では海藻が揺れ、屋根を失った建物の窓を、小さな魚の群れが通り抜けていく。
それでも、街は瓦礫の山にはなっていなかった。
壁と道があり、建物と建物のあいだには、人が行き交った幅の路地が残っている。
空から落ち、海へ沈んでも、ここはまだ街の形を保っていた。
「本当に、残ってたんだね」
リネの声に、アルノは頷いた。
海面から追ってきた線は、外壁を越えても途切れていない。
白い道を横切り、建物の下へ潜り込みながら、街の奥へ続いている。
「まず、この線を追います」
アルノは腰の重りを確かめ、身体をゆっくりと前へ傾けた。
三人もそれに続き、外壁の内側へ降りていく。
四人の足が、白い石畳へ触れた。
防護膜は靴底へも薄く広がり、足元へ空気を保っている。
海底を歩いているのに、靴の下から返るのは、乾いた地面と変わらない硬い感触だった。
潜行できる時間には限りがある。
四人は出発前に決めた時間を越えず、その中で線の行き先を探すことにしていた。
四人が歩き始めると、防護膜の縁を巡る光も白い壁の上を滑っていった。
光が通り過ぎた場所から再び闇へ沈み、数歩先の建物が代わりに浮かび上がる。
互いの姿を見失わないよう、リネとレグルスはアルノのすぐ後ろを進み、アレクシスが最後尾から周囲を警戒した。
◇
アウレリアの街路は複雑だった。
大通りから幾つもの路地が分かれ、その間を白い建物が埋めている。
泥へ沈んだ場所や、落下の衝撃で道ごと裂けた場所もあり、線は何度も瓦礫の下へ隠れた。
通りの脇には、根元から折れた街灯や、細い水路を渡る小さな橋が残っていた。
建物の前へ続く数段の階段には手すりまであり、泥の上を魚が泳いでいなければ、今も誰かが扉から出てきそうに見える。
けれど、四人の声が光の線を通して届くほかには、街の中に人の気配はなかった。
それでもアルノは、見えなくなった場所の前後を繋ぎ、先へ続く形を見失わなかった。
外壁から追ってきた太い線は、崩れた道を迂回しながら、街の中心へ向かっている。
二つ目の広場へ出ると、淡い線は水路に沿って向きを変えた。
「こっちです」
アルノは水路沿いの道を指した。
リネたちに見えるのは、泥に覆われた白い石畳だけだった。
それでも、誰も進む理由を尋ねなかった。
三年間、アルノにしか見えない線を追い、その先に残された神代の遺跡を幾つも見つけてきた。
今では、アルノが見つけた道を信じることも、四人にとって当たり前になっている。
アレクシスが崩れた建物と暗い路地へ目を配り、リネとレグルスがアルノのあとに続く。
四人は互いの防護膜が届く距離を保ち、水路に沿った道へ進んだ。
水路の横には、間口の狭い建物が幾つも並んでいた。
窓も扉も失われているが、一階部分には人の腰ほどの高さの石台が残っている。
その奥には縦長の焼き窯があり、壁へ小さな棚が幾つも刻まれていた。
「お店だったのかな」
リネが建物の中を覗き込む。
「かもしれない。あれは窯に見える」
「じゃあ、パン屋さんかも」
崩れた壁の奥で、窯は口を開けたまま泥へ半ば埋もれていた。
この街にも、そこでパンを焼く人がいた。
焼き上がりを待つ人がいて、水路の橋で言葉を交わし、夕方になればそれぞれの家へ帰っていったのだろう。
第七星環の壁画で見たのは、金色に輝く美しい空の都だった。
けれど、アルノたちが今歩いているのは、誰かが暮らしていた街だった。
「エルさんにも、見せてあげたいね」
「うん」
「なら、帰ってきたら連れてこよう」
リネは、もう決まっている未来のことのように言った。
ここへもう一度来られる保証も、エルディオンを本当に連れ戻せるという根拠もない。
それでもリネの中では、その二つがすでに一つの道として続いていた。
「そうだね」
アルノも、今度は迷わずに答えた。
水路の先には、通りに沿って幅の広い石壁が残っていた。
表面は海藻に覆われているが、膜の光を近付けると、その隙間から青と金色の顔料が覗いた。
リネが手のひらで海藻を払う。
防護膜は指の動きに沿って薄く形を変え、柔らかな海藻を壁の端へ押しのけた。
現れたのは、雲海の上を飛ぶアウレリアの姿だった。
街の外側から流れ落ちる水と、幾つもの橋で繋がった白い建物。
夕日を受けた塔と道が、淡い金色で塗られている。
「第七星環で見たのと、同じ?」
「似てる。でも、これは外から見た記録じゃない」
アルノは、金色の道の上へ小さく描かれた人影を見た。
橋を渡る人。
広場へ集まる人。
開いた窓から街を見下ろす人。
「この街で暮らしてた人たちが、自分たちのアウレリアを残したんだ」
四人はひととき、深海の闇へ沈んだ壁画を見上げた。
壁画を離れ、さらに水路沿いを進む。
やがて建物の列が途切れ、道が急に広くなった。
アルノが追ってきた太い線も、白い石畳の下を真っ直ぐ前へ伸びている。
その先に、巨大な円形の広場が沈んでいた。
◇
広場の中央は落下の衝撃で沈み込み、白石の舗装には中心から外周へ幾つもの亀裂が走っていた。
その間に、自然に生まれたものではない幾重もの円が残されている。
アルノは広場の縁で立ち止まり、ここまで辿ってきた線と、円環から街へ伸びる無数の線を見渡した。
外壁から入った太い線は、広場の最外周へ繋がっている。
そこから幾つもの円を巡り、最後は無数の細い線となって街の各所へ広がっていた。
力は外から届き、ここで分けられていた。
中央の石板の縁に、海藻へ半ば隠れた神代文字が一語だけ残っている。
アルノはその文字を読んだ。
「Nodus。結節点」
送られた力を受け取り、整え、都市全体へ渡す。
その役目は、刻まれた説明ではなく、ここまで辿ってきた線の形が示していた。
第六星環からの供給が途絶えたあとも、Nodusを刻んだ受け取り側の魔法陣は、海の底へ残り続けていた。
アルノは円環の縁へ膝をついた。
「ごく少しだけ、魔力を流します」
「防護膜へ影響が出れば、すぐに切ってください」
レグルスの言葉に頷き、アルノは白石へ手を近付けた。
防護膜は開かない。
自分で作った術式の内側から、指先の一点だけを通り道にして、細い魔力を外へ渡す。
始めは、何も起こらなかった。
流し込んだ魔力は、最も近い一本の線へ入ったあと、円環を巡ることなく、同じ場所へ押し戻されてきた。
受け取られていない。
アルノは、魔力が戻ってきた入り口と、その先に広がる線を見比べた。
入り口は一つでも、すぐ先で、同じ幅の幾本もの線へ分かれている。
細い魔力を一本のまま送ったため、一つの線にしか入らず、円環全体へ行き渡らなかったのだ。
必要なのは、魔力の量ではない。
円環が受け取れる形へ、流れを整えることだった。
アルノは指先から送る魔力を、円環の分かれ方に合わせて細く枝分かれさせた。
さらに、どの線にも同じだけの力が巡るよう、これまで何度も使ってきたLeの構造を重ねる。
ごく僅かな魔力が、今度は円環の内側へ吸い込まれた。
「動いた」
リネの声が、光の線を通して届く。
泥の下へ沈んでいた一本の線が、淡い金色を帯びた。
光は亀裂を迂回し、残った術式線だけを選びながら、二重、三重の円を描いていく。
やがて、円環の中心から一本の金色の線が伸びた。
光は広場を横切り、四人が辿ってきた大通りを戻っていく。
外壁までは、リネたちの目にも金色の光として見えていた。
その先は、アルノにだけ見える細い線となり、暗い海の彼方へ続いている。
海の上からアウレリアまで、アルノたちを導いた線だった。
「これ、第六星環から力を送っていた線です」
「まだ繋がってるの?」
リネの問いに、アルノは首を横へ振った。
「ううん。力はもう流れてない。途中で切れてる」
それでも、かつて力が通っていた道筋は、消えずに残っていた。
「どこから力を受け取っていたのか。この魔法陣は、その道だけを覚えてるんだ」
レグルスは、広場の外へ伸びた金色の光を見つめた。
「接続が失われたあとも、以前の道筋が痕跡として残る。その可能性を、今の反応は示しています」
第五星環に残る蒼い痕跡が、アルノの頭に浮かんだ。
あれも、三年前に途切れた道の一端なのだとしたら。
エルディオンが今どこにいるのか分からなくても、残された線から、途切れた先へ道を繋ぎ直せるかもしれない。
その時、円環がさらに力を引き込んだ。
指先から細く渡していた魔力が、急に強く引かれた。
その力は通り道を逆に辿り、右腕の防護膜を支えている魔力まで奪い始める。
透明な膜が、指先から肩へ向かって急速に薄くなった。
「アルノ、右!」
リネの声と同時に、アルノは指先から伸びていた線を切った。
金色の光が途絶え、円環は再び深海の闇へ沈む。
アルノは自分の膜へ魔力を戻し、右腕から肩口へ広げた。
リネ、レグルス、アレクシスの防護膜には、一つも乱れはない。
四つを独立させていたからこそ、円環に引かれたのは、そこへ魔力を渡したアルノの膜だけだった。
「もう動かしません」
アルノの言葉に、アレクシスが頷いた。
「必要なものは見えたか」
「はい」
その時、消えたはずの光が、円環の中心でもう一度だけ瞬いた。
アルノはもう魔力を流していない。
それでも、円環の内側へ残った力を拾い集めるように、淡い金色が一つ目の円を巡り、次の円へ渡っていく。
光は広場から大通りへ流れ、その先の細い街路へ分かれた。
長いあいだ闇の中へ沈んでいた街が、つかの間、淡い金色の線に縁取られる。
白い塔。
折れた橋。
人のいない広場。
かつてここへ届いていた力が、都市を巡っていた道筋をなぞるように、街の中を一度だけ駆けていった。
やがて光は、外壁へ向かう太い線を最後にもう一度照らした。
送り手から受け手へ流れていた道を、受け手に残った魔法陣が逆向きになぞっている。
アルノの中にあった仮説が、目の前で一つの形になった。
接続が切れても、道は完全には消えない。
片側に痕跡が残っていれば、そこから途切れた先を辿ることができる。
アルノは、光が完全に消えた円環へ目を戻した。
「王都へ戻ったら、確かめたいことがあります」
「じゃあ、戻ろう」
リネが答えた。
潜行を始めてから、すでに決めた時間の半分以上が過ぎている。
アルノの肩口を包む膜は戻っていたが、これ以上調べる理由はなかった。
四人は広場の中心へ集まり、それぞれ腰の留め具へ手を掛けた。
「せーので外す?」
「リネとレグルスが先に。アルノさんの膜を確かめてから、私とアルノさんが続く」
アレクシスの言葉に、リネとレグルスが頷いた。
二人が留め具を引く。
重りが石畳へ落ち、身体が少しずつ地面から離れ始めた。
アルノは二人の膜に乱れがないことを確かめる。
次にアレクシスが重りを外し、最後にアルノも腰の留め具を引いた。
四つの防護膜が、繋いだ光の線を保ったまま、海底から浮かび上がっていく。
足元で、アウレリアの広場がゆっくりと遠ざかった。
細い線は、暗闇へ沈む円環とその先を、最後までアルノの目へ映していた。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
更新は19時半時です( ᴗ ᴗ)⁾⁾
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